第5話 軍の特装馬車と現場の流儀
軍務局の正面玄関には、八頭立ての巨大な軍用馬車が二両、物々しい威圧感を放って停まっていた。
一つは護衛の兵士や工兵たちが乗るためのもの。 そしてもう一つは、軍務局長が用意させた、カイトを乗せるための馬車である。
(うおお……軍の特装馬車か。こりゃまたすごい馬車が出てきたのう)
カイトが内心でカッカッカッと笑って見上げていると、先導していたルドルフ大佐が振り向き、厳格な顔つきで冷たく言い放った。
「そこの世話役の女たちにも言っておく。応接室で閣下も仰られていたが、我々は軍の作戦行動中だ。くれぐれも、このご子息が馬車の中で大人しくしているよう言い含めておけ。勝手な真似をして、我々の任務の邪魔をしないことだ」
「……っ!!(せ、世話役の女ですって……!? わたくしを誰だと……!)」
名前すら呼ばれず、単なる「子供のお守り」扱いされたセシリアが、扇子を握りつぶしそうになる。アンナが慌ててその背中をつねって爆発を止めた。
「た、大佐! お言葉が過ぎます!」
ルドルフ大佐の背後から、慌てて進み出てきた若い武官がいた。 その顔を見た瞬間、カイトの目がピクッと動いた。
(おや……? こやつどこかで見た顔じゃな。何処……ああ、思い出したぞい。罠を仕掛けた旧道の工事の時に、人足として来ておった奴じゃ。なるほど、公爵が街道で変な視線を送ってきよったのは、こやつが公爵と内通してたからなんじゃな!)
「や、やあ、一応、初めましてかな。カイト君……。今回の調査実務の責任者を務める、工兵武官のコンラッド中尉だ」
コンラッドは引きつった笑顔で名乗った。
「ん? コンラッド中尉、貴様、この子供と面識があるのか?」
ルドルフ大佐が訝しげに眉をひそめる。
「いえ、局長がフェルメール領の街道工事の視察に伺った際、随員として後ろから見ておりました……」
コンラッドは上官に曖昧に答えながらも、その背中には滝のような冷や汗をかいていた。
(いや〜、不味いなぁ。完全に潜り込んだのバレちゃってる感じかな。まさか局長閣下のご指名で今回の視察に同行するなんて……! 助かる反面、また何をしでかすか分かったもんじゃない!)
カイトの監督としての実力と、何より侯爵まで泥に沈めた恐ろしさを骨の髄まで知っているコンラッドは、何も知らない上官(ルドルフ大佐)の不遜な態度に、生きた心地がしていなかった。
しかしカイトは、そんなコンラッドの焦りなどどこ吹く風とばかりに、パッとあざとい笑顔を顔に張り付けた。
「コンラッドおにーちゃん、ひさしぶりだよね! またドロあそび出来るね!」
「あ、あはは……。そ、そうだったかな?……お手柔らかに頼むよ……」
何も知らないルドルフ大佐が「フン、所詮は遊び気分の子供か」と鼻で笑う中、コンラッドだけは胃の痛みに耐えながら引きつった笑いを返すしかなかった。
「では出発する! フェルメール家のご子息と世話役の者たちは、こちらの馬車へ乗れ!」
ルドルフ大佐の号令で、カイトたちは馬車へと案内された。
馬車に乗り込んだカイトは、すぐに同乗する二人の女性に向かって満面の笑みを向けた。
「はじめまして! セシリアおねえちゃん、アンナおねえちゃん! 二人とも、ロバートおじちゃんのおともだち? カイトのおせわ、してくれるの?」
「……っ!」
セシリアは、目の前で小首を傾げる天使のような六歳児を見て、一瞬だけ扇子を取り落としそうになった。
「な、なんて愛らしい……! こ、コホン! そうですわ! わたくしが直々に、貴方のような辺境の泥んこボーイを、立派な王都の紳士に育て上げて差し上げますわ!」
「わーい! おねえちゃん、きれーい!」
「オホホホホ!さすがね。よく分かっていらっしゃる!」
無邪気に褒めちぎるカイトに、セシリアの機嫌は最高潮に達した。
「さあ、乗りなさいな、カイト様! わたくしの膝を特別に貸して差し上げますわ!」
(……よし、これで車内のポジション確保は完了じゃ)
王都の立派な石畳を、軍の最高級馬車が滑らかに進んでいく。
「カイト様、あーん、ですわ!」
「わーい! えへへ、あまくておいしー!」
セシリアの膝の上で、口元に差し出された高級な焼き菓子をぱくりと頬張るカイト。
セシリアも「これも軍の経費ですもの!」と猛烈な勢いで焼き菓子を口に放り込んでいる。
その向かいでは、メイドのアンナが手帳を開き、羽ペンを走らせながら淡々と口を開いた。
「……カイト様。道中、粗相をしてお嬢様のドレスを汚された場合は、『新品の王都最新鋭オートクチュール代金』を、即座に男爵様へ請求させていただきますので、ご承知おきを」
(……いや、お前さん方のそのドレス、よく見たら端切れを繋ぎ合わせたパッチワークじゃろうが。ちゃっかり新品のドレス代を親父にふっかける気満々じゃな……)
カイトはパッとあざとい笑顔を張り付けると、小首を傾げてこう言い放った。
「……はーい! じゃあ、よごせないなら、ドロは送るとまずいよね。だって、フェルメールのドロが、お洋服についたらタイヘンだもん! カイト、ロバートおじちゃんにお手紙書いて、王都のおうち(別邸)にドロを送るの、ぜんぶやめてもらうね!」
――ピキッ。
馬車の中に、彼女たちの『資金源』が根元からへし折られる音が響き渡った。
「お、お待ちになって泥んこボーイ、じゃなく、カイト様!!」
セシリアが血相を変えてカイトの小さな手を握りしめる。
「こ、このドレスは雑巾のようなものですわ! 泥などいくら付けていただいても全く構いませんのよ!?」
「そうですよ、カイト様。先ほどの請求の話は私の浅はかな冗談です。忘れてください」
アンナも光の速さで手帳のページを破り捨てた。
(……クックック。こいつら、現金な奴らじゃわい)
カイトが完全に、この馬車内の主導権を握った瞬間であった。
しかし、そんな「下手な貴族の応接室より快適」だった特装馬車の旅も、王都の平野部を抜けるまでだった。
一行の馬車が王都から南下する直轄街道を外れ、東にそびえる『バルザス山脈』の裾野へと突入した途端、特装馬車はその「巨大さ」と「重さ」ゆえに牙を剥いた。
「キャアアアアアアッ!?」
急勾配に差し掛かるたび、馬車の車体が後ろへ大きく傾き、セシリアの悲鳴が車内に響き渡る。
さらに、八頭立てという長すぎる馬列が急カーブを曲がるたびに、後方の巨大な車体は猛烈な遠心力で外側へと振り回された。
「ひぃぃぃッ! お、落ちますわ! 崖に落ちますわアンナァァァッ!!」
「お嬢様、落ち着いてください。サスペンションが悲鳴を上げていますが、まだギリギリ横転はしておりません。それよりもお茶がこぼれます」
どんなに車体が傾いても、メイドのアンナだけは床に両足を踏ん張り、重力に逆らうようにティーカップを水平に保っていた。
そんな劇薬主従の阿鼻叫喚をよそに。
「わーい! ぐるぐるドッスーンだー! たーのしー!」
カイトだけは、ふかふかの座席の上をトランポリンのように跳ね回りながら、まるで遊園地のアトラクションを楽しむ幼児のようにキャッキャと歓声を上げていた。
(……昔うちにあった『大八馬車』の、ケツの骨が砕けそうな直の振動と比べたら、ふかふかで楽しいもんよ。サスペンションが効いておる分、逆に揺れの反動がデカくなって船酔いみたいになるんじゃな。それにしても、この急勾配にこのカーブのキツさ。なんでここが候補地になるんじゃ……)
無邪気な笑顔の裏で、カイトは昭和の土木屋の目で、馬車の揺れから山道の『勾配』と『曲率半径』を計算していた。
そして数時間後。
セシリアが完全にグロッキーになって座席に突っ伏した頃、馬車はようやく第一の候補地である『ノートン子爵領』へと到着した。
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