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学校一の『氷の美少女』な姉は、家だと限界ポンコツ甘えん坊です  作者: 功刀


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悪魔(姉)

 ポケットの中で狂ったように振動を続けるスマートフォン。

 画面の『悪魔(姉)』の文字が、死神の宣告のように明滅している。


「あ、いや……なんでもない。ちょっと電話、出てもいいか?」

「うん、もちろん」


 俺は雫に背を向けるようにして少し距離を取り、覚悟を決めて通話ボタンを押した。


「……もしもし」

『みぃーなーとぉーーー!!!』


 耳元で爆発した凄まじい叫び声に、俺は思わずスマホを耳から離した。


『どこにいるの!? 家にいない! 私の弟が家から消えた! 誘拐!? 神隠し!? 警察呼ぶ!?』

「バカ、声でかい! 誘拐じゃねえよ、ちょっと外に出てるだけだ!」

『外!? この私がまだ寝てる間に!? 許可なく!? 私のお昼ご飯はどうなるの! おねえちゃん餓死するよ!?』

「お前の胃袋はお昼の一食抜いたくらいで餓死するようなヤワな作りしてないだろ。冷蔵庫に昨日の残りの冷やご飯と納豆があるからそれ食ってろ!」

『納豆やだ! ネバネバする! 湊がネギと卵入れて炒飯にしてくれないと食べない!』


 完全に理不尽の極みだ。

 どうして高校二年生の女が、電子レンジでご飯を温めることすらできずに弟に電話で泣きついているのか。

 周囲を通行人が怪訝な顔で通り過ぎていく。俺は声を潜めて凄んだ。


「いいか、俺は今、友達と夏休みの宿題やってる最中なんだ。邪魔するな」

『……友達?』


 声のトーンが、電話越しでもわかるほど一瞬にして急降下した。

『絶対零度の千秋さん』モードへの切り替えだ。


『……湊。その友達って、誰』

「……お前には関係ないだろ」

『翔太くんは今日からファミレスの五連勤だって言ってたわ。……まさか、相川さん?』

「ッ!」


 なぜあいつのシフトまで把握している!?

 それに雫の名前が、なぜそんなにすんなりと出てくるのか。


『図星ね。やっぱりあの泥棒猫……っ! どこにいるの! 今すぐ教えなさい!』

「教えるわけないだろ! 俺はもう切るからな、腹減ったら素麺でも自分で……」

『言わないと、今すぐ湊の部屋に入って、引き出しの中にあるあの……恥ずかしい本、全部リビングのテーブルに並べて写真撮って家族LINEに送るからね!!』

「なっ……おまっ……ふざけんな!! それ俺のプライバシーの完全な侵害……!」

『5! 4! 3!』

「わかった! わかったから!! 駅前の……駅前の新しいクレープ屋に向かってるところだ!!」


 俺の情けない叫びを聞き届けた瞬間、『ぷつっ』という無機質な音と共に通話は切断された。

 額から嫌な汗が流れ落ちる。

 完全に終わった。あの怪獣のことだ、間違いなくここに向かってくる。


「……湊くん? 大丈夫? なんか、すごい声聞こえたけど……」


 雫が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 俺は顔を引きつらせながら、なんとか笑顔を作った。


「あ、ああ……ちょっと姉貴が、家の鍵が見つからないとか騒いでて……でももう大丈夫だ。行こう、クレープ屋」

「ほんとに? 無理してない?」

「全然! さっさと行って、美味しいクレープ食べようぜ!」


 俺は雫の背中を押すようにして、早足で駅の向こう側へと向かった。

 千秋が家から駅まで来るには、どんなに急いでも自転車で十五分はかかる。その前にクレープを買い、適当な理由をつけて雫を帰せば、最悪のバッティングは避けられるはずだ。


 新しくできたクレープ屋は、淡いピンク色を基調とした可愛らしい店構えだった。

 数人の女子高生の列に並び、俺たちはメニューを覗き込んだ。


「私、このイチゴと生クリームのにしようかな。湊くんは?」

「俺は……チョコバナナで」


 心臓のバクバクを抑えながら注文を済ませる。

 数分後、甘い匂いを漂わせるクレープが二つ渡された。


「わぁ……美味しそう! 凑くん、一緒に写真撮ろ!」

「えっ、あ、うん……」


 雫がスマホを構え、俺とクレープが収まるようにシャッターを切る。

 こんなにも平和で、こんなにも眩しい青春の1ページ。

 でも、俺の脳内は常に背後の警戒で埋め尽くされていた。いつどこからあの黒髪の死神が降臨するか気が気ではない。


「ん〜! すっごく美味しい! 凑くんのも一口食べていい?」

「えっ……ああ、いいけど」


 雫が俺のチョコバナナクレープに顔を近づけた、まさにその瞬間だった。


「――美味しそうね。私も一口もらおうかしら」


 頭上から降ってきたのは、吹雪のような極寒の声。

 俺と雫は同時にビクッと肩を震わせ、振り返った。


 そこに立っていたのは日傘をさし、上品なサマードレスを身に纏った千秋だった。

 完璧なメイク。サラサラの黒髪。道行く男たちが次々と振り返るほどの圧倒的な美貌。

 だが俺にはわかる。そのドレスの下で『野生の嫉妬』がマグマのように煮えたぎっているのが。


「ち、千秋さん……!」

「お久しぶりね、相川さん」


 千秋は日傘を優雅に畳みながら、俺と雫の間にスッと入り込んできた。

 そして、俺が持っていたチョコバナナクレープを、何の躊躇いもなくパクッと一口齧ったのだ。


「ああっ!? お前、何勝手に食って……!」

「あら、弟のものは姉のものよ。……うん、美味しいわ。でも、湊のクレープなんだから、相川さんにはちょっと刺激が強すぎるかもしれないわね」


 意味深な笑顔を雫に向ける千秋。

 雫は顔を真っ赤にして、慌てて一歩後退した。


「す、すみません……! 私、お邪魔しちゃって……!」

「邪魔だなんて思ってないわ。ただ、湊は家の手伝いで毎日クタクタなの。夏休みの間くらい、家族でゆっくり休ませてあげたくて」


 嘘八百だ。毎日クタクタなのはお前のお世話のせいだ。


「そう……ですよね。凑くん、今日は本当にありがとう! 私、これで帰るね!」

「あっ、おい、雫!」


 俺が止める間もなく、雫はペコペコと何度も頭を下げながら、逃げるように駅の方へと走り去ってしまった。

 残されたのは、俺と、俺の食べかけのクレープを満足そうに見つめる姉だけ。


「……お前なぁ……!!」

「なによ。私は弟の貞操の危機を救ってあげただけよ」

「貞操ってなんだ貞操って! せっかく宿題終わって、これから平和な夏休みを楽しもうと思ってたのに……!」

「ダメよ。湊の夏休みは、全部私のものだもん」


 千秋はふわりと笑うと、俺の腕にギュッと抱きついてきた。

 外での『完璧な千秋さん』の姿のまま、中身は完全に家でのズボラ怪獣モードになっている。このギャップを使い分ける器用さを少しは家事に向けてほしいものだ。


「帰ったら、夕飯はオムライスね。ケチャップで『アイラブ千秋』って書いて」

「書くか! 『アホ』って書くからな!」

「ひどーい! じゃあお風呂の時、背中流してもらうから!」

「入らねえよ!!」


 灼熱の太陽の下、俺のささやかな反抗はむなしく空に吸い込まれていく。

 クレープの甘い匂いと、腕に絡みつく理不尽な重み。


 俺の高校一年の夏休み。

 それは、爽やかな青春の思い出など入り込む余地のない、姉という名のズボラな怪獣との果てしなき攻防戦の記録として、幕を開けたのだった。

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