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第92話 熱気と緊張の視察開幕

王都から南へ続く街道の先で、もうもうと舞い上がる土煙が近づいてきた。黒竜川の拠点では、視察団を迎える面々が極度の緊張の中で整列していた。


先頭に立つのは、新たに子爵へ陞爵したアルベルトと、いつもの黄色いヘルメットを被ったカイト。その後ろには、レオンハルトたちフェルメールの護衛が油断なく目を光らせている。


さらに、特命室長としてすっかり精悍な顔つきになった内務局のエド、魔導具師のバッカスとゼノス。そして現場の職人を代表して、大工のプラタマと石工のダンが控えていた。


「……来るぞ。皆、絶対に粗相のないようにな」


アルベルトがゴクリと喉を鳴らして呟くと、エドが「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。普段は荒くれ者のプラタマやダンでさえ、今日ばかりは一番綺麗な服を着せられ、彫像のようにカチコチに固まっている。


「おじちゃんたち、ガチガチだねー」


カイトが無邪気に笑うが、大人たちに返事をする余裕はない。


やがて、土煙の中から豪奢な馬車の列がその全貌を現した。


先頭を進むのは、王家の紋章が輝く大型の馬車だ。

その周囲を、近衛騎士のアラン、シャルロット、デュランが騎馬で固め、鋭い視線で周囲を警戒している。


その後ろには、軍務局トップのケッセルベルク公爵とガイゼル侯爵が乗る重厚感を持つ黒塗りの馬車。さらにしんがりには、内務局トップであるゼイブ伯爵の馬車が連なっていた。


王族と国家の最高幹部たちが一堂に会した、軍隊の行軍を思わせる威容である。


ギィィ……と車輪が軋む音を立てて、馬車の列が仮設天幕の前に停車した。


「全体、気をつけッ!」


近衛騎士アランの号令が響き渡る。


彼が馬から素早く降り、恭しく先頭の馬車の扉を開けると、現場の空気はピンと張り詰めた。が、その極度の緊張は、次の一瞬で木っ端微塵に粉砕された。


「カイト!! どこ!? 重機どこにあるの!?」


アランが用意しようとした踏み台を飛び越え、ルシアン王子が馬車から勢いよく飛び出してきた。


目をキラキラと輝かせ、完全に『魔道具オタクの顔』になった第一王子が、護衛の制止を振り切ってキョロキョロと現場を見回す。


「で、殿下!? まだ公爵閣下たちも降りておられませんし、足場が泥で……!」


後ろから慌ててヴィクトルが飛び出してきて、ルシアンの肩を必死に押さえようとする。


「いいじゃないか! 僕はずっとこの日を楽しみにしてたんだ!」


王族らしからぬ振る舞いに、アルベルトやエドたちはぽかんと口を開けて完全にフリーズしてしまった。


「ルシアン。みっともない真似はおやめなさい」


馬車の奥から、涼やかで凛とした声が響いた。


ルシアンがピタッと動きを止め、ヴィクトルが青ざめて平伏する。


コトン……と、アランによって静かに踏み台が置かれると、そこへ美しいドレスに身を包んだ第二王女、アリシアが優雅な足取りで降り立った。


パチリ、と手にした扇を広げ、口元を隠しながらゆっくりと現場を見渡す。


静かに視線を巡らせるだけで、先ほどまでルシアンが弛緩させてしまった空気が、再び張り詰めた空気へと一変した。


「私たちはあくまで、国王陛下の名代としてこの『光の道計画』を視察しに参ったのです。王族としての品位を忘れるなど、言語道断ですわ」


「ううっ……ごめんなさい、姉上」


シュンと肩を落とすルシアンを横目に、アリシアは整列するアルベルトたちへ視線を向け、優雅に微笑んだ。


「フェルメール子爵。本日は出迎え大儀です。……さあ、私たちにあなたたちの成果を見せてちょうだい」


「は、ははっ! ありがたき幸せに存じます……っ!」


アルベルトが冷や汗を流しながら深く頭を下げる中、カイトは礼儀作法を思い出しながら、前に出て優雅にお辞儀をしてみせた。


「ルシアン殿下、アリシア殿下! ボクたちの現場へようこそいらっしゃいました!」


黄色いヘルメットを被ったカイトが満面の笑顔で元気よく挨拶すると、アリシアも満足げに目を細めた。


カイトの元気な挨拶に続き、後ろの馬車からケッセルベルク公爵やゼイブ伯爵ら高官たちが降り立つと、一行は視察用の仮設天幕へと案内された。

天幕の中には、王族が座るための豪奢な椅子と、大きな地図が広げられたテーブルが用意されていた。


ルシアン王子とアリシア王女が上座につき、その両脇を公爵や伯爵たちが固める。


しかし、全員が席についた直後から、天幕の中には重苦しい空気が漂い始めた。

理由は単純だった。――夏のまとわりつくような、ジメッとした熱気である。


分厚い布地で作られた天幕は、直射日光こそ遮るものの、風通しが悪く、川辺特有の湿気をたっぷりと溜め込んでいた。まるで蒸し風呂の中にいるような不快な熱さだ。


「少々暑いですわね…」


アリシア王女は表情こそ優雅に保っているものの、パタパタと扇を動かす手がわずかに速くなっている。


その横で、ゼイブ伯爵は首筋を伝う汗をハンカチで何度も拭い、ケッセルベルク公爵も分厚い軍服の下でじっと暑さに耐えていた。


(ひぃぃ……皆様、暑さで不機嫌になっておられる……!)


室長のエドは、すでに極度の緊張状態にあるうえに、この暑さで、今にも倒れそうなほど滝のような汗を流していた。


「え、ええと……それでは、本日の視察工程についてご説明いたします……っ」


エドが震える手で地図を指し示す。


「現在我々がいるのは、黒竜川沿いのこの拠点です。こ、ここから王都へ向かう北側の街道沿いに、約九百メルにわたって三十基の『魔導ランタン』を試験的に設置いたしました……っ」


「九百メル……」


アリシアは扇をゆっくりと動かしながら、地図上の距離を正確に推し量るような視線を向けた。


「カイト。以前あなたは、王都の街灯三百本を魔法使いを使わずに灯すと言ったわね。王都まではここからまだ十キロ近くあるわ。この九百メルの設備を、このまま王都まで繋げていくつもりなの?」


彼女の言葉は、単なる感想ではなく明確な実用化への問いだった。軍務局長のケッセルベルク公爵も、その鋭い指摘に目を細めてカイトを見る。


カイトはヘルメットを揺らし、コクリと頷いた。


「アリシア殿下、実はね、このままじゃ王都までは届かないんだよ」


「……届かない?」


ゼイブ伯爵が怪訝そうに眉を寄せる。


「うん! だからこれから、その『届かない理由』と、ボクたちが作った『おっきな水車』をみんなに見てもらうの。ルシアン殿下、見たいでしょ?」


カイトが満面の笑みでルシアンに問いかけると、暑さで少しぐったりしていた王子の瞳に、再び理系の炎が灯った。


「見たい! 川の力だけで魔力を生み出す機械、早く見せてよ!」


ルシアンが勢いよく立ち上がると、カイトも「じゃあ、外に出よっか!」と案内を始めるのだった。


本日もお読みいただき、ありがとうございました!

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