第79話 泥靴村の「量産」革命
泥靴村に帰った領主アルベルトの執務室には、重苦しい空気が漂っていた。
「……アルベルト。お前、我が孫がこれから国家レベルの機密を扱うことになるというのに、丸太の柵で本当にいいと思っているのか? 万が一、カイトに何かあったらどうするつもりだ。村を石壁で囲え!」
「全く同感だ。この道は今や我が派閥の物流の心臓部。街道の流れを止めてはならん。しかし村は別だ。通過する荷馬車と、村へ入る者を同じ門で扱うから混雑する。村の正門を新たに設け、入村する者はすべて記録せよ。荷馬車も積荷も例外なく検査だ!」
机の前に立つのは、間もなく行われる村人たちへの『フェルメール子爵陞爵の披露』に、立会人ならびに後見役として同席するため立ち寄ったベルノー子爵とハルバード伯爵だった。
二人は揃ってアルベルトを見下ろし、容赦なく圧力をかけている。
「し、しかしお義父様! ハルバード伯爵! あの柵は昨年建てたばかりなんです。 それに村の周囲をぐるりと石壁で囲うなど、もはや城塞都市の規模です! そんな大工事を賄う予算など——」
「予算は問題ありません」
部屋の隅で帳簿をめくっていたクラークが、冷静に口を挟んだ。ハルバード伯爵から派遣された内政官だ。
「水準器の校正料に、美容泥パックやスライダー巾着の売り上げ。さらに新街道の通行料と、宿場町や温泉旅館の利益が現在も爆発的に増加しています。その上、国からの治水工事の報奨金やインフラ整備の援助金まで加わり……控えめに言っても、現在のフェルメール家には『危険なほど』の資金が集まっております」
「ちょ、危険……?」
「はい。ただでさえ目立つ新技術の宝庫である上に、これほどの富を抱え込んでいるとなれば、野盗や他領からの標的になりかねません。溢れかえる資金は『防衛と投資』に回さねば、ただの危険な火種です」
クラークの言葉に、アルベルトは絶句した。
背後から大貴族二人に睨まれ、正面から有能な内政官に「もっと金を使え」と言われる。完全に包囲された形だ。
「……わ、わかった。石の城壁工事の件は、承認する。村の正門から手配してくれ」
アルベルトは、泣くような顔で決裁書に判を押した。
ーーそんな領主の涙ぐましい胃痛の連鎖など知る由もなく。
泥靴村の鍛治工房では、バルカスが似合わない精密作業に悪戦苦闘していた。
事の発端は数日前。カイトが置いていった図面の中に、一つだけ妙な依頼が紛れ込んでいた。それは、『完璧な精度で、一本のボルトと、一個のナットを作ってほしい。その一本は道具にする』というものだった。
「あのね、バルカスおじちゃん! 馬車に『もーたー』をくっつけるのに、おっきくて強い『らせん』がいっぱい いるんだよ!」
「もーたー? また変わったもん作ったんだな、坊ちゃん」
「うん、グルグル回る魔法の道具なんだ。でも、それを鉄の板にガッチリ止めておかないと、本体の方もグルグル回っちゃうの。それで前に『らせん』って言ってたのを作って欲しいんだ!」
「『らせん』……ああ、ネジだな。ウチの万力にも使ってみたが、めちゃくちゃ便利だってのは分かった。ただな、ネジってのは一本一本、手作業で削り出すもんだ。同じ物を何本もホイホイ作れるような代物じゃねぇぞ、坊ちゃん」
「うん! だからその現物合わせで、一番かたーい鋼を使って、気合いを入れて一本のボルトと、それにピッタリ合うナットを削り出して!」
「いや、さっき『いっぱいいる』って言わなかったか?」
「いっぱい いるよ。だから、その一本は『ネジを作る お道具』にするんだよ」
――そう言われてやり始めたものの、この『最高の一本』を作るのは至難の業だった。
バルカスは工房の一角に作業台を構え、弟子たちと一緒にひたすら一本のネジと向き合った。
何しろカイト曰く、一番硬い鋼で作らなければならない。何日もヤスリと格闘し、目を血走らせながら、ようやく精度の高い一本のボルトと一本のナットを削り出した。
弟子たちも固唾を呑んで、その様子を見守っていた。
そしてカイトの置いて行った図面には、その一本が出来た後の工程も書かれていた。
「縦溝」をヤスリで数本削り込み、焼き入れをしてカチカチに硬くする――。
バルカスは訝しみながらも、図面通りにその「最高の一本」のネジ山をヤスリで削り、縦に数本の溝を刻み込んだ。そして炉で真っ赤に熱し、一気に水に入れて焼き入れを行う。
カーン、と甲高い音が鳴るほどカチカチに硬くなったソレを見て、バルカスは首を傾げた。
「坊ちゃんに言われた通りに作ったが……せっかく綺麗に作ったネジ山にこんな縦溝を入れたら、スカスカで使い物にならねえぞ?間違ってないよな?」
バルカスは図面を広げ、隣で見守っていた弟子へ視線を向けた。
「はい、ちゃんと縦溝を入れろって書いてあります、親方!」
「そうか。で、これが終わったら次の指示はなんて書いてある?」
バルカスが図面を弟子へ差し出すと、弟子は紙に目を走らせた。
「今度は『その鋼と同じ径のふつうの鉄の棒』を、その溝のあるナット(ダイス)に入れて、斜めに曲がらないように注意しながら回すそうです!」
「普通の鉄の棒を……? こうか?」
バルカスが半信半疑で、万力で固定した鉄の棒にダイスを押し付け、持ち手をつけて力任せに回し始める。
ギギギ……ッ!
硬い鋼で作られたダイスのネジ山が、柔らかい鉄の棒に容赦なく食い込んでいく。そして、削り取られた鉄のカスが、カイトが指示した『縦溝』を通ってポロポロと外へ排出されていった。
「なっ……鉄のカスが逃げて……ネジ山があっという間に刻まれていく!?」
「まさか!」
今度は鉄板に開けた下穴へ、タップを慎重にねじ込んでいく。
ギリッ……ギリギリッ。
タップは滑らかに食い込み、鉄板の穴に寸分違わぬネジ山を刻んでいった。
バルカスは無言のまま、次々と鉄の棒と鉄板にネジを切っていく。
あっという間に完成した、十本のボルトと十個のナット。
バルカスは震える手で、適当に取ったボルトに、適当に取ったナットを嵌め込む。
――スルスルッ、カチッ。
全く引っかかることなく、完璧に噛み合った。慌てて別のボルトに別のナットを変えても、結果は同じだった。
「……ありえねぇ。ネジってのは現物合わせで作る『夫婦』だ。どれを手に取っても、別のナットがこんなにピッタリ噛み合うなんて……」
「親方、これなら一個ずつ削らなくても、同じサイズのネジがいっぱい作れますよ! 壊れても同じネジを入れ替えるだけで直せるんじゃ……とんでもないことが起きてる気がします!」
「ああ、とんでもねぇ……!」
『えへへ〜簡単でしょ?』
あのときのカイトの無邪気な笑顔が脳裏によみがえり、バルカスは背筋に冷たいものが走る。
(同じ寸法の部品が、いくらでも作れる。修理ではなく、交換するだけで良いっていうのか……!?)
鍛冶職人として積み上げてきた常識が、ガラガラと音を立てて崩れていく。バルカスはハッと我に返り、弟子たちを振り返った。
「お前たち、今の工程を最後まで見たな?」
「「「はいっ!」」」
「よし。今すぐ色んな太さのボルトとナットを作り始めろ! この道具が本物なら、もう一本一本削る時代は終わりだ!」
バルカスは工房の片隅にある積み上げられた『現物合わせで作った過去のネジ』をマジマジと見つめた。
「坊ちゃん……あんた、本当に恐ろしいガキだよ……」
バルカスはタップとダイスを、まるで国宝でも扱うように震える手で箱へ収めた。
そしてここにまた一つ、フェルメールの資金を更に増やす財源が生まれた。
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