距離を保ったまま近づく (アレクシス視点)
彼女に踏み込まない。
そう決めたはずだった。
あの庭での会話のあと、私は一度、公爵邸から距離を取った。
不要な接触はしない。
理解しようとしない。
彼女が引いた線を、こちらから越えない。
それが、礼儀であり、理性だと思った。
だが数日後、その理性は「別の形」で彼女の周囲に戻っていた。
「視察に同行してほしい?」
執務室で公爵からそう言われたとき、即答はしなかった。
「研究院の件だ。延命の可能性を含めた調査だが、娘は立ち会わない。
ただ、報告は聞く。第三者の目が必要だ」
第三者。
つまり、感情を交えない人間。
――都合がいい。
私は、そう判断した。
彼女に直接近づくわけではない。
彼女の選択を変えさせる気もない。
ただ、事実を確認するだけだ。
踏み込まない。
踏み込まないはずだった。
研究院は、静かで冷たい場所だった。
希望という言葉を扱いながら、最も感情を排した人間が集まる場所。
「成功例は?」
「極めて少数です」
「失敗した場合は?」
「魔力循環の崩壊、もしくは昏睡。
最悪の場合、余命を縮めます」
淡々とした説明。
数字と事例。
期待も、奇跡も、そこにはなかった。
――彼女は、これを知っている。
いや、知らなくても、予測していたはずだ。
「……本人の意思は」
「拒否されています」
その答えに、胸の奥で何かが静かに沈んだ。
合理的だ。
彼女の選択は、どこまでも合理的だ。
それなのに。
「なぜ、誰も説得しない」
口に出してから、失言だと気づいた。
研究員は、わずかに眉を動かした。
「我々は提案はしますが、意思決定には介入しません。
彼女は、すでに十分に理解しています」
理解。
その言葉が、妙に引っかかった。
理解しているからこそ、拒否している。
理解しているからこそ、期待しない。
――それは、本当に“引く”ということなのか。
その日の夕方、公爵邸に戻った私は、再び庭で彼女を見かけた。
偶然だ。
そう思いたかった。
彼女はベンチに座り、本を読んでいた。
人の気配に気づくと、顔を上げる。
「……また、偶然ですね」
そう言われて、言葉に詰まる。
「今日は、仕事です」
嘘ではない。
だが、十分でもない。
「そうですか」
それ以上、興味を示さない。
視線は、すぐに本へ戻る。
私は立ち去るべきだった。
そうしなかった時点で、すでに踏み込んでいる。
「研究院を見てきました」
彼女の指が、わずかに止まった。
「……それで?」
問い返しは、感情を含まない。
「あなたの判断は、正しい」
そう告げると、彼女はようやくこちらを見た。
驚きはない。
確認しただけ、という目。
「そう言われるために、行ったわけではありません」
「分かっています」
即答だった。
「あなたは、自分が納得したかっただけです」
核心を突かれ、言葉を失う。
「私は、説得しません」
続けて、彼女は言った。
「希望を見せることも、覚悟を問うこともしない。
それは、あなたの役目ではない」
冷たい。
だが、排除ではない。
「ただ」
一拍、間があった。
「“正しい”と確認したなら、もう十分でしょう」
それは、別れの言葉に近かった。
私は、ようやく理解する。
彼女は、誰かに踏み込まれる前に、
相手が踏み込む理由そのものを断っている。
同情。
責任感。
理解欲。
全部、不要だと。
「……一つだけ」
それでも、口を開いてしまう。
「あなたは、本当に一人でいいのですか」
彼女は、少し考えたあと、静かに答えた。
「一人でいることと、孤独は違います」
その声は、揺れなかった。
「私は、もう十分に誰かと生きました。
だから今は、一人で生きるんです」
それ以上、何も言えなかった。
引いたつもりで、
ただ一歩、深く踏み込んだだけ。
そして彼女は、
その一歩すら、正確に見抜いていた。




