第43話:一等地の密談――届かぬ警告と、世界の胎動
黄金の籠の中へ
事態の推移は、ゾディアックの盟主であるレラ・ゾディアックの予測すら上回る速度で、より深刻な色を帯びていた。
当初、レラ自らが31開発村へ赴く予定であったが、中央から放たれた「毒」はすでに領都の喉元まで達していた。急遽予定を変更した彼女は、ルーベンカーとオレリアの二人を領都ラブラリアへと呼び寄せる。
通常、辺境の村から領都までは三日を要する難所続きの道のりだが、ゾディアックが差し向けた特製馬車は、御者の驚異的な手綱捌きによってわずか五日で二人を送り届けた。
馬車が領都の石畳を叩く音が止まり、扉が開く。ルーベンカーは真っ先に隣の愛妻へ手を差し伸べた。
「オレリア、大丈夫か。……無理をさせたな」
「ええ、平気よ。ルーベンカー」
オレリアは少し上気した頬を緩め、愛おしそうに自身の腹部へ手を添えた。
彼女の胎内には、新しい命が宿っている。身重の体での長旅は決して楽ではなかったはずだが、彼女は夫を不安にさせまいと、春の陽光のような微笑を絶やさなかった。
ルーベンカーにとって、ゾディアックからの召喚は拒絶できぬ「負債」の支払いでもあった。かつて彼は、未来の知識という禁断の対価を差し出すことで、オレリアの安全を買い取った。その契約を履行し続けることは、彼女と、そしてまだ見ぬ我が子を守るための絶対条件だったのだ。
案内された場所は、以前のような薄暗い路地裏の廃屋ではなかった。
領都でも指折りの一等地に建つ、白亜の壁が眩しい高級宿。受付でゾディアックの紋章である「Z」の刻印を示すと、若い案内人は表情を正し、音もなく二人を最上階の特別室へと導いた。
「ご夫妻が参られました」
________________________________________
宣告と「三代目」の介入
特別室の扉が開くと、そこには窓の外の喧騒を静かに見下ろすレラ・ゾディアックと、もう一人、若くして隠しきれぬ覇気を纏った貴族の姿があった。
レラが振り返り、二人を迎え入れる。
「よく来たわね、ルーベンカー。……それに、オレリア夫人」
「夫人」という聞き慣れない響きに、オレリアははにかんで顔を赤くした。開拓村での素朴な暮らしの中で、彼女はまだ自分が「救世主」と呼ばれた男の妻として、中央に認知されている実感が持てずにいたのだ。
レラは挨拶もそこそこに、鋭い視線を向けた。
「時間は惜しいわ、すぐに本題に入りましょう。……その前に。こちらの方はラブラス男爵。この領土を治める領主よ」
ルーベンカーの背筋に、冷たい緊張が走った。裏社会の象徴であるゾディアックと、公の支配者である男爵が同席している。これはもはや、一村の存亡というレベルを遥かに超えた、国家規模の事態であることを直感した。
男爵は静かに座るよう促し、重苦しい口調で語り始めた。
「掛けてくれ。事態は君たちが思う以上に深刻だ。中央の三つの巨大な権力が、君たち夫婦を『除去すべき標的』と定め、すでに駒を動かし始めている」
レラがその言葉を引き継ぐ。
「王国軍、王立魔術研究所、そして人智十字教会。……奴らは、お前たちを抹殺しようとしているわ」
ルーベンカーは無言だった。驚きも、憤りも表に出さない。ただ、避けられぬ運命の足音がようやく聞こえたのだと、静かにその宣告を飲み込んだ。
「俺が王国軍を王都で足止めする」と、男爵は断固たる口調で続けた。「あらゆる政治的カードを切り、辺境の反乱の可能性を盾にして時間を稼ぐ。そして、研究所と教会の『暗部』はゾディアックが叩き落す。だが……君もわかっているはずだ。これはあくまで一時的な止血に過ぎない」
________________________________________
偽りと本音、そして「反動」
ルーベンカーはゆっくりと顔を上げ、レラの瞳を射抜くように見つめた。
「……つまり、レラ。俺は、やり過ぎたということだな?」
「ええ、やり過ぎよ」レラは力強く頷いた。「何度も忠告したわ。『その知識を出し過ぎるな、時代の理を壊すな』と。それでもお前は止まらなかった。なぜだ?一時の英雄願望か?それとも、安い正義感か?」
オレリアが、不安げにルーベンカーの袖を掴んだ。
「ルー……もしかして、私のために、村のために無理をしたの?」
ルーベンカーは彼女の震える手を優しく包み込み、短く首を横に振った。
「違うんだ、オレリア。特定の誰かのため、というだけではない。長らく虐げられてきた混血種のみんなに、光を見せたかったんだ」
彼の言葉は、自分自身を納得させるための「正義」のように響いた。未来の技術をこの時代に移植し、弱き者たちを救う。それはかつて勇者であった彼にとって、もっともらしい贖罪の形だった。
だが、彼はそこで言葉を詰まらせ、自嘲気味に、より深い本音をさらけ出した。
「……いや、嘘だ。それすらも偽りだ。……全ては、オレリア。お前と、これから生まれてくる娘のためだ」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が凍りついた。
オレリアは、驚愕に目を見開く。「え……娘?どうして……」
レラの表情が劇的に変わった。その瞳には、かつてないほどの疑念と、底知れぬ恐怖に対する警戒が宿る。
「……まだこの世界に存在しない技術を平然と広め、まるで未来の地図を見ているかのように知識を披露する。挙句の果てには、まだ腹の中にいる子供の性別まで予言するのか?ルーベンカー!お前は一体何者だ!何を知っている!」
ルーベンカーは答えず、窓の外、遠い地平線の向こうを見つめて小さく呟いた。
「……言えない。これがあいつの言っていた『世界の反動』か」
(“時反しの魔術による歴史の改変は、世界の意思によって修正される”。その修正の力が、今、王立研究所の嫉妬や教会の狂信を増幅させ、俺を歴史から排除しようとしている。ラビスの言葉通りだ。俺が良かれと思って積み上げた石が、今度は俺を押し潰す瓦礫となった……)
「何をブツブツ言っているの!ルーベンカー!」レラが身を乗り出して問い詰める。
「嗤ってくれ、レラ。俺は、使命を達成できなかった」
ルーベンカーは、隣に座るオレリアの痛ましげな表情を見て、深く目を閉じた。
「オレリア、お前を守ろうとした結果がこれだ。俺が傍にいる限り、お前の命は狙われ続ける。俺の存在そのものが、お前たち家族を焼き尽くす火種になってしまったんだ」
レラは、彼の口から漏れた「使命」という言葉の重みを聞き逃さなかった。
「教えて、ルーベンカー。オレリアを守るとはどういう意味?その『使命』とは、誰から託されたものなの?」
「……失言だった。忘れてくれ」
ルーベンカーは再び目を開いた。その瞳には、もはや迷いはなかった。愛する者を守るために未来を変えようとした男は、今、歴史という巨大な激流の中で、最後にして最大の決断を固めようとしていた。




