姉とホラーゲーム2
休日の正午少し前。
部屋のカーテンを半分閉め、モニターの前に陣取った俺は、昨日から徹夜一歩手前までプレイしたホラーゲームの最終局面に挑んでいた。
窓から差し込む秋の陽射しが、画面の陰鬱なグラフィックを中和している。
明るい時間にやるホラーゲームなんて、恐怖度は夜の半分以下だ。
それなのに……
「ひっ……! 湊、右! 右の通気口からなんか這ってくる音がする!」
俺の背中にピッタリと張り付き、ジャージの裾をぎゅっと握りしめている千秋は、まだガタガタと震えていた。
昨夜と全く同じ構図だ。違うのは、部屋が明るいことと、千秋が歯磨きを済ませていることくらいか。
「あのな、昼間くらい強がったらどうなんだよ。そもそも怖いなら自分の部屋に戻れ。俺はエンディングまで集中したいんだ」
容赦なく突き放そうとする俺に、千秋は背中からさらに体重をかけて抵抗してきた。
「だ、ダメ! ここまできたら私も見届けないと! 途中で逃げたら、一生あの血だらけのワンちゃんが夢に出てくるかもしれないじゃない!」
「ゲームのエンディング見たくらいで夢から除外されるシステムなんてねえよ。それに、昨日の夜、俺に脱衣所でアニソン歌わせる羞恥プレイ強要したのお前だろ。もうあんなの二度とごめんだからな」
「うっ……そ、それは……」
昨日の風呂場での攻防は俺にとって思い出したくもない黒歴史だ。
ドア越しに俺の歌声を聴きながら「湊、サビの音程ずれてる! やり直し!」などと指示を出してきた姉の横暴を、俺は死ぬまで忘れない。
「いいから出てけ。俺は一人で世界を救うんだよ」
「やだ! 私も一緒に世界を救うの! 湊の背中は私が守るから、前だけ見て撃って!」
「お前は後ろで震えながら俺の服伸ばしてるだけだろ! 邪魔だ!」
結局、俺がいくら文句を言っても、千秋は背中から離れようとしなかった。
まあ、相川との予定を断らせた手前、少しだけ罪悪感のようなものがあって強く出られない俺が一番悪いのだが。
それから約二時間後。
洋館の最深部で待ち受けていた巨大な生体兵器(見た目はおぞましい肉塊だ)との死闘を制し、ついにエンディングのスタッフロールが画面に流れ始めた。
「……終わった」
コントローラーを置き、大きく背伸びをする。
後半はホラーというより、ロケットランチャーやマグナムをぶっ放すド派手なアクションゲームと化していたため、背後の千秋も「いけー! やっちまえー!」と応援に回っていた。
「ふふん、所詮はゲームね。最後にドカンと一発決めてやれば、どんな化け物もただの肉片よ!」
背中から離れ、得意げに腕を組んでモニターを見下ろす千秋。
先ほどまで俺のジャージを握りしめて涙目で通気口の音に怯えていた姿はどこへやら、完全に調子を取り戻している。
「……昨日の夜、布団被ってガタガタ震えてたのはどこのどいつだったかな。風呂場で一人で髪も洗えなかった奴がよく言うぜ」
「えっ? 何の話? 私は最初から最後まで勇敢に湊の背後を援護していた記憶しかないけど?」
「……お前の記憶の捏造スキルだけは本当にカンストしてるな」
都合の悪いことは聞こえないふりをする千秋に呆れながら、俺は立ち上がった。
腹の虫が鳴っている。昼飯の時間だ。
「よし、飯にするぞ。今日は簡単にチャーハンでいいか」
「やった! 湊のチャーハン大好き! ネギ多めで、あとごま油ちょっと多めにね!」
「太るぞ」
「太らない! 私の消費カロリーはゲームの応援で限界突破してるから!」
軽い足取りで一階のリビングへと向かう千秋の後を追い、キッチンに立つ。
残りご飯と卵、ネギ、刻んだチャーシューを中華鍋で手早く炒める。俺が手際よく鍋を振っている間、千秋はカウンターに顎を乗せて、腹を空かせた犬のように尻尾を振る勢いで待機していた。
「はいよ。出来上がりだ」
「わーい! いただきまーす!」
皿に山盛りにされたチャーハンを、千秋はあっという間に平らげていく。
外では「少食で、昼はサラダくらいしか……」と清楚ぶっている女の食欲とは思えない。
「ふぅー、食った食った。ごちそうさま!」
お茶を飲み干し、満足げに腹をさする千秋。俺も自分の皿を洗い流し、シンクに置いた。
「で、湊。午後は何するの? 映画でも見る?」
「いや、映画は見ない。また部屋に戻ってゲームだ」
「えっ、まだやるの? さっきのやつクリアしたじゃない」
「ああ。あれは第一作目だ。実はあれ、セット売りで続編も入ってるんだよ。午後からは、そのまま『2』をプレイする予定だ」
俺の言葉に、千秋の動きがピタリと止まった。
「……続編?」
「ああ。レビュー読んだら、第一作目よりもホラー要素がマシマシになってるらしい。暗闇を懐中電灯ひとつで歩かされたり、幽霊みたいな透けてる敵が出てきたり。あと、何回撃っても死なないストーカーみたいな敵がずっと追いかけてくるシステムがヤバいらしいぞ」
「…………」
千秋の顔から、スーッと血の気が引いていくのがわかった。
「……ホラー、マシマシ……?」
「ああ。だから俺はヘッドホンつけて、部屋の電気も消して、完全な没入感でプレイするつもりだ。邪魔されたくないから、お前は絶対部屋に入ってくるなよ」
わざと意地悪く、そして念を押すように告げる。
すると千秋は、慌てて引きつった笑いを浮かべた。
「そ、そう……。ま、まあ、私はさっきのでもうホラーなんて完全に克服したから? べ、別に暗闇だろうがストーカーだろうが、全然平気なんだけどね!」
「へえ、そうか。じゃあ午後も一緒に見るか? 昨日みたいに背中に張り付いて応援してくれてもいいぞ」
「ううん! 遠慮しとく! 私、午後からちょっと読まなきゃいけない本があるから! 湊のゲームの邪魔しちゃ悪いしね!」
千秋は不自然なほど大げさな身振り手振りで辞退を申し出た。
「そうか。それは残念だな。幽霊が出てくるシーン、かなりリアルで怖いらしいんだけど」
「だから! 私は幽霊なんて信じてないから全然怖くないの! ほんとだよ! ただ読書に集中したいだけ!」
「了解。じゃあ、俺は自分の部屋に行くから。なんか用事あっても、ゲーム中だから聞こえないかもな」
俺が背を向けて階段に向かおうとすると、千秋が小さな声で呼び止めた。
「み、湊……」
「ん?」
「……ゲーム、終わったら、ちゃんと下に降りてきてね。ずっと部屋にこもってちゃダメだからね」
「なんでだよ」
「だ、だって……夕飯、作ってもらわないと困るし……。それに……」
千秋は自分の指先をもじもじと絡ませながら、俯き加減でボソリと呟いた。
「もし……もしトイレ行きたくなったら……部屋のドアの前で、一回咳払いして合図送ってから出てきて……」
「俺は化け物かよ」
結局、強がってはいても、脳内ではすでに俺の部屋から恐ろしい化け物が飛び出してくる妄想が始まっているらしい。
「はいはい。お前がチビらないように配慮してやるよ」
「チビらないもん! ばか凑!」
顔を真っ赤にして怒る姉を残し、俺は階段を上がった。
自室のモニターの前に座り、ゲームの続編のタイトル画面を起動する。
本当はホラーなんて続ける気はなかった。相川との予定を潰された腹いせに、少し意地悪を言ってみただけだ。本当はアクションゲームでものんびりやろうと思っていた。
だが、あの強がって青ざめる千秋の顔を思い出すと、なぜか少しだけ可笑しくなってしまう。
「……まあ、たまには俺が主導権握るのも悪くないか」
俺はヘッドホンをつけ、電気を消して、ホラーゲームの『NEW GAME』のボタンを押し込んだ。
きっと数時間後には、階段の下から「凑ー! 生きてるー!?」という震えた声が聞こえてくることだろう。
それもまた、この厄介な姉弟の日常のひとコマに過ぎない。俺は画面に広がる暗闇の中へ、少しだけ軽い気持ちで足を踏み入れた。




