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第94話 冷気と熱意、そして新たな難題

魔導建柱車のデモンストレーションを終え、一行は再び先ほどの仮設天幕へと戻ってきた。


近衛騎士が天幕の入口の布をまくり上げた、その瞬間だった。

「……これは」


軍務局長ケッセルベルク公爵が、思わず足を止める。


分厚い布地で覆われた天幕の中は外光がほとんど入らず、先ほどまでは地図の文字を読むのも一苦労だった。


しかし今は、天井から吊るされた魔導ランタンが青白い光を放ち、室内を昼間のように照らし出している。


「先ほどの点灯で、天幕の中まで明るくなったのですね。これなら夜でも地図を広げられます」


ゼイブ伯爵が感嘆の声を漏らし、一行は明るくなった天幕の中へ足を踏み入れた。


そして、一歩踏み入れた瞬間だった。

誰もが思わず息をのむ。


つい先ほどまで、この天幕の中は川辺特有の湿気と熱気がこもり、一刻も早く外へ出たくなるような蒸し暑さだった。


それが今では、肌を撫でる風は驚くほど乾いて涼しい。


肌にまとわりついていた湿気はすっかり消え去り、王宮の氷室にも劣らぬ清涼な空間へと変貌していた。


「な、なんだこれは……!? 空気が、冷たい……?」


ゼイブ伯爵がハンカチを握りしめたまま狼狽える。


軍服の下で暑さに耐えていたケッセルベルク公爵も、肌に当たる冷気に唖然としていた。


そこへ、給仕役を務めていた近衛騎士のシャルロットが静かに銀のお盆を運んできた。


そこには、うっすらと白い結露をまとった、見るからに冷たそうな水の入ったガラス杯が並んでいる。


「どうぞ、殿下。冷たいお水でございます」


「ありがとう、シャルロット。……冷たくて美味しい!」


杯を受け取ったルシアン王子が声を上げる。


アリシア王女も驚きを隠せぬまま杯を口元に運び、ひと口含んだ瞬間に美しい瞳を限界まで見開いた。


「美味しい……。本当に冷えているわ。……シャルロット、あなた、私たちの為に天幕の中で冷却魔法を使い続けたの?」


「いいえ、アリシア殿下。私は、ここに水を持って来る際に、一度冷やしただけでございます」


シャルロットが真面目な顔で首を横に振ると、アリシアはさらに困惑して首を傾げた。


「魔法使いがいないのに、どうしてこの天幕の中だけがこんなに涼しいの? お水も冷えているなんて……」


黄色いヘルメットを被ったカイトは、トテトテと前に出ると、天幕の隅に設置された木の箱を小さな指でパシッと叩いた。


「アリシア殿下、ルシアン殿下! これもぜんぶ、さっきお外で見た『おっきな水車』の魔力で動かしてるんだよ!」


「水車の魔力を……ここに?」


「うん! 上で光ってるランタンだけじゃなくて、この箱の中にある魔石にも、送魔線から魔力を流してるの。風の魔石で空気を送って、冷たい魔石に当てることで、冷たくてサラサラな風がずーっと出てくるんだよ。そのお水もね、この箱の前に置いて冷やしておいたんだ!」


カイトが「魔導クーラー」の仕組みを説明すると、天幕の中は静まり返った。


「これほどの設備を、発魔機一台で動かしているというのか……」


ゼイブ伯爵が呆然と呟く。


部屋を明るく照らし、空気を冷やし、水を冷たく保つ。


それらは本来、高給の魔法使いを常駐させるか、山奥から切り出した氷を魔法で維持するしかなかった。どちらも王族や一部の大貴族しか維持できない贅沢である。


それが今、この天幕では川の水で水車を回しているだけで実現している。


誰も魔力を送り続ける必要もなく、昼も夜も関係なく動き続ける。


(……これは街灯だけの話ではないのね)

アリシア王女は静かに息をのんだ。


もし、この技術が王都へ広がれば。


街灯だけではない。冷房も暖房も、冷水も温水も、今まで一部の者しか使えなかった設備が、金さえ払えば利用できるようになる。


王都の商業も、人々の暮らしも、大きく変わるだろう。


ケッセルベルク公爵も腕を組んだまま、ゆっくりと頷いた。


「フェルメール子爵。これほどの動力が安定して供給できるなら、使い道は街灯や冷房だけでは済まんぞ」


「は、はい!」


「ならば、一刻も早く王都まで延ばさねばならん。予算は内務局と相談するとしても、この事業を止める理由はない」


ゼイブ伯爵も苦笑しながら頷く。


「ええ……これは、もはや街道整備という規模の話ではありませんね」


その場の誰もが、この事業の価値を改めて認識していた。


だが、その空気を壊すように、カイトが王国地図を見上げて首を傾げる。


「でもね、公爵のおじちゃん。ボクたちの計算だと、このやり方じゃ王都まであと六〜七キロのところで、明かりも冷気も全部消えちゃうんだよ」


「なんだと?」


「この地図を見て。王都に一番近くで水車を置ける場所はここなんだ。これから水車がどこまで魔力を運べるか街灯を伸ばして行くんだけど、前の実験だと三十個のランタンで一杯一杯だったんだ」


カイトが小さな指で地図の黒竜川をなぞる。


指先は、今の拠点を離れ、北へ向かって街道から大きく蛇行していく川の線の上を辿った。


「見て。今、水車を置いているこの辺りは、川とお道がとっても近いから何とかなったんだ。でもね……ここから先、川はあっちのバルザス山脈の方へ向かって、お道と離れちゃうでしょ?」


カイトが示す先を、ケッセルベルク公爵とゼイブ伯爵が真剣な面持ちで見つめる。


「水車を置けるような場所って、ここ……王都まであと八キロの地点しかないの。そこから一生懸命に送魔線を伸ばしても、王都まであと六キロのところで、魔力が足りなくなると思うんだ」


カイトは、少し悲しげに肩をすくめた。


「今のままじゃ、王都の明かりは、王都の入り口に着く前に力尽きちゃうよ」

「そんな……っ!」


エドが絶句し、ルシアン王子も地図に顔を近づけて、何度も何度も距離を確かめる。


「カイト、一番光ってほしい王都の広場まで、あと少しじゃないか! なんとかならないの?」


ケッセルベルク公爵は、こめかみに手を当てて深く深く溜め息をついた。

先ほどまで一気に王都まで光を延ばせると思っていた。その考えが甘かったことを、公爵は思い知らされていた。


(……こいつめ。期待させるだけ期待させておいて、肝心なところで壁を見せてきたか)


公爵は内心で毒づきながらも、同時に理解していた。カイトがこの問題を今ここで口にした以上、すでに次の手まで考えているのだと。


「……カイトよ。今ここでそれを言うということは、代案があるのだろう?その壁を越えるためには、どうすればよい? どのような『物理的な解』があるのだ?」


公爵の問いかけに、カイトは一瞬だけ「現場監督」の顔を見せた。


「うん。そのためにはね、この山を削って、川を止めて、ここに『湖』を造るしかないんだよ」


カイトが地図のバルザス山脈の麓を指差すと、天幕の中の空気が再び凍りついた。


本日もお読みいただき、ありがとうございました!

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