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学校一の『氷の美少女』な姉は、家だと限界ポンコツ甘えん坊です  作者: 功刀


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進まない宿題

 容赦なく照りつける太陽がアスファルトを焼き焦がし、開け放たれた窓からは暴力的なまでの蝉時雨が流れ込んでくる。

 夏休み初日の午後二時。

 俺は自分の部屋の机に向かい、数学のプリントと睨み合っていた。


「……暑い。そしてだるい」


 エアコンは効いているはずなのだが、頭がぼーっとして文字が滑っていく。

 自室での勉強というのはどうにも誘惑が多すぎる。

 ベッドの柔らかさ、スマホの通知音、本棚の漫画。俺の集中力はすでに開始十分で底をつき、スローペースどころか完全に停止状態に陥っていた。


「ダメだ……これじゃ雫と会うまでに終わらない。とりあえず糖分と炭酸を入れて強制的に脳を起こそう」


 プリントから目を離し、立ち上がる。

 昨日、スーパーの特売で買っておいた俺専用のゼロカロリーコーラが冷蔵庫にあるはずだ。あの刺激的な炭酸を喉に流し込めば、少しはシャキッとするだろう。


 階段を降りてリビングへと向かう。

 扉を開けた瞬間、冷ややかな冷気と共に、ある光景が目に飛び込んできた。


「……」


 ソファーの上。

 いつものように上下スウェット姿の千秋が、だらしなく仰向けに転がっている。

 手にはスマホ、口元にはポテトチップスのコンソメパンチの粉。

 そして――傍らのローテーブルに、俺が楽しみにしていた見覚えのある赤いラベルのペットボトルが、無惨にも『空の状態で』転がっていた。


 嫌な予感というか、すでに確定した絶望がそこにあった。


「おい、千秋」

「んー? なぁに、湊ぉ。お腹すいたー。アイスないのー?」

「アイスの前に聞きたいことがある。そのテーブルの上のコーラ、なんだ」


 俺が指差すと、千秋はゴロゴロと寝返りを打ち、空のペットボトルを一瞥した。


「ああ、あれ。湊が私のために冷やしててくれたんでしょ? すごく冷えてて美味しかったよ。ありがと」

「……」


 ブチッと、俺の中で何かが切れる音がした。


「俺のために冷やしてたんだよ! そもそもお前、昨日自分で『私は赤いコーラじゃなくて黒いラベルのやつがいい』って言って別のやつ買ってたじゃないか! そっちはどうした!」

「えー? 昨日映画見ながら全部飲んじゃった。だから喉渇いたから、冷蔵庫開けたら湊のがあったから……弟のものは姉のものっていうジャイアニズム精神で」

「そんなクソみたいな精神、今すぐ太平洋に捨ててこい! このクソ暑い中、俺はあのコーラを楽しみに勉強頑張ってたんだぞ!」


 俺の剣幕に、千秋は少しだけ体をビクッとさせたが、すぐに唇を尖らせて反論してきた。


「なによケチ! 姉弟なんだからコーラ一本くらい共有したっていいじゃない! むしろ私の細胞の一部になったことを光栄に思いなさいよね!」

「光栄に思えるか! お前の細胞なんてコンソメと炭酸と怠惰でしか出来てないだろうが!」

「ひどい! 乙女の細胞を怠惰扱いした! 湊のいじわる! じゃあ買いに行けばいいでしょ、コンビニすぐそこなんだから!」

「このクソ暑い中、外に出ろってか……」


 窓の外を見ると、アスファルトから陽炎が立ち上っているのが見えた。あの中に飛び込むのは自殺行為に等しい。


「……買いに行くから、金出せ」

「えっ、私の財布、二階の部屋の鞄の中」

「取りに行け」

「むり。階段登ったら熱中症で倒れる」


 クーラーの真下でコンソメポテチを食っている人間がどの口で言うのか。


「お前なぁ……! 本当にいい加減にしろよ。雫みたいな妹がいたら、絶対『お兄ちゃんの分も買ってきたよ』って気遣いしてくれるのに!」


 つい、口から本音が漏れてしまった。

 その瞬間。

 ソファーで寝転がっていた千秋の動きが、ピタリと止まった。


「……は?」

「あ、いや……」


 空気が急激に凍りつく。

 千秋はのそりと身を起こし、胡座をかいて俺を睨みつけた。その目には、いつものズボラな甘えん坊の光はなく、学校で見せる『絶対零度の千秋さん』の冷徹な光が宿っていた。


「……今、なんて言ったの。湊」

「……いや、雫なら気遣いができるって……」

「違うわ。その前よ。雫『みたいな妹』がいたら、って言ったわね」

「言ったけど、それが……」


 ドンッ!

 千秋が勢いよくローテーブルを叩いた。


「許さないわ。湊が私以外の女を妹や姉として幻想を抱くなんて、絶対に許さない」

「幻想じゃなくてお前が理不尽なだけだろ!」

「うるさいうるさい! 私は湊のたった一人の姉なの! あの地味で大人しいだけの女に、私よりお姉ちゃん適性があるなんて言わせない!」


 ギャーギャーと騒ぎ始めた千秋。

 完全に地雷を踏み抜いてしまったらしい。けど、悪いのはどう考えてもコーラを盗み飲みしたこの女だ。


「わかった、わかったから叫ぶな。コーラは自分で買いに行くから。その代わり、今日の昼飯は各自で調達な。俺はコンビニで適当に弁当買うから、お前もなんか買え」

「えっ!? 待って、私の昼ご飯は!? 湊の素麺は!?」

「素麺茹でる気力もなくなった! コンビニ弁当で十分だろ!」


 俺が玄関に向かって歩き出すと、千秋は慌ててソファーから転げ落ち、這うようにして俺の足首にしがみついてきた。


「やだやだやだ! 湊の素麺じゃないと私死んじゃう! ごめん、コーラ飲んだの謝るから! 素麺茹でて! ネギと生姜たっぷり入れて!」

「離せ! 重い! 足がちぎれる!」

「相川さんのことは忘れて! 私が最高の姉だって言って! そう言ってくれるまで離さない!」


 玄関の三和土で、姉を足に引きずりながら靴を履こうと格闘する俺。

 どうして俺の夏休み初日は、コーラ一本のためにこんな無様な争いを繰り広げているのだろうか。


「……もういいから財布取ってこい! お前のアイスも買ってきてやるから!」

「ほんと!? ハーゲンダッツのマカダミアナッツね! 約束だからね!」


 パァッと顔を輝かせて、ようやく俺の足から離れる千秋。

 その現金の早さに殺意すら覚えながら、俺は灼熱の太陽が待ち受ける外の世界へとドアを開けた。


「……絶対に、絶対に雫と会って、この荒んだ心を浄化してやる……」


 恨み言を呟きながらアスファルトを踏みしめる。

 コンビニまでのたった五分の道のりが、今の俺には果てしなく遠く感じられた。

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