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犬飼さん家のたぬきと猫宮さん家のきつね   作者: 岩波備前


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第九話『猫宮紺のお茶会』

神社とは違い人気の少ない静かな境内。犬飼家の人間が毎日心を込めて掃除をしているのか主要な道には葉や枝などの自然物すら目に付かない。

神社の神とはいえ、犬飼家の人間の事は良く知っている。寺で育つためか礼節れいせつ正しく人格も良好。素朴そぼくでとても優しい人間が多い。貉の薫陶くんとうによるものなのかそうではないのかは分からないが、少なくとも紺自体は好ましく思っていた。


「しかし猫宮といい犬飼といい‥‥‥男も女も我を気安く扱うのはなんでだろうなあ‥‥‥偉い神様なんだが‥‥‥」


身内である猫宮家の人間はともかく、犬飼家の人間も気安く接してくるのはどうかと思う。“威厳が足りないのかなぁ”と少しだけ肩を落としながら境内を進むと、目的の人物が視界に入る。


「‥‥‥何をしているんだ、貉よ」


「見て分からぬか‥‥‥留守番じゃ」


「いや、そうではない。貴様の格好の事を言っているんだ」


「‥‥‥それはお前も同じだろう?」


掘っ立て小屋のような自室の縁側に座りながらお茶を飲んでいた貉。紺はいつもとは様子がおかしい彼女の身体を上から下まで眺める。

まずはふわふわの白のヘッドドレスが目に入る。次いで胸元の空いた黒のシャツになんとか膝が隠れる程度のスカート。その上からふりふりのエプロンドレスが彼女を包んでいる。紺のものとは違う、可愛らしさに重点を置いたメイド服。

普段は露出をしたがらない彼女にしては珍しい格好であった。


「‥‥‥小僧の趣味か」


「そうじゃ‥‥‥」


「何故?」


「どこぞの狐神が膝枕をしてくれなかったそうだ‥‥‥そのしわ寄せじゃよ」


「‥‥‥大変だな」


「誰のせいだと‥‥‥」


紺は疲れたように溜息をつきながら貉の隣に座る。珍しい行動に貉は怪訝けげんな表情を浮かべるが、すぐにその意図を察する。


「‥‥‥おお、おはぎではないか‥‥‥むむっ?‥‥‥この香りまさか、例の‥‥‥?」


「ああ『おはぎいっぽん』のものだ。鈴音と雲雀がようやく手に入れたものらしい‥‥‥なんだ、お前は食っていないのか?」


「‥‥‥食べてない‥‥‥太るから、と‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥はぁぁ‥‥‥」


遠い目をしながら境内の方を見つめる貉。寂しそうに呟く彼女の瞳には薄っすらと光るものが見えていた。紺は予想外の答えに思わず大きな溜息をつく。


「太るからって‥‥‥儂、悲しいよ‥‥‥」


「太る訳ないだろうに。我らは神だぞ?」


「‥‥‥‥‥‥太らないのか?」


「えっ?」


お互いの言葉に愕然がくぜんとする貉と紺。しばらく沈黙が続いた後、貉は再び遠くを見つめ始める。


「‥‥‥神、なのになぁ‥‥‥」


「逆にびっくりしたわ」


「‥‥‥‥‥‥まあ、お前と違って食事から力をたくわえる習慣が身についておるからの」


「難儀な身体だな‥‥‥」


「お前がおかしいんじゃ」


神社の外に出ても当たり前のように顕現していられる程の力を持つ紺とは違い、貉は1人で寺から出るために多少は気合を入れなければならない。

いざというときに動けるよう、常に力の補充を意識しているからこその弊害へいがいであった。


「別に食わんでも問題はなかろうに」


「何を言うか。美味い飯と菓子の味を知ってしまったらそうもいかんじゃろ」


「まあ、確かにな‥‥‥お互いに贅沢ぜいたくな身体になってしまったな」


「‥‥‥もしもだが‥‥‥鈴音の機嫌を損ねてしまって、ご飯もおやつも抜きにされたらどうする?‥‥‥お前、料理出来んじゃろ」


「その時は‥‥‥‥‥‥諦めるしかないな」


「えっ?」


「諦めるしか、ないな‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥鈴音、怖い‥‥‥」


全てを悟ったかのような微笑みを浮かべながら遠くを見つめる紺。その姿を見て察する。

鈴音の機嫌を損ねると彼女は静かに泣いてしまう。怒るでも文句を言うのでも無い。心底悲しいと思いながら泣くから始末に負えない。

紺は鈴音が大好きなので泣かれる事が一番怖い。だからこそ逆らうことなど出来なかった。

それを理解していた貉も彼女にならって一緒に遠くの方を眺めることにした。


「‥‥‥貉、我にも茶を出せ」


「嫌じゃ‥‥‥と、言いたい所だが今日の儂は少しだけ優しい‥‥‥淹れてしんぜよう」


「おはぎはやらんぞ?太るからな」


「おっ、喧嘩けんかか?」


「やめろ、ここでは貴様には勝てん‥‥‥ほれ、1個やる」


「素直に差し出せんのかお前は‥‥‥」


小さく悪態あくたいを付きながらも、何故か準備されていたもう1人分の湯呑ゆのみにお茶を淹れる。

紺はった玄米げんまいと茶葉のかおりに少しだけ目を細める。


「‥‥‥『美味草生びみそうせい』の玄米茶か‥‥‥ん?これは‥‥‥」


「雲雀からの貢物みつぎものじゃ。この間、一緒に出掛けた時にな」


「ああ‥‥‥あの時は大変だったんだぞ。鈴音は帰って来ないし、腹は減るし‥‥‥捨てられたかと思ったわ」


「なんか済まんのぉ‥‥‥」


“ほれ、びじゃ”と呟きながら湯呑を渡す。薄い翠色みどりいろを見つめながら紺は懐かしそうな表情を浮かべる。


「‥‥‥先代の腰は良くなったんじゃな」


「調子の良い時はたまに作るそうだが‥‥‥有名になりすぎるのも考えものじゃのう」


「息子夫婦が作る茶葉も美味いと評判だからな」


『美味草生』は商店街にある小さな茶屋であるがその歴史は古く、紺も貉も贔屓ひいきにしている店だ。現在は6代目の息子夫婦が茶葉の製造・販売をしているが、先代の店主が作る茶葉はちょっとした伝説となっていた。ただのお茶なのに“やめられないとまらない”と。


「元気そうじゃった。あれは100まで生きるな」


「人間としてはかなり長生きだが‥‥‥保ってその程度だからな‥‥‥」


「何人も見送ったからのぉ‥‥‥」


「‥‥‥まあ、知っとる奴は大体100まで生きるが」


「‥‥‥なんなんだろうなぁ」


「我らの力が滲み出ているからか?」


「そうだのぉ‥‥‥」


しみじみと言葉を交わしながらおはぎとお茶の味をたのしむ。2人仲良くほっこりする程美味しい。


「まあ、身体はおとろえているそうだが‥‥‥足腰や手先が言うことを聞かんらしい」


「人間の現役は短いな‥‥‥」


「儂らとは生きている時間が違うからの。仕方がない‥‥‥」


「そもそも我らは既に死んでいるからな」


そうじゃのぉ‥‥‥と呟きながらお茶をすする。

眠りを誘う温かな陽気の下、風に吹かれてこすれ合う葉の音に混じり鳥の鳴き声が聞こえる。いつまでもぼんやりと過ごしていたくなる穏やかな時間も決して永遠のものではない。時代とともにあらゆるものが変わる。


「随分と変わったのぉ‥‥‥」


「ほんの数十年前には無かったものも、今は当たり前のように普及ふきゅうしているからな」


紺はエプロンのポケットから掌大の電子機器を取り出す。これ1つで全世界と繋がることが出来る代物。鈴音から教えて貰ったものだが非常に便利で重宝ちょうほうしている。その機器を起動すると鈴音からの連絡が表示されていた。


「‥‥‥鈴音がさびしがっているみたいだ。どれ、おはぎも茶も無くなった。我は帰るぞ」


「ああ、儂の方もこれから用事があるからの。早う帰れ‥‥‥それにしてもこの機械は便利じゃが、未だに慣れんのぉ‥‥‥ん?」


貉も縁側に置いていた電子機器に触れる。紺の持っているものと似ているが画面や表示されているアプリケーションが大きく、明らかに高齢者向けのもの。その機器をたどたどしい手付きで操作していると[雲雀]の文字とともに文章が表示される。


『後10分くらいで帰ります。いつものお酒が手に入りました。帰ったら膝枕をお願いします』


おつかいを頼んでいた雲雀からのメッセージを見て小さく微笑ほほえむ。メイド服が礼のつもりであったが少しだけきょうが乗った。喜びそうなものは‥‥‥と考えたところで直ぐに心当たりが思い浮かぶ。記憶を頼りに目的のアプリケーションを開き、自撮り設定に切り替える。


「‥‥‥紺、ちっとだけこっちに来い」


「なんだ突然‥‥‥ぬっ?写真を撮ってどうした」


「まあまあ、少し待て」


肩を寄せ合う自分達を撮影し、その写真を雲雀に送る。


「何をしているんだ?」


「なあに、雲雀への褒美ほうびじゃ。お前にも送るから鈴音にでも‥‥‥って、早っ!?」


写真を送ってから僅か10秒で返事が返ってくる。


『3分で帰ります』


「‥‥‥裏口から帰る‥‥‥じゃあな」


「‥‥‥引き留めて悪かった。そうした方が良いのぉ‥‥‥」


やっちまったかぁ‥‥‥と頭を抱える貉に自業自得だとは思うが、少しだけ同情する。挨拶もそこそこにして縁側から飛び降りる。


「鈴音は大丈夫‥‥‥いや、そうでもないか‥‥‥はぁ‥‥‥」


「変に刺激しないほうが吉じゃぞ。儂みたいになる‥‥‥」


「その忠告。素直に受け取っておこう」


凄い勢いで寺に近づいてくる気配を感じつつ、紺は巻き込まれないよう裏口の方へと早足で向かうのであった。


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