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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第6部:『守護者の二十年 ― 「ルーパート」という名の仮面』

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第42話:暗雲の合議――揺れる天秤と、古き盟約

領都ラブラリアの密談


南部辺境、ラブラス男爵領の領都ラブラリア。その中心にそびえ立つ質実剛健な居城の一室には、春の暖かな陽光を拒絶するかのような、肌にまとわりつく重苦しい沈黙が立ち込めていた。


重厚な黒檀のテーブルの上には、中央の王都から早馬で届けられたいくつもの密書が、不吉な予言の断片のように乱雑に広げられている。それらは開拓村に灯った小さな「希望」が、巨大な利権という魔物の喉元を突き刺した事実を、冷徹な筆致で告げていた。


「……まずいことになったな、レラ」


領主ラブラス男爵は、彫りの深い顔に深い皺を刻み、額を抑えて絞り出すように溜息を吐いた。


「辺境の発展と安寧に貢献する存在だと考え、あえて不問に付していたのだが……。まさか、これほどまでに中央の肥大化した権益と、凝り固まった自尊心を刺激するとはな。私の読みが甘かったか」


対面に座る、燃えるような赤銅色の髪を揺らした女性――ゾディアックの盟主レラ・ゾディアックは、細くしなやかな指先で、密書の一枚を無機質に叩いた。


「全くだ。あいつ……ルーベンカーには何度も『やりすぎるな』と、あれほど念押ししておいたんだがね。私の想像を遥かに超える速度で、歴史の時計の針を無理やり回しちまったよ」


レラの言葉遣いは、極めて几帳面で隙がなかった。まるで王宮に仕える高位の秘書官が、主君に対して機密報告を行うかのような、完璧に構築された所作。そこには裏社会の首領としての気配は微塵もなく、洗練された「公人」としての仮面が張り付いていた。


「それで、どう動くつもりだ、レラ」


男爵の問いに、レラは淡々と指を折りながら、辺境に残されたわずかな選択肢を冷酷に並べた。


「案は三つ。壱、放置して彼らの運命に任せる。弐、我々で身柄を拘束し、隔離・隠蔽する。参、中央に先んじて差し出し、領地の安泰を買い叩く。……まあ、どれを選んでも、この辺境にとっては『破滅』という名の終着駅しか見えませんがね」


________________________________________


仮面の剥落と「三代目」


男爵は、胸の内に渦巻く苛立ちを隠しきれない様子で、鋭い視線を向けた。


「……レラ、いい加減その余所行きの口調はやめてくれ。今の状況で、あなたにその『淑女の皮』は似合わない」


一瞬、レラはきょとんとした表情を浮かべた。しかし、次の瞬間、その端正な唇が三日月のように吊り上がり、瞳に妖しい悪戯っぽさが宿る。先ほどまでの「盟主」としての鉄の仮面は瞬時に霧散し、そこには奔放で、どこか超越的な一人の女性の素顔が露わになった。


「ひっどい言い草だねぇ、三代目君は。私のことを憧憬の目で見つめて、顔を真っ赤にしながら私の後ろをチョロチョロついて回ってた、あの泣き虫の坊やが……。随分と偉くなったもんだよ、え?」


男爵は顔を伏せ、両手を上げて降参の意を示した。


「……降参だ。悪かった、レラ。いや、レラ様。謝るから、昔の話を掘り返すのはやめてくれ」


「冗談だよ。この部屋の空気が、あんまりにも湿気ていて息苦しかったからね。さて――」


レラは背筋を伸ばし、再び鋭い勝負師の、あるいは飢えた獣のような眼差しに戻った。


「真面目な話をしようか。我々に迫る脅威は三つ。一つ、王国政府による公式な『逮捕拘禁』。二つ、王立研究所による『技術略奪を目的とした拉致』。三つ、十字教会による『異端排除を名分とした暗殺』。ふむ、どれもこれ以上にないほど質が悪いね」


男爵は領主としての冷静な視点で、自領の戦力を天秤にかける。


「一つ目の公式な動きなら、私が王室へ相応の圧力をかけることで足止めが可能だ。だが、二つ目と三つ目は違う。奴らが『暗部』を直接動かした場合、私の飼っている領兵では束になっても相手にならない。特に教会の狂信者と、研究所が秘匿する『魔導暗殺者』は最悪だ」


「そっちは我らゾディアックで引き受けよう。だがね……」


レラは指先でテーブルを小刻みに、苛立たしげに叩く。


「それだって、一時的な時間稼ぎにしかならないんだよ。根本的な解決には、程遠い」


________________________________________


臨戦態勢、あるいは現場主義


「……時間稼ぎ、か」


男爵の言葉が重く、暗く響く。レラはついに堪えきれなくなったように、椅子を蹴る勢いで立ち上がった。


「そーなんだよ!あんのバカたれが!なんでここまで大事になることを、あんなに平然と、涼しい顔でやってのけるかね!こっちは裏でどれだけ泥を被りながら手を回してると思ってるんだ。……ああ、思い出すだけで腹が立ってきた!」


「落ち着いてください。……あまり怒ると、また『おばあちゃん』って呼びますよ?」


「……ほう?いい度胸だね、三代目。私の逆鱗を、あえてその土足で踏み抜こうというのかい?」


男爵は慌てて視線を逸らし、小さく咳払いをした。


「……コホン。それで、最終的な判断を伺いたい」


レラは深く、長く溜息を吐き出した。その双眸には、もはや迷いは微塵もなかった。


「まずは、あの二人に直接会ってくるよ。現物、現場、現実。この三つを直接この目で確かめてからでなければ、何も始まらない。それが私の流儀だ」


レラは戸口に向かいながら、背中越しに冷たく、そして重く告げた。


「男爵、お前は最悪のシナリオを想定して動いておけ。王都が本気でこの地を食い潰そうと牙を剥いた時、この領地がどう動くべきか。その腹を括っておくんだな」


「……承知している」


廊下を歩くレラの靴音が、静かな城内に力強く響き渡る。彼女は誰もいないはずの虚空に向かって、低く鋭い声を放った。


「聞いているか?――足の手配をしろ」


(……レラ様、貴女様のその脚力ならば、馬車など不要では?)


影の中から、音なき、しかし明確な意思が返る。


「形から入るんだよ!私は『ゾディアックの盟主』として、それ相応の体裁を整えてあいつらの前に立たなきゃならないんだ。これはただの視察じゃない。――臨戦態勢への移行だよ!」


(!直ちに、最高級の馬車と護衛を揃えます!)


ゾディアックの隠密たちが、蜘蛛の子を散らすように領都の闇へと駆け出した。


辺境が手に入れた束の間の平穏に、中央の巨大な影が音もなく追いつこうとしている。その激突の火蓋を切るのは、他ならぬこの赤銅色の髪をなびかせた「魔女」であった。



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