第15話:枯れ野の斬撃戦
黒鉄歴一七四五年、秋。
オース大陸の歴史において、これほどまでに濃厚な死の臭いが大地を覆い尽くした日はなかった。王都を背に背水の陣を敷くオース王国軍・人智十字教会連合と、南方の「解放の詩」を掲げて進軍する魔王軍。両雄が激突する舞台に選ばれたのは、王都南方八十キロメートルに位置する、草木もまばらな荒涼たる大地「枯れ野平原」であった。
見渡す限りの赤茶けた土と、鋭利な岩石が剥き出しになったその平原は、まさに巨大な屠殺場となるに相応しい静寂に包まれていた。
北側に陣を敷くのは、王国軍一万二千。
太陽の光を反射して白銀に輝くフルプレートの騎士団、そして背後には、純白の法衣に身を包み、人族至上主義の狂信をその瞳に宿した人智十字教会の聖騎士たちが控える。彼らの陣形は峻厳であり、人族が築き上げてきた千年の軍事体系の集大成ともいえる威容を誇っていた。
対する南側、魔王軍八千。
そこには王国の正規軍のような統一された軍装はない。ある者は筋骨隆々たる獣族の戦士であり、ある者は古びた魔術師のローブを纏った魔族の末裔であった。寄せ集めの軍勢。しかし、その八千の軍勢から放たれる気圧は、数で勝る王国軍を圧倒していた。彼らの瞳には、千年の差別と虐待によって磨き上げられた「復讐」という名の黒き炎が、音もなく燃え盛っていたからである。
「――全軍、開戦の咆哮を」
魔王軍の陣頭、漆黒の外套を翻したラビスが静かに右手を上げた。その細い指先が空を切り裂いた瞬間、平原の静寂は永遠に失われた。
開戦の合図と共に、魔王軍の魔術師たちが一斉に詠唱を開始した。それは、かつて真精霊たちがこの大陸に遺した魔那の奔流を、強引に「論理」でねじ伏せる自然魔術の極致。
「天を焦がせ、地を穿て!」
突如として、雲一つなかった秋の空が真っ黒な雷雲に覆われ、巨大な紫電の柱が王国軍の前衛を直撃した。大地は悲鳴を上げて割れ、底なしの亀裂が騎士たちの馬を飲み込んでいく。同時に、季節外れの猛吹雪が平原を吹き抜け、人族の兵士たちの視界と体温を奪い去った。
だが、王国軍もまた無策ではなかった。
「神の加護を!穢れを払え!」
人智十字教会の司祭たちが掲げる十字架から、浄化の光波が放たれる。教会の「聖なる魔術」が魔王軍の吹雪を相殺し、強化された盾を持った騎士たちが、地割れを飛び越えて突撃を敢行した。
ここから、枯れ野平原は筆絶に尽くしがたい地獄へと変貌した。
アクションの火蓋が切られる。
最前線では、魔術で肉体を限界まで強化した獣族の戦士たちが、一振りの巨剣で王国軍の重装歩兵を三、四人まとめて両断した。飛び散る鮮血が、枯れた大地をどす黒く濡らしていく。
それに対し、王国の騎士たちは組織的な連携で応戦した。三人がかりで一人の獣族を包囲し、隙を突いて槍を突き立てる。しかし、魔王軍の戦士たちは腹を貫かれてなお、その槍を自らの肉体で固定し、返り討ちの斬撃を振るった。死を恐れぬ狂気――それが解放軍の武器であった。
戦場の中央、一際激しい魔那の渦が巻き起こる。魔王ラビスが、ついにその力を解き放った。
「第六位階魔術――『次元回廊の葬列』」
ラビスの言葉と共に、王国軍の中軍に巨大な重力の歪みが発生した。空間そのものがガラスのように砕け散り、その破片が旋風となって数千の兵士を切り刻む。人族の騎士たちは、自分たちが何に殺されたのかも理解できぬまま、一瞬で肉の塊へと変えられた。
だが、人族側にも意地があった。
教会の聖騎士団長が率いる精鋭部隊が、ラビスの首を狙って突撃を仕掛ける。彼らは高度な抗魔術を施した盾を掲げ、魔法の嵐を突き抜けてきた。
「魔王、貴様の命でこの乱を終わらせてくれる!」
放たれた聖銀の剣がラビスの頬をかすめ、一筋の血が流れる。ラビスは冷徹な瞳でその騎士を見つめると、手にした杖を振るうこともなく、指先一つで騎士の全身の血液を沸騰させた。
三日三晩。
太陽が昇り、沈み、再び昇っても、殺戮の宴は止むことがなかった。
剣が折れれば拳で殴り、拳が砕ければ歯で喉笛を噛み切る。そこにあるのは高潔な騎士道でも、美しい理想でもない。ただ、「生き残った方が正義」という、青銅期の魔生物たちが演じた弱肉強食の再演であった。
激戦が終わりを迎えたとき、枯れ野平原に立っている者は、両軍合わせて半分にも満たなかった。
後に「枯れ野の斬撃戦」、あるいはその凄惨さから「枯れ野の残劇戦」と記録されるこの戦いの結果は、驚愕すべき数字となって現れた。
魔王軍:死傷率四割。
王国軍:死傷率六割。
数で勝り、盤石の陣を敷いていたはずの人族軍が、より大きな打撃を受け、壊滅的な被害を被ったのである。一方、魔王軍も勝利を宣言するにはあまりに多くの「解放の同志」を失い、その進軍速度は完全に停止した。
戦場には、折れた旗印と、持ち主を失った無数の武具が散乱し、冷たい秋風が死者の魂を弔うように吹き抜けていた。
この一戦を境に、戦線は膠着状態に陥る。
人族軍は、魔王ラビスという存在がもたらす圧倒的な「個」の武力と、死を厭わぬ混血種たちの猛攻に底知れぬ恐怖を植え付けられ、王都の防壁に閉じこもることを選んだ。
対する魔王軍もまた、王都まで一気に押し切るだけの物資と兵力を使い果たし、血に濡れた平原に野営地を築くしかなかった。
互いの喉元に刃を突きつけ合ったまま、動くことのできない二つの軍勢。
「枯れ野の斬撃戦」は、オース大陸の覇権を巡る争いが、もはや後戻りのできない絶滅戦争へと突入したことを、万象に知らしめる残酷な号砲となったのである。
静寂を取り戻した平原で、ラビスは独り、沈む夕陽を見つめていた。その瞳には、勝利の喜びも、敗北の悲しみもなかった。ただ、これから始まるさらなる長い闘争の夜を見据える、凍てつくような決意だけが宿っていた。




