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学校一の『氷の美少女』な姉は、家だと限界ポンコツ甘えん坊です  作者: 功刀


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18/19

姉と映画鑑賞

 玄関でスニーカーの紐をきつめに結び直す。

 エアコンの効いた室内から一歩外に出れば、息苦しいほどの熱気が待っているのはわかっている。それでも今日だけはどうしても家を出たかった。


 ずっと前から気になっていたSFアクション映画の公開日なのだ。

 ネットの評判を見れば見るほど、劇場の巨大なスクリーンと爆音の音響で体感したくなる。スマホと財布だけをポケットにねじ込み、ドアノブに手をかけた。


「――待って。湊」


 背後から掛けられた間延びした声に肩が跳ねる。

 ゆっくりと振り返ると、そこには見慣れた惨状が立っていた。


「……なんだよ」

「なんだよじゃない。どこ行くの。私を置いて」


 洗面所から出てきたばかりなのだろう。千秋の髪は鳥の巣のように爆発しており、着古した中学の体操着の襟元はだらしなく伸び切っている。右手にはなぜか食べかけのアイスの棒が握られていた。


「映画だ。午後から見たいやつがあるんだよ」

「映画!? 映画館に行くの!? 私聞いてない! 抜け駆けは許さない!」

「抜け駆けってなんだよ。お前ずっと寝てただろ」

「今起きたの! アイス食べて覚醒したところ! 私も行く! 一緒に行く!」


 ドスドスと足音を鳴らして千秋が迫ってくる。


「やめとけ。俺が見るのはSFロボット物のアニメだぞ。お前、普段そういうの全く見ないじゃないか。絶対途中で寝るって」

「寝ないもん! 湊の隣にいられるなら二時間の暗闇でも耐え抜く自信がある!」

「耐え抜くって時点で楽しむ気ゼロだろ。いいから家で留守番してろ。帰りにコンビニでスイーツ買ってきてやるから」

「アイスじゃ誤魔化されない! 湊が外で他の女とすれ違って恋に落ちるかもしれない危険性を野放しにはできないの! 今すぐ準備するからここで待ってて! 三分!」


 言うが早いか、千秋は食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に放り投げ、弾丸のようなスピードで階段を駆け上がっていった。

 ドタバタという足音が二階から響き渡る。


「……絶対三分で終わらないだろ」


 ため息をつきながら三和土に座り込む。

 結局、俺が玄関で待たされたのはたっぷり三十分だった。


「お待たせ。行きましょう」


 階段を降りてきた声は、先ほどの甘ったれた響きから一転して凛としたものに変わっていた。

 見上げると、そこには淡いブルーのノースリーブのワンピースを纏い、髪をサラサラに整えた完璧な『氷の美少女』が立っていた。

 足元は白いサンダル。すれ違う男が全員振り返るような圧倒的なオーラを放っている。


「……お前のその外装変換システム、ほんとどうなってんだよ」

「美しさは武器よ。湊の隣を歩くんだから、姉として完璧なエスコートをしてあげないとね」

「エスコートされるのはお前の方だろ。切符も買えないくせに」

「細かいことは気にしない。ほら、早くしないと上映時間始まっちゃうわよ」


 優雅に日傘を開く千秋の後を追いながら、俺は深い息を吐き出した。

 結局いつもこうだ。押し切られるのは俺ばかりである。


 バスに揺られて駅前の大型シネマコンプレックスに到着した。

 夏休み期間ということもあり、館内は異常な熱気に包まれている。ポップコーンの甘いバターの匂いと、行き交う人々のざわめき。

 俺は自動券売機でチケットを二枚発券し、千秋の前に戻った。


「ほら、お前の分。なくすなよ」

「ありがとう。ジュース買って。メロンソーダがいい」

「俺は保護者か」

「たった一人の頼れる弟でしょ」


 にっこりと微笑む千秋。周囲の男たちがその笑顔に吸い寄せられるようにチラチラとこちらを見ているのがわかる。

 外での千秋は本当に隙がない。姿勢は良く、瞬きのタイミングすら計算されているのではないかと思うほど美しい。

 だが中身を知っている俺からすれば、ただの燃費の悪いズボラ女でしかない。


 飲み物とポップコーンを抱え、シアターへの入場口へ向かおうとした時だった。


「……ねえ湊」

「ん? なんだ」

「なんか、周り、多くない?」

「人がか? そりゃ夏休みだし、話題作もいっぱいやってるからな」

「そうじゃなくて……ペアよ。男女の」


 千秋の視線の先を追うと、確かにポップコーンを一つの容器から仲良くつつき合う男女や、手を繋いで券売機に並ぶ男女の姿が目についた。


「映画館なんてそんなもんだろ。デートスポットの定番だしな」

「デート……」


 千秋がポツリと呟いた。

 その直後。


「おい、ちょっと待てお前」


 俺の左腕に、突然ずしりとした重みが乗っかった。

 見ると、千秋が俺の腕に両手でしっかりと絡みつき、身体を密着させてきていた。


「な、なにしてんだよ」

「なにも? ただ腕を組んでるだけよ」

「映画館のロビーで姉弟が腕組む意味がわからないんだが」

「迷子防止」

「お前は五歳児か。離れろ、歩きにくい」


 腕を振り解こうとするが、千秋のホールドは予想以上に固い。

 しかも最悪なことに、腕に押し付けられている部分から尋常ではない柔らかさがダイレクトに伝わってくるのだ。

 薄着のワンピース越し。普段のジャージ姿の時ですら暴力的な質量を誇るあれが、歩くたびに俺の左腕に容赦なく押し付けられては形を変える。


 頭の芯がカーッと熱くなるのがわかった。

 完全に目のやり場も思考のやり場も失う。


「ばっ……おい、当たってる!」

「え? なにが?」

「なにがじゃない! 胸だ! お前のそれが腕にガッツリ当たってるんだよ! いい加減にしろ!」

「あら、ほんと」


 千秋は悪びれる様子もなく、むしろわざとらしく身体を押し付けてきた。

 周囲のすれ違うカップルや男子高校生の集団が、信じられないものを見るような目でこちらを見ている。

『あんなすげえ美人が、あの男にベッタリだぞ』という心の声が幻聴となって聞こえてきそうだ。


「こうすれば、他の人から私たちもカップルに見えるかな?」

「……は?」

「だから。周りはカップルばっかりでしょ。私たちだけ距離を開けて歩いてたら不自然じゃない。だからこうやって腕を組んで、密着して歩けば、完璧に溶け込めると思って」

「どんなカメレオンだよ! 姉弟がカップルに擬態してどうするんだ!」

「だって……」


 千秋は上目遣いで俺を見上げてきた。

 その瞳は外行きのクールな表情を完全に忘れており、家で見せるあの甘ったれた大型犬のような目になっていた。


「……湊が他のカップル見て、羨ましいとか思ったら嫌だもん」

「思うかよ! 俺はただロボットの戦闘シーンが見たいだけだ!」

「じゃあこのままでいいでしょ。映画館の中は暗いんだし、誰も私たちの顔なんて見ないわ」


 わけのわからない理屈をこねながら、千秋はさらに腕に力を込めてくる。

 押し返そうにも、これ以上腕を動かせば確実にセクハラじみた摩擦が起きてしまう。完全に詰みだ。


「……お前な」

「ふふっ。ポップコーン、あとで食べさせてね」

「自分で食え」


 周囲の痛いような視線と、腕から伝わる危険な感触に脳を焼かれそうになりながら、俺は大きなため息をついた。


 薄暗いシアターへの入り口のゲートをくぐる。

 係員にチケットの半券をもぎってもらいながら、俺は完全に諦めの境地に達していた。


「階段暗いから、足元気をつけて」

「うん。湊、しっかりエスコートしてね」


 腕を絡ませたままの千秋を引きずるようにして、俺たちは指定された座席へと向かう。


 俺が楽しみにしていた迫力の戦闘シーン。

 だが果たして、隣にこの柔らかくて甘い匂いのする厄介な爆弾を抱えたまま、画面に集中することができるのだろうか。


 暗闇に包まれる劇場の中で、俺は深く深く重い息を吐き出した。

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