第2話 六歳児、王城へ行く
翌日の早朝。
まだ朝靄が立ち込める、肌寒い屋敷の前。
「にいたま〜、いっちゃうの?」
涙目で服の裾を握りしめてくる妹のミレーヌに対し、カイトは優しく頭を撫でて宥めるように呟いた。
「ミレーヌ、まっててね。おうとの あまーい おかし、いっぱい買ってくるよ」
「ほんと……?じゃ、まってゆ…」
コクリと頷くミレーヌと手を繋ぎ、笑顔で手を振るマリー。
そして、早朝のお見送りのために出てきた母のエレナとメイドのリーザ、お手伝いのアメリアが心配げに、しかし少しだけ顔を綻ばせて見送る中、カイトとアルベルトは慌ただしく馬車に乗り込んだ。
御者はいつもの通りガラムが務め、護衛には騎士のレオンハルトに加え、工兵隊からレナードが抜擢された。
「いや、レナードが同行してくれて本当に助かった……。恥ずかしながら、私は王城の軍務局になど一度も足を踏み入れたことがないのだ」
「お任せください、旦那様。軍の連中なんてのは、階級章を見せびらかして威張るだけの単細胞ばかりですから、堂々としていればいいんです」
揺れる馬車の中で青ざめるアルベルトを、馬に跨って馬車の横を並走しながら、元軍人のレナードが笑顔で励ます。
そんな大人たちの緊張をよそに、カイトは馬車の窓から王都の城壁を興味津々で眺めていた。
(……カッカッカッ。親父の胃はすっかり限界のようじゃが、何事も経験じゃ。王城とやらがどんな建物をしとるのか、この目で拝めるのは悪くないわい)
一行を乗せた馬車は、王都の北門から入場した。
活気あふれる石畳の大通りを抜け、堅牢な城壁に囲まれた王城の敷地内へと進む。軍務局の庁舎は、王城に入ってすぐ目の前の北側の区画に位置していた。
威圧感のある軍務局の受付で手続きを済ませると、帯剣した屈強な兵士が案内役として現れた。
機密保持のため、護衛のレオンハルトとレナード、そして御者のガラムの三人は待合所で待機することになり、アルベルトとカイトの二人だけが、絨毯の敷かれた廊下を奥へと通された。
「こちらでお待ちください」
通されたのは、天井に豪奢なシャンデリアが下がる応接室だった。
「ふう……っ」
扉が閉まった途端、アルベルトは落ち着かない様子で部屋の中をウロウロと歩き回り、何度もハンカチで額の汗を拭っている。
一方のカイトは、緊張するどころか、トコトコと大きな窓際に近寄り、王城の造りを真剣な眼差しで観察していた。
窓の外には、王城の中心にそびえ立つ巨大な尖塔が見える。王都のどこからでも見えるというその塔は、天を突くような圧倒的な高さを誇っていた。
(……ほほう。あれが王城のメインタワーか。しかし、これだけ高く重い塔を石積みで建てるとなると、相当強固な岩盤まで杭を打たんと地盤沈下を起こすはずじゃが……。この王都の地質なら、基礎の深さは地下三十メルは必要じゃな。どんな工法で基礎を造ったのか、図面を見てみたいもんじゃわい)
六歳児の皮を被った土木親方は、国家の最高機関に呼び出されているというのに全く動じる様子がなく、壁の石積みの目地や柱の太さをプロの目で厳しくチェックしていた。
「カ、カイト。お前はどうしてそんなに落ち着いていられるんだ……。ここは軍のトップの部屋だぞ、粗相のないように……」
「えへへー、おっきいおうちだねー!」
アルベルトが泣きそうな声で諭した、その時だった。
ガチャリ、と重厚な扉が開く音が室内に響いた。
アルベルトがビクッと肩を震わせて振り返る。
そこに立っていたのは、歴戦の猛者のような鋭い眼光を持った男――軍務局のトップ、ケッセルベルク公爵だった。
「待たせたな、フェルメール卿」
「い、いえ、私たちも今、来たところです。……公爵閣下からの書状にありました通り、息子のカイトを連れてまいりました」
アルベルトは直立不動の姿勢のまま答えた。カイトもそれに合わせて立ち上がり、ちょこんと頭を下げた。
「おお、よく来てくれた、カイトよ!」
ケッセルベルク公爵は、カイトの小さな姿を見て口元を綻ばせた。
「フェルメールの旧道でヴァロワを沈めた、あの見事な泥の罠……この目でしかと見せてもらったぞ! 『粗朶』を利用した土木技術とやら、あれを戦場に応用すれば、敵の足を絡め取る実に見事な罠になるな!」
「もったいないお言葉です。ですが、あれは全てこのカイトが考えたものでして……」
「道がドロに落ちるの、見ただけじゃ分からないでしょ?!」
カイトが無邪気に笑うと、公爵は満足そうに大きく頷いた。
「ああ、その通りだ。あれでは気づかずに罠にハマるだろうな。……で、急に呼び出してすまんが、実は、その土木の知恵で力を貸してほしい事案があってな」
「事案、でございますか?」
「ああ、そうだ。召喚状に書けない事案なのでな。こうして来てもらった訳だ」
「そ、そうですか……てっきり粗朶道で、また何か問題が起きたのかと……」
アルベルトがホッとしたように息を吐くと、公爵は表情を引き締め、机の上に大きな軍事地図を広げた。
「アルテリウム王国の南東にある、ドミナリア連邦を知っているな?」
「はい。たしか、複数の州からなる国だったと記憶しておりますが」
「うむ。そのドミナリア連邦で先月クーデターが起き、政権トップが変わった。ただでさえ寄せ集まりの国だったというのに、今は各州が独自に動き出しているようでな」
公爵は地図上の国境付近を指でトントンと叩きながら続けた。
「この報告を受け、有事の際は我が王国軍の出動も視野に入れている。ただ、まだ本格的な衝突には至っていない。……しかし、万一の際に迅速に対応できるよう、兵站ルートを固めておく必要がある」
「閣下、それは分かりましたが……」
アルベルトはゴクリと生唾を飲み込み、わずかに声を震わせた。
「私たちも出兵を考えろという事なのでしょうか?」
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