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学校一の『氷の美少女』な姉は、家だと限界ポンコツ甘えん坊です  作者: 功刀


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12/19

姉の独占欲

 月曜日の朝の教室は週末の余韻を引きずった気怠い空気が漂っている。

 黒板の端に書かれた日付が新しくなっているのをぼんやり眺めていると隣から勢いよく鞄が机に叩きつけられた。


「おい湊! 今朝の千秋さん見たか! 昇降口で一年生の女子にハンカチ拾ってあげてたんだぞ! あの優しさとクールさのギャップ、マジで大天使降臨って感じだった!」


 朝から元気すぎる翔太が身を乗り出して熱弁を振るっている。

 俺は自分の鞄から教科書を取り出しながら大きなため息をついた。


「お前な、朝からうるさい。ハンカチ拾ったくらいで大天使なら世の中の落とし物センターの職員は全員神様かよ」

「ちげーよ! あの千秋さんが拾うから価値があるんだろ! しかも『気をつけてね』って微笑んだらしいぜ! その場にいた奴ら全員が膝から崩れ落ちたって噂だ!」

「その崩れ落ちた奴らの脳波を一度調べてこい」


 優しさとクールさ。微笑み。

 その言葉を聞いて俺の脳裏に浮かぶのは昨日の休日の惨状だ。

 ホラーゲームに怯えて俺の背中にセミのように張り付き、最終的には「夜一人でトイレに行けないからドアの外で歌ってて」と理不尽な要求を突きつけてきたあのズボラ怪獣。大天使とは一番遠い位置に生息する生命体だ。

 外の仮面が分厚すぎて中の本当の顔が誰にも見えていない。


「お前は毎日あの天使と同じ屋根の下でご飯食べてるんだろ。前世でどんな徳を積んだんだよ」

「徳じゃなくてカルマだろ。毎日の飯を作らされてる俺の身にもなれ」


 翔太のバカげた言葉を右から左へ受け流していると、教室の前方のドアが静かに開いた。

 俯き加減で入ってきたのは相川雫だ。

 その姿を見た瞬間、俺の胸の奥がチクッと嫌な音を立てた。昨日の日曜日、千秋の理不尽な駄々のせいで約束の勉強会をドタキャンしてしまったのだ。


 俺は席を立ち、雫の机の前に向かった。鞄を下ろそうとしていた雫がこちらに気づいて小さく肩を揺らす。


「あ……湊くん。おはよう」

「おはよう。……昨日は本当にごめん。急に行けなくなって」


 素直に頭を下げる。雫は慌てて両手を振った。


「ううん! 全然気にしてないよ。家の用事が入っちゃったんでしょ? 湊くんが謝ることじゃないよ」

「いやでも……約束してたのに」

「本当に大丈夫。千秋先輩のお手伝いとかだよね? 凑くんは偉いなあって思ってたんだ」


 お手伝い。なんて綺麗な響きだろうか。

 実態は姉の孤独とホラーゲームへの恐怖を和らげるための肉の壁だ。真実を知ればこの素直な同級生はどんな顔をするだろう。


「……お前は優しすぎるんだよ。普通もっと怒るだろ」

「怒らないよ。だって湊くんがわざとじゃないってわかってるし。それに……」


 雫は少しだけ視線を逸らし、指先をもじもじと絡ませた。


「また今度、時間がある時に誘ってくれたら……それでいいから」


 上目遣いで控えめに伝えられる言葉に俺の心臓が少しだけ変なリズムを打つ。

 こういう素直で大人しいところが俺は嫌いじゃない。いやむしろ、家にいるあの理不尽の塊と比べたらまさにオアシスだ。


「わかった。絶対今度埋め合わせする。……約束な、雫」

「うん!」


 二人で少しだけ気まずく、でも悪くない空気の中で笑い合う。

 もし俺に普通の姉がいれば、こういう普通の青春の1ページをもっと純粋に楽しめたのかもしれない。


「おいコラ湊ォ! 朝から女子とイチャついてんじゃねえぞ! 爆発しろ!」

「うるさい翔太。お前は一生大天使の幻影でも追いかけてろ」


 騒ぐ翔太を適当にあしらって自分の席に戻ろうとしたその時だ。


「――なんだか楽しそうね、一年生」


 教室の空気が一瞬にして凍りついた。

 開け放たれた後ろのドアに寄りかかっていたのは、完璧に制服を着こなした千秋だった。

 長い黒髪。シワひとつないブレザー。冷たさを湛えた切れ長の瞳が俺と雫を交互に射抜いている。

 周囲のモブ生徒たちが息を呑む音が聞こえた。


「ち、千秋さん……!」

「どうして二年の先輩がここに……」


 ざわめきを無視して、千秋はコツコツとヒールのない靴音を響かせて俺の机のそばまで歩いてきた。


「なんだよ。用なら家で言え」

「通りかかっただけよ。図書委員の朝の仕事の帰りにね」

「そうかよ。じゃあさっさと自分の教室に戻れよ。もうすぐチャイム鳴るぞ」

「弟の心配をしてあげてるのよ。昨日は一日中私の勉強に付き合って疲れているはずだから」


 勉強。嘘つけ。

 昨日お前はホラーゲームのゾンビに怯えて俺の首を絞めていただけだろ。

 ツッコミたい衝動を必死に唾と一緒に飲み込む。


 千秋の冷ややかな視線が俺の後ろにいる雫へと向けられた。


「あなた……相川さん、だったわね」

「ひゃ、はいっ……!」


 怯えた小動物のように雫が肩をすくめる。


「昨日湊が約束を破ってしまったみたいね。姉として謝っておくわ。でも凑は私にとってたった一人の大切な弟だから。これからも家の用事で彼を振り回してしまうかもしれないけれど、許してあげてね」


 一見すると丁寧で常識的な姉の言葉だ。

 だがその声の底に張り付いている絶対的な『弟は私のもの』という独占欲とマウントの取り方に、俺の胃がキリキリと痛み出す。


「い、いえっ……そんな、私こそごめんなさい! 湊くんの時間を奪おうとして……」

「わかってくれればいいのよ」

「ちょっと待てお前」


 俺はたまらず千秋の腕を掴んだ。

 細い腕だ。外ではこんなに冷たくて強いフリをしているくせに、俺が強く引けば簡単にバランスを崩してしまうような。


「雫は何も悪いことしてないだろ。変な言い方して脅すな」

「……」


 俺が雫と呼んだ瞬間、千秋の肩がビクッと跳ねたのを、掴んだ腕越しに感じた。

 氷のように無機質だった表情が一瞬だけ崩れ、昨日の夜、布団に包まって泣きそうになっていた時と同じような脆い目つきが顔を出す。


「仲が良いのは結構だけど、学業の邪魔にならないようにしなさいよ。湊、今日の放課後は図書室で待ってるから。一緒に帰るわよ」

「はあ!? 今日は部活の見学に行くって……」

「待・っ・て・る・か・ら」


 振り返らずに言い残し、千秋は足早に廊下へと消えていった。

 その後ろ姿はいつもより少しだけ早歩きで、なんだか逃げ出しているようにも見えた。


 教室には爆弾が落ちた後のような沈黙が残された。

 数秒後、翔太が俺の背中をバンバンと叩いてきた。


「湊お前すげえな! あの千秋さんに『一緒に帰る』なんて言われるとか! やっぱり姉弟愛強えー!」

「どこが愛だ。ただの監視と束縛だろ」

「相川さんも気にすんなよ! 千秋さんはブラコンなだけだから!」


 翔太の言葉に雫は引きつった愛想笑いを浮かべていたが、俺はもう頭痛を堪えるのに必死だった。

 家に帰ったら一体どんな理不尽な駄々をこねられるのか、想像するだけで逃げ出したくなる。


「……ごめんな雫。うちの姉貴、ちょっと面倒な性格しててさ」

「ううん……千秋先輩、湊くんのこと本当に大事なんだね。ちょっと……羨ましいな」


 どこまでも人のいい雫の言葉に俺は返す言葉が見つからなかった。

 放課後の図書室。

 そこで待ち受けているであろうズボラ怪獣の嫉妬をどうやって宥めるか。俺は一時間目のチャイムが鳴り終わるまで、ずっとそのことばかりを考えていた。

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