第43話 迫る懸念とルシアン王子の好奇心
王都の軍務局長・ケッセルベルク公爵の真の懸念は、ドミナリア連邦との戦端が開かれた隙を突き、北の「帝国」が背後から侵攻してくる『二正面作戦』の悪夢であった。
連邦がクーデタを起こして新政権にかわったという事実は、帝国内でもニュースになっているとの報告も入っていた。もしここで南東方面の連邦と武力衝突が起きれば、帝国は「待ってました」とばかりに手薄になった北から攻め入ってくるだろう。
だからこそ、完全武装の僧兵数百人を引き連れて『親善特使』を名乗りやってきた連邦の査察団に対し、ガイゼル総監が率いる機動部隊を急派し、慎重に対応させていたのだ。
「叔父上」
重苦しい思考を巡らせていた公爵のもとに、今年で七歳になるルシアン王子がやってきた。
学問好きで好奇心旺盛な彼は、魔法の新技術や発明に目がない第一王子である。公爵は書類から顔を上げ、小さく苦笑した。
「また抜け出して来たのか?」
「ちゃんと許可は取ったよ」
金色の髪を軽く乱したルシアンは、澄んだ青い瞳を輝かせながら悪びれた様子もなく執務机へ近づいた。
「叔父上。カイトとかいう、あのハッパとエアバズーカを作った子はまだ帰ってこないの?」
公爵は苦笑を引っ込め、少しだけ声を硬くした。
「……殿下。彼はオデール領で重要な任務に就いています。そう簡単には……」
バンッ!
公爵が眉間の皺を揉みほぐしながら諭そうとした、その時だった。
執務室の重厚な扉が勢いよく開かれた。
そこに立っていたのは、軍務局に戻ってきたばかりのガイゼル総監だった。軍服は泥と汗で汚れ、その双眸には軍人らしからぬ異様な興奮が宿っていた。
「局長!! 大発見です! 我々はついに、魔導師なしで『無尽蔵に魔力を生み出せる論理』を――ッ」
「馬鹿者ッ! 殿下の御前であるぞ!!」
公爵の怒声に、ガイゼルは弾かれたように足を止め、ソファーに座る小さな影に気づいた。
「……っ! こ、これは殿下。大変失礼を致しました……!」
ガイゼルは瞬時に顔を引き締め、踵を鳴らして完璧な最敬礼をとった。
だが、特大の機密事項は、好奇心旺盛な王子の耳にしっかり届いてしまっていた。
「無尽蔵に……魔力を……?」
ルシアンの瞳に、星のような輝きが宿る。彼はソファーから身を乗り出し、食い気味にガイゼルに詰め寄った。
「ガイゼル侯爵! 今、オデール領から帰ってきたんだよね!? ということは……もしかしてそれ、またあの子が何かやったの!?」
「え……あ、いや、それは……」
軍の総監たるガイゼルでさえ、無邪気な王子の追及と、背後から突き刺さる公爵の殺気めいた視線の板挟みになり、冷や汗を滲ませた。
ルシアンは「やっぱり!!」と両手でガッツポーズをした。
「すごい! 今度は無尽蔵の魔力!? ねえ叔父上、早く王都に呼んでよ! 僕、絶対その子とお友達になる!!」
鼻息を荒くして大興奮するルシアン。
その横で、公爵はゆっくりと椅子に崩れ落ち、本日何度目かわからない特大の溜め息をついた。
「……それで? 貴様は馬を潰す勢いで駆け戻り、何を報告しに来たのだ。手短に申せ」
「ハッ! 現場の者が魔石を川の小水車で洗おうとした際、誰も魔力を流していないのに魔法が発動したのです。カイト殿の言葉を借りるなら……魔力で車輪を回す機構を、外から水車の力で『無理やり回しすぎる』と、反対に魔力が飛び出してくる、と」
公爵の顔から血の気が引いた。
それが事実なら、川の力さえあれば、魔導師なしで防衛兵器を稼働させられるということだ。
「……信じられん。王立魔導院でさえ辿り着けなかった深淵に、一介の子供が『水車で遊んでいて』行き着いただと……?」
公爵は震える手で顔を覆った。
「いや、水車で遊んでいたという訳では…」
「いや、そこはどうでも良いだろう……ん?」
すぐに我に返ってガイゼルを睨みつけた。
「……待て、ガイゼル。そもそもドミナリア連邦の『査察団』の件はどうなったのだ? 一触即発だったはずだが、まさか水車に興奮して任務を放り出してきたわけではあるまいな? それと、オデールの現場を見たのなら架橋工事はどこまで進んでいる?」
「そ、そちらの件はすっかり『一件落着』しております。血を流すこともなく、連邦の部隊は撤退いたしました。そして架橋工事につきましても、闌干などの細かな仕上げは残っているものの、すでに両岸は繋がっております」
「ほう。橋も完成間近か。して、どうやってあの狂信者どもを追い払ったのだ」
「はっ。……カイト殿の『メイド』たちが、裏で片付けてくれまして」
公爵の声が、文字通り裏返った。
「……メイド、だと?」
「我々がマクシムと口論している最中、カイト殿の専属メイドが『ゴミ掃除に参りました』と進み出まして……背後の森からプロの黒服を呼び寄せ、生け捕りにした連邦の工作部隊の連中をマクシムの前に突きつけたのです。
完璧な証拠を見たマクシムは自作自演を悟り、顔を真っ赤にして引き上げていきました」
執務室に、痛いほどの沈黙が降りてきた。
ルシアンは興味津々といった様子で話を聞いていたが、公爵にはそれどころではなかった。
(……連邦の工作部隊を裏で壊滅させ、最適なタイミングで突きつける。我が軍の諜報部でも容易ではない手際を、ただの男爵家のメイドがやっただと?)
だが、同時に公爵の胸中に満ちたのは、圧倒的な「安堵」だった。
連邦との武力衝突が回避された。これにより、帝国が南東の騒乱に乗じて我が国に侵攻してくるという最悪のシナリオは、ひとまず今回は回避されたのだ。二正面作戦という国家滅亡の悪夢は、今この瞬間だけは退けられた。
もちろん、北の帝国の脅威が消え去ったわけではない。だが、本来なら王都で祝杯を上げても良いほどの吉報であることには変わりない。
「ねえ叔父上!! カイトって護衛の人とかメイドも凄腕なんだね! ワクワクするなぁ!」
無邪気にはしゃぐルシアン王子の声を聴きながら、公爵は重い腰を上げた。
とりあえず、国難は去った。しかし、この規格外の「大戦果」をもたらしたのが、一介の子供とそのメイドであるという事実。
公爵の頭に、兄であるレオニード国王の顔が浮かぶ。
あの兄にこの事実をありのまま報告すれば、嬉々としてあの男爵家を王国の中枢へ引きずり込もうとするだろう。そして最後に胃を痛めるのは、いつも自分である。
「……ガイゼル、私はこれから王宮へ向かい、陛下と宰相に報告を上げる。
お前はカイト少年を王都へ招く手配を進めろ。……絶対に彼らを怒らせるなよ。我が国の首の皮を繋いだ英雄であり、常識を破壊する爆弾なのだからな」
王国の防衛を担う軍務局長が、本気で胃薬を欲した一日になった。
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