彼女のいない前提 (アレクシス視点)
正直に言えば、最初は何も期待していなかった。
公爵家令嬢との縁談。
条件は申し分ない。家格、血筋、政治的な価値。
感情など、最初から考慮に入れていない。
それなのに。
「将来の話ができないからです」
あの場で、彼女がそう言った瞬間から、頭のどこかが静かに引っかかっている。
普通、断るなら別の言い方がある。
体調、準備不足、心の整理。
いくらでも取り繕えるはずだ。
だが彼女は、未来そのものを理由にした。
まるで、最初からそこに自分はいないと決めているように。
――余命一年。
その事実を聞いたのは、あの応接室を後にした直後だった。
公爵からではない。
医師と研究院の動きから、自然と察した。
腑に落ちた、という感覚だった。
だからこそ、理解できなかった。
なぜ彼女は、取り乱さない。
なぜ怒らない。
なぜ、誰にも縋ろうとしない。
自室に戻り、椅子に深く腰掛ける。
窓の外は、すでに夜だった。
「……達観しすぎだろ」
呟いてみても、答えは返らない。
彼女は、冷たかった。
それは事実だ。
だが、拒絶の仕方があまりにも理性的で、
そこに悪意がないことが、逆に厄介だった。
自分を守るためでもない。
相手を試すためでもない。
ただ、線を引いただけ。
「君の人生に、私は入らない」
そう言われた気がした。
――いや、違う。
「私の人生に、君を入れない」
その方が、正確かもしれない。
あの目を思い出す。
感情がないわけではない。
ただ、感情を人生の判断材料にしていない目。
同年代の令嬢のそれではなかった。
翌日、公爵邸を訪れる用事があった。
本来なら断るべきだったが、理由は自分でも分かっている。
確認したかった。
自分が感じた違和感が、気のせいではないことを。
庭先で彼女を見かけたのは、偶然だった。
白いドレスに、薄い外套。
風に揺れる銀髪。
誰かと話しているわけでもない。
ただ、庭を歩いている。
その姿は、不思議なほど「生きている人」に見えた。
病弱な令嬢、余命宣告された存在。
そうした前情報と、目の前の彼女が、どうしても一致しない。
「……リリアーナ様」
声をかけると、彼女は足を止め、振り返った。
驚きはない。
困惑もない。
「何か御用でしょうか」
あくまで丁寧で、距離を測る声。
「昨日の件について」
「もう終わった話です」
即答だった。
拒絶というより、処理。
過去として扱われている。
「それでも、聞きたいことがあります」
彼女は一瞬だけ考え、それから頷いた。
「短くお願いします」
条件付き。
「あなたは……怖くないのですか」
自分でも、ずいぶん直接的な質問だと思った。
だが、他に言いようがなかった。
彼女は少しだけ目を伏せた。
「怖くないと言えば、嘘になります」
その答えに、胸の奥がわずかに緩む。
だが、続く言葉は予想と違った。
「でも、怖いからといって、
誰かの人生を巻き込む理由にはなりません」
顔を上げ、こちらを見る。
「あなたは、この先も生きる人です。
私は、そうではない」
線を引く言葉。
容赦がない。
「それを理解した上で近づいてくるなら、
それは優しさではなく、自己満足です」
息が詰まった。
彼女は、逃げていない。
正面から突き放している。
「……冷たいですね」
思わず、そう漏れた。
彼女は首を横に振る。
「合理的なだけです」
「感情を切り捨てることが、合理的だと?」
「少なくとも、嘘をつくよりは」
それ以上、言葉が出なかった。
彼女は軽く一礼し、去っていく。
引き止める理由も、資格もない。
一人残された庭で、ようやく理解する。
彼女は、誰かに選ばれないために冷たいのではない。
誰かを選ばないために、冷たいのだ。
――それでも。
それでもなお、彼女を「放っておけない」と思ってしまった自分に、
少しだけ、苛立ちを覚えた。
恋ではない。
少なくとも、まだ。
ただ、理解できないものを、理解したくなっただけだ。
その欲求が、
彼女にとって一番、不要なものだと分かっていても。




