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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第7部:宿命の決戦 ―1692年、再臨する勇者と老狼の牙―

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第69話:ギルドでの交戦と虎の決断――刹那の救出劇

膠着の糸:賢者の血と虎の冷徹な眼


静まり返ったギルドホール。梟の首筋に食い込んだ短剣の冷たい刃が、不気味に月光を反射している。そこから一筋、鮮血が白磁のような肌を伝って流れ落ち、床に小さな赤い点を作った。


ホールを包むのは、爆発寸前の火山のような、重苦しく、そしてひりつくような沈黙。


「兄ちゃんよぉ……何の真似だい?何が目的でこんな手の込んだ真似をしてやがる。素直に吐かねぇと、この可愛い姉ちゃんの喉笛が、一瞬で真っ赤な噴水になっちまうぜ?」


梟を人質に取った冒険者は、剥き出しの強欲とわずかな恐怖が混じった、引きつった笑みを浮かべて虎を射抜く。


虎は双剣の柄を握りしめたまま、彫像のごとく微動だにしない。だが、その瞳の奥では、超高度な戦術演算が火花を散らしていた。


•人質の価値:梟は単なる魔術師ではない。賢者エウレの知識を完全継承し、帰還魔術の構築と時空安定を担う、この作戦の「中枢」にして「生命線」だ。彼女の喪失は、即ちミッションの完全失敗と、全勇者の歴史からの抹消を意味する。

•敵戦力:周囲の冒険者はこの時代の精鋭だが、未来の魔那強化技術マナ・バーストを知らない。個々の戦闘能力ではこちらが圧倒するが、ここで虐殺を行えば、歴史の修正圧力を招き、さらなる事態の悪化を招く。

•状況的制約:ここは街の心臓部だ。騒ぎが長引けば、街外れに配置した蜥蜴とかげたちが「作戦失敗」と判断し、街を火の海に変えかねない。何より、目撃者が多すぎる。

「我々は、ただ親娘を探しているだけだ」


虎はあえて声を低く落とし、相手の理性に訴えかけるように静かに語りかけた。


「敵意はない。ギルド証の年号は、管理側の単なる手違いだ。信じられないだろうが、我々に貴殿らを害する意図はない。ただ、穏便に立ち去りたいだけだ」


「悪意がなくて、五十年前から来たような未来のギルド証を持ってくる馬鹿がいるかよ!出鱈目を抜かすな!」


男が叫び、短剣をさらに強く梟の喉に押し付ける。切っ先が皮層を裂く不快な感触。しかし、梟の表情は、その痛みさえも数式の一部として処理しているかのように、どこまでも冷徹で無機質なままであった。彼女は虎をまっすぐに見つめ、声なき意思を眼差しだけで伝えていた。


(私を切り捨て、命令を遂行してください。演算は、私なしでも継続可能なフェーズに入っています。躊躇は不要です)


________________________________________


潜む影:鷹の超速と狐の連撃


虎はその覚悟を背負いながらも、静かに首を振った。仲間の命を燃料にして未来を繋ぐような真似は、まだその時ではない。まだ、彼らには選べる札が残されている。


「狐、鷹……動くな。私が交渉する」


「悠長にしている時間はないぜ、虎!衛兵が来る前にここを更地にするか、それとも――」


狐が苛立たしげに食い下がる。その瞬間、虎の瞳に、僅かな黄金色の魔那の輝きが宿った。


「交渉ではない。……これは、時間を稼ぐ必要さえなかったということだ」


虎がゆっくりと、あえて男に見えるように双剣の鞘を外した。


その瞬間、ホールの空気が「絶対零度」の死の温度にまで急降下する。虎の放つ圧倒的なプレッシャーに、人質を取った男の呼吸が止まった。


「やめろ!武器を捨てろと言ったはずだ!死にたいのか!」


男の指に力が入り、短剣が梟の頸動脈を裂こうとした刹那――勇者・鷹が動いた。


それは、視認することさえ不可能な神速。


鷹は一歩も動かず、背中の長弓を手にすることすらなかった。腰の予備矢筒から、短く加工された投擲用の矢を、指先一本の弾きだけで「撃ち出した」のだ。


「――シューッ!」


空気の摩擦音すら置き去りにした一閃が、梟を拘束する男の手の甲を、正確無比に貫いた。


「ぐあぁっ!?あ、ああああっ!」


男の手首が痛みと衝撃で強制的に反り返り、握られていた短剣が重力に従って床へと落ちる。


「任務優先!逃げるぞ!」


短剣が石畳に触れるよりも早く、地に伏せるように低く構えていた狐が影のように滑り込んだ。彼は落ちゆく刃を己の短剣で火花と共に弾き飛ばすと同時に、梟の襟元を掴んで、一瞬の澱みもなく自陣へと引き寄せた。


________________________________________


無血の閃光:ギルド脱出


「行かせるかぁっ!叩き斬れ!」


正気に戻った周囲の冒険者たちが、多勢に無勢を恃んで一斉に飛びかかる。しかし、そこには既に「虎」が立ち塞がっていた。


虎の双剣が、残像を伴って縦横無尽に閃く。


彼は誰も殺さない。未来の魔那強化が施された超振動の刀身は、この時代の鋼鉄を「腐った木材」のように扱った。彼が狙ったのは、冒険者たちの持つ剣の「腹」、そして皮鎧の接合部である留め具だけである。


「な、なんだと!?剣が……俺の自慢の剣が、折れた!?」


「くそっ、防具がバラバラに……何が起きた!?」


凶刃を振るわずとも、敵の戦闘手段を物理的に消失させる圧倒的な武。その神業を目の当たりにし、冒険者たちの間に戦慄と混乱が走る。


「鷹!牽制射撃!」


「了解。……死なない程度に、散らしてあげる」


後方に着地した鷹が、今度はその長弓を、目にも止まらぬ速さで引き絞った。


放たれた矢は、冒険者の眉間……ではなく、天井のシャンデリアを吊るす鎖、酒棚に並ぶ瓶の首、そして床を走る者たちの足首から僅か数ミリの石畳を、正確に粉砕した。


速射は彼女の真骨頂。爆音と共に酒瓶が砕け散り、濃厚なアルコールの匂いと硝煙がホールに充満する。


「うわあああ!動くな!奴らは人間じゃない……化け物だ!」


一人の冒険者が恐怖に駆られて叫んだ。その絶叫を背に、虎、狐、鷹、そして無傷で救出された梟の四人は、煙巻くギルドを蹴り破るようにして脱出。夜の帳が降りたラブラリアの入り組んだ路地へと、音もなく姿を消した。


だが、彼らはまだ気づいていない。


ギルドを脱出したその先に、この時代の法よりも、逆上した冒険者よりも恐ろしい「死の牙」が待ち構えていることを。


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