第3話 兵站の要と「泥遊びの天才」
「ああ、すまん。そうではない」
公爵は軽く手を振り、アルベルトの勘違いを笑って流した。
「ここからがフェルメール家に依頼したい内容なんだが……南東方面へ向かうための『黒竜川』に架かっていた大きな橋が、昨年の嵐で流されてしまってな。軍の重馬車が通れなくなっている。これでは、いざという時に兵站が繋がらない」
「ああ……確かに、昨年の嵐で、我が領でも長屋に木が倒れて屋根が壊れました」
「うむ。現在、黒竜川を渡れるまともな橋はヴァルデンの国境砦にあるものだけだ。だが、あそこは川の反対側に連邦の砦が睨みを利かせている。有事の際、敵の目の前を横切るようなルートで、大軍の展開や兵站(補給)が維持できん」
ケッセルベルク公爵は忌々しげに地図を指で叩いた。
「ゆえに、ドミナリア連邦からの防衛を盤石にするためには、国境の砦から離れた安全な我々の領地内に、至急、橋を再建する必要がある」
公爵はそこで言葉を切り、背後に控えていた側近に視線で合図を送った。
「ルドルフ大佐を呼べ。細かな状況を説明させよう」
「はっ」
側近が足早に部屋を出て行き、ほどなくして一人の軍人が入ってきた。
屈強な軍服の上に防具を纏い、眉間に深いシワを刻んだ厳格そうな壮年の男だった。
「軍務局大佐のルドルフです。閣下、お呼びでしょうか」
直立不動で敬礼するルドルフに、公爵は鷹揚に頷いた。
「うむ。彼らがフェルメール男爵とその子息だ。今回の架橋計画について、大佐から現在の候補地を説明してやってくれ」
「はっ」
ルドルフ大佐は、アルベルトと、その足元にいる子供を値踏みするように一瞥した。
(軍の重大な作戦会議に、なぜこんな子供が?)という侮蔑の色が微かに瞳に浮かんだが、公爵の前であるため無言で机の上の軍事地図を指し示した。
「男爵殿。現在、『王都南直轄街道』と繋がっている三つの領地が、新たな架橋ポイントの候補に挙がっています」
「三つ、ですか」
アルベルトが真剣な顔で地図を覗き込む。
「ええ。……正直に申し上げれば、最初はもっと多くの領主が名乗りを上げてきました。ですが軍務局で検討を重ね、戦略的にも現実的にもこの三つに絞った次第です」
「なるほど……。では、一つ目は?」
アルベルトが真剣な顔で地図を覗き込む。
「はい。一つ目は『バートン子爵領』。ここは旧架橋ポイントであり、地形は平野部で川幅が最も広い場所です。バートン子爵は『もともとウチに橋があったのだから、ウチに再建するのが当然だ』と猛烈にアピールしてきています。橋周辺の宿場町が寂れてしまっているため、何としても通行税や経済効果を取り戻したいのでしょうな」
「なるほど……。では、二つ目は?」
「黒竜川の最も上流側にある『ノートン子爵領』です。山がせり出し、川幅が最も狭くなっているポイントです。川幅が狭いため橋の長さ(スパン)は短くて済み、両岸が硬い岩盤なので橋の土台がしっかり固定できるというのが彼らの売りです」
「確かに、土台が安定して工期が短いのは魅力的ですね。……最後の三つ目は?」
「『オデール伯爵領』です」
その名を聞いて、アルベルトが少しだけ肩をビクッとさせた。
「あそこは大きく蛇行した川の内側の土地で、三方を川に囲まれた天然の堀となっています。オデール伯爵は、そこに橋を架ければ単なる通路ではなく、ドミナリア連邦に対する極めて強固な『前線基地(兵站集積所)』になると売り込んでおられます」
淡々と事実だけを述べるルドルフの説明を聞き終え、アルベルトは困惑したように息を吐いた。
「……どの領主も、自分の領地に橋を架けようと必死なのですね」
アルベルトの苦笑いに、公爵が鼻を鳴らした。
「ああ。中央としては国費で橋を架けてやるのだから、完成後の維持管理は通行税の利権と引き換えに地元領主に丸投げしたいという思惑がある。ゆえに、どの領主も己の利権ばかりを主張してまとまらんのだ」
アルベルトの横のソファーに座っていたカイトは、足をぶらぶらと揺らしながら、テーブルに広げられた黒竜川の地図を見つめていた。
(……やれやれ。自分の利益ばかり主張する領主どもに、面倒な維持管理を押し付けたい国の上層部か。どっちもどっちじゃな。ただ、図面でどれだけ立派に見えても、実際は現場の土を踏んでみんと絶対に分からん。土木の基本は三現主義(現場・現物・現実)』じゃぞ!)
「……という状況だ。この三つの候補地から、どこが最も安全かつ早く橋を架けられるか、土木の専門家の目で見極めてもらいたい」
その言葉に、アルベルトの顔が青ざめた。
「か、閣下! 恐れながら、私はフェルメール領の経営と、あの道の管理がございます! 何週間も領地を空けて視察に出向くことなど……!」
国家レベルのプロジェクトに巻き込まれる胃痛もさることながら、一介の領主として現実的に不可能な要求だった。
「安心しろ、フェルメール卿。貴殿は領地へ帰り、泥沼の道の管理に専念してくれ」
「えっ……? では、見極めろというのは……?」
公爵はニヤリと笑い、ソファーに座る小さな幼児を真っ直ぐに指差した。
「そこの『泥遊びの天才』を、少しばかり軍の視察に同行させたい。現場のことは『現場』が一番よく分かっているはずだからな」
「なっ……! カイトを、軍の視察にですか!? いくらなんでも危険すぎます! 第一、カイトはまだたった六歳の子供ですよ!?」
アルベルトの必死の抗議を、公爵は氷のように冷たく、重い声で一刀両断した。
「六歳だろうが八十の老人だろうが関係ない。……フェルメール卿、今は『平時』ではないのだ」
「え……」
「ドミナリア連邦の政変後、国境付近ではすでに小競り合いが起き始めている。……これは単に辺境が荒らされるというだけの話ではない。我が王国の『権威』に関わる問題なのだよ」
「権威、ですか……」
「そうだ。王国が迅速に大軍を展開し、無法者どもを即座に叩き潰せるという『力』を示さねば、舐められた国境から次々と火種が入り込んでくる。……だが、その大前提となる兵站ルート(橋)が落ちたままで、軍の技師どもを集めて悠長な会議をしている暇などないのだ」
公爵は鋭い眼光で、ソファーのカイトを見下ろした。
「国家の威信と軍の機動力を示す、その成否の瀬戸際だ。……即座に結果を出せる『本物』が目の前にいるのに、年齢というくだらん建前を気にするほど、私は耄碌しておらん」
「し、しかし……ッ! せめて外に控えている護衛のレオンハルトとレナードだけでも同行を……っ!」
「不要だ。軍の作戦行動に、地方領主の私兵を同行させるわけにはいかんからな」
公爵はアルベルトの懇願を冷徹に一刀両断した。
(……おいおい。国のメンツを守るための強行軍に六歳児を引っ張り出すとは。この国の軍部はよっぽど現場の人間が不足しとるか、あるいはこの公爵が相当なイカレ社長かのどっちかじゃな……)
カイトは内心で呆れ返りながらも、焼き菓子を齧ってモグモグとやり過ごした。
「案ずるな。我が軍務局の精鋭部隊が、何に代えてもこの子を完璧に守り抜く。指一本触れさせんし、最高待遇の馬車で送り届けよう。……貴殿は外で待つ護衛と御者を引き連れ、安心して領地に帰るがいい」
「そ、そんな……っ! で、では、せめてカイトの身の回りの世話が出来る者を! 幼い子供の食事や着替えなど、屈強な軍の方々では手が回らないはずです!」
食い下がるアルベルトの言葉に、公爵は少しだけ思案するように顎を撫でた。
「……ふむ。確かに、我が軍のむさ苦しい工兵どもに、六歳の子供の世話は難しいかもしれんな。よかろう、誰か当てはあるのか?」
「は、はい! 現在、この王都には別邸の管理を任せているセシリアとアンナが滞在しております。その者たちなら……どうか、それまでお待ちを……ッ!」
「よかろう。カイト殿にはここで菓子でも食わせて待たせておく。急ぎ手配してくるがいい」
公爵からどうにか猶予をもぎ取ったアルベルトは、応接室の外に控えていた護衛たちのもとへ駆け寄った。
「レオンハルト! 私は至急、別邸へ向かいカイトの世話役を連れてくる! お前はここに残り、公爵閣下の御前で何としてもカイトを守ってくれ!」
「はっ! 命に代えましても!」
百戦錬磨の騎士であるレオンハルトが、かつてない緊張の面持ちで頷く。
彼をカイトの傍に残したアルベルトは、御者のガラムと、もう一人の護衛であるレナードを連れて馬車に飛び乗り、フェルメール家の王都別邸へと急行した。
(急がねば……っ! カイトが公爵閣下に粗相をする前に!)
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