第40話 豪血の刀鬼
ブオン――低い音が鳴り響き、視界が光の壁によって遮断された。響と雫と吟時は、突如として自分たちを閉じ込めたピラミッド型の結界を呆然と眺めている。
「ちょっと……冗談でしょ?」
「閉じ込められた」
「これは、困りましたね……」
それぞれが、それらしい感想を述べてから、吟時が結界に触れる。硬さを確かめて、影の刀を握り振り抜いた。
キィィィン――吟時が放った一撃は甲高い音を立てただけで、結界には傷一つ付いていない。
「うん、力技の脱出は無理ですね」
「じゃあ、あれ」
吟時の言葉に、雫が指をさす。そこには、アイアンメイデン。あれを破壊するしかないのだろうと推測する。吟時も同じことを思っていたのか、雫の前に出ながら刀を構えた。
「待って……中に何かいる」
響がそう言うと、吟時の動きが止まる。しかし、いつでも飛び出せるように足を前に出して姿勢を低く保つ。響もマイクを構えて眷属をアイアンメイデンの周辺に散りばめ、雫は茨をアイアンメイデンの前に生やした。
誰も一言も発さずに、ただ、相手の出方を待つ。
ギイイイイイ――アイアンメイデンの物体が開く。
中から出てきたのは、大柄のXENOS。
顔は怒りの表情で真っ赤に染まっており、立派な二本の角を生やし、口の下から牙が伸びている。ボロボロの衣装を纏い、2mはありそうな金棒を担いで、肩を叩いている。
正真正銘の鬼が、そこにいた。
「もう……最悪……」
響は、どうにか口を動かすが、悪態をつくだけで精一杯なのか、体を一切動かさない。いや、正確には動かさないのではなく、動けなかった。鬼から発せられる圧が、響の体を完全に固定しているかのようだ。圧は目に見えるものではないが、響の眷属でさえ宙に浮くことすら叶わず地面に落とされていた。何らかの能力が発動しているのだろう。
「ふううう」
吟時が呼吸を吐いて、目の前の敵を見据える。体格差は二倍近くあり、赤黒い肌は普通の肉体ではないだろうと予想した。ただでさえ肉体に差があるというのに、鬼の右手に持つ金棒が、さらに暴力性と危険性を増している。
「……お二人は、なるべく距離を取ってください。自分の力では、あなた方を守れない」
吟時がハッキリと伝えると、金縛りが解けた様に響と雫はゆっくりと後ずさる。鬼はただ凝視しているだけで、そこから動く気配はない。吟時は、決して鬼から目を離さずに、刀を構える。
「愚羅阿阿阿阿阿阿阿阿!!」
鬼が叫ぶ。
ドン――そして、地を蹴った。
「っ!!」
ギイイイイイン――金棒と影の刀がぶつかり合う。吟時は、どうにか二本の刀で防ぐ。鬼の力で振り下ろされた金棒は、吟時を追い込む。吟時の足元の地面がひび割れ、砕かれるほどの衝撃。たった一発で、吟時の足の骨にヒビが入る。
「らああああああ!」
吟時は、影の刀の角度を変えて、どうにか受け流し、距離を取る。
「は、はは……一撃で、これですか」
巨体に似合わぬ速度と、それに見合うだけの威力。吟時の腕が、痺れながら震えていた。額から何かが流れ落ちるのを感じる。鬼から目を離さずにそれに触れれば、血であることが分かる。どうやら、鬼の金棒の攻撃を防ぎきれずに、頭が切れていたようだ。
「だいぶ……よろしくないですね」
吟時は、二刀を構えて、今度は自ら飛び出した。次の一手を防げるか分からないと判断して、攻撃に転じる。鬼の金棒が迫りくるが、速さに慣れてしまえば当たることはなかった。吟時は、金棒を紙一重で避けながら、鬼へと接近する。
刀の届く距離まであと一歩。吟時は、力を最大限に溜めて、両手の刀を振り抜いた。
ギイイイイイン――鬼は吟時の刀を、金棒を装備していない腕だけで防いだ。予想していた通り、普通の肉体とは思えないほどの強靭な皮膚。金属で体が出来ているのではないかと疑うほど。皮膚でこれなら、筋肉がどうなっているかなど、想像もしたくない。
「我阿阿!」
「っ!」
金棒を地面に置いて、素手で吟時を薙ぎ払う。直撃はしなかったが、鋭く硬い爪が吟時の体を掠めてしまう。ほんのわずかに触れただけだというのに、腹が抉れている。
「……はは……どういう原理なんですかね」
理不尽な防御力と攻撃力を前に、吟時は笑うしかなかった。影の刃は歯が立たず、金棒や爪を防ぎ、避けたとしてもダメージが入るのだ。
鬼は怒り狂った顔をしたまま、表情に変化はない。嘲笑もなければ、痛みを感じている素振りもなにもないのだ。反応がないだけでここまで恐ろしい存在になるのかと、吟時は血と一緒に冷や汗を流す。
「おや」
切れた頭と抉れた腹の痛みが緩和していくのを感じた。見なくても分かる。雫が遠くから回復してくれているのだろうと。
「鬼の攻撃時、風が吹いてるわ」
鬼を注視していると、隣で誰かが言葉を発しているような声が聞こえてきた。隣には誰もいないので、響が声を届けているのだろう。
「しかも、貴方の体を傷つけるほどの風圧ね。見た目には見えなくても、音で判断できる」
「……それはまた、厄介な力です」
それは、どうしようもない理不尽であった。ただでさえ相手の馬鹿力と対処することでさえギリギリだというのに、能力付きだ。仮に防げたとしても、待っているのは鉄壁の肉体。歯が立たないとは、まさにこのこと。
「さて、困りましたね……」
「我阿阿阿!」
攻めあぐねている吟時を前にして、鬼が躊躇なく襲い掛かる。
「はあああああ!」
今の吟時に、鬼を殺すほどの力はない。しかし、そんなこと、吟時は百も承知だ。それでも、やらなければならない。鬼に唯一対抗できるのは、自分だけだから。後ろの二人では、なすすべもなくやられてしまう。それだけは、許されなかった。
最初は、馬鹿にして、お荷物だとさえ思っていた響は、今やサポートに徹して力を発揮している。雫だってそうだ。どんな傷でも治せるほどの治癒力。今、この二人がやられてしまえば、部隊は崩壊するだろう。
だからこそ、やられるわけにはいかなかった。
「羅阿阿阿!」
「ぐ!」
鬼の攻撃する場所は、強化された目で分かる。けれど避けているというのに、鬼の鎌鼬のような能力のせいで、どうしても軽傷では済まされない傷が増えていく。
実力不足、圧倒的な力の違い。同じ鬼のような姿をしているのに、月とすっぽん程の違いだ。
そんな自分を客観的に眺める吟時は、ふと思った。自分は、この部隊で役に立っているのだろうか、と。吟時の脳内が、敵を前にして邪念を語り掛けてくる。
「はあああああ!」
邪念を振り払うように、鬼の攻撃を掻い潜り、傷が増えても構わず刀を振り抜く。
ギイイイイイン――傷はつかない。急いでその場から離れて、もう一度同じことを繰り返す。
雫からの治癒は入っているが、吟時が傷を負う速度に、回復速度が追いついていない。致命傷の傷だけを防ぐしかなかった。
けれど、なぜか調子は上がっていっている気がした。ただ、ハイになっているだけかもしれない。それでも良かったのだ。
心が折れるよりは、ずっといいのだから。
心が先に折れてしまえば戦えないことを、吟時は嫌というほど知っている。
父親とは思えない人間に、心も体も叩き潰された日。吟時の心は完全に折れた。けれど、それを忘れたことで、もう一度立ち上がることができたのだ。何でもできると思っていたあの頃の自分の心を取り戻せた。
それでも、天音静流に叩きのめされて、心が折れそうになったのも事実だ。けれど天音静流は、そんなことでは許してはくれなかった。
『おや、もうそれで終わりかい?』
『やっぱり君は口だけだ』
『圧倒的に弱いのに、よくもまあここまで生き残れましたね』
『誰が終わりと言いましたか?』
『いつまで寝ているのですか』
思い出すだけでも腹が立つが、吟時は笑っていた。今、絶対に敵わない理不尽と相対しても、立ち向かう勇気をくれたのは天音静流だからだ。何度倒れても、起き上がる方法を教えてくれた。
怒りでいい。嫉妬でいい。負の感情をとことん使う。自分の素なのか、それとも本心なのか分からない人格が姿を現しても、どんなことをしても立ち向かう。
いつかは、届く日が来る。
普通の人間であれば、無理だ。
けれども、吟時たちは、普通の人間じゃない。なら、行けるだろうと自分を鼓舞する。
なぜなら。
『へぇ……まかさ一撃入れてくるとはね』
絶対に敵わないと思っていた天音静流に、一撃を入れることができたのだから。その後、ボコボコにされてしまったが、またそれも修行のうち。まあ、かなり苛立ったが。容赦がなさ過ぎて、とても苛立った記憶を思い出す。
ギイイイイイン――天音静流に対する怒りを思い出して放った一撃でも、やはり傷はつかない。それでも、吟時は調子がいい気がした。血を流して傷ついているというのに、振り抜く刀の力が強くなっていると。
これは気のせいではない。傷を負うごとに強くなっていたのは、天音静流との戦いでも感じていたからだ。
「阿阿阿!」
鬼が金棒を振り回す。吟時は全てを搔い潜り、鬼の懐へと向かう。
鬼の金棒を避けて鎌鼬を喰らっている最中、吟時は靭の言葉を思い出す。
『若人に期待というやつだ』
何気ない言葉だった。
けれど、吟時は生まれて初めて誰かに期待されたのだ。
その言葉に、嘘はなかった。
なら、期待された分、返さなければいけないだろうと、吟時は口角を上げ、鬼の金棒を避け続ける。
避ける速度が上がっていると、本人でさえ気付かない。
吟時の意識にあるのは、期待には応えるという決意のみ。
「我阿阿阿!!」
攻撃が当たらず、鎌鼬すら気にせず突っ込む吟時に苛立ったのか、鬼は雑に金棒を振り回す。
「っ!」
吟時は覚悟を決めて、迫りくる鬼の金棒を紙一重で避ける。しかし、金棒を紙一重で避けてもダメだ。全身を風の刃が襲い、吟時の顔や腕、肩、腰、足に傷が生じ、鮮血が舞う。
それでも。
何度も、何度も、何度も、刀を振り抜いた。
「はああああああああ!!!!」
傷を負い、刃が通らないと分かってもなお、吟時は両手の刀を握りしめ、力いっぱい振り抜いた。
自分がこの部隊に必要な存在だと、価値ある人間だと証明するように。
そして。
スパンスパン――斬れた。鬼に攻撃が入った。どうして刃が通ったのか、火事場のクソ力なのかもしれない。なんでもよかった。攻撃が通るのなら、目の前の理不尽を殺せるということだから。
「はは……なんだよ……殺せるじゃねぇか!!」
吟時は笑う。鬼の血しぶきを浴び、自身の血を飛ばしながら動き続ける。白目を真っ赤に染めて、狂気じみた黒目を鬼にぶつけて、口を三日月にして笑っていた。
「うら゛ら゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「我阿阿阿阿阿阿!!」
吟時が叫べば、鬼も叫ぶ。鬼の怒り狂った顔もまた、口角を上げて笑っていた。待ちわびていた戦いを楽しむように。金棒の攻撃を避けて鎌鼬を浴びても刃を通す吟時を見て、間違いなく笑みを浮かべていた。
「覇覇覇」
鬼が笑う。
そして、鬼は……金棒を捨てた。
「は?」
その行動を見て、吟時は口から息が漏れる。武器である金棒をなぜ捨てたのか。構えから見て、放たれるのは正拳突き。吟時の目にもそれは読めた。けれど、その位置からでは攻撃は当たらないはずだ。鎌鼬を出す能力はあれど、遠距離攻撃はないはずだと思うのに、嫌な予感が離れない。
「避けて!!」
響の涙ぐんだ声が、吟時の脳内に入り込んでくる。
けれど、それはもう遅い。
「破ッ!!」
鬼の正拳突きが、放たれた。
「●゛●゛●゛●゛●゛●゛」
響のスピーカー型の眷属が風の刃を消失しようと動くも、通り抜けていく。いや、少しだけ位置がズレた。それでも、吟時の体を次々に刻んでいく。後ろに吹き飛ばされながら、吟時は思う。
天音静流の時も、同じことをしてしまったなと。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
それでも、響のおかげで、死ぬことはなかった。致命傷は、本当にギリギリで免れている。吟時は意地だけで態勢を立て直し、刀を構える。
「ぎん……もど……!!」
響の声は、吟時にはほとんど聞こえていない。ただここで死ねば彼女たちも死んでしまうと、吟時の本能が叫ぶ。
血を流し過ぎて、体が冷たくなっている。奇跡的に立ってはいるが、息をするのさえ激痛が走る程の痛みが吟時を襲う。いつ倒れてもおかしくない。吟時は今、気力だけで立っており、ほとんど気絶しているに等しい。
それでも、吟時は鬼だけを凝視する。
何かあれば動けるようにと、刀を構えていた。
「覇覇覇」
また、鬼が笑う。
同じ攻撃が来る。ぼやける視界でもそれだけは分かる。
次は……間違いなく死ぬ。
それでも、相打ちには持っていきたい。
「……スウウゥゥゥ」
吟時は、覚悟を決める。
「破ッ!!」
鬼が正拳突きを放つ。
目には見えない風の刃がいくつも流れてくる。
「……」
ああ、自分は死ぬのかと、ゆっくりと景色が流れていく。
死に際に、走馬灯が見えるという。特段いい思い出などない。尊敬していた兄弟も、優しかった母も死んでいる。父親はどうしているか分からない。兄弟の思い出も、ほとんどが稽古の時間だ。
兄弟の思い出以外に、いい思い出なんて一つもないと思っていた。
正直、兄たちが死んでから、いつ死んでもいいとさえ思っていたのだ。
「……そんなこと、ないな」
けれど、そうではなかったのだ。
今いる部隊のメンバーと過ごした日々が、吟時を変えた。それは、吟時にとって、大切な思い出として残っている。最初は、近くにいたから手を取っただけだ。けれど、気付けば、本心で笑う自分がいたことに気付く。
時間は短かったかもしれないが、命を預けられる仲間だと思えるようになっていた。
そんな日々も、無くなってしまうのかと思うと、少しだけ寂しくなる。
吟時は、気付けば、一粒の涙を零して笑って呟いていた。
「死にたく、ないな」
本心を呟いた吟時は、両手の刀を一つに合わせて一本の刀に変える。
どうにかできると思っていないのに、諦めたくないと心が叫ぶ。血を流し過ぎたというのに、心臓が信じられない速度で動いている。今なら何でもできそうだと、本気でそう思えた。
「っ!」
今までとは比べ物にならない速度で一本の刀を振るう。刀は風の刃を斬って、吟時の間をすり抜けていく。
そして、また一歩、前にでる。
『ようやく、本心を見せたな』
若い男の声が聞こえた。けれど、吟時はそれに答えることはない。目に見えないはずの風の刃を見つけるために、全集中している。そもそも、声が聞こえているかも怪しい。
吟時はただ、風の刃を斬るために、鞘を握りしめてその一本の刀を振るうだけ。
『いいぞ、いいぞ。お前さん。血を流すごとに強くなっている。本心から生きたいと思えた今、人間はこんなにも強くなるものなのだな!!』
楽しそうな声が響くも、吟時には声が届かない。目の前にある、風の刃を斬ることだけに意識を持ってかれている。
それでも、若い男は愉快に告げる。
『さあ、見せてくれ、ギンジ!! 血を流し、死にそうになってもなお、足搔いて足搔いて、生にしがみつく無様で、美しい生き様を!!』
若い男が叫ぶと、吟時の心臓も速く強く鼓動する。
『豪傑とは、血を流し合い、それでも目の前の敵を屠るために、全てを刃に込めるものだ!!』
ドックン――ハイになった若い男の言葉で、さらに心臓が強く跳ねる。
『我を使え、ギンジ!!』
ドックン――若い男の言葉と共に、吟時の動きが速さと威力を増す。
『ありったけの想いを、我の名を呼び、解き放て!!』
ドン――吟時は、強く地面を蹴り上げる。
吟時は、空気を吸い込んで、叫ぶ。
「豪血!!!」
心臓から、赤黒い血のような影が噴き出す。ピラミッド型の結界内が、むせ返るような鉄の匂いと異常な熱気に包まれた。
血の影が、一本に合わせた影の刀に纏わりつく。
ジュウウウゥゥ――という血が沸騰するような音と共に、影の刀は赤黒い影と吟時に付着している血をすべて吸収し、赤黒く不気味に輝く長刃の妖刀へと姿を変える。
妖刀から逆流するように、今度は赤黒い影が吟時の体を纏っていく。
黒い和服は、血管のような赤い線を描いた和装に姿を変える。その血管の線は心臓部の結晶へと集まり、まるで本物の心臓のように鮮血の結晶がドクン、ドクンと力強く鼓動していた。
隆起していた全身の筋肉が、赤い湯気を吹き出しながら極限まで研ぎ澄まされるように収縮していく。
額の生え際から生えていた二本の角が消え、頭上から一本の鋭い角が生える。白目は赤く染まり、瞳は底知れない闇のように真っ黒に染まっていた。
豪血の刀鬼は、負傷した傷から溢れ出る血を妖刀で吸収しながら、真っすぐ鬼へと突き進む。
ダンッ――吟時が踏み込んだ瞬間、足元の地面が粉々に砕け散り、その姿が風のようにブレた。
「覇覇覇覇覇覇覇覇覇!」
「クク……アハハハハ!」
鬼が歓喜に満ちた笑い声を上げれば、吟時もまた狂気を孕んだ笑みで答える。
「覇阿阿阿阿阿阿!!」
「はああああああ!!」
凄まじい衝撃波と共に、妖刀と拳がぶつかり合う。
鬼の拳はざっくりと斬られて血を流し、吟時は拳から放たれる鎌鼬により血を流す。
溢れ出た血は、赤黒く輝く妖刀が全てを吸収し、力とする
されど、戦いは終わらない。
拮抗した刃と拳がぶつかり続ける甲高い音が、結界内に響き続ける。




