選ばれる延命
研究院からの使者が公爵邸を訪れたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
応接室には、淡い薬草の香りが漂っている。
リリアーナは静かにカップを置き、向かいに座る研究者へ視線を向けた。
年若い男だった。
興奮を抑えきれていない目をしている。
「リリアーナ様のお身体について、ぜひご相談したく」
丁寧な口調。
だが、その奥には別の熱がある。
希望。
執着。
あるいは、研究者特有の探究心。
「新しい術式の理論が完成しつつあります。魔力循環への干渉が成功すれば、寿命の減衰速度を――」
「成功率は?」
リリアーナが遮る。
研究者は一瞬だけ言葉を止めた。
「現段階では、三割ほどです」
「副作用は」
「魔力器官への負担が考えられます。ただ、実例が少なく……」
「つまり、分からないのね」
静かな声。
責める響きはない。
ただ、事実を整理しているだけ。
研究者は言葉に詰まった。
彼は、もっと感情的な反応を予想していたのかもしれない。
藁にも縋るような期待。
あるいは、怯え。
だがリリアーナは違う。
可能性を可能性として扱う。
それ以上でも、それ以下でもない。
「それでも、試す価値はあります!」
研究者は思わず身を乗り出した。
「まだお若い。未来があります。諦めるには早すぎる!」
その瞬間、部屋の空気がわずかに静まる。
リリアーナは、ゆっくりと瞬きをした。
「諦めているように見える?」
「……え」
「私」
研究者は答えられない。
諦めているわけではない。
だが、生に執着しているようにも見えない。
その曖昧さが、彼には理解できない。
「私は、“生きたい”を否定しているわけじゃないわ」
リリアーナは穏やかに言う。
「ただ、“生き続けること”を前提にしていないだけ」
研究者は困惑したまま視線を揺らす。
そのとき、扉の近くに立っていたクラウスが低く口を開いた。
「……リリアーナ」
父親としての声だった。
静かだが、抑え込まれた感情が滲む。
「試してみる価値はある」
リリアーナは父を見る。
クラウスは娘から目を逸らさなかった。
「危険があっても、可能性があるなら――」
「お父様」
彼女は遮る。
「それは、“私のため”?」
短い沈黙。
クラウスの表情がわずかに硬くなる。
「当然だ」
「半分だけ正解ね」
リリアーナの声は穏やかだった。
「お父様は、私に生きていてほしい」
「ああ」
「でも同時に、“失いたくない”のよ」
クラウスは否定できなかった。
その通りだったからだ。
娘の未来を願っている。
だがその願いには、自分自身の恐怖も混ざっている。
残される恐怖。
失う恐怖。
リリアーナは、それを責めない。
人として自然な感情だと知っている。
「……私はね」
彼女は静かに立ち上がる。
「誰かの恐怖を背負って、生き続けたいわけじゃないの」
研究者も、クラウスも、言葉を失う。
リリアーナは窓辺へ歩き、外を見る。
庭の木々が風に揺れていた。
生きることは尊い。
その考えを否定するつもりはない。
けれど、“生き続けること”だけが正解になる瞬間を、彼女は怖れている。
延命が、希望ではなく義務に変わる瞬間を。
「少し考えさせて」
リリアーナは振り返らずに言う。
断るでも、受け入れるでもなく。
その曖昧さだけを残しながら、午後の光が静かに部屋へ落ちていく。




