08.何の戦いだよ
朝。
窓の前に立ち、差し込む光を正面から受ける。
ふはははっ。
進級してから、はや一週間。
俺の戦果はどうだ。
色とりどりの思い出が、頭に浮かぶ。
――最高だ。
俺の一日は、虹色に輝いている。
はーっはっはっは!!
バシン。
「うるさい!」
「私の推しがテレビに出てたのに!」
後ろから、妹にどつかれた。
「しおりちゃんの声が聞こえないじゃん!」
「てか朝からニヤけてんのキモいんだけど」
「戦果確認だ」
「知らんわ!さっさと学校行け!!」
テレビの音がかすかに残る。
『――本日の特集は――』
⸻
鏡の前で、氷室は立ち止まっていた。
制服のスカートの裾を、指先でつまむ。
少しだけ持ち上げて、位置を確かめる。
「……」
もう一度。
今度は、動きながら確認する。
一歩、踏み出す。
止まる。
視線を落とす。
「これなら、見えない」
小さく、息を吐いた。
昨日のことが、頭をよぎる。
倒れ込んだ感触。
近すぎた距離。
そして、
――水色。
「……っ」
顔がわずかに熱くなる。
手が、無意識にスカートを押さえていた。
「……偶然じゃない」
ぽつりと、呟く。
あの男は、見ている。
毎回、同じように。
同じ“タイミング”で。
「……読んでる」
視線を上げる。
鏡の中の自分と、目が合う。
「なら――」
手を離す。
ゆっくりと、姿勢を正す。
「読ませなければいい」
静かに、言い切る。
カバンを持つ。
ドアに手をかける。
そのまま、一歩踏み出した。
「今日は、見せない」
⸻
教室に着いた途端のことだった。
「これ、お願いな。」
「……へーい」
「はい」
俺と氷室は、職員室までプリントを運ぶよう任された。
束を抱えた氷室が、少し先を歩いている。
きっちり揃えた紙。
落とす気は、一切ない持ち方だ。
視線を、自分の束へ落とす。
『遠足のお知らせ』
……へぇ。
野鳥観察か。
色々見えそうだな?
「早く行くわよ」
外廊下に出ると、やわらかい空気が流れていた。
正門から流れ込んだ生徒たちが、
教室棟へ向かって一直線に進んでいる。
同じ制服の列が、途切れない。
その流れに逆らうのは、俺たちだけだ。
「でさー」
「えーそれってさ」
横から声が流れてくる。
「あぶねえ」
肩がぶつかる。
「ちょっ」
女子の声。
足が止まりかける。
「ちゃんと前見て――」
「まぁまぁ」
声が割って入る。
風間爽太。
軽く手を上げる。
「怒んないであげて」
少しだけ笑う。
「俺の友だちだから」
一瞬の間。
女子の表情がゆるむ。
「風間くんがいうなら」
「ありがとね」
そのまま、爽太がこっちを見る。
「おい勉」
「何してんだよお前」
「仕事」
「手伝おうか?」
「いらん」
「だろうな」
前を向くと、
氷室の背中は、先に進んでいた。
歩幅は変わらない。
だが。
すり抜ける。
一人。
また一人。
その全部が、当たらない。
「……」
何も起きない。
「……?」
氷室が振り向く。
一瞬だけ、目が合う。
氷室の口元が上がる。
「置いていくわよ」
「……っ」
足がわずかに止まる。
そして、そのまま足を急がせた。
⸻
ーーふふ。
あの江口の顔。
何も起きないのに、ね。
歩きながら、人の流れを視界の端で捉える。
教室へ向かう列は途切れない。
密度も、速度も、変わらない。
距離と角度を、静かに合わせる。
歩幅はそのまま。
ほんのわずかに、体の向きだけをずらす。
それだけでいい。
流れは自然に逸れていく。
当たらない。
崩れない。
問題ない。
口元が、やわらかくゆるむ。
(何もさせないわ)
そのとき。
「ごめん、通して!」
横から、割り込む影。
列の外から、斜めに突っ込んでくる。
予測にない角度。
バランスが崩れる。
「きゃっ」
⸻
ピコン。
来た。
ようやく、だ。
待ち侘びたぞ。
氷室の体が横に弾かれる。
足がもつれる。
体勢が崩れる。
そのまま、斜め後ろに倒れる。
重要なのは俺の位置。
狙うは――前。
スカートの開きの正面だ。
踏み込む。
――いける。
その瞬間。
氷室と目が合う。
微笑んだ。
「――なに!?」
体の向きが、変わる。
まずい。
この角度は――
⸻
(油断したわっ……)
横から割り込まれるなんて、想定していなかった。
視界がわずかに揺れ、そのまま体勢が崩れていく。
視界の端に、江口の姿が入る。
こちらに向かっている。
迷いのない動きだった。
(助けに来る気ね)
でも、それだけじゃない。
あの視線は、正面を捉えている。
――狙っている。
この角度なら、見える。
(そうはさせないわ)
そのまま息を止め、体に力を込める。
流れる勢いに逆らうように腰をひねり、落ちる向きを変える。
(これでいい)
一瞬だけ、江口と目が合った。
口元が、静かにゆるんだ。
⸻
……やられた。
抱えられている。
両腕で支えられ、体は完全に浮いている。
この姿勢。
通称――お姫様だっこ。
姫を守る王子による、何者にも見させない安心設計だ。
正面は完全に遮断。
角度も死角も、すべて潰されている。
一部の隙もない。
「危なかったな」
「プリントも落ちてない!」
「え、なに今、王子様?」
周りがざわつく。
「氷室、大丈夫か?」
爽太が覗き込む。
氷室は軽く息を整えて、
「……平気」
一瞬だけ、こちらを見る。
口元が、わずかに上がる。
「勝った」
「……負けた」
爽太がため息をつく。
「何の戦いだよ」
読んでいただきありがとうございます。
明日も同じ時間に投稿します。
次回も読んでいただけると嬉しいです。




