第57話:運命のパラドックス――円環する因果
思考の迷宮:卵か、鶏か
村を離れ、もはや人の通わぬ獣道を独り歩きながら、ルーベンカーの脳裏には、かつてオレリアと結ばれた瞬間に気づいてしまった、身の毛もよだつような「事実」が蘇っていた。
あの日、愛する者の体温を感じながら、彼は絶望に近い衝撃に打ち震えたのだ。
(まさか!……どういうことだ!……ありえない、こんなことは!)
彼は誰もいない森の中で顔を両手で覆い、その瞳は虚空を彷徨った。
(ラビス、お前……知っていたのか!すべてを知っていて、俺を「ここ」に飛ばしたのか!!)
彼が直面しているのは、既存の論理や魔術体系を遥かに超えた、神の悪戯とさえ呼べる時間の迷宮であった。
ルーベンカーという男が本来生まれたのは、まだずっと先の未来、黒鉄期1727年である。そして1751年、24歳の時に、彼は魔王ラビスと魔導師ケーゲレスの手によって、過去――黒鉄期1670年へと遡った。
そこで彼はオレリアに出会い、愛し合い、レオリナという娘を授かった。
そして今、成長したレオリナが、やがて息子……「ラビス」を産む。
そのラビスこそが、数十年後の未来で彼と出会い、無二の親友となり、そして彼をこの過去へと送り出す当人なのだ。
「卵が先か、鶏が先か」という議論さえ生ぬるい。彼は、自分の孫であるラビスによって過去に送られ、その結果としてラビスの祖父になるという、完璧に閉じられた因果の円環の中に囚われていた。
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異端の時渡り人:生と死の境界線
かつて、稀代の魔導師ケーゲレスは彼をこう呼んだ。
『世界の理から外れた、異端の時渡り人』と。
1751年の魔王城包囲戦において、ルーベンカーは一度、確実に死んでいる。
襲い来る勇者たちの軍勢。その「千刃」に切り刻まれ、肉体は崩壊し、魂は霧散しかけていた。しかし、ケーゲレスの禁忌たる蘇生魔術によって、彼は強引に『再誕』させられたのだ。
一度死を経験し、人為的に繋ぎ止められたその肉体は、「時間は未来へと一方通行に流れる」という世界の絶対法則から逸脱してしまった。
彼は生者でも死者でもない。どの時間軸にも定着できない『異物』であり、この世界には本来存在してはならない、永遠の“異邦人”へと変質してしまったのである。
一歩、また一歩と枯れ葉を踏みしめながら、ルーベンカーは思考の泥沼を彷徨う。
不可逆性、時の逆説、論理的矛盾。
考えれば考えるほど、宇宙の摂理は歪み、自分の存在そのものがこの世界の歴史を毒しているのではないかという恐怖が首をもたげる。
(俺がここにいること自体が、オレリアやレオリナを、世界の修正力という名の災厄に晒しているのではないか……?)
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偽りの仮面:ルーパートという名の罰
かつて、ゾディアックの盟主レラは彼に苦言を呈した。「あなたはやり過ぎた」と。
その通りだった。未来の知識を惜しみなく注ぎ込んだ結果、辺境は急激に発展し、それが中央のどす黒い野心を惹きつけてしまった。愛する家族を危険に晒したのは、他ならぬ自分自身の傲慢さだった。
だからこそ、彼は決断したのだ。
家族に降りかかる火の粉を最小限にするため、物理的にも、そして社会的にも彼女たちから距離を置くことを。
幸いにも、オレリアと結婚した直後、中央との緊張は極限に達し、争いは不可避の状態にあった。彼はそれを逆手に取り、「辺境との全面衝突を回避し、中央の目を逸らすために、俺は死んだことにして身を隠す」という、最も過酷な隠れ蓑を選んだ。
その際の暗部との凄絶な闘いの中で、彼は顔に消えぬ深い傷を負った。
ゾディアックが持つ失われた古代治療魔術を用いれば、その傷を跡形もなく消し去ることは容易だった。だが、彼は敢えてそれを拒んだ。
黄金色に輝いていた長髪を短く刈り込み、特殊な薬剤で白く染め上げ、鏡の中に映る「英雄ルーベンカー」の面影を自らの手で徹底的に破壊した。
そうして彼は「ルーパート」という名の赤の他人として、三十一開拓村に戻ってきた。
愛する妻と娘のすぐそばにいながら、決して名乗ることも、抱きしめることも許されない。
「決して最善手ではない……」
冷たい風の中で、彼は自嘲気味に呟いた。
他人として振る舞う日々は、彼自身に課した終わりのない罰のようでもあった。しかし、それでもなお、彼女たちへの愛情を捨て去り、完全に立ち去ることなど彼には不可能だった。
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天秤の選択:孫への祈り
ルーパートとして家族を影から見守り続けること。
そして、いつか必ず訪れる“その時”――自分を追って未来から現れる「勇者たち」を迎え撃つこと。
自分のエゴと、未来の友ラビスが望んだ「あるべき世界」。
どちらか一方を選ぶことなどできない。天秤にかけることさえ、今の彼には許されない。
だからこそ、彼はすべてを飲み込み、矛盾したままの両方を実現する道を選び抜いた。
(ラビス……お前は、俺がこういう男だと分かっていたんだろう。俺の性格も、甘さも、執着も……)
未来の友であり、同時にこれから生まれてくる孫でもあるラビス。
ラビスは、あえて自分を過去へ送ることで、自分自身の「祖父」にレオリナ(ラビスの母)を守らせようとしたのかもしれない。自分を生み出し、育て、導くための守護者として、かつての戦友を選んだのだ。
「……計算高い奴だよ、本当にな」
ルーベンカーの唇に、一瞬だけ、かつての快活な男のような笑みが浮かんだ。
複雑極まりない愛情と、運命への呪い、そして孫への誇らしさ。
それらすべてを剣に込め、彼は今、勇者たちが待ち構える領都へと、その足取りを速める。
たとえ自分が歴史の闇に消える『異物』であったとしても、この手に抱く「家族を守る」という意志だけは、どの時間軸においても、何ものにも揺るがせぬ真実なのだから。




