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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第7部:宿命の決戦 ―1692年、再臨する勇者と老狼の牙―

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第67話:潜入と破綻――勇者の傲慢とギルドの失態

冒険者ギルドの灯:誤算への序曲


領都ラブラリアの心臓部。深夜の静寂を拒絶するように、重厚な石造りの建物の一角だけが魔石の灯火に赤々と照らされていた。入り口に掲げられた「交差する剣と盾」の紋章――それは、この時代の開拓民たちの希望であり、あらゆる情報と武力が集積する場所、冒険者ギルド領都支部である。


勇者一行の当面の目的は、抹殺対象であるオレリアとレオリナ親娘の正確な居場所を特定することだ。開拓領都という流動的で広大な街において、個人の潜伏先を闇雲に探すのは非効率極まりない。最も確実なのは、住人の動向を網羅し、新参者の登録名簿を管理するギルドの記録にアクセスすることであった。


この極めて繊細な任務には、隠密と交渉に長けた虎と、裏社会の動向に精通した狐が選出された。虎は、その誠実そうで質実剛健な風貌、そして長年の冒険者生活で染み付いた「頼れるベテラン」の空気を纏わせ、表向きの交渉を担当する。対して狐は、その特有の鋭利な双眸で周囲の死角を睥睨し、予期せぬ事態の際に影から「処理」する役割を担った。


深夜のギルドホールには、まだ数人の冒険者たちが酒を酌み交わし、あるいは深夜の緊急依頼を求めて談笑していた。虎は、極めて自然な――それでいて「実績のある冒険者」特有の威圧感を僅かに滲ませた足取りで、受付へと歩み寄った。


________________________________________


未来の遺物:ギルド証が語る「存在しない時間」


虎は油断なく受付の若い女性に向き合うと、懐から一枚の冷たい金属板を取り出し、滑らせるようにカウンターへ置いた。それは、未来のオース大陸で彼が使い慣れた、伝説級の功績を示す最高ランクの『ギルド証』であった。


だが、その精緻な魔導彫金や、種族融和が進んだ未来を象徴する意匠が、この未開の1692年という時代には「異形」そのものであることに、彼は無意識の傲慢さから甘んじていた。


「人を探している。オレリアとレオリナという親娘だ。二十年ほど前にこの領地に移り住んだと聞いた。彼女たちの現住所について、ギルドに公式な記録はないか?」


虎の声は落ち着き払い、聞き手に深い信頼を抱かせる重みを持っていた。しかし、受付の女性は虎の差し出した『ギルド証』を手に取った瞬間、そのあまりにも精巧すぎる意匠と、見慣れないシンボルに戸惑いの色を浮かべた。


「……即答はいたしかねます。当ギルドの規約により、登録者の居住情報の開示には相応の正当性が求められますので。差し支えなければ、捜索の理由を伺っても?」


彼女の対応は事務的だが、毅然としていた。虎は淀みなく、事前に構築していた偽りの設定を口にする。


「ある有力な貴族からの特命でね。その親娘に急ぎの遺言と、託された品を届けるよう依頼された。依頼主自身も彼女たちの正確な所在を見失っており、我々が代理で足跡を辿っている」


「左様でございますか。では、その依頼主の印影が記された正式な『捜索依頼票』を拝見できますか?書類の照合が済み次第、名簿を照会いたします」


受付の女性は規則の番人であった。丁寧だが、一歩も譲らない鋼の態度。この、本来ならば称賛されるべき職務への忠実さが、勇者たちの内に燻る「焦燥」という猛毒を呼び覚ましてしまう。


________________________________________


致命的な失策:狐の傲慢と剥がれ落ちた仮面


勇者たちには、一刻の猶予もなかった。魔王ラビス誕生という破滅の分岐点まで、歴史の尺度ではあとわずか十一年。しかし「時返り」の副作用によって精神の均衡を崩しつつある彼らにとって、この数分の遅滞は、内臓を灼かれるような耐え難い苦痛となっていた。


「おいおい、そんな悠長なやり取りをしている暇はないんだ。規則だの書面だの、そんな硬いことは抜きにして、さっさと教えてくれないか、お嬢ちゃん?」


狐がしびれを切らし、虎の背後から影のように滲み出た。その顔には、隠しきれない厭世的な嘲笑と、相手を無知な子供と見下すような威圧感が剥き出しになっていた。彼のこの、平時であれば犯さなかったであろう軽率な介入こそが、後に『時返り作戦』を奈落へと突き落とす最初の、そして致命的な失策となる。


「……規則ですので、例外は認められません。……それと、もう一度そのギルド証を詳しく見せていただけますか?」


受付の女性は、狐の無礼極まる態度に露骨な反感を抱いた。彼女は訝しみながら、虎のギルド証を再び手に取り、カウンターの下に隠された鑑定用の魔導灯にかざして詳細に調べ始めた。


虎は焦りを悟られぬよう、努めて泰然自若を装った。


「直接の口頭依頼だったから、手元に書類はない。だが、そのギルド証の等級ランクを見れば、俺たちがギルド本部の信頼を得た最高位の冒険者だと理解できるはずだ」


だが、その不遜な言葉は、皮肉にも彼女の注意を「あってはならない矛盾」へと釘付けにしてしまった。


女性の視線が、ギルド証の裏面に刻まれた、偽造防止用の微細な発行年月日刻印に止まる。その瞬間、彼女の顔から血の気が一気に引き、指先が微かに、しかし確かに震え始めた。


「これ……おかしい。おかしいですよ。偽物……いえ、何かの冗談ですか?」


「いや、本物だ。ギルド本部の彫金師が命を懸けて刻んだものだ」


虎は咄嗟に否定したが、背筋を氷の刃で撫でられるような戦慄を抑え込むことはできなかった。そして、次の瞬間、その戦慄は夜の静寂を無惨に引き裂く悲鳴へと変わった。


「嘘をつかないで!1743年発行って……今は1692年ですよ!?五十年も先の年号が刻まれているなんて……ありえない、警察に通報を!」


女性の甲高い叫びが、水を打ったように静まり返っていたギルドホールに、破滅的な爆辞となって響き渡った。


________________________________________


破綻の静寂:勇者、孤立無援の戦場へ


ギルドホールの時間が、凍りついたように止まった。


酒を飲んでいた冒険者たちが椅子を蹴って立ち上がり、その鋭い視線が中央の二人へと注がれる。彼らの手は既に使い古された剣の柄や、斧の持ち手にかかっていた。


未来を救うという選ばれし者の矜持が、現代の法、そして「時間軸」という絶対に超えられぬ物理的な壁に激突し、無惨に砕け散った瞬間であった。


「……発行年の刻印だと?クソ、あんな細部まで読み取られるとは……!」


狐が低く呪詛を吐き、袖口から冷たい鋼の感触――投擲用の暗器を滑り込ませる。


もはや言葉による交渉の余地はない。彼らが唯一の身分証明として掲げた「未来の栄光」は、この時代においては、あまりにも稚拙で不敬な「未来を騙る詐欺」の物証に成り果てたのだ。


ギルドの奥にある詰所から、武装した衛兵たちが重い足音を響かせ、逃げ道を塞ぐように姿を現す。


勇者一行は、真の標的であるレオリナに指一本触れる前に、街全体、あるいはこの時代の法秩序すべてを敵に回すという、最悪の泥沼へと引きずり込まれようとしていた。


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