第10話 喫煙仲間からの情報共有
「……ん」
靭は目を覚まして、隣を見る。ベッドの横にはいつもの安心そうに眠る凛の姿。
いつもと違う点といえば。
(裸……あー、やっちまったって……思うのは失礼だよな)
後悔はない。とはいえ、欲望に流されるままやってしまったことも事実だ。避妊道具などあるわけもなく、本能のままに凛と一つになり、果てた。
それでも足りなくて、深く求めてしまった。靭だけではなく、凛までも。嬉し泣きする彼女に興奮し、何度も、何度も求めた。
天使に心を奪われた悪魔のように。
「……」
隣で眠る天使は、目を覚ましそうにない。もうひと眠りしようにも、靭はどうにも目が冴えてしまっている。
仕方ない。起こさないようにゆっくりとベッドから降りて、服を着る。タバコを取り出し、吸おうとしたが、さすがに眠る凛のそばで吸いたくないのか、靭はタバコとマッチを持って、ドームへと向かう。
(禁煙じゃないのが救いだな)
ドームに出て、壁に腰かけて一服。燃え尽きたマッチも、煙草の灰も、すべて床に捨てる。すでに似たような痕跡がそこかしこに散らばっているから、問題ないと判断したのだ。ドームには誰もおらず、周りを気にせずに吸えた。たまには、こういうのもありだなと思いつつ、靭はタバコを吸う。
ガチャリ――隣の扉が開く音が聞こえた。響と吟時の部屋だ。靭は横目で確認すると、見えたのは背の高い人影。
「はあい、深海さん」
「紫苑さんか」
「隣、いい?」
布で作ったお手製のタバコ入れを手に持ち、にっこりと笑う響。
「お好きに」
靭は特に気にする様子もなく、真正面を見て答えた。隣に腰かける響との距離は、そこそこ開いている。靭は、それを見てホッと落ち着いた。パーソナルスペースは、彼女にはあるようだと。慣れた手つきでタバコを咥えて火を点ける。どうやら、愛煙家のようだ。
一口目を吸わずに、二口目で肺に入れる姿は様になる。ドラマや映画の撮影と言われても、信じるくらいには。
「それで、用があるんだろ?」
「あら、偶然だと思わないの?」
「白々しいね。あの女子会で、凛に何かけしかけたのも紫苑さんだろ」
「バレたか」
靭に響の表情は見えない。ただ、声で分かる。策略が成功して上機嫌だから、きっと笑っているのだろうと。実際、その通りだと言わんばかりの笑みを響は浮かべていた。
「楽しいひと時を過ごせたようで」
「お陰様でな。つうか、盗み聞きとは趣味が悪いな」
「あら、ごめんなさい。でも、いい思いができてよかったでしょ?」
「勘弁してくれよ」
男を手のひらで操るのがうまいのか、それとも弱みだと思われてるのか、靭は防戦一方だ。なるべく顔を見ないようにしていた靭だが、響は面白がって靭の顔を覗いてくる。
「あら、後悔してるとでも?」
「ないよ。凛に失礼だ」
「よかったわ。頼りがいのある男で」
「そら、ようござんした」
これで会話が終了かと思えば、響のワントーン下がった声が聞こえてくる。
「凛ちゃん、あなたのこと大好きみたいよ。私とカルちゃんに警告して、殺意を出すくらいには」
とんでもないことを口にして。
「殺意って。凛は、こんな異質な場所で恐怖を覚えるような普通の……」
普通の子――と言いかけて、口が止まった。
(この環境で、普通の人間が果たして生きていけるだろうか。肉体だけが変化して終わりだろうか)
自分のように性格まで極端に変わっているのであれば、凛が変わっていてもおかしくはない。
響は靭に歩み寄り、彼の耳元で囁くように告げる。
「気を付けてね。あなたが彼女を見捨てたらどうなるか分からないわよ。
後ろからざっくり刺されるだけで済めばいいけど、もっと悲惨なことになるかもしれないから」
脅しのような言葉を告げると、靭から離れて距離を取り、壁に寄りかかって笑顔を見せた。
「はっ」
靭は響の言葉を聞き、馬鹿馬鹿しい話を聞いたような呆れた笑みを見せた。その反応が予想外だったのか、響は2、3度瞬きをして呆けた顔を見せる。
「あんないい女、見捨てるわけねぇだろ」
そう告げて、靭は正面を眺めてタバコを吸う。
「凛ちゃんが惚れるわけね」
「そうかよ」
靭はすでにその話題に興味がないのか、特に何も話さずドームを眺めている。
「ふふ」
ようやく満足したのか、「ふふ」という笑みをこぼしてから、響は正面を向いた。
「本題は、今のでいいのか?」
「いいえ。もちろんあるわ」
「だろうな。やった声が聞こえてるなら、俺が出てくる音も聞いてたんだろ?」
「ええ、そうよ。都合のいい耳をしてるからね」
「みたいだな」
互いに煙を吐く。靭はタバコが切れると、地面に残り火を押し付けて消す。そして流れるように、もう一本の煙草を取り出して、吸い始めた。
「ねえ、深海さん」
「なんだ」
「あなた、どれくらい眠ってたと思う? 予測ではなく、体感で教えてほしいの」
「また、唐突だな」
「重要なことよ」
声色が変わる。どうやらかなり真面目な話らしく、揶揄う声がしない。靭は少し真面目に考えて、間を置いてから伝える。
「3時間くらいじゃないか。俺はいつも、そのくらいで目が覚める」
「なら、いつもは?」
「いつもは……三度寝くらいで目が覚めるから、7時間くらいか?
社会人時代ってか、これに巻き込まれる前の休みはそれくらい寝れば十分だったし」
ついこの前のことだが、だいぶ昔に経験したことのように伝える。それくらい、靭にとっては、ここでの経験が濃いということだろう。
「なるほどね」
靭の回答を聞いて、響は紫煙を吐いた。すぐに答えを出すかと思いきや、そのあともまたタバコを吸い始める。靭は焦らずに、彼女が口を開くまで待ち続けた。
「30分よ」
「?」
突然の告白に、靭は吸おうとしてたタバコを離して、響のほうを見る。聞き間違いかと思い、念のため、響に向かって、響が伝えてきた時間を言う。
「30分?」
「ええ、間違いないわ。どれだけ深く眠ったと思っても、最大でも30分程度しか寝てないの。
ちなみに言うけど、二人が行為を終えて、深海さんが眠りについて目を覚ますまでに、5分程度しか経ってないわ」
互いに目を見て、沈黙する。靭は少し気まずくなったのか、正面を向いてタバコを吸って煙を吐いた。
「冗談だろって言いたくなるけど、本当っぽいな」
「信じてくれると思ってたわ」
その言葉に、靭は思わず目を見開いた。
「そこまで信用されてたのか」
「ええ、まあね。ほかの子たちには、危なっかしくて言えなかったけど」
「黒曜君にも?」
「当たり前でしょ。あの子は嘘の塊みたいで、信用できないの。深海さんも、感じてたんじゃない?」
靭はどう答えるべきか悩んで、煙を吐く。
「まあ、それは確かに。にしても、まだ大人ぶった子供って感じだったけど」
「まあ、そうでしょ。どれだけ大人ぶっても、子供は子供なの。何をきっかけに壊れるか分かったものじゃないから、怖いのよ」
「それが普通なんじゃないか?」
靭がそう言うと、響は少しだけ呆れたように息を吐き、膝を抱えた。
「ねぇ、冗談でしょ。本気で言ってるの、それ?」
「……」
(ここは普通とはかけ離れた狂った空間。普通の子が普通に生き延びられるわけがない。普通という概念が壊れた場所だ)
凛でさえ、心のどこかしらが破綻していると響は言った。
だとしたら、響のペアである吟時もまた爆弾を持っているのかもしれない。
「どう壊れると?」
「彼、血を見ると心が落ち着くのよ。血を吸うわけでもないけど、吸血鬼みたいに血を求めてる。今はそれなりに我慢してるようだけど、どこで壊れるか分からないから怖いの」
「なるほどね。女性なら、怖くて当然……なのか?」
女性相手に疑問口調が出てしまう自分に呆れながらも、靭は本心からそう思ってしまった。隣を見れば、言葉とは裏腹に恐怖の色など微塵も感じさせない、意地悪な笑みが靭を見つめている。
「さあ、どうでしょう」
からかわれたな、と靭は思った。響は吟時に恐怖など感じていない。『壊れるのが怖い』と言いながらも、その異常性を冷静に観察しているだけだ。いや、吟時どころか、この状況にすら恐怖を感じていない様子。
(この人も、俺と同じってことか……にしても、からかわれるだけなのは、気に食わないんだよな)
「本当に、吸血鬼らしいな」
「あら、どうして?」
トントンと、靭は自分の首に触れる。響は、靭の仕草を見て自分の首に触れる。
「……おっと、ここにもあったのね」
「随分、激しいみたいだな」
「そうね、お互いにね」
響もまた、トントンと自分の首の付け根の位置を示す。そこは、靭の首筋の、凛に噛まれた痕がある場所と同じ位置だ。靭は完全に完敗だなと思いながら、溜息を吐いた。
「悪かった。話を戻そう。他に何か言いたいことがあったんじゃないか?」
「私に喧嘩を売るなんて、100年早いわよ。というか、揶揄ってきて続きを強請るなんて、我儘な人ね」
「言いたくないなら、言わなくても結構だが」
「もう、拗ねないで。冗談よ」
「……面倒くさいな」
「ふふ、そうね」
同い年で、お互いに気を遣うのも面倒なタイプ。靭にしてみれば気軽に話せる存在だ。響の精神年齢は高いのだろう。女性は男性より精神年齢が高いというし、ここでもそれは変わらないようだ。
ぐっと伸びをしてコリをほぐす響に対して、靭は相変わらずタバコを吸い続けている。
「この場所、やっぱりデスゲームだけが目的ではないと思うわ」
またしても唐突に、響は靭にそう告げる。
「なるほどね。肉体と精神以外にも、何か分かったのか。その耳で」
「ご名答。最初のゲームが終わって、休息に入ってからすぐ、部屋から出てこなかった人がいるの覚えてる?」
「ああ。いつ始まるか分からないゲームだからな。
アナウンスのとき、運悪く30分の深い眠りのせいで気付けなかったんだろう」
靭がそういうと、響は壁にもたれかかる。
「アナウンスに気付かなかった人は、全員が全員、30分以上寝ていたからだと言っても?」
「まじか」
「マジよ。それに、それだけじゃない」
響は億劫そうに、それぞれの部屋の扉を見渡す。
「毒で死んだペアもいたわ」
「毒で? 部屋の中に毒でもあったのか?」
靭の質問に、響は首を横に振った。
「いいえ。彼らは普通に食事をしている最中だった。ただね、料理を口にしてすぐに、吐いて暴れ、もがき声を上げて死んでいったけどね」
「……食材の中に毒が入っていたわけじゃないのか」
「そうじゃないと思う。だとしたら、他に考えられる要因は?」
「あの黒い食材が……何かが変化していない人間にとっては毒だったってことか?」
にっこりと笑う響。どうやら正解のようだ。
「命令厳守、精神の異常、生存ゲームで分かった身体の異常。
30分以内の睡眠、毒を求める体。これだけおかしな出来事が詰まってるのに、デスゲームって言われてもね」
「肉体改造を施した人間だけを生かしてる?」
「私はそう考えてる」
推測。どうやら確定した事実ではないらしい。
「さすがに、それは分からないか。都合のいい耳なら分かると思ったが」
「それって」
響のつぶやきに、靭は期待していないような顔で笑みをこぼす。
「管理人たちの話し声とかさ」
「ふふ、さすがにそこまで都合のいい耳はしてないかしら」
「だよな」
他人の部屋の事情は聞こえるが、答えまではたどり着けない。だとしたら都合のいい耳だが、そこまでではないようだ。
「最後にもう一つ」
「まだあるのか?」
トントンと、響の細い指が靭の左胸を叩く。
「心臓?」
「ええ」
響は靭の心臓を見つめて、答える。
「生存者全員の心音に、わずかにズレが生じてるの」
「それって」
「通常の心臓ともう一つ、小さな小さな心臓のようなものの音がする気がするの」
「……」
「まあ、それが心臓かどうかも怪しいけどね」
「はあ、なにがなんだか分からん」
響の答えに靭は頭をぐしゃぐしゃとかき回し、ぎりぎりまで火のついたタバコを吸い込んだ。響の言葉を鵜吞みにするとしたら、徐々に真実が明らかになってはいる。
ただ、目的だけが分からない。小骨がのどに刺さって取れないような気持ち悪さが、靭の胸に残る。
「おっと」
情報を整理しつつ、次に何を聞こうかと迷ったとき、響が不意に声を上げた。
「どうした?」
「時間切れね。凛ちゃんがもうすぐ起きるわ」
突然のことに、靭は眉を顰める。
「だから?」
「言ったでしょ。警告されたって。私、彼女に殺されたくないの」
「ああ、そういえば言ってたな」
それに、と、響は言葉を続ける。
「簡単には殺されるつもりはないけど、単純に嫌われたくないのよ」
「そうか」
すでに顔見知りだ。いつだれがどうなるか分からない状況下ではあるが、ペア以外の人と親睦を深めることは悪いことじゃない。まあ、最悪があるとすれば、互いに殺し合いを強要されることだろう。
(そのときは、そのときだな)
靭は最悪の可能性を頭の片隅に置きつつ、吸い終わったタバコを地面に押し付けた。凛が起きるというので、靭は部屋に戻ろうとする。
「ねえ」
「ん、なんだ?」
だが、それを響に止められた。
「ここでの話は、凛ちゃんにも共有してね。嘘偽りなくよ」
「話さないほうがいいんじゃないか?」
警告されたなら、話さないほうがいいだろうと靭は提案するも、響は呆れた顔でため息を吐いた。
「こそこそ隠れて嘘をついたほうが駄目よ。正直に、素直になったほうがいい場合もあるの」
「まあ、それはそうか。だがな、これを共有するってのは危ないんじゃないか?」
響はさきほど、吟時には伝えていないと言った。どんな理由でどこが壊れるか分からないから。こんな異常な場所だ。すでに壊れてしまっていても、それ以上壊すようなことはしたくないと。
しかし、靭の疑問に、響は無言で首を横に振った。
「凛ちゃんは、あなたがいれば大丈夫よ。
あなたが私を信用したと言えば、あの子も私を信用する。
異常なまでの依存だけど、あなたが凛ちゃんを見捨てたり置いていかなければ、彼女がそれ以上壊れることはない。断言してもいいわ」
「そうか」
普通の生活を送っている人間がいれば、それのどこがいいのだと吐き捨てるだろう。だが、ここは地獄の最中。縋るものが合って何が悪いというのか。
「だから、大切にしてあげてね。凛ちゃんのことも、あなた自身のこともね」
「まあ、できる限りのことはするさ」
「そうしてちょうだい」
そういって、響は自室へ向かって歩き出す。
「それじゃあね、深海さん。頼んだわよ」
「ああ」
靭もまた、素直に自分の部屋に戻った。凛は自分がいないと駄目だということが、響のことではっきりとわかった。靭は一人、決意を固めるように、拳を見つめる。
(言われたことをやればいい。何もない俺の、唯一の得意分野だ)
元が何もない男、深海靭。
凛にとって、靭に惚れ、依存することは、この狂った世界を生き抜くための最適解だったのかもしれない。




