第50話 インフラ経済学と鉄くずの送魔線
広間に倒れ伏すヴァロワ侯爵。事実を前に、国王をはじめとする国家の最高幹部たちは、ぐうの音も出ないほど沈黙していた。
(これで、デモンストレーション完了じゃ! さぁて、ワシらの「技術実証」の仕事はおしまい。ここから先は、施主の出番じゃぞい!)
カイトは内心でガッツポーズを決めると、出しゃばることなく木箱の横に下がった。そして軍務局である公爵へ向けてニコッと笑った。
ケッセルベルク公爵は一度だけ頷くと、広間の中央へと進み出た。
「陛下、諸卿。ご覧の通りです。この装置は魔導師を一切必要としません。必要なのは、ただクランクを回し続ける物理的な力のみ。そして我が国には、その力がすでにある。黒竜川の流れです。水車でこの装置を回し、生み出された魔力を送魔線で街道のランタンへ送る。これが『光の道計画』です」
その言葉に、財務局や外務局の役人たちが一斉にざわめき、抗議の声を上げた。
「前回の臨時評議会で説明したでしょう! 王国中の街道に水車や送魔線を設置するなど、国庫を空にするつもりですか!」
「途方もない夢物語だ!」
だが、ケッセルベルク公爵は鼻で笑って一蹴した。
「いきなり全土に設置しろなどと、寝言を言うつもりはない。今回、軍務局が提案するのは、あくまで『第一段階(試験運用)』だ!」
公爵は広間に広げられた王国全図をビシッと指差した。
「王都から南へ延びる街道を進むと、最初に黒竜川と並ぶのがノートン領へ向かう分岐点の付近だ。まずはそこに試験的な魔力水車を設置し、一部区間の街道を照らそうと考えている」
理路整然とした段階的な提案に、先ほどまで「予算が!」と騒いでいた財務局の役人たちは言葉を失った。
だが、一人の中堅文官はなおも食い下がる。
「そ、それでもです! 爆破工事で使った導線は、銅線にミスリルを被覆した特注品だと聞いております! 工事で使ったのは数百メル程度。しかし今回は違います! その魔力水車から王都まで送魔線を延ばすとなれば、十キロ近い距離になるのです!」
文官は勢いよく続けた。
「試験運用とはいえ、その距離をミスリル被覆線で結べば莫大な費用がかかります! そんなものを敷設すれば、国庫への負担は看過できません!」
魔力を遠くまで運んだことなどない。それを可能にするならば高純度の伝導材が必要になるというのが、この世界の常識である。
文官の反論に、再び広間が「やはり無理」という空気に包まれかけた、その時――。
「あのねー。ミスリルと銅なんて使わなくても、鉄でいいと思うよ〜」
無邪気な子供の声が、爆弾のように投下された。
「……は?」
財務局の文官が目を丸くする中、魔導具の専門家であるゼノスが慌てて前に進み出た。
「い、いや、カイト殿! 鉄は魔力伝導材として三流の素材です。確かに鉄は安いですが、伝導効率でミスリルの八割程度、伝導速度に至っては三分の一にまで落ちてしまうんです。鉄では魔力到達が遅すぎます!」
ゼノスは必死に魔導工学の『常識』を説いた。
魔法とは、術者がイメージした瞬間に発動しなければ意味がない。伝導速度が三分の一に落ちる鉄など、使い物にならない不良品同然なのだ。
だが、カイトは黄色いヘルメットをちょこんと傾け、不思議そうな顔でゼノスを見上げた。
「ゼノスおじちゃん。最初に魔力が届くのは遅くなるけど、水車で魔力をずーっと流し続けるんだよ? 早さが必要なのって、いちばん最初だけだよね?」
「ん?……あっ」
ゼノスの口から間の抜けた声が漏れた。魔法使いの常識で考えていた。
魔法は術者の意思に即応しなければならない。だから伝導速度は重要だ。
だが、街灯は違う。
一度魔力が流れ始めれば、あとは絶えず供給され続ける。
魔力が到達するまで一秒かかろうが三秒かかろうが、誰も困らない。
「ま、まさか……」
ゼノスの顔から血の気が引いていく。
「送魔線に必要なのは、伝導速度ではなく伝導効率のみ……?」
「うん!だから鉄でいいんだよ!」
カイトは満面の笑みで頷いた。
(……ふぉっふぉっふぉ! 魔法使いどもは「一瞬で魔法を撃ち出す」ことしか頭にないからの。じゃがな、インフラってのは水道管と同じじゃ。一度パイプの先まで魔力が満たされれば、あとは後ろから押し出されて絶え間なく出続けるんじゃ! 最初につくのが数秒遅かろうが、ずーっと光り続けるなら鉄で十分なんじゃ)
ゼノスが震える声で弾き出した結論に、魔導部や工兵部の面々も次々と頭を抱え始めた。
「待て……それでは送魔線にミスリルが不要になるのか?」
「鉄線で王都まで……?」
数千年の歴史を持つ魔法の常識が、子供が口にした『インフラの概念』によってひっくり返された瞬間だった。
「こ、効率が八割に落ちる分はどうするのだ!?」
「それも、水車の規模を大きくしておけば解決するだろう」
ゼノスの絶叫に近い解説を聞き、ケッセルベルク公爵は満足げに鼻を鳴らした。
「……というわけだ。これならば初期投資は鉄くずと同等の値段で済む。もし成功すれば、その道を王都まで一気に伸ばす。その経済効果と防衛上の利点は、諸卿らも理解できるはずだ」
先ほどまでの非現実的な予算の壁が『鉄』という底値の素材で完全にぶち破られ、財務局の役人たちは今度こそ完全に押し黙った。
「良い落とし所ではないか?」
沈黙する評議会を見渡し、玉座の国王が口を開いた。
実証実験による証明、常識を覆すコストカット、そしてリスクを抑えた現実的な試験運用の提案。反対する理由など、どこを探しても見当たらなかった。
しかし…。
「お、お待ちください陛下!!」
広間の後方、評議会の末席に座っていた地方貴族の代表格である男が、悲痛な声を上げて立ち上がった。
「なんだ、まだ異議があるのか?」
「……異議というわけではございませんが、あまりにも不公平です!街道が走っている領地だけが、なぜそんなにも優遇されるのです!前回の橋の建設ですら、我々地方貴族はただ指をくわえて見ているしかなかったのに……っ!」
他の地方貴族たちも次々に声を上げ始めた。
「そうだ!」
「我々の領地には恩恵がないではないか!」
主要な街道から外れた地方領主たちにとって、国境や主要都市を結ぶインフラ整備は、自分たちの領地に利益をもたらさない事業にしか見えなかった。
(……おお、出た出た、公共事業には付き物の「ウチの地元にも利益を落とせ」のクレームじゃな。じゃがな、インフラってのは「利益を生み出す巨大ビジネス」なんじゃよ。乗っかる気があるなら、いくらでも甘い汁を吸わせてやるわい!)
カイトは無邪気な笑顔でパタパタと手を振った。
「あのね、おみちが明るくなって、夜も荷馬車がいっぱい通るようになったら、そこにお家があるおじちゃんたちは、道を通る人からいっぱいお金がもらえてズルいってことでしょ?」
「そ、そうだ! 街道沿いの領地ばかりが恩恵を受けるではないか!」
地方貴族の一人が勢いよく頷く。
カイトは今度は玉座の国王へ向き直った。
「じゃあね、王様。そのズルいおじちゃんたちから、『道を明るくしてもらった分のお金』を少しずつ分けてもらえばいいんだよ!」
「……分けてもらう?」
国王が眉を上げる。
「うん!だって、道を明るくするのにはお金がかかるんだもん。でも、明るくなったおかげで人がいっぱい通るようになって、お店も増えて、通行料もいっぱい取れるようになるんでしょ?だったら、その儲かった分から少しだけ国に返してもらえばいいんじゃないかな?そうすれば、光の道をもっと増やせるよ!」
議場が静まり返った。
やがて、財務局の役人たちがガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。
「利益を受けた者から費用を回収する……!」
「受益者負担の仕組みだと……!?」
「しかも継続的に……!」
財務局長が震える声で呟いた。
「なるほど……。街道整備の恩恵を受ける領地から維持費を回収できるのであれば、これは単なる支出ではない……」
「投資になる……!」
別の官僚が思わず叫ぶ。
今まで、この世界において道や橋は『国が金を出して整備するもの』だった。利益を受ける者から費用を回収するという発想そのものが存在していなかった。
「ま、待て!」
先ほどまで不満を口にしていた地方貴族の一人が声を上げた。
「それならば、街道沿いの領地だけが得をするわけではないのか?」
「そうだよ!使った魔力の分、お金を払ってもらうんだからね!」
カイトは満面の笑みで頷いて続けた。
「それに光の道を作るなら人もたくさん必要になるよね。お金がない地方のおじちゃんたちは、領地の人たちを『でかせぎ(工事作業員)』に出せばお金も増えるよ!」
(人が動けば金も動く。インフラってのは、そういうもんじゃからな)
地方貴族たちは顔を見合わせた。
「光の道の工事に、我が領地の人夫を出す?」
「……我々の領民を派遣すれば、回り回って我々にも金が落ちる……」
地方貴族たちは、先ほどの不満から一転、目をギラギラと輝かせ始めた。
「陛下! 我が領地からも、ぜひ喜んで労働者を派遣いたしますぞ!!」
「いや、我が領地からこそ優秀な人足を!」
先ほどまで反対一色だった空気が、一気に変わり始めた。
玉座からその様子を見ていた国王は、小さく息を吐いた。
「なるほどな……」
隣のケッセルベルク公爵も苦笑する。
「国家の負担でしかなかった公共事業を、利益を生む事業として考え直せと言っているのです」
「……六歳児の発想とは思えんな」
議場はもはや、『光の道計画をやるべきか』ではなく、『どう利益を分けるか』という話へ変わりつつあった。
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