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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第5部:因果の円環 ―九人目の勇者と魔王の算断―

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35/52

第35話:新たな任務の始まり、あるいは「時の修正者」への再誕

ルーベンカーの意識を満たしていた走馬灯のような回想が、現実の冷気によって切り裂かれた。


彼は、目前に座す魔王ラビスの深淵のような瞳を、射抜くように見つめ返した。かつての友であり、今は世界の命運を握る「魔王」となった男の真意。それを探るべく、ルーベンカーは沈黙を保った。


「さて、再会の儀はこれまでだ。ルー、お前にはこれから、最も重要で、最も困難な任務に就いてもらう。――頼むぞ、“ルーベンカー”」


「……?その名前を呼ぶのは、ずいぶん久しぶりだな。勇者として担ぎ上げられてからは、誰も俺をそう呼ばなかった」


ラビスは静かに立ち上がり、ルーベンカーの肩に手を置いた。その掌は死者のように冷たかったが、託された意志は岩のように重い。


「お前があの戦場で死んでくれたおかげで、連中は自分たちの勝利を確信し、ついに隠し持っていた切り札を切った。……賢者エウレの狂気、『時返しの魔術』の発動だ」


ルーベンカーは目を見開いた。


「時返し……本当に、歴史を書き換えようっていうのか」


「そうだ。連中の目的は単純かつ冷酷だ。未来を変えるために、俺という特異点そのものを過去から消去する。そのために、勇者の生き残り8名を過去へ送った。俺の母レオリナと、祖母オレリアを抹殺するために。俺がこの世に生まれてこない『今』を捏造するために」


ルーベンカーの脳裏に、かつて31開拓村で過ごした穏やかな日々が浮かんだ。


もし、ラビスの母レオリナがいなければ。自分はあの村で、唯一の理解者であるラビスと出会うこともなかっただろう。己の中に眠る「獣」の血に怯え、本当の孤独に押し潰されていたかもしれない。ラビスの不在は、ルーベンカー自身の人生をも根本から破壊することを意味していた。


「……送られた勇者は、誰だ?」


「全部で8人だ。虎、狐、鷹、梟、獅子、蜥蜴、鷲、熊。彼らは二手に分かれ、1682年のラブラリアを目指した。目的は暗殺。そして、俺がこの世界に影響を及ぼすあらゆる因果の芽を摘み取ることだ」


「レオリナさんまで……」


「ああ。彼女は、俺が死ぬ直前に生んだ娘……いや、細かい因果の齟齬はいい。問題は、彼らの目的がこの世界、つまり『今』を生きる俺たちの存在そのものを消し去ることにあるということだ」


ラビスは部屋の隅、影の中に立てかけてあった一振りの重厚な鉈剣なたけんを手に取った。それは、かつてルーベンカーの父が愛用し、開拓村で魔生物から家族を守り抜いた得物に驚くほど酷似していた。


「連中は、俺がこの『歴史改変』を予見し、手を打っていることに気づいていない。そして何より、お前が生き返ったこともな。ルー、お前は『時返し』の魔術の影響を唯一受けない、例外の存在となったんだ」


「唯一……?なぜだ」


「俺の『千刃』は、魔術によって構築された事象を根絶する力だ。お前はその刃で一度死んだが、ケーゲレスの異端の魔術によって『再誕』した。死によって一度、世界の因果律から完全に切り離され、新たな理で繋ぎ直されたんだ。いわば、因果の外側に座す『異端の時渡り人』だ。過去に飛んだ8人の勇者たちが歴史の反動に苛まれる一方で、お前だけは『今の記憶』を完全に保持したまま、過去という舞台に立つことができる」


ラビスは、鉈剣の冷たい刃をなぞりながら言葉を継いだ。


「俺とケーゲレスは、エウレの『時返し』を徹底的に研究した。あれは神への冒涜どころか、計算さえ合っていない不完全な代物だ。ムンドゥスの意志――不可逆の時の流れに逆らうための、わずかな隙間に無理やり糸を通すようなものだ。エウレはその反動(影)を無視した。過去へ飛んだ8人の精神がどう変質するか、想像もつかないな」


ラビスは、手にしていた鉈剣をルーベンカーへと差し出した。


「お前に頼みたい。過去という獲場へ降り、その8人を『討伐』してほしい」


「討伐……あいつらをか」


ルーベンカーは躊躇した。たとえ狂った正義に加担していようとも、彼らはかつて肩を並べて戦った、あるいは共に飯を食ったこともある「勇者」の仲間だった。


「連中は目的のためには手段を選ばない。歴史の反動による精神変質が、奴らの残酷さをさらに加速させるだろう。連中はラブラリアだけでなく、俺たちが育った『31開拓村』をも標的にしている。過去の俺に干渉するために、村そのものを焼き払うつもりだ」


「何だと……?故郷も、母さんも狙われるっていうのか」


「そうだ。過去の俺は、勇者を殺したお前が死んだ後の『未来』から来た者たちの動向を知っている。だから、連中は俺が生まれる前に母レオリナを、そして結果的に君の母をも、障害として排除しようとするだろう」


ラビスの言葉は、ルーベンカーの魂の根幹を貫いた。


彼が勇者という泥に塗れた道を選んだ唯一の理由。それは、母の願いである「大切なものを守れる人になる」という誓いだった。


「ルー、俺は魔王だ。世界を敵に回し、多くの血を流した男だ。だが、俺が本当に守りたいのは、この抽象的な『世界』なんかじゃない。俺の愛する家族、そして君たちと過ごしたあの故郷の『思い出』だけだ」


ラビスは親友の瞳を覗き込み、静かに、だが熱く語りかける。


「君は勇者として死んだ。だが今は、ルーベンカーとして生きている。勇者という虚飾を捨て、狼の血に生きる者として、ただ君の愛するものを守ってくれ」


ルーベンカーは差し出された鉈剣を、力強く握りしめた。


使い込まれた柄の感触、獣人の本能を呼び覚ます金属の冷気。


「……俺が、あんたの家族と、俺の故郷を守る。それが、『九人目の勇者』としての、本当の、そして最後の使命なんだな」


「そうだ。お前は『時返し』によって狂わされた因果を、唯一、未来の視点を持って正せる『時の修正者』だ。この鉈剣には俺の魔那……『千刃』の理を込めてある。これを持つお前の前では、過去に逃げた勇者たちも二度と立ち上がれない」


ルーベンカーは立ち上がった。その金色の瞳からは迷いが消え、獲物を追う狩人の鋭利な光が宿っていた。


「分かった。行くよ、ラビス。あんたが俺を『ルーベンカー』と呼んでくれるなら、俺は狼として、未来のために過去の連中を狩り尽くす」


「頼むぞ。お前の戦いを、俺はこの不確かな未来から見守っている」


ラビスは魔術陣の中心へと歩を進め、空間の座標を固定した。


「奴らが顕現するのは、おそらく俺が生まれる直前の1693年。だが、お前をそれよりも数年早い時代へ送る。8人を相手にするには、準備と地歩を固める時間が必要だろうからな。……すまない、俺にできるのはここまでだ」


魔王が、一人の友のために深く頭を垂れた。


ラビスの手によって起動した魔術陣が、部屋を昼間のような光で満たす。時空の渦が唸りを上げ、ルーベンカーの肉体を因果の裂け目へと引きずり込んでいく。


まばゆい光の中、ルーベンカーの姿が消失した。


残されたのは、主を失った黒曜石のテーブルと、静寂が戻った魔王の私室だけ。


ラビスは、小さく口角を上げ、誰もいない空間へ向かって囁いた。


「……俺は、君を二度と裏切らない。君があの村で、俺に手を差し伸べてくれたあの日からずっと」


そして、ラビスは誰にも、そして過去へ飛んだルーベンカーにさえも聞こえないほどの微かな声で、究極の真実を口にした。


「頼んだよ、おじいさま」


それは、ルーベンカー自身がまだ知らない、血脈の因果。ラビスが命を賭けて、過去に送った「理由」のすべて。


ルーベンカーに対して、生涯決して呼ぶことのないその敬称には、魔王が背負う孤独な愛の重みが込められていた。


九人目の勇者、狼。


彼の旅は、歴史を救う壮大な叙事詩などではない。


魔王の過去と、己の母の未来を、狂気に堕ちた「勇者」という名の暗殺者たちから守り抜くための、孤独で凄惨な「狩り」の始まりであった。



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