第70話:最初の失敗と計画の修正――揺らぐ大義
廃倉庫の糾弾:剥き出しの不信感
(黒鉄期1692年:ラブラリア城壁裏の廃倉庫)
石造りの壁が夜の湿気を吸い込み、黴臭い空気が漂う廃倉庫。そこには、先行して潜伏場所の確保を終えていた獅子、熊、鷲、そして不機嫌を絵に描いたような蜥蜴が待ち構えていた。
逃げ込んできた虎たちの荒い呼吸と、梟の首筋に滲む赤が、作戦の暗転を雄弁に物語っていた。
「何があった!市街地からただならぬ騒ぎが聞こえていたぞ!」
獅子が、虎の胸倉を掴みかねない勢いで詰め寄る。その威圧感は、騎士団長としての誇りと、不測の事態への焦燥からくるものだった。虎は乱れた呼気を一度深く整え、凍てつくような声で報告した。
「ギルドでの情報収集に失敗した。提示したギルド証の年号が、この時代より半世紀も未来のものであることが露呈した。受付だけでなく、ホールにいた冒険者たちを完全に敵に回した」
「未来の年号だと……馬鹿な!」
獅子が呻くように叫び、自身の額を押さえた。「なぜ、そこまで頭が回らなかった!精鋭を自称しながら、あまりに稚拙な……完全にお前のミスだぞ、虎!」
「焦り、ですよ。騎士団長殿」
狐が、血の付いた短剣を拭いながら冷ややかに口を挟む。「時間を遡行するという神の領域の大義に酔い、この『平和な時代』の人間が持つ、卑俗で細かな警戒心を甘く見ていた。判断が鈍っていたのは、我々全員だ」
梟は壁に背を預け、首筋の傷を細い指でなぞりながら沈黙を保っていた。その冷淡な双眸は、仲間の叱責に耳を貸すことなく、既に次の「解」を演算していた。
「ギルドでの騒ぎは、瞬く間に領都を駆け巡るでしょう」
梟の声が、廃倉庫の静寂を切り裂く。「正体不明の異邦人、偽造された身分証。自警団や領主騎士団に報告されるのは、もはや時間の問題です」
「いや、ギルドはその矜持にかけて、領主なんぞに泣きつく真似はしない」
虎が鋭く指摘する。「奴らは自立組織だ。自分たちの不手際を権力に晒すのを何より嫌う。犬猿の仲なのだ、昔も……未来もな」
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次なる一手:光と影の二段構え
獅子は忌々しげに舌打ちし、隊長の権限で虎に決断を迫った。
「ギルドが使えん以上、正攻法は潰えたな。これ以上の無用な接触は、我々の存在を歴史に刻むだけだ。次の手は何がある、戦術家」
虎の卓越した戦術眼が、脳内の地図をフル回転させる。
「二つのルートで攻める。まずは、役所だ。……『鳥の巣』からこの街へ移動してきた者がいるなら、たとえ開拓民であっても入出登録は免れない。公的な住民台帳を洗う必要がある」
「魔王の生母オレリアは、このラブラリア領に移り住んだ貧しい魔族系住民であったはずだ。この時代、彼女にはまだ権力者との繋がりなどない。……ならば、接触したのは裏の路地。口利き屋、あるいはその日暮らしの貧困層だ」
虎は双剣を力強く鞘に収め、冷徹な布陣を敷いた。
「獅子、熊、鷲、蜥蜴。貴公ら『騎士団組』は役所へ向かえ。住民台帳と入出記録を強奪、あるいは複写する。……狐と鷹、お前たちは裏社会の掃き溜めを当たれ。口利き屋、情報屋、裏路地の噂話。金と脅しを使い、オレリアの正確な居場所を特定するんだ」
「うわぁ~、人使いが荒いぜ。まぁ任せてくれ」
狐が不敵に口角を上げた。「裏の情報屋なら、ギルドの規則など紙屑同然だ。金さえあれば命の重さすら変わる場所。……『未来の知恵』が一番効くのは、ああいう汚い場所だよ」
鷹は、高窓から夜の空を睨み据えた。
「私が上空から索敵し、狐を援護する。この時代の夜警は甘い。私の目からは逃れられない」
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正義の仮面と、重すぎる「罪」
「承知した」
獅子が重苦しく同意する。「役所への探りは我々が行う。高位の貴族か、教会騎士を装えば台帳閲覧も容易だろう。万一、不審を抱かれるようなら……」
「否。……獅子、穏便に願う」
虎の言葉を、蜥蜴が嘲笑で遮った。
「ふざけんじゃねぇぞ、虎!てめぇの失態の尻拭いだぜぇ?邪魔な役人は適当に黙らせて、さっさと名簿を奪っちまった方が早ぇだろうが!」
「うぅわー、めんどくさいこと考えるねー。獅子隊長、ちゃっちゃとやっちゃいましょうよ」
鷲が細剣の柄を弄びながら、嗜虐的な笑みを浮かべる。
「精鋭である我々であれば難なくやり遂げる。……失策を演じた貴殿らとは違ってな」
獅子もまた、冷ややかに笑い、扉へ向かおうとした。
「……待て。獅子、一つ聞かせてくれ」
虎の低い声が、獅子の足を止めた。
「貴方がた騎士は、その傲慢さと特権意識が、この任務における最大の足枷であることを自覚しているか?」
獅子の背中が強張る。虎は、その瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「冷静さを欠いた稚拙な武力の行使は、歴史に拭い去れぬ傷を負わせる。俺たちのこの指先一つに、未来で焼かれた12万人の命がかかっているんだ。……たとえ、一人の無抵抗な女性を殺すことであってもな」
倉庫の空気が、重力が増したかのように沈み込む。
「……貴方がたは教会騎士としての正義を抱きながら、一人の女性を惨殺するという逃れようのない大罪を重ねる。それを、本当に聖なる行いだと信じ込めるのか?」
獅子は、言葉を失った。騎士道、正義、秩序。彼らが命を懸けて守ってきた概念が、この「暗殺計画」という醜悪な現実の前で、ガラガラと崩れ落ちていく。
「お願いだ、獅子、熊、鷲、蜥蜴。我々の行動は、決して正義の名においてなされるものではないのかもしれない。後世に語られれば、断罪されるべき汚濁に満ちた『罪』だ。だが――」
「……なんだ」
鷲が、その問いに耐えかねたように問い返した。
「我々が、あの炎に包まれた未来の歴史を修正できるのは、今、この瞬間しかないんだ。……それを考えてくれ。それを考えて、これからの行動を選んでくれ」
それは、この時代において「勇者」と呼ばれた者たちの、最後の良心と、底知れぬ狂気の混じり合った懇願であった。
静寂の中、獅子たちは何も答えず、夜の闇へと消えていった。
残された廃倉庫には、ただ歴史を破壊しようとする者たちの、暗く冷たい決意だけが渦巻いていた。




