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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第三部:『魔王の歌と禁忌の決断』プロローグ:時の墓標

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第14話:惨劇の冬と解放の詩(レクイエム)

黒鉄期が刻んできた千年の月日は、オース大陸において「種族の融和」ではなく、冷酷な「選別と排除」の歴史であった。かつて真精霊の狂気から世界を救い、人族に生存圏をもたらしたはずの魔族の知恵は、いつしか支配者の道具へと成り下がり、人智十字教会の台頭によって正当化された「人族純血主義」という名の毒は、ついに社会の深層を修復不可能なまでに腐敗させた。


その歪みが臨界点に達したとき、天は慈悲の雨ではなく、すべてを凍てつかせる惨劇の雪を降らせた。


黒鉄歴一七四三年(西方歴一七二一年)。


凍てつくような冬の気配が、石造りの王都を灰色の絶望で包み始めていた頃、一つの事件が民衆の魂を震撼させた。


王都の華やかな表通りから一歩入った湿った路地裏で、魔族の血を引く混合種ハーフの少女が、見るも無残な亡骸となって発見されたのである。その遺体は、単なる殺害を超えた、憎悪と蔑視が塗り込められた損壊を被っていた。


犯人は、人族純血主義の急先鋒であり、教会の有力な後援者でもあった名門公爵家の三男。複数の目撃証言が存在し、動かぬ証拠が突きつけられていた。近代的な法治を標榜するオース王国の法に照らせば、いかに高貴な血を引く貴族の子弟といえども、死罪は免れないはずの狂行であった。


しかし、ここで法と正義を根底から覆す、最悪の介入がなされる。人智十字教会がこの殺人者を「人族の聖なる血を穢れ(魔の血)から守り抜いた、信仰厚き義士」として公式に擁護したのである。


「聖なる人族の地において、魔の血を引く存在が闊歩することこそが罪である。公爵令息の行動は、神の秩序を取り戻すための聖なる浄化に他ならない」


大司教のその声明と共に、教会騎士団による無言の圧力が法廷を包んだ。結果、裁判は茶番と化し、公爵家令息には一切の処罰が下されることなく、彼は英雄として迎えられることとなった。


この不当極まる裁定は、長年にわたって「生ける道具」として搾取され、社会の隅へと追いやられてきた魔族系住民、そして「穢れ」という呪名に甘んじてきたすべての混合種族たちの怒りに、決定的な火をつけた。


「我らの先祖が、その命を削って編み出した『魔術』で築かれたこの国で、なぜ我らが虫けらのように殺され、その死さえも汚されねばならぬのか!」


「我らの流す血は、王族が啜るワインよりも価値がないというのか!」


積み重なった沈黙の悲鳴は、瞬く間に激越な暴動へと姿を変えた。虐げられてきた者たちは、手に手に農具や魔術精製用の作業具を取り、公爵邸へと雪崩れ込んだ。燃え盛る憎悪の炎が豪奢な屋敷を包む中、事件の元凶である三男は、彼らが「穢れ」と呼んだ者たちの手によって、自らが行った行為と同等の無残な最期を遂げた。


これに対し、王国政府と教会は「これは単なる暴動ではない、人族の秩序に対する公然たる宣戦布告である」と断じ、即座に徹底的な「清掃」を開始した。教会騎士団と王国正規軍の精鋭が王都へ突入し、魔族系の居住区を徹底的に破壊。老若男女を問わず、魔の血を引く者たちは力尽くで住処を追われ、その財産はすべて教会へ没収された。冬の嵐が吹き荒れる中、着の身着のままの難民たちが、死の行軍のごとく王都から放り出されたのである。


行き場を失った多くの難民たちは、かつて自分たちの先祖が切り拓いた南方の開拓領、あるいは魔生物の咆哮が聞こえる危険な「魔域」の境界線へと、唯一の希望を求めて逃れていった。


そして同年、冬。


南方ラブラス男爵領の最奥、魔那の霧が漂う隠れ里に留まっていた一人の男が、この惨劇の報を聞き、ついにその永い沈黙を破った。


男の名は、ラビス。


その瑞々しい外見は、二十代前半の青年のように見えたが、彼の体内を流れる時間は異質であった。生を受けてから既に五十年の歳月が流れていたのである。濃密な魔族の血、そして独力で魔術の深淵へと到達した絶大な力――それは、彼の細胞一つ一つを魔那によって固定し、不老に近い肉体へと昇華させていた。


ラビスは、王都から辿り着いた同胞たちの、凍傷で腐り、絶望で光を失った瞳を見た。傷つき倒れた子供たちの小さな手を見た。その瞬間、彼の心の中にあった「融和」という名の淡い期待は、冷徹な「革命」への決意へと塗り替えられた。


ラビスは立ち上がった。彼に従うのは、ラブラス領に逃げ延びた魔族系、獣族系の誇り高き民たち。彼は、自分たちを縛り付けてきた支配の鎖を自らの手で引きちぎるべく、怒涛の勢いで北上を開始した。


この蜂起は、単なる飢えた民の反乱ではなかった。ラビスの超常的な戦術眼と魔術能力に裏打ちされた高度な軍事行動であり、王国の腐敗した身分制度と教会の欺瞞を根底から覆すための「聖戦」であった。


進軍の最中、ラビスは全大陸の空に向けて、魔那の波動に乗せた宣言を発布した。後に「解放のレクイエム」として、あらゆる歴史書に刻まれることになる、魂の叫びである。


「我らの血は、断じて穢れではない!


我らの手に宿るこの力こそが、神々に捨てられ、精霊に放置されたこの世界を繋ぎ止めてきた、唯一の真なる希望である!」


「欺瞞に満ちた人族至上主義を粉砕せよ!


すべての血が、すべての種族が、等しく陽光を浴び、誰もが尊厳を持って生きる真の国を、我らの手で、この鉄の時代に築き上げるのだ!」


この熱狂的な言葉は、差別と弾圧に耐えかねていたオース大陸中の被支配層の心に、雷鳴のごとく突き刺さった。各地の採掘場で奴隷たちが枷を砕き、差別されていた獣族の戦士たちが部族の誇りを取り戻して立ち上がった。彼らは磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、ラブラス領の領都ラブラリアへと続々と集結した。


その軍勢、実に二十万。


人々は、絶望の淵から自分たちを引き上げた若き指導者に対し、かつて支配者が彼を蔑み、貶めるために投げつけた「魔王」という名を、至高の救世主への称号として、熱狂と共に乞い願った。


「ラビス……我らが王。真なる魔族の王。――『魔王』ラビス陛下!」


ここに、オース大陸の、そしてムンドゥス世界の歴史は決定的な分水嶺を迎えた。


ラビスは、人族が築き上げた偽りの秩序を破壊し、新たな理を刻む者――「魔王」としての宿命をその双肩に背負った。二十万の解放軍を率い、鉄の王冠を戴く腐朽した王都へと、その矛先を向けたのである。


雪降りしきるオースの冬空に、自由を求める二十万の雄叫びが響き渡る。それは、千年の沈黙を破り、新たな世界の産声を告げる「解放の詩」であった。


運命の歯車は、もはや神々ですら止めることはできない。魔王ラビスによる、王国の解体と帝国の産声が、今まさに大地を揺らそうとしていた。




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