第4話 劇薬主従とカイトの出張準備
王都、フェルメール家別邸。
玄関の扉がノックされ、無表情な黒服のメイド――アンナが扉を開けた。 そこには、息を切らしたアルベルトと、ガラム、レナードの三人が立っていた。
「どちら様でしょうか。本日の美容泥パックの販売は終了しておりますが」
淡々と告げるアンナに対し、アルベルトは居住まいを正し、腰から一本の短剣を真っ直ぐに差し出した。
柄にフェルメール家の紋章が刻まれた、男爵の爵位と当主であることを示す証明の短剣である。
「私はアルベルト・フェルメール。フェルメール家当主だ。……初顔合わせですまないが、至急、君たちに相談があって立ち寄った」
短剣の紋章を見たアンナが、スッと姿勢を正して一礼した。
その時、奥の部屋からドタバタと派手な足音が聞こえ、継ぎ接ぎだらけのドレスを最新流行のように着こなした金髪の令嬢が現れた。
「貴方がアルベルト・フェルメール男爵様ですわね? 初めまして! わたくしが王都の別宅を完璧に管理し、王都中の泥……いえ、美容市場を席巻しております、セシリアにございますわ!」
「メイドのアンナです。初めまして、旦那様」
「き、君たちが、ロバートの手紙にあった代行者の……!?」
アルベルトは、目の前の「主張が激しすぎる縦巻きロール令嬢」と「感情の読めないメイド」を交互に見比べ、崩れ落ちそうになる胃を必死に押さえた。
(ロバート……お前、『少々個性的ですが』としか言っていなかったじゃないか! どこが『少々』なんだ!)
アルベルトは内心で腹心の部下の報告義務違反を呪いながらも、今は一刻を争う事態であると思い直し、必死に声を振り絞った。
「そ、そうだ! ロバートから、ここを預かってもらっている話は聞いている。……で。相談なんだが、実は今、息子であるカイトが軍務局トップのケッセルベルク公爵閣下に見初められ……軍の最高待遇による『兵站ルート視察』に同行することになってしまったのだ!」
「「……は?」」
あまりに突拍子もないアルベルトの言葉に、さすがのセシリアとアンナも揃って呆けた声を漏らした。
辺境の六歳児が、軍務局の最高機密の視察に同行する。常識で考えれば意味不明すぎる状況だ。
「し、しかも、軍のむさ苦しい男たちだけでは六歳児の面倒は見きれんということで、君たち二人に同行してもらうよう、公爵閣下から直々に許可を取り付けてきた! ……すまない、強引なのは重々承知だが、どうかカイトのお世話係として同行してはくれないだろうか!」
アルベルトが頭を下げる。 その瞬間、メイドのアンナの脳内で恐ろしい速度で情報が処理され、一つの結論が弾き出された。
「……お嬢様。今回の任務は『軍の最高待遇による兵站ルート視察の同行』です。つまり、道中の食事はすべて軍の経費で保証されております。さらに、軍がどこに莫大な予算を落とすのか、そのルートが繋がればどの領地の特産品が王都へ流れ込んでくるのか……その『未来の金の流れ(情報)』を最前線で掴める特等席です」
アンナの言葉を聞いた瞬間、セシリアの瞳に、えげつない商売人の光がギラリと宿った。
「……ッ! 素晴らしいですわ! 王都の酒場でケチな噂話を集めるより、何百倍も価値がありますわね! オホホホ! お任せくださいませ男爵様! わたくしが直々に、ご子息の面倒を完璧に見て差し上げますわ!」
「お、おお! 引き受けてくれるか! 恩に着る!」
「アンナ! すぐに出発の準備を! 荷物は少なくてよろしくてよ、どうせ向こうの経費で全て賄えますもの!」
「かしこまりました。すぐに胃薬と情報の記録用手帳を用意します」
かくして、王都別邸の「劇薬」主従を引っ提げて、アルベルトたちは大急ぎで軍務局へととんぼ返りした。
***
軍務局の応接室。
扉を開けたアルベルトの目に最初に飛び込んできたのは、部屋の隅で滝のように冷や汗を流し、息を止めるようにして直立不動の姿勢を保つレオンハルトの姿だった。
(レ、レオンハルト……っ! よくぞあのプレッシャーの中、一人で耐え抜いてくれた……!)
軍務局トップが放つ圧倒的な威圧感の空間。
その重圧を一身に受けて死に体となっている百戦錬磨の騎士をよそに、当のカイトは公爵の向かいのソファーで、出された高級な焼き菓子を「えへへー、おいしー!」と無邪気に頬張っていた。
「か、閣下! お待たせいたしました! カイトの世話役を連れてまいりました!」
アルベルトが声を張ると、その後ろからセシリアとアンナが堂々とした足取りで進み出た。
「お初にお目にかかりますわ、公爵閣下! わたくし、この度カイト様のお世話係を仰せつかりました、セシリアと申しますわ!」
「メイドのアンナです。どうぞよしなに」
軍部の重鎮を前にしても一歩も引かず、むしろ目をギラギラさせている没落令嬢と、鉄仮面のように無表情なメイド。
その異様な主従をひと目見た公爵は、面白そうにニヤリと口角を上げた。
「……ほう。ただの乳母かと思えば、随分と肝の据わった小娘たちではないか。これなら、この『泥遊びの天才』の世話も任せられそうだな」
公爵は満足げに頷くと、アルベルトと、その背後で限界を迎えているレオンハルトに向かってシッシッと手を振った。
「さて、世話役の引き継ぎも済んだことだ。フェルメール卿、そしてそこの顔面蒼白の騎士も大儀だったな。貴様らの役目はここまでだ。外にいる御者たちを引き連れ、速やかに領地へ帰るがいい」
「は、ははっ……!」
レオンハルトが、心の底からの安堵とともに深く頭を下げる。
「な、ならば閣下……っ、息子のこと、何卒、何卒よろしくお願い申し上げます!」
自分はここでお役御免。手塩にかけて育てた息子を、化け物のような公爵と劇薬のような女たちの手に完全に委ねなければならない。
アルベルトは断腸の思いで執務室を後にした。
「パパ、バイバーイ! お出かけしてくるね!」
無邪気に手を振る六歳児の姿を見送り、重厚な扉がパタンと閉まる。
その瞬間、カイトの頭の中では、昭和の土木親方による盛大なボヤキが展開されていた。
(軍のトップ直々の命令とはいえ、完全に有無を言わさぬ強制連行じゃな。ワシの予定はどうしてくれるんじゃ。だいたい、六歳で出張など、ブラック企業も真っ青の一発実刑レベルの違法労働じゃわい。前世なら現場監督のワシも手錠をかけられとるぞ。困ったもんじゃのう……)
内心でため息をつきつつも、カイトの計算は極めて冷静だった。
泥沼の粗朶道は、ハルバード伯爵から引き続き人足衆を借りられた為、工兵隊と人足衆で粗朶道作りを行っており、現場の作業は完全にシステム化されている。
実際のところ、ボルドーとフェルメールのどちらかを選べるルートが開通している今、伯爵の機嫌もすこぶる良く、多少の工期遅れは許容範囲である。
ハルバード派は全員がフェルメールを通るようになり、フェルメールは通行料や宿場町からの収入で潤っており、領地の経営は順調そのものだ。
(国のトップさえ怒らせなければ、ワシがしばらく不在でも問題ないじゃろ。親父も胃薬があれば倒れはせん。……ま、しばらくはこのタダ飯付きの慰安旅行を楽しませてもらうとするか)
一方。愛息から無邪気に手を振って見送られたアルベルトは、王都からの帰路につく馬車の中で、胃薬を水なしで飲み込みながら、深く、ひたすらに深く頭を抱えていた。
「ああっ……軍の最高機密の視察に、カイトを連れて行かれただなんて……エレナにどう説明すればいいんだ……っ!」
領地で待つ妻の笑顔?を想像し、当主の胃痛はさらに加速していくのだった。
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