未来のない令嬢
社交界には、“噂が完成する瞬間”がある。
最初は曖昧だった話が、誰かの憶測を経由し、やがて事実より扱いやすい形へ変わっていく。
リリアーナ・エヴァレットについての噂も、最近はほとんど完成していた。
――余命一年の公爵令嬢。
――静かに最期を待つ美しい人。
――婚約候補の侯爵家次男は、義理堅い男らしい。
そこに本人の意思は、ほとんど含まれていない。
「素敵なお話ですわよね」
そう言った令嬢は、本気でうっとりしていた。
「悲恋って、どうしてこんなに人の心を打つのかしら」
リリアーナは、一瞬だけ瞬きをする。
――悲恋。
いつの間に、自分の人生は物語になったのだろう。
「そうね」
静かに返すと、相手はさらに声を弾ませた。
「アーシュ様も、きっと深く愛していらっしゃるのでしょうね。“限られた時間を共にする”なんて……まるで劇みたい」
劇。
その表現に、リリアーナは少しだけ可笑しくなった。
確かに、他人から見ればそうなのだろう。
死にゆく令嬢。
寄り添う婚約候補。
限られた時間。
整いすぎている。
だから皆、勝手に感動できる。
「でも、辛くありません?」
令嬢は急に声を落とした。
「愛しているのに、別れが決まっているなんて」
リリアーナはカップを持つ手を止めた。
愛している。
その前提が、どこから来たのか分からない。
「……恋愛小説が好きなのね」
「え?」
「現実と混ざってる」
穏やかな声だった。
だが令嬢は、その返答に戸惑ったように笑う。
「だって、アーシュ様はあんなに……」
「あの人は、優しいだけよ」
「でも!」
「それに、私は恋愛をする気がないもの」
空気が止まる。
令嬢の表情が固まった。
その反応を見て、リリアーナは内心で理解する。
ああ、この人は、“物語”が壊れると思っているのだ、と。
「え……でも、婚約を……」
「婚約候補でしょう?」
「それは、そうですけど……」
「未来を共有する気がない相手と恋愛するほど、無責任じゃないわ」
静かな言葉だった。
けれど、その場の空気を切るには十分だった。
令嬢は返事に困ったまま視線を泳がせる。
彼女には分からないのだ。
恋愛を“感情”ではなく、“未来の契約”として見ている人間の感覚が。
好きだから一緒にいたい。
それだけで進める人間ばかりではない。
リリアーナにとって恋愛とは、“残る側”を作る行為だった。
だから最初から選択肢にない。
そのとき、不意に背後から声がした。
「随分と夢を壊しているな」
振り返ると、アーシュが立っていた。
令嬢は明らかに気まずそうな顔になる。
「も、申し訳ありません……!」
「いや。君が謝る話ではない」
アーシュはそう言いながら、リリアーナを見る。
彼は会話を聞いていたのだろう。
「悪役みたいだった?」
リリアーナが言うと、アーシュは少し考える。
「いや」
「じゃあ何」
「現実的だった」
その返答に、令嬢がさらに困惑する。
慰めない。
否定しない。
“そんなことない”とも言わない。
リリアーナは少しだけ目を細めた。
「夢がなくて残念ね」
「夢を見せる必要はない」
アーシュは淡々と言う。
その答えに、令嬢は完全についていけなくなったらしい。
ぎこちなく挨拶をして、その場を離れていく。
静けさが戻る。
リリアーナは窓の外を見ながら、小さく息を吐いた。
「最近、“可哀想な恋物語”として消費されてる気がするわ」
「否定はできない」
「ひどいわね」
「事実だ」
アーシュは迷いなく返す。
リリアーナは少しだけ笑った。
この人は、本当に余計な慰めを言わない。
「あなたは?」
「何が」
「私を、そういう風に見てる?」
アーシュは少し黙った。
それから静かに答える。
「君は、未来を望まない人間だ」
否定も美化もない。
ただの観察。
リリアーナは、その言葉を聞きながら思う。
きっと彼は、まだ勘違いしている。
自分は未来を望まないのではない。
“自分が含まれる未来”を、当然のものとして扱えないだけ。
その違いは、案外大きい。




