第6話 母の逆鱗と、最強の暗殺者
王都での軍務局との会合を終え、フェルメール領の屋敷へと帰還したアルベルト。馬車から降りた彼を、妻のエレナがいつものような温かく優しい笑顔で出迎えた。
「あなた、お帰りなさいませ! 王都での会議、お疲れ様でした。……あら?」
エレナはアルベルトの背後を覗き込むと、不思議そうにコテンと首を傾げた。
「カイトはどうしたの? 別の馬車で帰ってきているのかしら?」
無邪気に愛息の姿を探す妻の姿に、アルベルトは思わずダラダラと冷や汗を流し、気まずそうに視線を泳がせた。
「そ、それがだな、エレナ……。カイトは、その……軍の視察に、軍務局長閣下の直々の指名で連れて行かれてだな……」
「…………は?」
その瞬間。エレナの顔から、ふっと一切の表情が消え失せた。
周囲の空気が、急激に冷え込んでいく。
「あなた、王国軍にまだ六歳の子供を置いて来たと言うの!?」
「ち、違うんだ、エレナ! ケッセルベルク公爵の、いや、軍からの絶対の命令だったんだ! もし逆らえば、我が家はおろか、カイト自身の身がどうなるか……っ!」
アルベルトは必死に弁明した。
「私もただ黙って頷いたわけじゃない! なんとかカイトの身の回りの世話役という名目で、王都別邸のセシリアとアンナの二人を視察に同行させるよう、必死にねじ込んだんだ。軍の決定を覆せない以上、私にはそうするのが精一杯だった……!」
「……つまりあなたは、『軍の都合』を、我が子の命より優先したと? あの二人をつけたくらいで、軍の監視下にあるあの子が安全だとでも?」
「いや、決してそんなつもりは……! ただ、視察中は軍が全責任を持ってカイトを守ると言ったし、セシリアとアンナがいれば、少しでもあの子の負担が減るだろうと……」
アルベルトの「苦渋の決断だった」という弁明も、完全に火に油を注ぐ結果となった。
エレナの纏う空気が、心配性の母親のものから、冷徹なるベルノー子爵家の令嬢へと完全に切り替わる。
「いいですか!? 軍がわざわざそんな危険な場所へあの子を連れ出すんですよ!? ただの『視察』だけで解放されると思っているのですか!?」
「そ、それは……」
「あの子の知識と魔法を、一番危険な現場でいいように利用するつもりに決まっています! しかも、すでに出発しているとなれば、今から護衛の馬車を走らせても道中での合流は至難の業……!」
「……分かりました。あなたが頼りにならないなら、私のやり方であの子を守ります」
「エ、エレナ……? 何をする気だ……?」
「決まっています。実家の『最強』を動かします」
エレナが冷たい声でパチンと指を鳴らすと、屋敷の影から、護衛をしていたはずの男が、音もなく床に膝をついた。
ベルノー家から護衛としてフェルメールに貸し出されている凄腕の暗殺者、チャドである。
「チャド。あの子が視察から戻り次第、派遣先を割り出しなさい。そして軍の連中には絶対に気づかれず、カイトの背中を守り抜きなさい」
「御意。あの、エレナ奥様、私の名はシャドウで……」
「良いですかチャド。カイトに害をなす者は、それが連邦の兵だろうと、王国の貴族だろうと……『排除』を許可します」
「えっ、ちょ、エレナ!? 待て、南は今、軍の厳戒態勢だぞ! 正体不明の私兵がウロウロしていたら、それこそカイトの立場が……!!」
妻のガチすぎる暗殺者派遣に青ざめたアルベルトが必死に止めようとするが、エレナはすでに次の行動へと頭を切り替えていた。
「チャドはそう簡単に尻尾を出しません。ですが……これだけでは足りませんね。軍という巨大な組織が相手では、裏からの護衛だけではなく、表立ってあの子の生活を守り抜く盾が必要です」
エレナはパチンと扇子を閉じると、アルベルトがたった今降りたばかりの馬車へと振り返った。
「ガラム! 馬を替え次第、そのまま北西へ向かいます。準備なさい!!」
「エ、エレナ!? どこへ行く気だ!? ていうか、私が今乗って帰ってきたばかりの馬車なんだが!?」
「決まっています! 実家の『クララ』を引っ張ってきます!」
「えっ、片道二日かかるぞ!? それにクララ殿といえば、今はもうベルノー家の筆頭メイドじゃないか! お義父様が手放すのを渋るんじゃ……」
「渋る? いいえ、逆です」
エレナは氷のような、それでいて頭痛を堪えるような表情でピシャリと言い放った。
「可愛いカイトが軍に連れ去られ、危険な国境付近に行かされると知れば……あの『孫バカ』のお父様のことです。『ワシも行く!!』と叫んで、ベルノーの私兵団を総動員して南へ進軍しかねません」
「……っ!! あ、あり得る……!!」
容易に想像できる義父の暴走に、アルベルトは今日一番の冷や汗を噴き出した。
「ですので、私が直接出向いてお父様を物理的に抑え込み、クララ『だけ』を確実に連れ出します。軍の視察現場にベルノーの私兵団が乱入などしたら、それこそカイトの立場がなくなりますからね。……では、行ってきます!」
「お、お願いだエレナ、絶対にお義父様を止めてくれ……!!」
有無を言わさぬ勢いで馬車に乗り込み、屋敷の敷地を駆け去っていく妻。
ありありと浮かぶ義父の暴走に、アルベルトはただただ、義父がおとなしく鎮圧されることを祈るしかなかった。
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