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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第7部:宿命の決戦 ―1692年、再臨する勇者と老狼の牙―

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第68話:過去からの制裁と絶体絶命の危機――綻びた隠密

牙を剥く「現在」:囲まれた異物


受付の女性が放った悲鳴に近い絶叫は、深夜のギルドホールに漂っていた緩慢な空気を一瞬で凍りつかせた。


ホールで安酒を煽り、気だるげに明日の依頼を品定めしていた冒険者たちは、即座に野生の獣のような鋭さで椅子を蹴って立ち上がった。開拓領都という過酷な土地で日銭を稼ぐ彼らにとって、「見慣れぬ異様な身なり」で「偽りの身分証」を携える者は、略奪者か、さもなくば他国の間諜という「排除すべき敵」と同義である。


抜剣の金属音が重なり合い、不協和音となってホールに響き渡る。虎、狐、そして背後に控えていた梟は、逃げ場を断たれるように扇状の包囲網に閉じ込められた。


「おいおい兄ちゃんよ、詐欺を働くにしてもよ……。まだ来てもいねえ『五十年も先』の年号を刻むたぁ、少しばかり脳みそが足りねえんじゃねえか?」


包囲網の先頭に立つ、顔に凄まじい火傷跡を持つ大男が、嘲笑と剥き出しの殺意を込めた目で虎を射抜いた。彼らの間に辛うじて存在していた「平和な時代」の虚飾は無惨に引き剥がされ、そこには「現在」という時代が異物を排除しようとする、生々しい拒絶反応が渦巻いている。


未来で数多の魔生物を屠り、命を懸けて獲得した最高位の『英雄の証明書』。それが皮肉にもこの時代においては、彼らが時空の理を乱す不浄な『異物』であることを証明する、動かしがたい呪いの物証へと成り果たしていた。


________________________________________


賢者の拘束:封じられた勇者たちの武力


「あちゃあ……。こりゃあ、やっちまったなあ」


狐は額に冷たい汗を滲ませ、事態が破滅的な段階に移行したことを即座に理解した。


彼は瞬時に重心を低くし、脱出経路を確保するために身を翻そうとした。彼の脳裏には、賢者エウレより厳命された『現地勢力との全面戦闘回避』という絶対的な禁忌が刻まれている。もしここで、この時代の衛兵や一般の冒険者を殺戮すれば、因果の糸は修復不能なまでに解け、歴史の修正力バックラッシュによって彼らの存在そのものが時空の彼方へ消し飛ばされかねないからだ。


しかし、この時代の人間を「未来を知らぬ平和ボケした愚者」と侮ったことが、最大の誤算であった。


蜥蜴が受けたような暗殺術、あるいはそれ以上の実戦経験を積んでいたらしい、影の薄い小柄な男が、狐の反射速度を上回る速さで動いた。男は音もなく、背後の梟の死角へと滑り込む。


「動くな。……少しでも指先を動かしてみろ。この女の細い喉笛を、一瞬で掻き切ってやる」


冷たく、重みのある鋼の感触が、梟の白磁のように透き通った首筋に押し当てられた。


勇者・梟。彼女は未来の魔王を葬るための演算を司る核であり、帰還魔術を維持する賢者エウレの唯一の正統なる後継者。この一瞬の拘束は、勇者一行が持つ圧倒的な戦闘能力を、物理的・心理的な両面から完全に封殺した。


________________________________________


無力な正義:歴史の防壁という絶望


ギルドホールの高窓から戦況を凝視していた鷹は、その超視覚で事態の推移を完全に把握しながら、弓を番えたまま指先を凍りつかせた。彼女の放つ神速の狙撃であっても、この至近距離で人質を取られた状況では、梟の安全を百分の一秒の狂いもなく保証することは不可能だ。


虎もまた、腰に下げた双剣の柄に手をかけることすら許されなかった。ここで剣を抜けば、梟の命は露と消える。それは彼らの帰還手段が永遠に失われることを意味し、魔王暗殺という『未来を救うための歴史改変』そのものが完膚なきまでに瓦解することを意味していた。


「兄ちゃんよ、何の真似だい?ただの詐欺師にしては、あまりに隙がねえし、いい面構えをしてやがる。……正直に吐け、何が目的なんだ、えぇ?」


梟の喉元に刃を突き立てる男の瞳には、冷酷な計算と、名もなき獲物を追い詰めた猟犬のような貪欲な光が宿っていた。彼は本能的に察知していたのだ。目の前の男たちが隠し持っているのは、金貨数枚の詐欺などという矮小な問題ではなく、この世界そのものを根底から揺るがしかねない「巨大で致命的な秘密」であるということを。


首筋に死の冷気を生々しく感じながらも、梟の思考回路は限界を超えて加速していた。彼女は自らの恐怖を数式へと置換し、現状を冷徹に解体する。


(……因果の修復圧力が、現地住民の防衛本能として顕現。想定外の干渉により、生存確率は著しく低下。……このままでは、作戦はここで潰える。全滅の未来を検知)


虎の拳が、自身の傲慢さと無力さに対する激しい怒りで白く震えた。


彼らは、未来の破滅という絶望から逃れるために、神の領域である過去へと不遜に足を踏み入れた。しかし、たどり着いた過去は、彼らが甘く見ていた『平和な愚者たちの楽園』ではなかった。


過去そのものが、招かれざる「未来からの侵略者」を排除せんとする強固な『歴史の防壁』として、彼らに最初にして最大級の、苛烈な制裁を加えてきたのだ。


絶体絶命の窮地。ギルドの奥底からは、騒ぎを聞きつけた衛兵たちが鳴らす、重苦しい鎧の擦れる音と警笛の音が響き始める。


未来を救うはずの英雄たちは、いま、名もなき過去の一角で、その存在理由さえも喪失したまま沈もうとしていた。


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