第7話 ノートン領の地形と「お馬さんの悲鳴」
黒竜川の最も上流に位置するこの領地は、王都の東にそびえる『バルザス山脈』の険しい山肌が川にせり出した、急峻な地形をしている。
八頭立ての軍用馬車という圧倒的な馬力があったからこそ、この曲がりくねった急な山道を登り切ることができたが……。
「ブルルルルッ……! フシューッ……!」
到着した八頭の軍馬たちは、全身から滝のような汗と白い湯気を立ち昇らせ、今にもその場にへたり込みそうなほど荒い息を吐いていた。
そんな馬たちの異常な疲労など気にも留めず、出迎えたノートン子爵は揉み手をしながらルドルフ大佐に擦り寄った。
「おお! ルドルフ大佐殿、お待ちしておりました! さあ、ご覧くださいませ!」
ノートン子爵は、バルザスの山肌の間を縫うように流れる眼下の黒竜川を自慢げに指差した。
「この通り、我が領地のポイントは川幅が最もギュッと狭くなっております! しかも両岸は極めて硬い岩盤! 橋の長さ(スパン)は短くて済みますし、基礎もカッチリと固定できます! 早く、そして安く強固な橋を架けるなら、我が領地をおいて他にありませんぞ!」
「ふむ……」
ルドルフ大佐は腕を組み、眼下の地形を見下ろして頷いた。
「確かに、架橋工事のポイントとして見ればこれほど理想的な地形はない。短い橋なら資材も少なくて済むし、増水時もここまでは届かんだろう」
ノートン子爵の顔が明るくなる。
だがその足元で、カイトはゼェゼェと息を切らしている八頭の軍馬をジト目で見ていた。
(……やれやれ。橋を架ける『だけ』なら、確かにここは百点満点じゃ。だが、今回欲しいのはただの橋じゃない。ドミナリア連邦に対する『巨大な兵站ルート』なんじゃろ?)
カイトはパッとあざとい笑顔を顔に張り付けると、ルドルフ大佐の軍服の裾をクイックイッと引っ張った。
「大佐のおじちゃーん! あのね、ここに橋をつくったら、お馬さんたち、みんなお山で、たおれちゃうよ!」
「……なんだと?」
ルドルフ大佐が眉をひそめて見下ろす。
「ご子息殿、我々は軍の作戦行動中だと言ったはずだが?」
「だって、見てよ!」
カイトは小さな指で、泡を吹いている軍馬たちをビシッと指差した。
「一番 強いお馬さんが、このお山を登ってきて、あんなに ハァハァしてるよ?あんなにグネグネした道で、食べ物を馬車に いっぱいつんだら、お馬さんが、大変!」
「なっ……! こ、この子供は何を適当なことを! 大佐殿、このような子供の戯言に耳を貸す必要は――」
「戯言ではありません! 彼の言う通りです、大佐!」
ノートン子爵の言葉を遮ったのは、後ろで控えていたコンラッド中尉だった。
彼はカイトの言葉の裏に隠された致命的な兵站の欠陥に気づき、ハッと息を呑んで進み出た。
「大佐、ここは『橋そのもの』の条件は最高ですが、カイト君の言う通り、そこに至るまでの『アクセス』が最悪です。有事の際、重い物資を積んだ重馬車が何百台もこの山道に殺到すれば、登りきれない馬が続出して大渋滞を引き起こします!」
「……ッ!」
ルドルフ大佐の顔つきが、軍人のそれに変わった。
「つまり、コンラッド中尉。ここは橋を架ける場所としては良いが……」
「はい。橋をかける前に、ここまでの山道をどうにかしない限り『兵站ルート』としては失格です!王都からの部隊がバルザス山脈で立ち往生し、兵站が繋がりません!」
コンラッドが断言した瞬間、ノートン子爵が「そ、そんな馬鹿な……」とへなへなと膝をついた。
「すごいね、コンラッドおにーちゃん! カイトの言いたいこと、ぜんぶ わかってくれたー!」
カイトが無邪気に笑いながら拍手をする。
ルドルフ大佐は、兵站ルートとしての致命的欠陥を暴いた六歳の子供を見つめていた。
「……なるほど。公爵閣下が、この子供を名指しで連れていけと言った理由が、少し分かった気がするな」
ルドルフ大佐はカイトに向けた冷たい視線を少しだけ和らげると、全軍に向けて号令を下した。
「本日の視察はここまでだ! 馬を休ませるためにも、今夜はこのノートン領で夜営し、明日の早朝、次の候補地である『バートン子爵領』へ向かうぞ!」
「はっ!」
コンラッドと工兵たちが一斉に敬礼する。
「お、お待ちください大佐殿! 失格などと仰らず、ぜひ我が館へ! 橋の長さは短くて済むのです! 私がまだお伝えしきれていない魅力が、山ほどございますぞ!」
すかさずすがりついてくるノートン子爵。彼は首の皮一枚繋がった希望を胸に、利権を求めて必死に食い下がる。
(……やれやれ。こりゃあ今夜は、この領主の暑苦しい猛アピールを延々と聞かされるハメになりそうじゃな)
カイトは密かに深いため息をついた。
結局、一行は野営を諦め、子爵の案内に従って彼の館で一泊することとなった。
ところが、その館へと案内される道すがらのこと。
道端に転がっている石をカイトが何気なく蹴った。
重さを感じない妙な感触に、カイトの目が止まる。彼はその石をひょいと拾い上げた。
(……ん? こりゃ『軽石』だな。この辺りは硬い岩盤ばかりじゃが、昔の火山活動で吹き飛ばされて来たんじゃろうな……)
列から少し外れて周りをみると、崖下の切り立った谷間の方に、同じような穴だらけの石がゴロゴロと大量に吹き溜まっているのが見えた。
そんな昭和の土木親方の様子に気づいたセシリアが、扇子をパタンと閉じて声をかけてきた。
「泥んこボーイ。何かありまして?」
カイトは慌てて六歳児の顔を張り付けると、拾い上げたばかりの軽石を彼女に向けて差し出した。
「あ! セシリアおねえちゃん! あのね、あそこにいっぱい『かるいし』が落ちてるの!」
「かるいし、ですの? ただの穴だらけの石ころじゃありませんの……」
セシリアは怪訝な顔でカイトの手からその石を受け取った。
しかし、その異様な軽さと、表面の絶妙なザラザラ感を指の腹で確かめた瞬間――彼女の動きがピタリと止まった。
「……ま、待ちなさい。……そうですわ、王都の古い美容の文献で読んだことがありますわ! 貴婦人たちが、これで踵の固くなった皮膚を擦り落としていたという……!」
それまで、馬車酔いで死んだ魚のような瞳だったセシリアに、商売人の光が点灯した。
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