第406話 思いがけない人物
翡翠宮、シャルロッテの私室にて。
午後の強い陽射しの当たる窓辺。
シャルロッテはそっとレースのカーテンを開け、向かいの建造物を見上げた。
三階のあの部屋は、もともとはお母様の部屋――そして今は、マーガレットが幽閉されている。
眩むような陽光に眩暈を感じ、シャルロッテはそっと目を伏せた。瞼を下げるたびに浮かぶのは、あの日、王城の城門橋の上で逃げ惑うマーガレットとクレイグの姿。
騒ぎを聞きつけたシャルロッテは、離れた塔から二人の姿を捉えていた。
マーガレットを背に庇い、矢に倒れ伏すクレイグ。地面に横たわるクレイグの身体を抱きしめ、喉を裂くような叫びを天に上げるマーガレット。
まるで、半年前のワタクシとミゲルを見ているようだった。
二人があんな悲劇に見舞われたのは、ワタクシのせい。
ワタクシが、ゼファーお兄様の甘言に耳を貸してしまったから……。
あの日から、ワタクシはお兄様と一度も顔を合わせていない。
国王代理として忙しいのもあるでしょう。でも耳に挟んだ話だと、僅かな暇を拾ってはマーガレットの部屋へ吸い寄せられるように通っているらしい。
マーガレットの秘密を漏らし、ミゲルとの将来の幸せを取った――ワタクシは大事にするべきものと、手にするべきものを間違えたのだろう。
今はそれが、ワタクシの胸の奥に疼きを与え、後悔の淵へと苛んでいく。
マーガレットの笑顔が恋しい……ワタクシにとって、気の置けない友人はマーガレットだけだったのに。自分から手放してしまうなんて……きっとミゲルにも怒られてしまいますね。
もし、あの時に戻れるのならば、お兄様を突っぱねて雑誌を渡したりなどしないのに……いくら後悔したところで、あとの祭り……。
近くて遠い――閉ざされたマーガレットの部屋の格子窓を、シャルロッテは長い間、ぼんやりと眺めていた。だが、ふと視線を外し、背後に控える侍女を捉える。気取られぬように、胸の奥で決して言葉にできぬ決心を、静かに刻み込んだ。
どうにかして……どうにかしてマーガレットを助けたい。
あちらの建物は、入口にも あらゆる箇所にも騎士が配置され、王女のワタクシでも通ることは許されなかった。一体、どうすればよいのでしょう。
レースのカーテンを握り締め、シャルロッテは重々しい溜め息を落とした。
その時だった。
――コンコンコン。
シャルロッテの苦悩を払うような、軽やかなノックの音が室内に響く。
扉を叩いたのは、シャルロッテも目を疑うような思いがけない人物だった。
★☆★☆★
同じく翡翠宮。マーガレットの幽閉されている部屋にて。
午後の陽射しが淡く変わり、茜色を帯びていく頃。
格子窓から差し込む夕陽の気配を感じながら、マーガレットは静かに溜め息を吐いた。その溜め息は、疲労と苦悩が編み込まれたように複雑に絡みつく。
現在、ゼファーが告げた結婚式の準備のため、ウエディングドレスの試着を行っている。
約一年前に決めた純白のドレスに袖を通す。腰回りが痩せていたようで、仕立てを急ぎで進めないととミモザが漏らしていた。
試着の間も、私の心は脱出の糸口を探し続けていた。しかし、どんなに思案を巡らせようと、この首輪という私を縛る鎖が解けないかぎり、自由のある未来はやってこない。
明後日には、私はゼファー殿下と結婚することになる。クレイグを探し出すどころか、このままだと……。
試着の喧騒が過ぎ、誰もいなくなった部屋。
一人になった部屋でマーガレットはぐったりと項垂れた。肩が僅かに震え、長い赤毛の束が肩を滑り落ちていく。
どれほどの時がこぼれたのだろう。
じんわりと滲む視界に、目尻に光る涙をそっと拭う。小さな嗚咽を漏らしながら洟を啜るうち、異様な違和感が忍び寄った。
虫の囁きも木々のさざめきも、まるで時が止まったような静寂が辺りを包んでいる。
何かおかしいわ…………もしかして!
マーガレットは足音を立てぬように、扉へと近づいた。指先を伸ばし、扉へとそっと触れる。だが、そこには相変わらず透明な壁が立ち塞がり、マーガレットの退室を拒絶するかの如くはじき返した。
……出られない。
意気消沈と肩を落とし、諦めの溜め息を吐く。
するとその溜め息を跳ね返すように、扉がゆっくりと開いた。
キィ。軋む音とともに眼前に現れたのは、
幻の王子と呼ばれる第一王子――フェルディナンドだった。




