第67話 ネコ車フィーバー
ネコ車 = 一輪車のことです。
魔石の刻印も無事に終わり、バッカスはエドと一緒に王都に戻ることになった。
横ではエドが、魔石が一つも割れなかった安堵から、魂の抜けたような顔で真っ白に燃え尽きていた。
「じゃあ、俺らは一足先に発魔機を作って待ってるぜ。多分、坊主が王都に来る頃には、こっちも試作第一号の水車が出来上がってるかもしれねぇがな」
泥靴村を出立する間際、バッカスはカイトに向かってニヤリと笑った。
カイトはこくりと頷く。
「うん、必ず行くから。……あ、それとこれ。ネコ車っていうんだけど、工事で役に立つから今回の現場で使ってみてよ。コンラッドお兄ちゃんとこなら、すぐ作れると思うし」
カイトが丸めていた簡素な図面を差し出す。
バッカスはそれを受け取ると、怪訝そうに眉を寄せた。
描かれていたのは、一輪の車だった。荷台の下に車輪が一つだけ付き、後ろに向けて二本の長いハンドルが伸びている。さらに妙なことに、補強のための鉄輪の接地面には、わずかな丸み(R)がつけられる設計になっていた。
「なんだ、この一輪しかない車は? っていうか、いいのか? こんなあっさり教えちまってよ」
「だってこれ、見れば誰でも真似できちゃうでしょ」
カイトはあっけらかんと笑う。
「いや、そういう問題じゃねえだろ……。そもそも一輪しかない車なんて、バランスが取れなくて倒れるんじゃねえか? それにわざわざ鉄輪の部分にRを付けちまったら、補強の意味が薄れるんじゃねえのか?」
この世界の常識では、運搬車といえば四輪のトロッコか、二輪の大八車が当たり前だ。「車輪を増やせば安定する」という考えが、職人たちの頭に深く染みついている。だからこそ、カイトの設計は、あまりに不安定な代物に見えた。
「まあ、使ってみてどうだったか、あとで教えてよ」
「……そうだな、坊主が言うことだし、分かったよ。誰に作らせてもいいんだな?」
「うん。こっちの分は、ゴドーおじちゃんとバルカスおじちゃんに作ってもらってるんだ」
***
数日後。王都、軍務局の演習場。
王都に図面を持ち帰ったバッカスとエドは、さっそく軍務局のコンラッドにそれを伝えた。報告を受けたルドルフ大佐から指示が下る。
「あの子供のアイデアなんだな? じゃ、まずは一台作ってみろ」
かくして、工兵部によって即座に試作品が組み上げられた。
――そして現在。
「おい、もっと傾けろ! まだ軽いぞ!」
「うわっ、すげえ! 全然泥に沈まねえ!」
「この車輪のRのおかげか!? 転がりが全然違うぞ!」
泥が跳ね、荒々しい笑い声が飛び交っていた。
演習場の中央では、鉄輪に特徴的な丸み(R)を持った一輪の車――ネコ車に大量の土砂が積まれ、何人もの兵士たちがそれを取り囲んで熱狂していた。
最初は誰もが疑心暗鬼だった。「こんな不安定なもので倒れないわけがない」と。
だが、命令に従って実際に土砂を積み、足場の悪い泥道を走らせた瞬間――兵士たちの目の色が変わった。
一輪の車は泥に沈むどころか、スイスイと軽快に進んでいく。狭く渡された板の上でも、車輪が一本しかないため綺麗に収まった。二輪車であれば、確実に片輪が板から外れて転落しかねない幅だというのに。
ハンドルを持ち上げた兵士の一人が、感嘆の声を上げる。
「軽っ!? てっきり腰に来ると思ってたのに……!」
テコの原理だった。車輪が『支点』となり、長く伸びたハンドルが『力点』となる。重い土砂を積んだ荷台は『作用点』として車輪のすぐ近くに配置されているため、持ち上げる力は驚くほど少なくて済む。
さらに、バッカスが疑っていた鉄輪のR形状も機能していた。泥の凹凸にエッジが変に食い込むことなく、丸い断面が自然に転がるため、ぬかるみの中でもバランス取りやすくなっている。
「なんですか、この荷車は!? すっげぇ扱いやすいぞ!」
「もっと作ろう! いますぐ量産だ!」
「まるで猫みたいに、狭い足場でもしなやかに進める……だから『ネコ車』なんだな!」
演習場は、未知の運搬車がもたらした革命に完全に沸き立っていた。
少し離れた場所から、その異様な光景を呆れ顔で眺めている男たちがいた。バッカスとエド、仕事を放り出して演習場に駆けつけたダンだ。
「坊っちゃまがまた妙なもん作ったって聞いて、飛んできちまったんだけど……やっぱこうなるんだな」
ダンが苦笑いする横で、バッカスは呆れたようにコンラッドへ声をかけた。
「……おい、コンラッド。ネコ車が出来たから見に来てくれって言われたが、予想以上に狂ってやがるな」
「そうですね、みんなネコ車を使ってみたくって行列ができてますよ……」
コンラッドは、泥だらけになってはしゃぐ部下たちを見つめながら、引きつった笑いを浮かべた。
「見ての通り……全員、あのネコ車の異常な扱いやすさに完全に魅入られてしまってます。これ、良いんですかね、タダで使っちゃっても」
その時、それまで遠慮して黙っていたエドが、おずおずと手を挙げた。
「あ、あの……コンラッド中尉。一つお願いがあるんですが……」
「ん? なんだい?」
「その……代わりというわけではないんですが、バッカスさんの作業場を、お借りできないでしょうか」
コンラッドは苦笑して頷いた。
「もちろんです。局長からも『今回のプロジェクトに必要な協力は惜しむな』と命じられています。気にせず使ってください」
こうして、バッカスたちは軍務局の工房を借りられることになった。
そして、この日生まれたネコ車は、やがて土木作業現場の必需品となり、王国全土へ広まっていくのだった。
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