閑話 弱い自分&裏表の世界
◆◆◆◆弱い自分◆◆◆◆
黒曜家に生まれた自分は、三人兄弟の末っ子。兄二人は、背が高く体格があるのに対して、自分は小さく線が細かった。
黒曜家は、代々お偉いさんのためのSP一家と言われていたので、力が必要です。人を守れる肉体が。だから、幼少のころから家族で鍛錬を行ってきたんです。周りには優等生に見えるように勉学に励み、家に帰れば他者の命を守るための盾として育てられる。面倒な家だとつくづく思います。
残念なことに、自分は体格に恵まれませんでした。とはいえ、それが辞めていい理由にはなりません。体格に恵まれなくとも、技術で勝負すればいい。実際に、体格のいい兄二人と引けを取らない強さを持っていましたから。
それでも、父は認めてくれませんでした。SPとして、盾になるにはあまりにも小さく細いと。生まれ持った体格では、どうすることもできませんからね。
だからといって、それで鍛錬を止める理由にはなりません。優太は優しく朗らかで、大地は真面目で努力家です。自分は、自分自身がどうなっても構わない人間でした。兄二人を守れるなら、自分自身が犠牲になってもいいという理由です。本音を言えば、他人すらどうでもよかったのですが、それは許されませんから。
「吟時」
「どうしましたか、優太」
「お前は、普通に生きたらどうだ?」
「またですか」
優太はそう言うと、困ったように笑いました。高校三年生になり、そう言われることが増えてきています。母を病気で亡くしてから、優太は大地と自分を懸命に育ててくれました。仕事一筋の父とは大違いです。
「親父は、お前をSPにするつもりはないってさ」
いつもの台詞だ。聞いて呆れる。鼻で笑ってしまうほどに。
「相変わらず、酷い人だ。学生生活も犠牲にしてきたというのに、何を今さら普通に生きろなどと」
優太は相変わらず、困ったように笑うだけだ。優太を困らせたい訳じゃないが、嫌味の一つでも言わないとやってられない。
「そうだな。でも、俺も、他の道があるなら、そっちの方がいいと思うぞ」
「……本気ですか?」
いつもとは違う声色に、思わず睨んでしまった。優太は、そんな自分を見て優しい目で微笑んでくる。
「お前には、生きてほしいってことだ。最近はそこら辺から銃声が聞こえてくる。おっかない日本になっちまったもんだよ。SPも死人が増えてきてる。しなくていいというなら、安全な道を歩んでほしい」
「……ですが」
それ以上、言葉が出ない。これまでの努力は、父を見返すためだけだ。息子を道具としか思っていない態度が気に食わないし、不要になったら捨てようとする。そんな父が心底嫌いで、少しだけでも鬱憤を晴らしたかったのです。
「まあ、少しは考えてほしいな。お前さんは、頭もいいんだしさ。俺と大地は、ほら、肉体馬鹿だし」
「ふふ、それは、そうかもしれませんね」
「おい、こら」
「はは、冗談ですよ……でも、そうですね、優太にはお世話になってますから、考えておきます」
「頼むよ」
これが、優太との最後の言葉だとは知らずに。
呑気な自分を恥じたことはありません。
優太が死ぬなんて、思ってもみなかったですから。
「吟時」
「大地……」
葬式を終えて、大地は目を真っ赤に腫らしていました。きっと、自分も同じでしょう。
「俺は、やっぱりSPになるよ」
「……どうしてですか。危険な仕事だと分かっていますよね?」
「それでもさ、守りたい人がいるから」
大地は、お偉いさんの娘のSPをしていました。何が起きてもおかしくない世界に、すでに片足を突っ込んでいるのです。自分とは違って。
「吟時は、大学に行くんだろ? 俺も、そっちの方がいいと思うぜ」
「大地も、優太と同じことを言うんですね」
「まあな。弟に先立たれたら、俺は本当におかしくなっちまうからよ」
それは、自分も同じだ。親父と共に残されるなんて、地獄でしかないですよ。
「……そうですね。自分も、大地が死んだら、おかしくなります」
「はは、兄貴想いの優しい弟に生まれてくれてよかったよ」
グッと雑に撫でてくる。相変わらず、力が強いなこの人は。
「……じゃあ、自分がSPを辞めてくれと言ったら、辞めてくれますか」
「言ったろ。守りたい人がいるって。最近、どうにもきな臭い動きがあってな」
「……なら、余計に辞めた方がいいのでは?」
「俺だけだったらいいんだけどさ、愛華様を守れるのは俺だけだし、それは俺の誇りだ」
本気で愛しているのが分かる。叶うはずのない恋だ。相手は政治家の娘、一方はSPの息子。自分には分からない感情だ。同じ兄弟でここまで違うのかと、少しおかしくなってしまいますね。
「さすが、真面目な大地です」
「はは、だろ」
その翌月、大地も帰らぬ人となった。殉職。仕事を全うして死んだ。仕事で人が死んだというのに、親父の顔は微動だにしない。この人には心がないんだろうなと思いました。
「だい、ち……ごめんなさい……ごめん、なさい」
大地の葬儀に、大地が命を懸けてでも守りたかった人、愛華様が顔を見せた。大地、愛華様はあなたの棺の前で膝をついて泣いていますよ。あなたが守りたかった人の命は、確かに守れたのかもしれない。
でも……泣いています。
あの涙は、友を亡くした者の涙じゃない。愛する人を失った時の涙だ。母が死んだとき、優太と大地が見せた涙と同じ。
自分は、家を出る決意ができました。
兄二人の命を犠牲にして、ようやく決心がついたのです。あまりにも遅かった。父親のことなど無視して、優太が亡くなった時点で家を出るべきだったのかもしれません。
自分にはもう、自分のために涙を流してくれる人はいない。
それだけで、家を出るには十分な理由です。
「兄二人が死んだな。そして、お前は家を出る。本当に、役立たずの愚息たちだ」
血まみれで、見ず知らずの男を助けて死んだ優太と、愛する人を守って死んだ大地が、脳裏に浮かんだ。
信じられない。同じ血の通った親とは思えない口ぶりだ。
本当の怒りというのを、これから教わるとは……救えませんね。
「……お前が、それを言うのか」
「なんだ、その口の聞き方は」
「ふざけるな!!!!」
心臓が熱い、胸が苦しい、吐き気がする。
なぜこの悪魔から優しい兄たちが生まれたのか、分からない。
「お前が兄さんたちの代わりに死ねばよかったんだ!」
ただ、殴られても、一発顔に入れてやらないと気が済まない。
「っ!」
気づけば体が動いていた。
「……」
「っ!!」
50代とは思えない身のこなし。見ていないのに避けられた。本当に同じ人間かと疑いたくなるくらいだ。それでも、手を止める理由にはならない。
「はあ!」
「ふん!」
相手の拳の動きは見えた。目では追えているのに……体が反応できない。
「がは!」
息が……。はっ、伊達に今まで生き抜いてきた男ということですか。
「はっ、相変わらず、非力だな。相変わらず、目はいいようだが、目の無駄遣いだ。やはり、それなりの技術は身についているようだが、体がついていかないのでは無意味。ゴミ同然だ」
ここまで言うのか、この男は……本当に、悪魔だな、これは。
自分の親に、ゴミを見るような視線を向けられるなんてね……。
「やはり、あの女を嫁にもらったのが、全ての間違いだったか」
我慢できない言葉だ。初めて、人を殺してやりたいと思った。
この男だけは、生かす意味がない。
「母さんの、ことまで……貶すなああああ!」
ガッ――振り抜いた拳は、父親の手によって防がれる。握りしめられた拳を引っ張るも、まったくもってびくともしない。
「……軟弱な体、ひ弱は威力。本当に、情けない」
本心で呆れているであろう言葉を聞いて、怒りが湧く。それでも、力が覆ることはない。
「ふん!」
「ぐっ」
母と、兄二人を馬鹿にされて……何もできないなんて……。
「出ていけ、最も出来損ないの愚息よ。もう、お前の居場所はない」
クソ……。
「僕は……弱い……。誰一人守れないし、大切な人を貶した人間にすら手も足も出ない。こんな弱い俺が……生きている意味なんて。」
誰一人守れないし、大切な人を貶した人間にすら手も足も出ない。
こんな弱い自分が……生きている意味なんて。
「優太、大地……自分は……」
あの時、未来のことを知れたら……大切な人を守れたのだろうか。
遅すぎる後悔だけが、胸に深く残る。
『後悔するだけか』
「誰だ!!」
『重要なのは、これからだろ……前を向け』
血の匂いを放つような若い男の声が、物悲しい部屋に響いた。
◆◆◆◆裏表の世界◆◆◆◆
地獄耳だとよく言われる。実際に耳はいいし、情報を掴むのも早いという自負はあるわ。そうしないと、ここでは生きていけないのだもの。仕事を得るには、情報網を張り巡らせる必要があるからね。
誰もが羨む表舞台、憧れの象徴、キラキラと輝く世界で生きていくには、必要なことなの。私が大金を稼ぐには、これしか方法がなかった。
仕事のために体を売ることには抵抗があったけど、中学で処女は捨てたし、一度捨ててしまえば造作もない。とことん売ってやったわ。おっさんと寝るだけで仕事が手に入るんだもの。安いもんよ。純情より、お金の方が大切だったから。
私がここまでするには、もちろん理由がある。
高校に入学すると同時に、両親が他界したからだ。暴走者による交通事故。残された弟と妹のため。弟は中学生、妹は小学生だ。二人のことは私が守ると決めたの。大切な家族だから当然ね。
そうなると、お金が必要になる。保険金があるからといって、油断はできない。何が起こるのか分からない人生だもの。親を亡くして、改めてそう感じたわ。
だから、家族を守るために、どんなことだってするって決めたの。
両親が残してくれたギフトをフル活用したわ。小柄で綺麗な日本人の母と、北欧出身で高身長、目鼻立ちがしっかりしている父。二人から生まれた私は、信じられないほどの美人だ。自分で言うのもあれだけど、その自覚がある。
お金が必要だったから、事務所のスカウトにすぐに食いついた。都内を歩いていれば、結構な数のスカウトの連絡先を手に入れることができたわ。自分なりに調べて、大手でも給料がいいところ、なるべく融通がきく場所を選んだ。妹が小学生だったから、なるべく行事には参加してあげたかったもの。
高校も転校した。事務所がそういう高校を選んで、コネ入学。高校くらいは卒業した方がいいと。高校受験はそれなりに大変だったのに、金の力は偉大ね。
「コネ入学だって」
「それだけ期待されてるんだろ」
まあ、陰口は増えたけどね。後悔はない。1年でトップモデルまで咲き誇ることができたのだもの。文句はないわ。大分グレーなこともしてきたから、あまり褒められたものではないけれど。
仕事は順調だったけれど、周りのモデルからは嫌われていた。
まあ、当然よね。顔と体型は生まれ持った才能だもの。どんなに望んでも、整形したってナチュラルには勝てないの。仕事もかなり奪ったからね。嫌われるどころか、恨まれてたに違いないわ。だから、嫌がらせをされた数も数えきれない。その分、蹴落としてやったけどね。恨みを買っても、痛くもかゆくもない。事務所が守ってくれたもの。権力があると、違うわね。
お金は十分だったし、弟と妹の大学の費用まで稼げたから、最前線から身を引いた。少し早かったけど、youcastを中心に女性人気を獲得したからお金の心配はない。
両親が亡くなった以外は、どうにか上手いことやれていた。
表向きは、ね。
「お姉ちゃんは、どうしていつもの声で話さないの?」
メディアに初めて露出した私を見ながら、妹の紗耶香が素直に聞いてくる。
「それは顔に似合ってないからよ。お姉ちゃんは、よくそれでいじめられたの」
「そうなんだ……私は好きだけどな。お姉ちゃんの声」
「ふふ、ありがとう、紗耶香」
中学で処女を捨てた際、男も捨てた。この声が原因だ。小学生のころから男子に揶揄われたり、女子にも色々言われたわね。だから、少し高くて理想的な声を出す様にしていた。中学に進学した頃には、みんな私のコンプレックスを忘れているかのように演じていたの。
低くて酒焼けしたような声。私の唯一のコンプレックス。
初めては痛くて仕方がなくて、いつもの声が漏れたの。そしたらその男、終わり際に言ってきたわ。
『なんか、スゲー変な声出てたな』
殺してやろうかと思った。人生で初めての殺意よ。速攻で別れたわ。周りからの評判も良かったし、その場のノリで付き合っただけ。だから好きでもなかったし、体の相性も最悪だったもの。別れた後も変な連絡が来たけど全部無視。女性陣を使って守ってもらった記憶もあるわ。
まあ、さすがに家で一人で大号泣したけどね。あのころはまだ乙女だったと実感するわ。
その頃から、家族以外にはひた隠しにしてきた。
やっぱり、それ以降、怖くなったの。私のことを好きな男がそんなこと言ってくるのよ。他人の事を信用なんてできるわけがない。
地獄耳っていうのも駄目ね。高校を変えたのは良かったけど、そういうモデルとか女優の卵とかがいる学校だもんね。嫉妬とか陰口とかもとにかく酷かったわ。SNSも、言いたい放題の誹謗中傷。まあ、金の湧くSNSだったけど、さすがにね。多少は傷つくわよ。
だから、素の声すら出すことができなかった。声のことを知られたら恰好の的だし、想像したくもない。普通の声を出せないのは……正直、かなりのストレスよ。だから色々な手段でストレスを発散したの。
酒、タバコ、カラオケでの大声。モデルだから暴飲暴食はできないし、自分なりのストレス発散法がこれだけだった。だから余計に喉を痛めて、さらに酒焼けの声が酷くなったの。もう、ほとんど化け物のような声よ。
まったく、愚かよね。
華やかな世界にいたのは、お金のため。
ドロドロの世界に、身を沈めたのも、お金のため。
裏も表も見てきた。
だから、少し疲れていたのは事実。
眠れなくて睡眠薬を使ったのも、それをお酒で飲んでしまったことも、全てが事実。
弱音を吐けないから、平気な振りをした。
平気なわけがないくせに、どうしていいか分からないから、仕事に逃げて傷つけ、傷ついたの。
本当に……自業自得ね。
「愚かな人生よね……」
『なら、今から変わればいいじゃない』
『なら、今から変わればいいだろうが』
穢れを知らない澄んだ声と、人を不快にさせるノイズのような声が、入り混じって聞こえる。
「あら、女の独り言に聞き耳立てるなんて、失礼ね」
『いいじゃない。あなたはもう、私に気付いていたのだから』
『いいだろうが。おまえはもう、俺に気付いていたんだから』
頭がおかしくなりそうだけど、よく聞こえるわ。
「……そうね」
『あとは、これを覚えているだけでいいの。じゃあ、また頑張ってね』
『あとは、これを思い出してくれればいい。ではな、また外で会おう』
「……はぁ、嫌な感じね」
さて、起きないと。
これを覚えてる自信も、思い出せる自信もないけどね。
明日は第三章スタートです。
よろしくお願いいたします。
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