第54話:嵐の婚約と黄金の収穫祭
青天の霹靂――突然の婚約発表
黒鉄期1691年、初夏。辺境に吹き抜ける風が爽やかさを増す頃、三十一開拓村を文字通りの激震が襲った。
村の中心にあるマルカスの邸宅(兼・自警団詰所)に、レオリナが弾丸のような勢いで飛び込んできたのである。
「お母さん、マルカスさん!私、結婚する!」
その場にいた二人の反応は劇的であった。
夕食の準備をしていたオレリアは、手に持っていた絵皿を取り落とし、乾いた音を立てて粉々に砕いた。一方、秘蔵の独活酒を嗜んでいたマルカスは、肺に入りかけた酒を猛烈な勢いで噴き出し、むせ返りながら吼えた。
「な、何だとォ!?誰だ!死にたい奴はどこのどいつだ!!」
混乱の渦中、扉の外から恐る恐る姿を現したのは、村長のカイルと、その次男のトビアスであった。トビアスは村でも指折りの実直な青年として知られていたが、今は処刑台に向かう罪人のようにガチガチに固まっている。
「オレリアさん……マルカス殿。至らぬ息子ではありますが、レオリナさんとの縁談を、正式に申し込みたく……」
カイルの言葉が終わる前に、マルカスの咆哮が屋根を震わせた。「お前かーーー!!」
そこから三時間に及ぶ、地獄の如き「話し合い」が始まった。「まだ早い!」「相手が地味すぎる!」「レオリナにはもっと……そう、熊を素手で倒すような豪傑が相応しい!」と支離滅裂な反対を繰り返すマルカスを、オレリアがなだめ、カイルが説得する。
最終的に、顔を真っ赤にしたレオリナの「私は、この人がいいの!」という決定的な一言が、マルカスの心臓を撃ち抜いた。
――婚約成立。
式はその年の秋、収穫祭に合わせて執り行われることが決定した。
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嫉妬の嵐――辺境の孤立
この知らせは瞬く間に辺境全域へ波及し、各地で「絶望」と「怒り」の嵐を巻き起こした。
「『郷の冒険者』の娘を射止めたのが、あんな地味な次男坊だと!?」
「抜け駆けだ!卑怯だぞ三十一開拓村!」
一時、嫉妬に狂った近隣の村々から、三十一開拓村は物流の嫌がらせを受けるほどの孤立状態に陥った。特に、かつて最初に求婚し、マルカスに門前払いされた隣村の村長の息子は激昂。トビアスに決闘を申し込むという暴挙に出た。
「俺のレオリナを奪いやがって!男なら剣で勝負しろ!」
村の境界で始まった決闘騒ぎに、トビアスは逃げることなく立ち向かったが、実力差は歴然としていた。しかし、そこへ割って入ったのは、誰よりも不機嫌な顔をしたマルカスであった。
「神聖な村の境界を汚すな!帰りやがれ!!」
マルカスは拳一つで隣村の息子を数百メートル先までぶっ飛ばし、強制的に騒動を幕引きさせた。この一件は「辺境で最も恐ろしい姑」としてのマルカスの名を不動のものにし、長く酒の肴として語り継がれることになる。
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黄金の収穫祭――祝福の連鎖
黒鉄期1691年、秋。
三十一開拓村は、かつてないほどの装飾に彩られていた。収穫祭とレオリナの結婚式が、村を挙げて盛大に執り行われたのである。広場には色とりどりの秋の花と、黄金色の農作物が山と積まれ、村中が幸福な熱気に包まれていた。
純白の衣装に身を包んだレオリナの、喜びにあふれた満面の笑顔。
オレリアはその姿を見て、堪えきれずに涙を溢れさせた。
(ルー……見ていますか?私たちの娘が、こんなに幸せそうに笑っていますよ……)
披露宴には、驚くべき来賓の姿もあった。目立たない格好ではあったが、ラブラス男爵とゾディアックの盟主レラがお忍びで臨席していたのだ。
「おめでとう、レオリナ。二人で力を合わせて、この辺境をさらに輝かせてくれ」
男爵の温かな言葉に、トビアスは緊張のあまり直立不動のまま「は、はいっ!」と裏返った声で返答し、会場は爆笑の渦に包まれた。
レラはレオリナの手を優しく取り、耳元で密やかに囁いた。
「おめでとう。……きっと、あなたのお父さんも、どこかで見ているよ」
「はい!ありがとうございます!」
レオリナは深く頷いた。彼女は、広場の喧騒の外側、深い森の境界から届く、自分を包み込むような「温かい視線」の存在を、確かに感じ取っていたのかもしれない。
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主の贈り物――伝説の「祝い」
宴が最高潮に達した時、広場の入り口に現れた光景に、全村人が息を呑んだ。
「おい、あれを見ろ……!」
そこには、一対の鹿がいた。王冠のような見事な角を持つ牡鹿と、絹のような毛並みの女鹿。辺境では結婚の際、二頭の動物を贈る習慣があるが、通常は家畜である。しかし、そこに繋がれていたのは、人里には決して姿を見せない「森の主」とも呼ぶべき神々しい野生の鹿であった。
誰からの贈り物か。
鹿の首には、一枚の粗末な木札が下げられていた。そこには無骨で、不器用な筆跡でただ一言、
「祝い」
とだけ書かれていた。
「ルーパートだ……」
マルカスが低く呟いた。
その男は披露宴には姿を見せなかった。だが、これほど見事な野生の鹿を、傷一つ付けず、生け捕りにして連れてくることがどれほどの神技であるか。
言葉を交わすことも、笑顔を見せることもない。だが、その贈り物には、どんな祝辞よりも重く、切実な「父」の祝福が込められていた。
村人たちはその圧倒的な贈り物を前に、しばらく静まり返った。
そして、誰かが小さく拍手し始めた。それはやがて大きな波となり、辺境の夜空へと響き渡った。
ルーパート。
森の闇の中で、一人の男が静かに踵を返し、自分の小屋へと戻っていく。
彼の背中には、もう後悔はなかった。
黄金の光の中で笑う娘。彼女を守り抜いた八年間。
その物語は、今、一つの完結を迎え、そして新たな、より過酷な運命の扉へと続いていく。




