第10話 オデール領の Ωと親方の戴冠式
バートン領から今回の最終目的地であるオデール伯爵領までは、およそ百四十キロの道のりである。
道中、当然のように数回の野営を挟むことになったが、その度にアンナが作る暴力的な匂いの『絶品キャンプ飯(飯テロ)』によって、味気ない干し肉を齧る軍の兵士たちの精神力(HP)はゴリゴリと削られていった。
そんな中、セシリアとアンナの二人は旅の疲れもあり、馬車の中でゆっくり寝ていた。
やがてなだらかな丘陵地帯を越え、視界が一気に開けた時。
車窓から眼下の平野を見下ろしたルドルフ大佐が、思わず声を漏らした。
「……馬車を止めろ!ここから地形を確認する!」
護衛の騎士が手綱を引き、特装馬車が丘の上でゆっくりと停止した。
ルドルフ大佐とコンラッド中尉が馬車から降り、眼下に広がるオデール伯爵領の全貌をその目に焼き付ける。
カイトもひょいと窓枠から身を乗り出し、思わず目を丸くした。
(……なんじゃこりゃ。アマゾン川かミシシッピ川か、ちゅうくらい見事な大蛇行じゃな)
昭和の土木親方の脳内に、前世の記憶にある世界的大河の姿がフラッシュバックする。
眼下を流れる黒竜川は、巨大な『Ω(オメガ)』の文字を描くように大きくうねり、広大な土地をぐるりと内側に抱き込んでいた。
(平野部を流れる川が蛇行するのは自然の摂理じゃが、ここまで綺麗なΩ型になっとるとはな。まさに絵に描いたような天然の要害じゃ…)
カイトが地形図と実際の景色をすり合わせて分析している横で、軍務局の大人たちも完全に同じ「軍事的な視点」で興奮していた。
「地図では確認していましたが、実際に見ると凄いですね。川が完全に巨大な『堀』の役割を果たしています。このΩの入り口(首の部分)さえ強固に防衛すれば、大軍で攻め込まれても容易には落ちません」
コンラッド中尉が地図を指差しながら熱弁を振るう。
「ああ。それに、東の山へ向かって伸びるあの道。あそこを兵站のサブルートとして確保できれば、物資の輸送路としても極めて優秀だ。……オデール伯爵が王都で豪語していた『ドミナリア連邦に対する極めて強固な前線基地(兵站集積所)になる』という言葉は、本当に的を射ているな」
大佐も深く頷き、バートン領で見せていた険しい表情はすっかり消え去っていた。
(……妥当な線じゃな。軍事防衛の拠点としては百点満点の地形じゃろうて)
軍人たちの的確な評価に内心で頷きながら、カイトは再び窓の外を見た。
(じゃが、これだけ川が大きく曲がっとるということは、水流の力もそれだけ複雑に働くということじゃ。増水時のリスクと、それに耐えうる橋を架けられるポイントがあるかどうか……そこは現場を見てみんと分からんわい)
かくして、地形の視察を終えた一行を乗せた馬車は、丘を下り、オデール領に到着した。
領内に入ると、川の至る所で治水工事が行われていた。
「次、連柴作りだ。葛の蔓か麻縄を二重に巻け! 竹は滑りやすいから二度巻きにしろ。ここで緩いと全部台無しだぞ」
馬車が通る街道から、川岸のあちこちで黄色い半球体の被り物を被った男たちが作業する姿が見えた。粗朶のマット編みをしているようだが、ルドルフ大佐には何を作っているのかさっぱり分からなかった。
「……おい、コンラッド中尉。なんだ、あの異様な集団は。なぜ皆、揃いも揃って頭に黄色の鉢のような物を被っているのだ?」
馬車を降りた大佐が怪訝そうに目を細めた。
「……大佐。あれは以前、私が湿地道の建設現場で見た『安全帽』です。しかし、まさかオデール領の作業員全員にまで……」
コンラッドが頭痛を堪えるようにこめかみを押さえたその時、作業員たちの中心にいた男たちが馬車から降りた小さな人影に気づいた。
「なあ、あれ……親方じゃないか?」
「おおおっ! フェルメールの若様だぁ!」
眼鏡の内政官ウォルターが震える声で叫ぶと、
「何? 親方!? 嘘だろ……ああーっ! 親方だっ親方が来てくれたぞっ!!」
泥靴村でカイトに命を救われ、それ以降南部衆を取りまとめていたマルコが、特大の声で叫んだ。
「おおおおお!! カイト親方だぁぁぁっ!!」
それを合図に、現場が一気に爆発した。デック、リックをはじめとする南部衆の屈強な男たちが、黄色いヘルメットを被ったまま涙を流して駆け寄ってくる。
「わあ! ウォルターおじちゃん! マルコおじちゃん! デックおじちゃん! リックお兄ちゃんも、ひさしぶりー!」
カイトが無邪気に手を振ると、男たちは「親方ぁぁーっ!」と一斉に群がってきた。
再会の歓喜が一段落したところで、マルコがカイトの顔をまじまじと見つめ、慌てたように聞いた。
「親方……! なんでここに? どうしたんですか!?」
「軍の人に連れて来られちゃった。えへへー」
「ええっ?それってもしかして視察ですか?」
「うん、どこに橋をかけられるか、色々、見てきたの」
「コホン……!」
ルドルフ大佐が、わざとらしく大きな咳払いをした。
「……私は軍務局のルドルフ大佐だ。本日はオデール伯爵の要請により、この黒竜川流域の架橋予定地の視察に来た。感動の再会は結構だが、さっそく現状と地形を見せてもらいたい」
その声に、ウォルターがハッと我に返った。
「こ、これは失礼をいたしました! 私はオデール領内政官のウォルターと申します。大佐殿、どうぞこちらへ!」
ウォルターが居住まいを正して大佐を案内しようとしたその時、マルコがふとカイトの頭を見て不思議そうに言った。
「あれ? 親方、ヘルメットは?」
「とつぜん、こっちに来ることになっちゃったから、持って来てないの」
カイトが舌足らずな声で答えると、マルコは「親方としたことが、そりゃあいけねえ!」と慌てて現場の資材置き場へと走った。
すぐに戻ってきたマルコの手には、真新しい黄色いヘルメットと、精巧に作られた竹笛が握られていた。
「いつか親方が視察に来てくれるんじゃないかと思って、新しいヤツを作っておいたんです。さあ、どうぞ!」
「わあ! ありがとうマルコおじちゃん!」
カイトは嬉しそうにヘルメットをポスッと被り、顎紐をキュッと締めた。そして首から竹笛を下げる。
(……ふぅむ。やはり現場ではヘルメットを被らんと落ち着かんわい)
王都に召喚され、軍務局に拉致され、それまで己の装備を封印されていたカイトがようやく手に入れた正装だった。
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