第27話 堕天使
影の刀を抜いた吟時が、靭に向かって刀を振り下ろした。靭は刀を受け止めようして、片手で防ごうとして。
「あっぶね!」
咄嗟に腕をひっこめた。今、靭の脳内で突然警報が鳴り響いたのだ。その刀は受けとめ切れないぞ、と。風すらもぶった切るような吟時の刀が空を切る。振り下ろした刀から、風が舞う。本当に、空気を切ったような勢いだ。
その太刀筋に迷いはなかった。
「これ……だいぶ、まずいな」
靭の額から、冷や汗が零れる。引っ込めた手を見れば、紙で切られたような薄い血線が流れている。靭は吟時の様子を窺う。今の吟時には、まったく隙が感じられない。どこに拳を入れようとも、腕を切断される未来しか見えない。
「そういや、少し先の未来が見えるんだっけか」
吟時が能力を開示してくれたおかげで、靭の脳が警報を鳴らした見当がついた。攻め手がない。ただ、なぜか避けることはできる。吟時も予測していなかったことなのかもしれない。
「玉砕、覚悟か……」
靭の十八番になりつつある戦闘スタイルだ。しかし、今は回復してくれる凛はいない。もし仮に吟時に勝てたとしても、おそらくは出血多量で死ぬ未来が見えた。それでは凛との約束を破る羽目になる。それは非常にまずいし、靭としても受け入れられなかった。
「……」
「やべ!」
とすれば、狙うは時間切れ。今の吟時は、体力がほとんど残っていないはずだ。36時間以上も結晶頭の化け物と対峙していたのだ。もし、その未来が見えないなら……。
死ぬのは、靭の方だ。
靭はひたすら防戦一方。逃げて逃げて、回避不可能であれば、そこらに落ちてる結晶頭の化け物の体を盾にしたり、投げたりと、お構いなしの戦法。けれど、それを難なく対処するのが、鬼と化した吟時であった。
このままでは、埒が明かないと悟った靭は、次の一手に出る。
「うらああああ!」
吟時が攻撃した瞬間を狙って、拳を振りかざした。
「……」
ギイイイイン――影の刀の刀身を狙った一撃。武器を壊せさえすれば、ある程度、接敵できると予測しての行動だった。
「ダメか! おっと!」
手応えはあったが、纏っている影のせいで刀がどうなったのか見えない。完全に万策が尽きてしまう。
「……」
靭は次なる手を考えるべく、逃げに徹しようとしたとき。
「グ!」
吟時が動きを予測して、靭の前に飛び出してきた。そして影の刀を振り抜き、靭に一撃を喰らわせる。一太刀浴びただけで、靭の体が吹き飛ぶ。床に転がりながらもすぐに立ち上がり、切られた箇所を確認すると、靭の胴体が綺麗に裂けていた。そこから、どろりとした血が、ぼたぼたと零れる。
「万事、休す」
鬼と化した吟時は、まだ一本の刀しか抜いていない。もう一本抜けばどうなるか、想像は容易い。だが同時に、それは吟時が油断しているということだ。隙をつくには、そこしかない。
「うし……覚悟は決まった」
どうせダメなら死ぬだけ。
靭は決死の覚悟を決める。
「行くぞ、おらああああああああああ!」
靭は、真っすぐ、吟時の元へ向かった。なんの考えもない。ただ、がむしゃらに突っ込むだけの捨て身の一撃。現時点で出せる、最大速度で吟時へと近づいていく。
「……」
吟時は、構えを取った。これで終わらせるという覇気が全身からあふれ出ている。
靭は、思った。死、そのものを相手にしているようだなと。ここにきても、靭は他人事だ。いつ死んでもおかしくない状況で、心臓の鼓動さえ、いつも通り。全くもって、人間らしくない。
しかし、それが、今の深海靭という男だった。
「うらああああああ!」
靭は、飛んだ。両手を前に出して、防御もクソもない状態で。
「……」
吟時は流水のような滑らかさで、刀を構えた。
このままいけば、靭は縦に真っ二つにされるだろう。
そう、このままいけば、だ。
「!!」
靭は、とっさに耳を両手で塞いだ。
「●゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛」
雷が目の前に落ちて空気が裂けたような、超巨大生物が咆哮したような、あるいは目の前で爆撃が起きたような。そんな衝撃音が、吟時の斜め後ろから至近距離で放たれた。
ピクリとも動かない吟時に、空を飛んでいた靭の頭突きが腹に直撃し、そのまま覆いかぶさる。響の最大出力であろう衝撃波は、直接受けたわけではない靭の体にも影響を及ぼしていた。キーンと耳鳴りが響く中、靭はふらつく体を動かして馬乗りになる。そして、どうにか刀を奪って投げ飛ばした。
「起きろ、吟時!!」
靭は懸命に叫んだ。
「負けるな、吟時!!」
影を纏った人間の解除の仕方など、靭には分からない。けれど、それでも、声を出す。吟時に声は届いていないだろう。それでも、何度も何度も、吟時の名を呼んだ。
「はは……完敗です……靭さん」
「吟時」
声が聞こえた直後、影を纏っていた吟時の顔が、ゆっくりと出現した。靭はもう大丈夫だろうと、吟時の体から離れる。
「ふふ……あーあー」
吟時は、笑っていた。それは、いつもの張り付けた気味悪い笑顔ではなく、青年らしい清々しいほどの素の笑顔。試合に負けたけど、全力を出し切って後悔はないような、そんな笑み。
「靭さんと、紫苑さん……強いんだなぁ」
ジッと天井を見たまま、独り言をポツポツと呟く。恐らく、動けないのだろう。衝撃波をもろに喰らったからか、それとも体に限界が来たか、そのどちらかだろう。
靭は、吟時の肩を力強く叩いた。
「お前も、強かったよ」
吟時は、靭を見て小さく笑う。
「ふふ……何も聞こえないけど、なんとなく分かりますよ」
やはり声は聞こえてないらしい。けれど、言っていることは分かるという。
「ありがとうございます、靭さん、紫苑さん……自分は、少し休みます」
「ああ、ゆっくり休め」
「……また、会いましょう。そのときに……しゃざい……させて……」
吟時は、最後にそれだけ呟いて、寝息を立てた。
「謝るなよ。子供の面倒は、大人が見るもんだ」
吟時に聞こえたかは分からないが、気付けば口に出していた。それくらい、吟時を気に入ってしまったということだろう。困ったものだなと、靭は頭を掻きながら笑った。
『吟時くん、クリアアアアアア! いやー、良かった良かった。彼、強くなりそうだったし、欲しかったんだよねぇ!! あとイケメン!!』
十善寺の言葉が、ドームを包み込む。
靭は溜息を落としながら、吟時を腕に抱えて壁際まで運ぶ。まだ、戦闘は続いている。安全地帯に吟時を置く。靭自身も傷を負っているため、休息が欲しかったのだ。綺麗に切られてしまった腹をどうするか考える。
「ん?」
ただ、不思議と腹に痛みを感じない。アドレナリンの影響だろうかと思う。その割には冷静だよな、とも。そろそろ痛みが増すかもしれないと考えると、どっと疲れてしまう。
「そういえば」
あたりを見渡す。功労者である響を探した。彼女がいなければ、吟時は今頃、半分にされた状態で死んでいただろう。響の心を読む力を利用したからこそ、今回の勝敗につながったのだから。
「いたいた」
響はすでに、壁際で休んでいた。喉を抑えており、辛そうだ。もはや人が出せる音を超えていた声を出したのだ。当然の結果だろうと、靭は思っている。もはや、一緒にいるのが当たり前になった響の元へと向かう。
「おう、お疲れ」
「……」
響は手だけ挙げて、お疲れとジェスチャーした。どうやら、声が出ないようだ。今まで出さなかったのは、出せなかったからだろう。喉の負担と、周囲に影響が及ぶほどの威力だ。靭の耳にも、多少の影響が出ている。自分の声すらこもっていて聞き取りにくい。ただ、靭は、あれを聞いて音が聞こえるのは奇跡だなと思っている。それほどまでに、響の最大出力は凄まじいものだった。
「お、サンキュー」
「……」
響はいつも通り、タバコを渡した。タバコは、これで終わりのようだ。それほどまでに戦ってきたのだ。残り時間も僅かなのだろうと、靭は一服しながら思う。あとは、タバコないのかーと、残念がっている。最後の一本をくれた響に感謝しながら、高級品を扱うようにタバコを吸った。
「お、来たな」
しばらく休憩していると、軍人がやってきた。赤髪の軍人ではなく、目の細い黒髪の軍人だ。男か女か、判断が付きにくい。中性顔のイケメンだ。
「コレ?」
声まで中性声だ。もうどちらの性別か判断できない。
「あ、はい、そうです」
靭が肯定すると、黒髪の軍人は頭を下げて、何かを置いていった。タバコである。激励のつもりなのだろうか。特別措置は悪いなと思いつつ、靭はありがたく頂戴した。
「おい、響、タバコ貰ったぞ。いやー、軍人はいい人なのかもしれないな。特に、今の黒髪の人は」
「……はぁ」
呆れた様に溜息で返す。ひとまずは、二人が座っている間に置くことにした。まだ、戦闘までに時間があるのなら、吸うかもしれないからだ。
「んっん……んん」
「おい、無理に喋らなくていいぞ」
靭は響にそう伝えるも、響は首を横に振った。そして、靭の肩を叩いて、響の方に顔を向かせる。靭は何事かと思い、響を凝視する。響は、口を開いては閉じ、視線を外し、もう一度、靭を見ては、口を開くを繰り返す。
何をしているか分からない靭は、ただただ困惑する表情を見せる。
パンパン――響は、自分の頬を割と強く叩いてから、背筋を伸ばして、靭の目を真っすぐと見た。
「今から……言うことは、本当のこと」
いつものお姉さんボイスから、ドスの効いたハスキー低音ボイスに。マフィアの女性ボスのような威圧感もある。喉の負担のせいだろうかと、靭は思いつつも、静かに話を聞いた。
「これが……本当の、私の声なのよ」
本人は至って真剣だ。それに、震えていた。おそらく、声のことで色々と言われた経験があるのだろうと容易に想像もつく。だからこそ、真実を教えて貰ったとき、一番最初にどう声を掛けるべきかは重要だ。
靭も多少は考えて、何を言うべきか迷っている。
そして、考え抜いた結果。
靭は頬を掻きながら、気まずそうに視線を逸らして……。
「……えっと、あー、ぶっちゃけどうでもいいかなって」
何とも言えない返答を返した。おそらく、一番最初の声かけとしては、最低の答えになってしまったであろうと、少なからず本人も反省する。なので、申し訳なさそうに、響を見た。
響は、靭の返答に、ただただ目を閉じたり開いたりして固まっている。
「……は?」
以前とは違い、言葉に圧がある。本人の表情が本気で困惑しているだけなので、圧をかけているわけではなさそうだ。
「いや、褒めるのもなんか違うのかなって思ってさー。ほら、自分が嫌いな声を褒められても、嬉しくないって人もいるだろ? 俺が好きって言うのも、違うだろ。なんか、それはキモいし。ならそれは無いなーって思ったら、もう分かんなくなってさー。散々迷った挙句に出した答えなんだけど……思ったより、最低だったわ。ごめん」
靭は、とにかく言い訳した。そして、素直に謝罪する。こういう真実の告白という場面に、靭は慣れていないようだ。いや、凛の時であれば、靭は即座に褒めるなり、俺は好きだと肯定しているだろう。凛にとっては、靭が全てだから。
でも、響は違う。大人としての距離がある。壊せない壁があると言ってもいい。ある程度の諦めがあるなかで、安っぽい言葉を掛けるのは、違う気がした。
とはいえ、結局、もっともナンセンスな返しであることには変わりないが。
「ふふふ、あははは、はああーあ。なんか、緊張して損した気分ね」
一通り大笑いした彼女は、軍人からもらったタバコを一本取ると、慣れた手つきでタバコに火を点ける。変に緊張したせいか、靭は背中に冷や汗を流している。響の表情を見つつ、おそらく許されたなと思って、同じくタバコに火を点けた。
「さっきの声というか、あれは衝撃波だったわよね。こっちが素の声だから、本領発揮したのね。喉も痛くないし」
相手を止めるために絶叫した後、これまで影響が出ていたのは、無理に声を作っていたからだ。喉に負担がかかり、連続で使用することが難しかったらしい。ただ、今回からは違う。本来の腹から声を出す発声になった、ということだろう。
「まあ、あれのせいで声が作れなくなったの。もう隠せないし、話した方がいっそ楽になるかなって」
喉を抑えていたのは痛みからではなく、元の声が作れなくなったかららしい。どうにか取り繕おうとして無理だったから諦めたようだ。
「なら、その役目は果たせたようで、よかったよ」
「そうね。なかなか、最低な言葉ではあったけどね」
「……悪かったって」
靭の言葉を思い出して、響はいたずらに笑う。いつも通りの響が戻ってきたことに安堵しつつも、これは一生いじられるなと、煙と共に、溜息を吐き捨てた。
「まあ、でもそうね。本心を聞いてたし、どうでもいいのも分かってた。だから、気が楽になったのかなー。まあ、そうよね。こんな時に、声のこと気にしても、仕方ないものね」
「正直に言えば、そうだな。つか、そもそも、その声のおかげで助かったわけだし、貶すわけないだろ」
「ふふ、そうね。それが分かったから、こうして話せたわけだし」
ふうーと、息を吐いて、響は憑き物が取れた笑みを浮かべた。そのあまりの美しさに、靭は一瞬硬直する。絵画の一部を切り取ったような姿は、とても神秘的で、神々しいものさえ感じた。だが、それと同時に、少しだけ恐怖も覚えた。なんというか、この世の物とは思えない物を見てしまったかのように。
「ていうか、あなた。いい加減、何かするなら、私にも話すべきじゃない?」
「ん、ああ、飛び込んだやつか。まあ、いいじゃないか、結果オーライだ」
「たく、本当に無茶するわね……次やっても、上手くいく可能性は無いからね」
「そうだな。次は、相談するよ」
「頼むわよ、本当に。心臓に悪いったらありゃしない」
「はは、すまんすまん」
話すといつもの響だ。一瞬感じた恐怖を、今は感じない。あれは、何だったのだろうかと、靭は首を傾げた。
『やほやほやっほーー! さあて、お待ちかねのショウタイムだっぜ! 準備はいいか、野郎どもおおおおお!』
アナウンスが響く。もはや、数えることすらアホらしい戦闘の数々。またやるのかと、靭は疲れ切ったように天井を見上げた。
「あんた、傷は平気なの?」
「ああ、忘れて……ん?」
切られたはずの腹に触れる。なぜかは分からないが、完全に傷が閉じている。傷痕は残っているが、出血多量で死ぬことはなさそうだ。
「治ってら」
「え……本当だ」
「まあ、治ってるに越したことはないか」
自分の能力には、まだやれることがあるようだ。細かな傷も、完全に治っている。自然治療の速度が早いのだろうか。とはいえ、あまりにも早すぎるが。今は、それを考えている場合じゃない。
「どんどん、化け物になっていくわね。私たち」
「まあ、仕方がないだろ。そうじゃないと生きられない」
「たしかに」
二人は、タバコを地面に押し付ける。少しだけ回復した体力。グッと伸びて、固まった筋肉をほぐしていく。
「深海くん」
「あ、なんだよ、突然」
「私たち、たぶん同い年だし、もういいかなって。色々とぶちまけたわけだし」
「ああ、そうかよ。紫苑ちゃん」
そう、揶揄うと、響はうえっとベロを出して嫌がる。顔がいいせいだろうか。何をしても、様になるのは納得いかない靭であった。
「それはやめてもらえる?」
「はは、だな。紫苑」
「まあ、それが妥当かな。男女の友情なんて信じないたちだけど、あなたとならそれもできそうだし」
「俺もそう思うよ。んで、要件は?」
そろそろ結晶頭の化け物が出てくる頃だ。どうやっているのかは知らないが、アナウンス後から出てくるペースが上がっている。なので、そろそろ行動に移したい頃であった。
「私はもう、次のステージに行くとするわ」
突然の宣言に、靭の表情が固まる。次のステージということは、影を発現するということだろう。宣言したということは、できる算段が付いてるらしい。
「……そうか」
「ええ、だから、見守っててよ。まあ、たぶん大丈夫だけどさ。念のため」
「分かった。今回は、サポートに徹するよ」
「よろしく」
響はゆっくりと前に歩く。響の後ろに立ったことがない靭は、歩き方がモデルだなーとか、今さらながらなことを思う。他にも、一つだけ。ああ、これは次に行けるだろうなという謎の確信。背中に自信が満ち溢れている。ここは、私のステージだと主張しているようだ。
「私に足りなかったのは、全てを曝け出す覚悟だった」
片手を腰に当てて、体重を右に傾けた。まるで、ランウェイでするポージングだ。
「もうそれも、取っ払ったし、次に進むわ」
響の目の前には、結晶頭の化け物。
ジャララ――奴は、響を見るや否や、鎖を叩きつけた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ドン――響が叫べば、鎖の動きが停止して落ちる。目に見えない空気の壁に押しつぶされたかのように。
「しねえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!!」
後ろにいる靭の鼓膜が、ビリビリと音を立てる。けれど、吟時の時に聞こえた音よりもまだ弱い。そういえば、鼓膜も治っていそうだなと、靭は今さらなことに気付きながらそれを見守った。
「っち、駄目か」
硬直した結晶頭の化け物を見て、舌打ちをして苛立ちを隠さずに呟く。
「さっさと死になさいよ……やっぱり疲れるし、嫌いなのよ、この声」
吐き捨てるように吐いた言葉。そして、響はゆっくりと近づく。
「こんな場所にきて、いきなり命懸けのゲームをさせられて。耳が良くなったと思ったら体が改造されてることに気付くし、生意気なガキ相手に体まで許して。ストレス発散もできずに、どうにか生き伸びたのに、今度は気持ち悪い奴らと戦わされて」
ぐちぐちと文句を並べて、目と鼻の先まで近づくと、響は前髪を後ろにかき上げた。
「いい加減……」
グッと握りしめた拳を前に出し親指をまっすぐ伸ばして、地面に突き刺す。そのまま、首まで持っていき、横に振りきった。
「ウゼェんだよ!!」
すると、首から影がじわじわと溢れ出していく。靭と同じく、今まで出せなかったはずの影が、ゆっくりと響の全身に纏い始めた。
「……」
手の届く範囲に響がいることで、結晶頭の化け物が鎖を捨てて、拳を握った。鎖を捨てたのは始めてだが、これからする行動は一目瞭然だ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
響は影に纏われながらも、絶叫する。しかし、威力が弱いのか、ゆっくりとではあるが、結晶頭の化け物は右腕を挙げている。
「舐めんなあ゛あ゛あ゛あ゛●゛●゛●゛●゛●゛●゛●゛」
言葉が、人間が聞き取れない咆哮へと変わった。それと同時に、響の全身が影に飲み込まれる。だが、まだ威力が足りていないのか、結晶頭の化け物は硬直しない。少しずつ、拳を構えてるように動き続けている。
「……」
靭は、動こうとしない。フォローに回るとは言ったが、ここで邪魔したら駄目だと本能が叫ぶ。
それは正解だった。
「◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛◆゛」
吟時の時に使用した最大出力が発動する。吟時は吹き飛ばされなかったが、結晶頭の化け物が宙に浮いて、そのまま後ろに倒れた。今、出ていったら、喰らっていたのは靭の方だっただろう。
「……」
倒れた結晶頭の化け物を凝視する響の姿が、変わっていく。
左耳よりも上の位置に、後ろに向かって緩やかにカーブする角が生えている。腰まであった髪は、右半分は元の長さのままだが、左半分は首が見えるまでの長さに。長い耳も、右はそのままで、左は半分に無理やり引き千切られた形に。背中もそう。右は何もないのに、左だけ蝙蝠のような羽が三つ生えてきた。
服装はドレススーツのようなパンツ衣装だ。右足はピンヒール、左足は人間の足ではない。鳥のような鉤爪が生えている。左手を見れば、鋭利な爪が伸びており、その手には無線機に使われるようなハンドマイクが握りしめられている。そして最後に、周りには、四角い箱や、丸い球体、メガホンといった様々な形をした羽の生えている謎の物体が浮かんでいた。
靭は、その姿に変貌した影を纏う響を見て、思わず呟いた。
「まるで……堕天使だな」
響は体全てに影を纏っているし、靭には背中しか見えていない。ただ、左のみに生えた角、悪魔のような羽と、半分は恐らく元の姿の響。その恐ろしくも美しい姿が、靭には容易に想像できた。
「……」
影を纏った響は、倒れたまま動かない結晶頭の化け物に向かって、ハンドマイクを口に持っていく。マイクのスイッチを入れるようにボタンを押すと、ジジ、ジジっと砂あらしのような音が周囲に響く。スイッチが入ったと同時に、周囲に浮かんでいた謎の物体たちが、結晶頭の化け物の結晶を取り囲んだ。
「▼▲」
言葉として聞こえない、モンスターが唸るような声でマイクに呟いた。
――謎の物体から不協和音が響くと同時に、激しい衝撃波が結晶頭の化け物に襲い掛かる。
「!!」
謎の物体と、靭との距離は離れているはずなのに、頭が揺れ、激しい痛みに襲われる。奇妙で不協な音が、靭の元まで届いたようだ。靭は、思わず響から距離を取るも、意味をなさない。なにせ、他の結晶頭の化け物も、ここにいる人間にも、その音が届いているのか、一歩も動くことができずに、片膝をついている。これまでにない範囲攻撃。
靭は、目を閉じたくなるような痛みに耐えながら、不協和音のような衝撃波を直接受けている結晶頭の化け物を見る。結晶頭の化け物の結晶がひび割れ、一瞬にして粉々に砕け散った。
「……」
それを見届けた響は、マイクのスイッチを切った。音が切れただけで、体が軽くなり、頭痛も引いていく。
「圧倒的だな」
靭は、すぐに立ち直ったが、他は体を上手く動かせていない。響が相手にしていない結晶頭の化け物に至っては、全く動けずにいた。
響の方に視線を戻すと、影が響の体に戻っていく。すると、響は膝からゆっくりと倒れこんだ。靭は慌てて、響の方へ駆け寄る。
「おい、大丈夫か」
「……まあ、なんとか」
影を纏うと、体力が根こそぎ奪われるようだ。今にも眠ってしまいそうなトロンとした目と、弱弱しい声で響が呟く。
「そうか」
「はあ……疲れた」
「お疲れ。凄かったぞ」
「そうなの」
満足そうに笑みを浮かべる響は、次には何かを思い出したかのようにポッケに手を突っ込み、中の物を取り出した。
「……はい、これ、タバコ」
「……助かる」
靭がタバコを受け取ると、響は靭の腕を、今ある精一杯の力で握った。
「深海も、ちゃんと合格、するのよ」
「やるだけ、やってみるさ」
「そ……」
靭の返答に不満そうな顔をしてから、響は静かに眠りについた。
『響ちゃん、ごうかくううううううううう!!
いや、ボクの耳までイカレちゃったよおおおおおおお!』
なぜだか、嬉しそうに騒ぐ十善寺の声。靭にとっては、あの謎の物体が出した不協和音よりも、よっぽど頭痛がする声であった。




