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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第7部:宿命の決戦 ―1692年、再臨する勇者と老狼の牙―

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第58話:戦場の特定と孤独な準備――老狼の罠

戦術眼の覚醒:地図上のチェス盤


ルーベンカーは、テーブルの上に置かれた質素な食器を無造作に払い除けた。陶器の擦れる乾いた音が小屋に響く。彼はその空いた場所に、長年かけて自ら辺境の土を踏み、測量し、書き込みを続けてきた詳細な地形図を広げた。


「……戦場を特定する」


独り言ちたその声は、もはや村の偏屈な狩人のものではなかった。獲物の急所を見定める「人斬り」の、あるいは軍勢を死地へと誘う「戦術家」の冷徹な響きを帯びていた。


目標は明白だ。未来から現れた勇者たちの目的は、因果の根絶――すなわちレオリナを殺害し、魔王誕生の芽を摘むことにある。彼らは必ず、この三十一開拓村を目指す。


だが、村自体が戦場になった時点で、ルーベンカーの負けは確定する。どれほど彼が奮闘しようとも、勇者たちの超常的な魔力が行使されれば、村人は一瞬で塵と化し、平穏な生活は永久に失われる。


「自警団やマルカスに気づかれるわけにはいかない。彼らは優秀だが、未来の勇者という『異物』には太刀打ちできん」


乱戦になれば、個々の圧倒的な戦闘力で勝る勇者が有利になる。守るべき背中が多いほど、ルーベンカーの剣は鈍る。


「勇者たちの力は侮れない。一人対八人。まともにやれば、生存確率は皆無だ」


脳裏に浮かぶのは、かつての仲間たちのかたち


重装歩兵を紙のように引き裂く「騎士団長の獅子」。音もなく影に潜み、喉を裂く「暗殺者の蜥蜴」。一撃で地形を変える「怪力の熊」。視認不可能な速度で舞う「速剣の鷲」。そして――。冷徹に盤面を支配する「戦術家の虎」。結界と幻術を操る「隠密の狐」。千里先から急所を貫く「狙撃手の鷹」。万象の真理を解き明かす「賢者の梟」。


彼らはそれぞれが一騎当千の怪物だ。真正面からぶつかれば、一分いちぶの勝ち目もない。


「だから、勇者が開拓村の視界に届く前に――喉笛を喰いちぎる」


________________________________________


第一戦場:神に見捨てられた廃墟


ルーベンカーは地図に指を這わせ、一点を強く指し示した。


領都ラブラリアから三十一開拓村へと繋がる唯一の街道。その中間地点に位置する、人智十字教会がかつて布教の拠点として建て、後に何らかの不浄によって打ち捨てられた教会の廃墟だ。


「ここを第一次戦場にする」


建物は半壊し、屋根は落ちているが、石造りの地下室や入り組んだ隠し通路が保存されている。身を隠し、気配を断つには最適の場所。何より、因果を歪める勇者たちを迎え撃つのが、かつての彼らの拠り所であった「教会」であるというのは、この上ない皮肉だった。


ここで奇襲をかけ、確実に数を減らす。


優先順位は決まっている。集団戦の要となる「指揮官(虎)」、あるいは広範囲殲滅魔法を持つ「魔術師(梟)」を、最初の瞬間に排除しなければならない。


「もし廃墟で仕留めきれなかった場合、二つ目の戦場は草原。遮蔽物のない場所で、俺の機動力を活かした遅滞戦闘を行う。……だが、それ以上の後退は許されない」


彼は地図の先、村のすぐそばにある森を指差そうとして、その指を止めた。


(ここまでだ。これ以上は考えない。村の結界を一歩でも越えさせてはならない)


________________________________________


闇の盟約:ゾディアックへの伝言


覚悟は固まった。だが、一人では限界がある。


「ゾディアック。……そこにいるのだろう?」


誰もいないはずの小屋の隅、闇に向かって彼は問いかけた。


カタリ、と天井の梁で小さな音がした。姿は見えないが、空気が重く、鋭く凝縮されるのがわかる。


(……御用はなんでしょう)


声なき声が、脳裏に直接響く。ゾディアックの構成員――レラが直属として寄越している「影」の一人だ。


「レラに伝えてくれ。『来るべき“時”が来た。約束通り、準備をしたい』。……それだけで通じる」


一瞬の沈黙。気配が揺れる。


(……承知いたしました。盟主へ、必ずや)


気配が霧が晴れるように霧散していくのを感じて、ルーベンカーは深く息を吐いた。


レラ・ゾディアックはこの伝言を聞けば、派手な扇子を投げ捨てて、「あの馬鹿、また無茶を!」と盛大に毒づくだろう。


だが、彼女は必ず応える。かつて暗部との闘争の際、ルーベンカーは彼女に自分の正体、未来から来たこと、そして魔王ラビス誕生の真実をすべて打ち明けた。レラはその荒唐無稽な話を笑わず、この辺境を愛する者同士として、運命を共にする協力を約束してくれたのだ。


必要なのは物資だけではない。勇者たちの動向を遮断する情報の隠蔽、そして万が一、第一・第二防衛線が突破された際の村人の隠密避難。


ゾディアックという「裏の支配者」の力がなければ、この絶望的な防衛戦は成立しない。


________________________________________


孤独な行軍の始まり


感傷に浸る時間は終わった。


ルーベンカーは畳んだ地図を懐に入れ、小屋の扉を静かに閉めた。もう二度と、この場所に戻ることはないだろう。


「まずは、教会跡へ……」


冷たい晩秋の月光が、彼の白髪を銀色に照らす。


かつての戦友たち、親愛なる裏切り者たちを「狩る」ための、残酷で孤独な準備が始まる。


彼は森の闇へと溶け込み、因果の決戦場へと足を進めた。



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