第41話 魂響の堕天使
「まったく……ほんとに凄い子ね」
響に尊敬の念を込めた笑みが浮かぶ。あれほどまで絶望的な差だった力が、拮抗している。これなら、吟時が倒せるかもしれないと期待の心が生まれた。このまま死ぬと思っていたタイミングでの覚醒。響だけではなく、見ている大多数の人間が吟時に期待するような状況だろう。
ギュッと両手を合わせて、願うように戦いを見守る響だったが、雫が響の服の袖を引っ張る。
「今のままじゃ、吟時が死んじゃう」
「え?」
雫の言葉に、響は冷や汗が垂れた。雫は無駄に発破をかけるようなことはしないし、こんなところで冗談を言う人間ではない。明確な根拠があって、響に伝えてきたのだろう。響は震える声で雫に理由を聞く。
「どうして」
「わたしの回復速度より、吟時君が傷を負う速度の方が早い。それに、あの状態で戦えているほうがおかしい」
その言葉を聞いて、響は正気に戻る。なぜそんなことも考えられなかったのだろうかと、響は自分自身に苛立った。恐らくだが、絶対に勝てないと思っていた相手に対して吟時が覚醒したことで、藁にも縋るような生への欲が生まれてしまったからだろう。
絶望的な状況から希望が生まれた時、人はそれに縋りたくなるものだから。
「どうすれば、覚醒できる?」
「……少し、確認してみる」
雫の問いに、響は吟時の体内の音だけに集中する。今、吟時は、目の前の鬼と凄まじい音を出し合いながら戦っているため、色々な音が響の耳に入ってきた。
ギイイイイイン――まずは、金属と金属がぶつかるような衝撃音。耳をつんざくような音を無視して、次に聞こえる音を拾う。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「覇覇覇覇覇覇覇覇覇覇覇覇!!」
次に聞こえるのは、吟時の渾身の叫びと、地鳴りのような笑い声を出す鬼のXENOSの声。声だけで判断すれば、余裕があるのは明らかに鬼の方だ。吟時の渾身の叫びは、命を削り自分を奮い立たせているものの、それでも鬼を倒せないことへの焦りと怒りを含んだ響きだった。響はそこで人任せな自分を恥じることになったが、すぐに頭を切り替えた。
自分を恥じている時間すら、今は惜しいのだ。響は目を閉じて集中する。そこでようやく、体内の音が、響の耳に届いた。
ドックン、ドックン――今の吟時の心音は綺麗に一つに重なっている。靭もそうだったが、完全な姿になるには影との親和性を高め、心音を寸分の狂いもなく合わせる必要があった。どうすればいいのかというゴールまでは分かるが、そこまで行く過程が響には分からない。
吟時も先ほどまでは、響たちと同じ心音であった。覚醒する直前、心臓の音が強くなったことは分かるが、それ以外に何があったかと言われれば、思い出されるのは一つ。
「吟時は……死にたくないって言ってたわ」
「そうじゃなかったのね」
吟時とそこまで関われていない雫は、死なないために戦っているという吟時を見つめていた。決してそうは見えないが、響が言うならそうなのだろうと納得した表情で。
「普通じゃないのよ、あの子の場合。負けず嫌いも相まって、色々とよく分からない子だったから」
響は、これまで時間を共に過ごしてきた吟時から、生に執着するような言葉を聞いたことがなかった。最初に出会った時もそうだ。人が死のうがどうでもいいという反応。ペアになったときも、ただすぐそばに響と吟時がいたから決まっただけの関係だった。
同じ部屋ではいつも作られた笑顔を張り付け、本性を隠し通し、淡々と生存ゲームを生き抜いてきた吟時。別にここで死んでも問題はないが、自分のせいで自分以外が死ぬのは気分が悪いと思っていることも、響は見抜いていた。
「そっか……死にたくないのか」
デスゲームの中でXENOSとの戦いが始まれば、吟時の行動はあからさまに変わった。戦いの中で死ねるなら本望だとさえ思えるような行動ばかりとっていたからだ。人とはなるべく交わらず、一人だけで片づける。それが当たり前で、それで死ねるならそれでいいと。
響の中で吟時の評価は、戦闘狂の自殺志願者だった。
けれど、その殻を壊してきたのが、靭を筆頭とした雫、琥珀、守大だ。組まなくていいパーティーを組んだり、吟時に対してフォローを入れたり、コミュニケーションを取ったりと、目に見える形で交流を増やした。そのおかげもあったからか、負けず嫌いが発揮されたことで、影まで発現して生き延びてきたのだ。
そして、今回の戦争前に、全てを曝け出す話し合いで、吟時も告白した。全員から温かい声が掛かり、本人も思うところがあったのかもしれない。
だからこその『死にたくない』という言葉。そこから、吟時の心臓から影が解放されたように姿が変わったのを確認した。心からの想いが自分たちの体内にいる影と共鳴して、完全な姿になり得るのかもしれないと。
「本心から本気で思えば、体の中の影が答えてくれるのかもね」
「そっか」
「あとは、心臓をどうにか激しく鼓動させないとだけど……まあ、やってみるしかないか」
響は覚悟を決める。このままでは吟時が死んでしまうし、吟時が欠けては全員の士気にかかわるし、何よりほんの少しだけ自分も悲しいという気持ちがあった。自分の心に正直に動くこと。それが、自分たちの体内に眠る影を起こす方法だと信じて。
「後ろで願うように祈りを捧げるのはおしまいにしないとね」
「うん、分かった」
響と雫は、戦場で戦う吟時を救うために立ち上がる。とはいえ、覚醒者である吟時と、第三変異型の鬼に割って入る手段はない。戦えるとしたら、本当に僅かな隙を見て、アクションを起こすしかない。
「ねえ、響ちゃん」
「どうしたの、雫ちゃん」
雫は、響の顔を見て、静かに笑う。響は、意外だった。雫が表情を見せるのは、靭はもちろんだが、それ以外のメンバーで言えば、琥珀だけだったから。響は、雫から情報を得たくて、揶揄い混じりで質問をしたことがいくつもあるから、嫌われてると思ったのだ。
「わたしね、記憶を取り戻してから、部隊のみんながとっても好きなの」
「ええ」
「誰にも死んでほしくないし、もちろん、わたし自身も死にたくないと思ってる」
「私だってそうよ。誰にも死んでほしくないわ。もちろん、私もね」
響はあえて、靭の話はしなかった。直近の二人を見て、違和感があったから。あまり触れてはいけない話題だと察して。けれど、その気遣いは意味がなかった。
「……靭はね、きっとわたしをもう愛せない」
直接、雫の口から落とされたから。今は、一刻を争う場面だが、きっと彼女に必要なことなのだろうと、響は静かに問いを投げた。
「それは、どうして?」
「靭が心から愛していた人は、わたしのお姉ちゃん……【木花凛】だから」
浮遊車での会話だ。少しだけだが、雫の過去を知ることができた。それと、今、雫が見せる表情。なんとなく、響は言いたいことが予測できた。
「雫ちゃん、それって」
「わたしね、やっと気付いたの。わたしは、わたしを本気で騙していた。お姉ちゃんになりたかったから、お姉ちゃんが心から愛していた【深海靭】に依存してた。わたし自身が愛していたわけじゃないって」
雫は、過去を振り返って懐かしむように目を細めた。
「靭のことは、今でも尊敬してるし、人として好ましく思ってる。抱かれるのも嫌じゃないし、初めても靭で良かったと思う。だって……思い出しても、嫌な感じはしないから。でもね、何でもできるわけじゃなくなっちゃった……わたしも、靭を愛していないの……だから、お互い様ね」
ふふ、と笑う雫は、誰かに本心を話せて、憑き物が取れたような表情を見せる。
「誰かに本心を告げるって、こんなに緊張するのね」
「そうね……みんな、それを経験してるのかも」
雫が笑みを浮かべたことで、響もつられて笑顔を見せる。
「そっか……じゃあ、次は響ちゃんの番ね」
「私?」
「うん……きっと、今のわたしじゃ、覚醒できない」
突然、そんなことを言い出す雫に、響は何か嫌な予感を感じた。
「ねえ、雫ちゃん?」
「何となく分かるの……だからね、響ちゃん」
雫は突然、影を大量に放出し、吟時にありったけを渡す。回復速度を高めるためだろう。響にも同じく、大量の影を纏わせる。ここまでは、やりたいことが理解できた。
しかし、問題は、その後だ。
「ちょっと、雫ちゃん!?」
雫は、響の体を蔦で絡めて距離を取らせて、さらに茨で周囲を固める。まるで、何かから守ろうとするように。
響は、雫の新緑に四輪の花が咲いているような瞳を見た。
「ここは、託すね。わたし……影と話すために、少し寝る」
小さな声だった。
響なら聞こえるだろうと、確信した声で呟いた言葉。
「背負わせないって言いながら、背負わせてごめんね」
戦闘に出る前、響に対して告げた言葉を撤回してしまうことに罪悪感を感じているように、重々しく雫は謝罪した。
「でも、響ちゃんなら……きっとできるって、信じてる」
雫が響に笑顔を見せた、その直後。
「え」
突然、雫の体から血が噴き出す。影ではない。体の至る所から斬られたような血の噴き出し方だった。雫は、そのまま地面に倒れ込んだ。そして、響の周りから影で出来た蔦と茨が、霧散していく。響は顔を真っ青に染めながら、叫ぶ。
「雫ちゃん!!」
響は、雫の元まで走った。影纏が解けて、元の軍服姿に戻っている。心音は聞こえており、息もしているので、生きていることが確認された。雫の血の臭いは、鉄臭くなく、やけに甘ったるい花の蜜の香りがする。
その原因は、恐らく影だ。影纏は解けたが、雫の命を救おうと影が懸命に治療している。
「どうして……」
響は涙ぐみながら雫を見たが、気を失っているため真意を聞くことはできない。その後で、響は再び激しい戦闘音が聞こえていることに気が付いた。
「……あ」
響は、吟時を視界に映す。吟時は膝を付いて、息を荒げていた。もういつ倒れてもおかしくない。呼吸は乱れ、息も絶え絶えだ。鬼のXENOSは吟時と同じく息を荒げているが、まだ余力がある。
「助け……られて、しまい、ました……ね……」
吟時は小さくつぶやくと、震える体を無理やり動かして妖刀を構えた。鬼のXENOSは動かない。吟時の纏う威圧に、警戒しているかのようだ。
「響さん」
「え」
吟時の声が響の耳に届いた。いつものふざけた口調でも、本心を隠すような口調でもない。真剣に、願いを込めた呟きだった。
「少しでいい……コイツを止めてください……短い時間ですが……それまでは、どうにかしてみせますから」
「……」
一人で戦うことを好んでいた男から出たとは思えない言葉に、響は掛ける言葉すらでてこない。
「頼みます……はああああああああ!」
吟時は響に頼んだ後で、己に喝を入れるように叫びながら、鬼のXENOSへと駆けだした。
「我阿阿阿阿!!」
鬼のXENOSもまた、吟時を迎え撃つべく、吟時に襲い掛かる。
「ちょっと、待ってよ……これって……」
ギイイイイイン――吟時と鬼の影の衝撃音が響いた。
それと同時に、眩い光と暗闇が、響を同時に包んだ。
そして、響の目の前には、とある光景が目に飛び込んできた。
「っ!?」
響は、とある場所にいた。
そこが戦場であることに変わりはない。ただその場には、鬼だけが立っていた。鬼のそばには、腕に心臓を貫かれた吟時と、金棒で体を貫かれた雫の姿。
「うそ……」
そしてそこには、心臓をえぐり取られた響自身が地面に倒れ込んでいた。響は思わず後ずさり、その場から逃げるように結界内から走り出す。緑を失い、大地としての役目を終えた荒野を彷徨う。
周囲からは、音が聞こえる。
「ぐああああああ!」
「やめ、やめてくれええええ!」
「いやだああ、死にたくなあいい!!」
「きゃあああああ!!!!」
その音は、人々が死ぬ間際の絶叫であった。
叫び過ぎてかすれた声、体を潰され肺から無理やり絞りだされたような声、恐怖や痛みで引きつった高い声、命が尽きる瞬間の断末魔。
「やめてよ……やめて!!!」
響は耳を塞いで必死に逃げる。けれど、聴力が異常に発達した響には、全てが筒抜けだ。耳を塞ぐ意味はなく、全てが手をすり抜け、鼓膜を通り、脳にまで刻まれていく。
「はぁ、はぁ……っはぁ!」
それでも、響は必死に走った。どこかに逃げる場所がないかと、必死に逃げた先で、ようやく生きている人に出くわす。響は、手を伸ばして助けを求めようとする。
「あれ、は……」
生き残ったであろう、守大、琥珀、靭の後姿。その姿を見て、響は立ち止まる。
またしても、視界が光と闇に覆われる。
「っ!」
眩い光と、全てを飲み込む闇が消えると、目の前には先ほどの三人が目の前に現れた。
三人は、何者かと必死に戦っている最中なのだろう。視線は、響の後ろにいる何者かを凝視している。響は、後ろのことは視界に入らず、ただ、三人を見ていた。
「ぐっ!!」
守大は、片側の顔の皮膚が無く、肉と骨が見えている。片腕はひしゃげているが、使える方の手で盾を構えている。どれだけボロボロでも、それでも、仲間のために立ち続けて、迫りくる攻撃から体を呈して仲間を守っていた。時には気を失っても、体が身を呈して勝手に仲間の前に立つほどだ。
「マモタ……このやろおおおおおおお!」
琥珀は頭から血を流し、両目が潰れていて、影でできたであろう尻尾も引き千切られている。もう目が見えないのに、敵の臭いを嗅いで位置を特定し、敵に攻撃を続けている。炎を駆使して敵の攻撃を焼き払い、接敵し、噛みついたり爪で引き裂いたりと攻撃を繰り返していた。
「きゃ!」
「逃げろおおおおおおおおおお!!!」
左半分の顔がない状態で声を荒げて叫んだ靭は、琥珀を掴んで後ろに投げ飛ばした。琥珀を投げた腕は、骨が見えていて、体中は穴だらけで臓器が顔を出している。足の一部も、抉られていて、立っていられる意味が分からないほど、全身を血で染めていて悲惨な状態だ。
「あ」
そして、三人は死んだ。
何をされたか分からない。その場で、心臓を貫かれて死んでいる。
声すらなかった。ただ、目の前で倒れるように死んだ。
響は、その場で座り込み、呟いた。
「私が……期待に応えられなかった世界……」
それは、如月が今まで見せた未来のうちの悲惨な末路の一つ。響は今までも多くの残酷な未来を視てきた。けれど、ここまではっきりとした未来を視たわけではない。仲間が死ぬ姿は視たが、誰に殺されるかまでは視てこなかった。
だから、分かる。
このままいけば間違いなくこの未来が訪れると、響の直感が告げていた。
「私のせいで……みんなが……」
響は地面を眺めて、胸の前でギュッと拳を握りしめる。このままでは、この未来が確実のものになってしまう。もしそうではなくとも、きっと似たような結末が待っているだろうと予感している。
逃げたくても、逃げられない。立ち向かうべき時が来たのだ。
以前の響は、モデル業界の裏事情から目を背けて、酒とタバコと絶叫に逃げていた。それは決して悪いことではない。精神を保つために必要なら、やるべきだ。
けれど、今回はそうではない。
自分と大切な仲間の命が懸かっているのだ。
「でも……どうしたら」
どうすれば自分の中に眠る影が答えてくれるのかを、響は知らない。いや、響だけではなく、誰も分かっていないのだ。答えを教えてくれる人はいないのだから、自分で見つけるしかない。
響は、震える足に力を込めて、立ち上がる。
「……ねえ、聞いてるかしら」
響は呟く。独り言ではない。自分の中にいる誰かに問いかけるように、ハッキリと告げていた。
「力が欲しいわ……この姿だし、悪魔みたいなやつなのかしら」
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、響は一人、カメラの前で演技するように話す。
「私は、仲間を守るためなら、なんだってしてやるって言ってるの!!」
それでも、誰も答えない。
「力を貸しなさいって、言ってるのよ!!」
絞り出すように叫んでも、奇跡を希うように叫んでも、誰も何も応じない。
「ッ!?」
そして、応じないまま、眩い光と飲み込む闇に飲まれる。
ズガアアン――突然の衝撃音に、響は目を開けた。
目の前には、地面に倒れた吟時と、膝をつく鬼の姿があった。
「吟時君!!」
響は走った。躊躇することなく、絶対に勝てない化け物から、吟時を救うために。
「阿阿……」
鬼はゆっくりと立ち上がる。拳が半分に切断されて、肉と骨が見えていた。それでも、片腕はまだ原型を留めている。それだけで、鬼には十分らしい。地面に突き刺さっていた金棒を手に取った。何をするかは、一目瞭然だ。
「まだ……だ」
声を出すのもやっと力で吟時は懸命に立ち上がる。吟時と鬼が流した血を、不気味に赤黒く光る妖刀が吸収していく。妖刀は、さらに濃く妖しい光を放っている。吟時の想いに応えているようだ。
「これさえ……当てれれば!!」
響の耳に、勝機に繋がる言葉が聞こえる。
勝機は、ある。
なら、響がやることは一つだけ。
「!!」
吟時が立ち上がる直前、響が吟時の前に立つ。
「●゛●゛●゛●゛●゛●゛●゛●゛●゛」
響は全身全霊、魂からの叫びを放った。
鬼の動きは僅かに鈍るが、それでもゆっくりと動いている。響は目を離さず、真っすぐ鬼を睨みつける。響よりも大きな金棒が鬼の背中に移動する。止められない。
「●゛●゛●゛●゛●゛●゛●゛●゛●゛」
それでも、響は叫ぶ。
遅かったかもしれないが、命を懸けてでも、目の前の鬼を止めるために。
「不ッ」
鬼は笑う。意味がないぞと、嘲笑しているように。
「破!!」
鬼が一喝するだけで。
「くっ!」
細かい風の刃が響を襲い、全身に傷を付ける。その痛みに、響の絶叫が途切れた。唯一の対抗手段も簡単に防がれる。それでも、響は吟時の肉壁であり続ける道を選んだ。
「はぁ……はぁ……」
響の心臓が爆発する勢いで、鼓動している。当たり前だ。絶対に勝てない相手を前に、武器も盾もなしに立ち続けているのだから。鬼の殺気を前に、体の震えと、今まで体感したことのない痛みを無視して、鬼を睨みつけた。
響にあるのは、絶対に引かないという鋼の意思のみ。
「覇覇」
鬼は称賛したような笑みを見せるが、それは同時に、終わりを告げる笑みでもあった。
「!!」
金棒が鬼の頭上に上がる。
もう、響には避けることも、吟時のために盾になることもできない。このまま、二人ともあっけなく潰されて終わりだ。
「止まってえええええええ!!!」
響の叫びも空しく。
「破ッ!」
金棒が振り下ろされた。
死んだ。
けれど、響はそう思っても、金棒から目を離さないし、叫びを止めない。
金棒はゆっくりと響に迫る。
そして、止まった。
「ッ!?」
何が起きたか分からない。
けれど、確かに世界は止まっている。
「何……」
体が動くわけではない。それどころか、目玉の一つも動かせない。唯一出来ることは声を発することだけだった。走馬灯の類でもない。世界が止まり、意識だけがある状態だ。
『このまま死ぬのは駄目よ』
『このまま無様に死ぬなよ』
透き通るような女の声と、濁ってくぐもった男の声が同時に響の脳内に響いた。しかし、響にはそんなことどうでもよかった。感じたのは、胸の奥が熱くなるほどの強烈な怒りだ。
「私だって、このまま死ぬのはごめんよ!」
体がどこも動かないせいで、余計に怒りが溜まっていく。
『そうよね、せっかく立ち向かったのに』
『だろうよ、許せねぇ相手がいるのにな』
女と男が交じり合った声が、似たような事を言う。
「……待って……この声」
響はこの声に聞き覚えがあった。必死に思い出す。酷く頭痛がする。頭の中を自らこじ開けるような痛みに襲われてもなお、気にせず過去を探った。
この女と男の声を、いったいどこで聞いたのかを。
「そういえば……夢で」
似たような声を聞いたことを思い出す。
『正解よ。まあ、勝手に出てきちゃったけどね』
『及第点。本当にギリギリだが、間に合ったな』
女は優雅に笑い、男は嘲笑う。
そして、一瞬の間を空けてから、響に対して言葉を問う。
『貴女に問う』
『お前に問う』
「……」
響は、静かに二人の声を聞いた。
『仲間を奮い立たせ、能力を一時的に上げる力か』
『敵を震え上がらせ、能力を一時的に下げる力か』
どちらも正反対の能力であった。
『貴女は、どちらを選ぶ?』
『お前は、どっちを取る?』
どちらか選択を迫られた。
「……」
響の心の中に、言葉がよぎる。
『なら、できるようになれよ』
靭の言葉を思い返して、フッと笑みを浮かべる。同い年で、やる気を感じられない表情をする割に、責任感は人一倍ある男の言葉。
靭にできて、自分に出来ない道理はない。
『さあ』
『さあ』
体内の影たちに急かされた響は、動かないはずの空間で不敵に口元を緩めた。
「どっちも頂くに決まってるでしょ?」
傲慢な答えを吐き出した。
『……』
『……』
声が止んだ。それでも、響は狼狽えない。この世界で生き残るには、強かさが必要不可欠だ。モデル業界を思い出す。自分の生活を邪魔するものがいれば、どんな手を尽くしても排除してきたのだから。
ここでも同じだ。自分たちを脅かすなら排除するだけ。ここでは権力など通じない。なら、己の力を求める。当然の権利だ。
だから、響は態度を変えない。媚び諂うことはしなかった。なにせ私が死ねば、今話しかけてるこいつらも死ぬのだから。その覚悟があるなら仕方ない。ここで一緒に死ぬだけだ。
『ふふふ』
『ガハハ』
笑い声が響いた。それは、とても楽し気に、満足していた答えを得られたような笑いだ。
『素晴らしいわ』
『最高の答えだ』
響は笑う。声も話し方も似てはいないが、同じ穴の狢ということだろうと。
『私の名前を』
『俺の名前を』
それだけ言われれば、十分だった。
響は、その場で深く大きく息を吸う。
そして、叫んだ
「魂響!!」
――音はない。だが、響の周りの空気が変化した。空気を揺らす振動が、前方に響き渡る。
そして、響の心臓から影が噴き出す。
「那ッ!?」
響の心臓から影が噴き出したから驚いたわけではない。空気を揺らす振動により、鬼の持つ金棒がブレて吹き飛ばされたことに驚愕したのだ。鬼は響を睨み、武器を失った手で握りつぶそうと動いた。けれど、その手は響に届かない。高密度の空気の壁が、鬼の手を阻んだからだ。
鬼は一切近づけない。
絶対的な安全圏となったその中心で、響の姿が劇的に変貌していく。
左半身が悪魔、右半身が天使という歪な姿だった彼女のシルエットが、洗練された一つの「美」へと統合されていく。
頭上には、後ろに向かって緩やかにカーブする美しい角が二本。その顔立ちは、見た者が思わず膝を折り、祈りを捧げてしまいたくなるほどの、畏怖すら感じる絶対的な美貌へと変わっていた。背から広がるのは、対極の四枚羽。穢れを知らぬ純白の結晶のような二枚の羽と、黒紫色のステンドグラスを鋭く切り出したような硬質の翅が、左右に展開する。
纏うのは、夜のステージを思わせる煌びやかな黒紫色のドレススーツ。異形だった左手足は滑らかな人間の肌へと戻り、指先は黒いマニキュアに彩られ、足元は鋭いピンヒールが空間を踏みしめている。
彼女の周囲には、天使の輪を浮かべた白い雲のような毛玉たちが無数に舞い、肩には、紫の鬣と長い尾羽を持つ漆黒の烏が、主を称えるように降り立った。
天使の気高さと、悪魔の毒々しさ。
その両方を完全に支配した美しき魂響の堕天使が、そこに降臨していた。
「ふふ」
響は、振動する空気に手を出せない鬼を嘲笑いながら、左手を前に出す。
「行きなさい」
「ガア!」
烏は飛び去ると、凄まじい速度で鬼の周りを飛びながら、自らの羽根を大量に散りばめていく。
「阿阿!」
鬼が鬱陶しく目の前を飛び回る烏に拳をぶつけると、烏は二羽へと増えて、さらに多くの羽根を散りばめた。鬼は怒りを露わにし、飛び回る烏を無視して、半壊した手も使って振動する空気の壁を壊そうと攻撃をする。
「我!?」
「ふふ、お馬鹿さん」
振動する空気の壁に触れた鬼の両手が、ぐちゃぐちゃな姿に変わり果てる。
「今のあなたでは、その壁は壊せないわ……私の可愛い烏が、貴女の力を弱めているのだから」
鬼は攻め手を変えて、振動する空気の壁を蹴り上げるが、全く効果がない。
響は不敵に笑い、今度は左手を上げる。
「さあ、吟時、起きて。目の前の鬼を殺すわよ」
響がそう命じれば、雲のような毛玉が吟時の周囲を飛び回る。毛玉から光を発する雪のようなものが落ちていく。その光る雪が吟時の全身を包み込む。
「……ありがとうございます、響さん」
起き上がるのもやっとだったはずの吟時が、痛みを感じていないようにスッと立ち上がった。傷は完全に癒えてはいないが、明らかに体が軽くなっている動作だ。
「……期待以上です」
横に立つ吟時が、笑みを見せる。
「ふふ、良かった。アイツの動きを止めるから、派手にやってしまいなさい」
「悪女みたいな言い方ですね」
「それも悪くないわ。こいつらをぶっ殺せるなら、悪女にでも、悪魔にでもなってやるわよ……」
「賛成ですね」
吟時が賛同すると、響は嬉しそうに口角を上げた。
そして、響は一歩前に出て、叫んだ。
「「止まれ!!」」
掠れた低い声と、高い声が同時に出ると、鬼の周りの空気がブレて鬼を固定する。鬼は全く身動きが取れずにいるが、空気がミシミシと歪な音を立てていた。
「ほら、注文通り、時間は稼いでるわよ」
「感謝します……」
吟時は、腰を曲げて、赤黒い光を発している妖刀を構える。吟時が集中すればするほど、妖刀の光が増していく。
「豪血の一太刀!!」
ドン――大地を蹴り、上空へと舞い上がり、全身全霊の一太刀を振るう。
妖刀から赤黒い斬撃が、鬼を討つべく一直線に放たれた。
「……見事」
一言だけ呟いた鬼は斜めに両断され、後ろに大の字に倒れて生命活動を停止させた。妖刀は自分の糧とするため、鬼から噴き出した血を全て吸収していく。鬼の血だけではなく、結界内に飛び散った全ての血が一か所に集まり、濃厚な血の臭いを放つ。そして全ての血を集め終えると、妖刀へと吸い込まれていった。
「アイアンメイデンを壊せば、終わりですかね」
「そうね。三人とも、無事に出られたようだし」
「なるほど」
結界外に視線を投げると、ぴょんぴょんと跳ねる獣人の琥珀、頭を下げる騎士の守大、スーツ姿に青いオールバックの靭がこちらに手を振って見守っていたようだ。
「では、壊します」
吟時はアイアンメイデンの前まで歩いて、流れるように妖刀でそれを斬り裂いた。
パリン――結界が弾けて消える。外で待っていた琥珀が猛スピードで響の前に駆け寄ってきた。響は少し面食らいながらも、琥珀の頭を優しく撫でる。
それから靭と守大が合流し、限界を迎えた吟時が出血多量で気を失う。琥珀が治療中の雫を抱えて連れてきて、響も疲れてその場に座り込んだ。
全員が疲労困憊、満身創痍のため、しばしの休憩に入ることに。
琥珀は炎雀を出して、全員の傷を応急処置していく。
「みんな、生きててくれてありがとうな」
靭が全員に向かってそういうと、全員が笑顔を見せ、称賛しあうのであった。
吟時、響……いいよね
お読みいただきありがとうございます。
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