第91話 視察前日のラストスパート
試験を終えると、一行は明日の視察に向けた準備に取り掛かった。現場では軍務局が王族用の天幕を設営している。以前、オデール工事の視察で使われたものよりも、ひと回り豪奢な造りだった。
船形水車へ渡るため、岸から船まで太い角材で仮設桟橋が組まれ、両脇に手すりを付ける工事が行われている。また、視察路には泥で靴が汚れないよう、王族が歩く場所だけ板が敷かれていた。
その横では近衛騎士のシャルロットとデュランが警備範囲を確認し、立哨位置を決めていた。
「あっ、そうだ。シャルロットお姉ちゃん、視察の時って、お水はいつ持ってくるの?」
「視察の途中でお出しする予定だけど?」
「じゃあ、明日はそれを冷たくしておくね!」
シャルロットは首を傾げた。
「冷却魔法を使うの?」
「ううん。もっと簡単な方法だよ」
そう言ってカイトが天幕へ向かおうとした、その時だった。
「カイト!」
「あ、パパ。昨日は移動テストありがとう」
「そんなことより、明日は本当に大丈夫なのか?」
アルベルトは心配そうに周囲を見回した。
「明日は王太子殿下と第二王女殿下がお見えになるんだろう? 失礼があってはならないぞ」
「だいじょうぶだよ。だから今、最後の準備をしてるんだ!」
「明日の服は準備してあるのか?」
「だいじょうぶだよ。アンナお姉ちゃんが普通のシャツ準備してくれたから」
「そうか……じゃ、分かった。邪魔はしない。頑張れ」
アルベルトは少し名残惜しそうだったが、カイトはそのまま天幕の中へ入った。
(あんなヒラヒラで現場に出たら、機械に巻き込まれるじゃろ。昭和の現場なら親方にパイプレンチでドツかれるレベルの服装じゃ。勘弁して欲しいわい)
机や椅子が所定の位置へ運び込まれ、説明用の地図も広げられていく。その様子を一通り見渡したカイトは、小さく頷いた。
「ねぇ、エドお兄ちゃん。天幕の中にも送魔線を一本引いておいて!」
手元の書類束に目を通していたエドが、不思議そうに顔を上げた。
「……天幕の中にもですか?」
「うん! 図面を見る時に暗いと困るでしょ? 真ん中にランタンを一個ぶら下げようよ!」
「なるほど。確かにあると便利ですね、では手配しておきます」
エドは納得したように頷き、羽ペンを走らせた。
「それとね、見てもらう順番なんだけど……最初はこの天幕で時間まで待っててもらうの」
「はい。まずはここでお待ちいただくんですね」
「時間になったら外へ出てもらって、水門を開けるでしょ? それで発魔機が動いて、街灯が一斉に光るところを見てもらうの!」
「ふむ……そこが今回の目玉というわけですね」
「そのあと、もう一回この天幕に戻ってもらうんだ。さっきまで暗かった天幕も明るくなってるから、そこで地図を見ながら『さっき見たのがこれだよ』って説明するの。最後に『ズボットホール』を動かして終わり!」
「なるほど……最初に暗さを見てもらうからこそ、違いがよく分かるんですね。承知しました。警備担当にもその流れで伝えておきます」
エドが天幕から出て行ったのを見送ると、カイトは被っていた黄色いヘルメットを外し、手でパタパタと顔に風を送った。
「ねえ、この天幕少し暑いよね」
「まあ天幕の中なんて、みんなそんなもんだろうよ」
向かいの椅子にドカッと腰を下ろしたバッカスも、忌々しそうに額の汗を拭った。外の熱気が厚い布地に遮られ、中はむっとした空気が淀んでいる。
「でね、お願いがあるの。こんなの作れないかな」
そう言ってカイトは、作業着のポケットから丸めた植物紙を取り出し、テーブルの上に広げて見せた。
「はぁ? なんだこりゃ」
バッカスが身を乗り出し、怪訝な顔で図面を覗き込む。
「木の箱の中に……後ろに『風』の魔石、手前に『水』の魔石か? こんなの王都の魔石屋に行きゃあ、売ってるんじゃねえか?」
ただ魔石を二つ並べただけの単純な構造。拍子抜けしたように言うバッカスに対し、カイトはあざといほどの無邪気な笑顔で首を傾げた。
「じゃあ、すぐ作れちゃうよね」
「待て待て」
バッカスは図面の一点を指でトントンと叩き、眼鏡の奥の目をスッと細めた。
「この底にある『受け皿』と、そこから箱の外へと伸びる『細い管』は、鍛冶屋に板を加工してもらわなきゃならねえぞ。……おい坊主、まさかお前、空気中の『水』を凍らせて捨てる気か?」
バッカスが信じられないものを見る目で問い詰めると、カイトは当然のように頷いた。
「うん、そうだよ。さっき鍛冶屋のおじちゃんに頼んでおいた」
「………。ちゃっかりしてやがるな。……おいゼノス、水と風の魔石持ってるか?」
完全に職人の顔に入ったバッカスが、隣で控えていた弟子を振り返る。
「水と風ですか? 四級と五級なら両方ありますけど」
ゼノスが腰の革袋を探りながら答えると、バッカスはバンッと軽く机を叩いた。
「おう、じゃあ、風は五級でいいや。それに『送風』の刻印打ってくれ」
「あ、ゼノスおじちゃん、お外の送魔線から魔力をもらうから『連環』入れておいてね」
カイトが横からすかさずインフラ用の仕様を付け足す。
「はいはい、連環ですね。分かりました」
「じゃあオレは、四級の水魔石で『冷却』の回路を作っとくよ」
バッカスが図面をひったくるようにして立ち上がると、二人はテントの外へ向かって歩き出した。
こうして、王族を迎える準備は、細かな演出に至るまで抜かりなく進められていった。
本日もお読みいただき、ありがとうございました!
書いてて会社にお客さんがくる前日を思い出しました(汗)
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