第20話 別人
「……はぁ、生きてるな」
見慣れてしまったいつもの天井を見て、思わず安堵の言葉が漏れた。
「じん、おはよう」
「あぁ、起きてたのか。おはよう、凛」
凛の体は綺麗だが、髪にはまだ血がついていた。着替えはしたが、風呂には入っていないことも思い出す。眠気に耐えて、どうにかソファーまで凛を運んで力尽きたことも。
「風呂、入るか」
凛に伝えると、コクリと頷かれる。靭が立ち上がるところを、凛は靭の耳に口元を寄せて囁いた。
「ねぇ、お風呂でしよう」
「……そうだな」
靭もその気になり、二人は風呂場に向かい絡み合う。前回の戦いで、靭は全身をズタボロにしながら戦った。何度も、何度も死にかけた。敵の攻撃に耐えれば、それを自身の力に変換できる靭ではあるが、限度がある。生と死の境目を彷徨うような能力だ。傍から見ている凛の心情は、計り知れない。
だからこそ今生きている、この瞬間の生を互いに分かち合うように求め続けた。シャワーを出し続け、汚れと血を流し続けた。どれほどの時間そうしていたのかなんて見当もつかない。ようやく満足したころには、皮膚がふやけてしまっていた。
少し落ち着いたときに、凛は靭の腹をそっと撫でた。その場所には、少しだけ傷跡が残っている。凛はそれを見て涙を浮かべると、優しくそっと傷痕に触れ、顔を近づけて舐めた。
「ん……」
凛の艶めかしい声が漏れて、顔を離せば傷痕が綺麗に消えている。回復能力を使用したのだろう。傷痕すら許さない凛の徹底ぶりに、靭はそっと髪を撫でた。
髪を撫でてやると、凛は嬉しそうに靭に抱き着きながら見上げてくる。
「ねぇ」
「どうした」
凛は顔を近づけてと言わんばかりに、口パクで靭を呼ぶ。靭は、それに答えて、顔を近づける。
「……足りないの」
顔を見ると、凛は潤んだ瞳で上目遣いをして靭を見つめている。靭は力一杯抱きしめた。苦しそうにもがく凛を抱く力を少しだけ緩める。凛は弛緩した表情を見せており、顔はトロトロに溶けていやっぱり、何度も臓器が出たせいかな た。
靭は、彼女のその表情に我慢の箍が外れ、凛を連れてベッドへ戻っていく。まだ、二人はお湯で濡れた状態。そのせいで、ベッドはぐちゃぐちゃ。そこらが濡れていてもお構いなし。長い時間をかけて靭のすべてに満たされた凛が果てると、ようやく二人の行為は終わりを迎えた。
シャワーに入った意味が、ほとんどなかったので、もう一度風呂へと向かう。溜めておいたお湯に浸かる。
「靭」
「ん?」
「やっぱり、まだ。足りないみたい」
「そうか」
靭は、凛の気が済むまで抱いて、抱いて、抱き続けた。風呂から上がって、巣に戻るように戻り、また互いに身を寄せる。どのくらい時間が経ったかは不明だ。だが、改造された肉体で疲労が残るほどの時間ということだけは分かる。
「……」
隣では、汚れたベッドで凛が裸のまま、身を丸めて静かに眠っている。
「やっぱり、何度も臓器が出たせいかなぁ」
一度どころか、何度も本気で死にかけた。凛を守るためだったとはいえ、危うく約束を破るところだったと冷や汗をかく。結果的には生きていたものの、自殺行為に等しい。
(今度はあまり無茶できないな……と思つつも、どうせ無茶するんだろうな)
隣で眠る妖精姫を見る。満足して気を失うように眠りについた凛は、静かに寝息を立てていた。彼女の寝顔を見ていると、守るためなら必死になれる自分がいる。凛が生き続ける限りは、無理をしてでも彼女を守るのだろうと、靭は結論に至った。
「俺も、寝ようかな」
と、言ったところで、ベッドの惨状が目に飛び込んできた。シーツはびしょ濡れで、様々な液体が飛び散っている。かなり悲惨な状態だ。この上で眠っている凛を見て、靭の眠気はどこかへ消えさっていった。
「……とりあえず、ベッドを変えよう」
凛を持ち上げて、ソファに寝転ばせる。汚れたシーツや、布団はダストシュートに無理やり入れ込んだ。マットレスに問題がないかだけ確認してから、シーツをかけて、新しい布団を用意し、綺麗なベッドに凛を寝かせた。
(もう少しだけやろう)
疲れたとはいえ眠気はないようで、靭は汚れた白服やらタオルやらをまとめる。濡れた床をマシなタオルで拭いてから、ダストシュートに入れた。その後もせかせかと掃除を続ける。
綺麗になった部屋を見て、靭は満足そうに頷く。視界の端で、凛がベッドの上で寝返りをうったのが見えた。音を立てないように静かに行動していたとはいえ、凛はまだ眠りについていた。
「まだ起きないか」
靭は、少し離れた場所で、タバコに火を点ける。
「ふー……うめぇ……」
極上の紙タバコを楽しみつつ、眠る凛に目をやる。凛が目覚めたあと、どうなるか分からない。死に際を経験した凛は、愛情欲求が過剰になる。何もない日常が続けば、それも落ち着くが、今回はかなりのものだったと煙を吹いた。
(さて、今回はどうなるかね)
靭はただ、凛が目覚めるまで一人の時間を静かに過ごそうとする。読書でもするかと本を持ち出し、読み進めたところで、急な眠気に襲われた。
「これ……は……」
注射器を打った際の眠気に等しい、抗いがたい睡魔に襲われる。ソファで寝ようかと考えたが、靭はベッドへと向かう。目覚めた時の凛のことを考えての行動だった。
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「ここは……」
気が付くと、靭は見覚えのある部屋に立っていた。部屋中を見渡して、懐かしさを覚える。
「俺の……部屋?」
軟禁され、動物実験のような扱いを受けている部屋ではない。1Kの一室で、軟禁部屋にはないパソコンや、時計が置かれている。
「うわ、なんか、懐かしいな……」
靭は、あたりを見渡して、物に触れる。
「つか、汚い部屋だな。ああ、そういえば、俺の部屋はいつも汚かったっけ」
会社のデスクなど共同で使う場所は綺麗にするのだが、一人の部屋だとどうしても汚してしまう。誰に見られるわけでもないので、放置してしまうのだ。
「……ん、これは」
机にスマホを見つける。スマホの電源がついていて、ホーム画面には靭ともう一人別の人が映った写真。
「……この隣の人」
じっと、見つめる。どこかで見たような顔だ。彼女の表情は、とても幸せそうだ。腕をくっつけているから、恋人なのかもしれない。だが、靭は、その女性のことを思い出せずにいる。
「誰かに、似てるような……」
靭は、スマホを操作する。写真フォルダを覗けば、彼女と撮ったであろう写真が何枚も保存されていた。本当に失礼なことだが、靭はこれだけ同じ人との写真があるというのに、彼女のことはまったく思い出せないでいる。
ふと、一枚写真が目に飛び込んでくる。
「なんか、似てる」
顔立ちだろうか。真剣な表情をする謎の彼女は、最初に出会った頃の凛を大人びたような雰囲気。凛は表情豊かなタイプではなく、よく見れば笑ってるなとか、怒っているなと、分かる程度。一方の謎の彼女は、写真でも真顔の方が少ないほど、よく笑い、喜び、表情をコロコロと変えている。
正反対の二人だが、顔立ちは似ていた。今の凛は、人というより、絵画で描かれる精霊のような見た目のため、似ていない。けれど、きっと、凛が黒髪で、よく笑えば、きっと彼女に似ているんだろうなと、靭は思う。
「って、そんなこと言ったら、凛に……叱られる……よな」
凛……木花凛。
「このはな……りん」
靭は、凛の名前を何度も呟く。名前を呟きながら、スマホの写真を見ていると、水滴がポツリポツリと垂れてきていた。
「どうして、だろうな……」
写真を眺めて、名前を呼ぶと、靭の瞳から涙が流れる。
「君は……いったい」
けれど、答えが返ってくることはない。靭が見ているのは、写真であって、人ではないから。
「なんだ、これ……」
靭の疑問に、返ってくる言葉はない。
「オモイダセ……全てを」
「え」
いや、返ってきた。けれど、返ってきた言葉は靭が求めていたものではなかった。
「思い出せ、全てを。さもなくば、我とお前は、ここで死ぬ」
人の姿をした黒い靄が、靭に向かって告げてきた。
「お前……」
靭は、目の前の靄に見覚えがある。
「たしか、前にも」
「ほう……そこまで来ているか。では、我と対面するも、そう遠くはなさそうだ」
「なに、言って」
「もうよい。まだ、その時ではないと分かっただけで、十分さね」
「あ、おい!」
一瞬にして、思い出の景色が黒に染まった。
「じゃあな……ジン」
「な!!」
トン――靭は、黒い靄に落とされる。
どこまでも、どこまで落ちていく。
意識が続く限り、その状態は続くのであった。
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「じん……どこぉ」
「……ああ、ここにいるよ」
結局、靭は軽くだけ眠っていたようだ。凛の寝起きの発言に目を覚ましてしまうくらいには、浅い眠り。隣からは、靭を求める声。一緒に寝た靭の対応は最適解と言える。
「いたー……お姫様抱っこして」
「ああ」
靭は目覚めてすぐ、軽々と凛をお姫様だっこする。凛よりも眠った時間が少ないはずの靭だが、眠気はなく、すっきりとした表情だ。逆に凛は、まだ眠いのか、それとも寝ぼけてるのか、発言が幼い。
(なんか、幼児化してないか?)
見た目は美女のせいか、ギャップがえぐい。とろんと溶けた目は、視界に靭の顔を捉えている。
「え」
靭は驚きの声を上げた。凛の薄かった4色の髪色が濃くなっていく。元々透明に透けていた赤、青、紫の髪束と、メインの緑の髪が存在感を示すように。髪束の3色は美しい色へと変化し、白髪の束がさらに際立っている。緑の髪は、深緑へと変わった。
「まじか」
鮮明に染まった髪のせいか、幼さが残っていた凛の姿は消え、完全に神秘的な精霊の雰囲気を纏っていたからだ。
凛は、目を擦りながら、靭を見つめる。
「あ、靭の髪色」
まだ眠気の取れていない微睡みの声で、靭の髪に触れた。
「深い青……きれいだね」
凛にそう指摘されて、自分の髪色も変化したのだろうなと思った。
「凛もな。綺麗な髪になってるぞ」
「そうなんだ。ちょっと見たい。降ろしてくれる?」
「ああ」
2人で洗面所に向かう。
「マジか」
靭は、鏡を見て口を開けた。
黒に近いが青だと分かる髪色。癖毛の髪がウェーブして緩いパーマがかかっている。瞳も髪と同じく深い青。顔は彫りが少し深くなり、男前の外国人のようだが、日本人っぽさもあることからハーフのようだ。さらには、口周りや顎、輪郭にもみあげまで繋がっている整えられた髭が復活。このせいか、野性味を増していて、いい意味で25歳には見えない。総称すると、ハーフの男前な日本人といったところだろうか。
「誰だ、この男前は」
「ふふ」
柔らかく笑う凛に目を向ける。完全に色味が定着したのか、鮮やかな髪が目に映った。凛もここにきてようやく頭が冴えてきたのか、靭の発言にいつもの笑みを浮かべる。
「私も誰か分からないね」
肩までだった髪が胸元まで伸びている。髪は深緑がベース。その中に赤、青、黄、白の4色が、それぞれ一房の太い束となって纏まっている。瞳もまたベースは深緑だが、赤、青、黄、白の4つの水玉のような光が浮かんでいる。幼かった姿はもうない。とろんと溶けた目は見るものを魅了し、陶器のように白く健康的で、顔立ちは一寸のブレもなく整っている。生まれる場所を間違えてしまったような機械的で神秘的な美しさ。裸にベールを纏った精霊を描いた絵画の人物が飛び出してきたようだ。身長も伸びて、23歳には出せない色気と雰囲気を持ち合わせていた。
「胸も大きくなった」
「こら」
「えー、なんでよ。体にお肉もついたし、じんの好みでしょ?」
大人びていて神聖な空気のまま、靭を揶揄ってくる凛に対して、靭は横目を向けた。
「……まぁ、ドンピシャではある」
「ふふ、しーさいず」
服の下を自ら覗き込み、凛は笑みを浮かべて呟く。
「こら」
「ふふ」
自身と凛のすっかり変わり果てた姿を、もう一度眺める靭は、つい感想を呟く。
「美女と野獣だな」
「ワイルドだもんね」
凛は嬉しそうに寄り添い笑った。
グウウウ――空気の読めない腹の音が鳴る。
「……飯にするか」
「ふふ、そうだね」
2人はキッチンへと向かう。冷蔵庫を開けると、靭は目を見開いた。
「これはまた、なんというか」
乾いた息が漏れるも、瞳は笑っていない。
「どうしたの?」
凛は、靭の反応が気になり冷凍庫を覗く。そして、靭と同じく呆れたような瞳で冷凍庫の中身を睨む。冷凍庫の中には、前回殺した時に出てきた結晶化した肉の塊が、キラキラと黒く光を放っていた。
「どんどん化け物になってくな」
「うん」
「身体が求めてるって感じがして、嫌気がするよ」
「だね」
嫌悪感があるというのに、それ以上の食欲が2人を襲う。早く食わせろと、身体が、本能が求めているような違和感が全身を支配していた。
「気に食わないが、食うか」
「だね」
「もちろん、普通の肉もな。まぁ、普通つっても、黒いけどさ」
「ふふ、そうだね」
二人は、結晶化している肉以外を慣れた手つきで調理していく。結晶化した肉は生で齧った。前回もそうしたし、そもそも火を通せる見た目をしていないためだ。味に関して、二人が感想を述べることはなかった。罰ゲームのような結晶を食べた後は、二人にとってすでに日常となってしまった黒い食事を取る。
焼いた肉を並べて、米をこれでもかというほど盛った。食欲は、すでに大食い選手並み。もはや、その程度では動じない。髪が変化したということは、肉体も変化したのだろうと結論付けた。
料理を食べた後は、二人は優雅にお茶を楽しむ。午後からはいつもの通りに過ごした。髪色が変化したこと以外の調査をしようとしたが、二人の性質上、それを確認することは難しい。
靭の受けた攻撃を力へと変換する能力と、凛の回復および危機回避能力だ。二人だけで確認できることもあるにはあったが、凛が嫌がった。自らを傷つける行為はさすがにNGらしい。
ということは、またアナウンスがあるまでは、時間があるということだ。ふたりは、空いた時間で、映画を見たり、本を読んだりといつも通りの時間を過ごす。
「ねえ、靭」
「んー」
「したい」
「おう」
二人は頻繁に体を重ねた。能力強化のせいなのか、欲望もまた比例して強くなっている。行為の時間も長くなり、二人の時間の大半はそれに費やされた。
ある程度時間が経つと、高ぶり続ける性欲もようやく落ち着きを見せ始めるのであった。
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