第27話 森に潜む二つの刃
一方、工事現場の喧騒から少し離れた場所。
皆の視線が「一段目、二段目」と掘り下げられていく底へ向く中、クララだけは、森の中に何者かが潜んでいることを察知していた。
彼女だけは現場全体と周囲の森を俯瞰して見ていたのだ。
「チャドはいますか?」
背後の影に向かって、静かに問いかける。
「はい、クララ様。シャドウです」
音もなく、一人の男が彼女の背後に膝を突いた。
「瓦礫に混ざって、本物のゴミがいるようです。後を追い、どこの誰が捨てたゴミか出処を突き止めなさい。……いいですね、若様の仕事場を汚す輩の正体、確実に掴むのですよ」
クララの視線の先には、這々の体で逃げ出す部隊の背中があった。カイトにとっては瓦礫の「お掃除」に巻き込まれた存在に過ぎなくても、彼女にとっては「若様の神聖な事業を汚す害獣」に他ならない。
「はっ!」
シャドウは、命を受けるや否や、再び森の影へと同化するように姿を消した。
この二人、元はカイトの母・エレナの実家であるベルノー子爵家の配下である。
五歳のお披露目の頃から護衛に就いているシャドウ(本名:チャド)と、子爵家の三女であったエレナの元専属メイドであり、今回の国家事業を案じた彼女に請われて新たに赴任してきたクララ。
カイトの側に付いた時期こそ違えど、かつて同じ家で裏表の仕事を取り仕切っていた彼らにとって、「エレナ様の愛息(若様)の邪魔をする者」に対する容赦の無さは、冷酷なまでに一致していた。
***
クララから「ゴミの出処の正体」の命を受けてから、すでに半日以上が経過した。
日が大きく傾き、森に長い影が落ち始めていた。
(……あいつらどこから来たんだ。『巣』まで遠過ぎないか?)
そう考えながら、次の枝へ跳躍しようとした瞬間――。
ヒュッ!
死角から黒塗りのナイフが、首筋を狙って飛来した。
「チッ……!」
シャドウは空中で体を捻り、ガントレットで刃を弾く。着地と同時に低く沈み、腰の小太刀を一閃で抜き放った。
茂みから、同じ黒装束の男が音もなく姿を現す。両手に逆手の双短剣。
言葉を交わす暇などない。二つの影が同時に地を蹴った。
キンッ!
ガキィィッ!
鋼が激しく削れ合う硬質な音が、薄暮の森に響く。
シャドウの袈裟斬りが走る。相手は左の短剣でいなし、右手の刃を眉間へ突き込む。
死の冷気が鼻先を掠めた。
シャドウは即座に両脚を大きく開脚し、地面スレスレまで体を沈めて凶刃を躱す。
「ッ……!」
そのまま旋風のように脚を振り回し、相手の短剣を蹴り飛ばそうとする。
男は自ら後ろに倒れ込み、地面に背がつく直前、両手で地面を突いてバネのように跳ね起きた。
着地の隙は与えない。
シャドウは一気に踏み込み、心臓目掛けて小太刀を突き出す。
男は双短剣を十字に交差させ、その刃を挟み込んで殺した。
ギリィッ! と鋼が軋む音がする。
息のかかる至近距離。男の鋭い膝蹴りが腹を抉りにくる。
空いた左手のガントレットでそれを叩き落とし、シャドウは力任せに弾き返した。
男の体勢が崩れる。
――そう見えた次の瞬間。
男が手首を返し、外套を大きく翻した。
視界が黒に染まる。
小太刀で布を薙ぎ払った時には、すでに男の気配は完全に闇に溶けていた。
静まり返った薄暮の森。
シャドウは低く身構えたまま、鋭い視線で周囲の暗闇を這うように探る。
(……強い。逃げているネズミの中に、あんな手練れの『殿』がいるとは……途中まで全く気付けなかった!)
息を整え、シャドウは小太刀を静かに鞘へ収めた。
ここから先は、アプローチを変えなければならない。
ネズミどもの足跡を追うこと自体は造作もない。恐怖に駆られた逃走は、折れた枝や足跡を森のあちこちに残している。
だが、問題はあの『殿』だ。
少しでも隙を見せれば、確実に刈り取られる。
シャドウは自身の気配を、さらに一段階深く闇へと沈めた。
(……焦る必要はないな。確実に「完工」まで持っていければ……おっと若様の言い方がうつったな)
シャドウは苦笑を押し殺すと、慎重に枝を跳び移った。
***
一方、シャドウと刃を交え、闇に溶けた黒装束の男――ノワールもまた、少し離れた木陰で息を殺していた。
(……強い。あのネズミの中に、あんな手練れがいるとは……)
ノワールは双短剣をゆっくりと鞘に収めながら、苛立たしげに舌打ちをした。
(……くそっ。後ろから追われていることに気づいた瞬間、思わずナイフを投げてしまった。あの時、ただの斥候の一人だと高をくくっていたのに……まさかあそこまで手練れだとは)
事の始まりは数日前。主君であるヴァルデン辺境伯から直々に下った密命だった。
『クロよ。我が領の村を焼き、連邦の旗を残していったふざけたネズミ共を追え』
『……御意。ですが旦那様、現場に出る際の私のコードネームはノワールです。本名のクロと呼ぶのは――』
『任せたぞ、クロ』
『……ハッ』
ノワールは森の暗闇の中で、当時のやり取りを思い出してギリッと奥歯を噛み締めた。
(なぜ誰も『ノワール』と呼ばない……! せっかく自分で考えた完璧な暗号名なのに、旦那様も同僚も、みんなどこでも本名の『クロ』で呼びやがって……!)
理不尽な職場環境への苛立ちを腹の底に押し込み、ノワールは冷たい空気を吸い込んで意識を任務へと引き戻した。
ネズミどもの足跡を追うこと自体は造作もない。恐怖に駆られた逃走は、折れた枝や足跡など、森のあちこちにその痕跡を残している。
だが、問題はあの『殿』だ。
少しでも隙を見せれば、確実に刈り取られる。
(……焦る必要はない。確実にだ)
ノワールは自身の気配を、さらに一段階深く闇へと沈めた。
ノワールは、これまで以上に慎重な足運びで闇を駆ける。
痕跡を追いながらも、ノワールの全神経は、背後と頭上の暗がりへと研ぎ澄まされていた。
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