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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第6部:『守護者の二十年 ― 「ルーパート」という名の仮面』

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第45話:静寂の守護者、そして黎明の産声

去りゆく鉄の嵐――辺境の拒絶


ルーベンカーが領都ラブラリアの喧騒を背に、漆黒の夜の帳へと溶け込んでから数日が経過した。南部辺境区のゆったりとした時間の流れは、王都から派遣された「王国軍」の重々しく無機質な行軍音によって、容赦なく引き裂かれた。


数百の重装騎兵と精鋭歩兵、さらに宮廷魔導師を擁したその軍勢は、ラブラス男爵領の正門前へ布陣し、禁忌の技術保持者――「郷の冒険者」ルーベンカーの身柄引き渡しを、傲慢なまでに要求した。


しかし、城門の前に立ちはだかったラブラス男爵の態度は、王都の使者が予期していたものとは正反対であった。彼は深いため息すらつかず、氷のように冷徹な眼差しで彼らを射抜いた。


「無駄足をご苦労。貴殿らが追っている男は、すでにこの領地にはいない。数日前、己が蒔いた火種の責任を負うと言い残し、何処へともなく姿を消した」


男爵の言葉は、単なる事実の伝達を超えた「拒絶」の意志を孕んでいた。彼は、中央の強権的な介入を極度に嫌う辺境民の気性を説き、もし強引な捜索を行えば、それが大規模な武装蜂起へと繋がる可能性を理路整然と突きつけたのだ。


「この地の民にとって、彼は飢えと魔獣から救ってくれた唯一無二の恩人だ。もし貴殿らが土足で彼らの生活を荒らせば、私は領主として、民の怒りを抑える自信も……抑えるつもりもない」


王国軍の指揮官は、政治的な袋小路に立たされた。形式的に三十一開拓村まで足を伸ばしたものの、そこにいたのは怯える民ではなく、ただ黙々と畑を耕し、軍勢に向けて冷徹な軽蔑の視線を送る混血種ハーフの村人たちだけであった。


拘束すべき標的を失った軍隊には、これ以上駐留し続ける「正義」も「大義名分」も残されていない。鉄の嵐は、成果を何一つ得られぬまま、逃げるように王都へと引き返していった。


________________________________________


痕跡なき殲滅――孤独な「清算」


表舞台で軍が空虚な撤退劇を演じている一方で、世に知られることのない「血の清算」が人知れず完了していた。


軍の動きに呼応して放たれたはずの、王立研究所が秘匿する魔導刺客たち。そして人智十字教会が誇る、冷酷な「聖罰審問官」の実行部隊。


彼らが辺境の土を踏み、標的に指をかけることは、ついに一度もなかった。


街道の深い影、打ち捨てられた宿場、あるいは地図にもない峠の向こう側。


彼らは「獲物」であるはずの男に逆照射され、逆に狩られる絶望を味わうこととなった。ルーベンカーが振るったのは、この時代には存在し得ない、未来の高度な戦技と精密極まる殲滅術式。


かつて未来で魔王の右腕として、人類最高の勇者たちを葬ってきたその「狼の牙」は、中央の暗部を、断末魔の叫びすら許さぬ速度で文字通り殲滅した。


遺体も、遺品も、彼らがそこに存在したという事実さえも、未来の隠蔽魔術によって無機質な塵へと帰した。


ルーベンカーは、愛する妻とまだ見ぬ娘の未来を血で汚さぬよう、その孤独な使命を完璧に果たした。彼は歴史の表舞台から自らを抹消し、人々の記憶の隅へと、意図的に己という存在を葬り去ったのである。


________________________________________


揺り籠と「魔の箱庭」――希望の産声


ラブラリアの宿屋の一室。レラの腕の中で泣き腫らし、一時は生きる気力さえ失いかけていたオレリアであったが、彼女の中には、ルーベンカーが命を懸けて託した「不滅の火」が灯っていた。


その後、彼女は男爵とゾディアックによる厳重な、しかし温かな保護のもと、辺境の奥深くに隠された安全な居所へと移された。


そこは、ルーベンカーが最後に残した強力な防衛術式と、ゾディアックの隠密たちが張り巡らせた見えない網に守られた、現世から切り離された「聖域」であった。


オレリアは、夫が残していった黒鉄の鉈剣を枕元に置き、その無骨な柄に宿る確かな温もりを信じて、来るべき時を静かに待ち続けた。


そして半年後。秋の清冽な気配が漂い始めた黒鉄期一六七四年。


三十一開拓村において、もっとも澄んだ夜明けの光の中で。


オレリアは、元気な産声を上げる赤子をその胸に抱いた。


「ああ……ルー。ルーベンカー……届いていますか」


汗に濡れた髪を払い、疲労の中にも至福の色を浮かべながら、彼女は愛おしそうに我が子を見つめた。


夫が予言した通り、生まれたのは、父によく似た力強く鋭い瞳を持つ、愛らしい女の子であった。


祝福のために駆けつけたレラと男爵は、その小さな命の力強さに、これまでの全ての犠牲が報われたことを悟った。


「名前は……決めたのかい、オレリア」


レラが、裏社会の首領であることを忘れさせるような、慈愛に満ちた声で尋ねた。


オレリアは、娘の小さな、しかし確かな力で己の指を握る手を愛おしそうに見つめ、静かに答えた。


「はい。ルーベンカーが、私と、この子のために、命を懸けて世界という激流に抗ってくれた。私は、この子の名に、彼の勇気と愛を刻みます」


「名は――レオリナ」


夫がもたらした未来の「知識」は、辺境に安寧を与えたが、同時に彼を愛する家族から引き離した。


世界の反動は、彼を再び凄惨な死地へと駆り立てた。


しかし、その残酷な対価によって、今、オレリアとレオリナの平穏は確固たるものとなったのだ。


父の帰還を信じ続ける母の深い愛と、不自然なほどに完璧な安らぎを保つ辺境の静寂。


それは、外の世界の混乱から隔離された、ルーベンカーが未来を懸けて奪い取った「希望の箱庭」であった。


この箱庭の中で、小さな奇跡であるレオリナは、健やかに、そしていつか必ず訪れる「父との再会」の瞬間を夢見て、その命を輝かせていく。


黒鉄期一六七四年。


歴史の影で、もう一つの、そしてもっとも大切な「勇者の物語」が、静かにその第一歩を刻み始めた。



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