第五話『犬飼貉の受難』
犬飼貉は悩んでいた。
端的に言うと、自分は神として崇め奉られているのかと。
元は只の獣とはいえ、何百年もこの土地で人々を見守り続けてきた。神格は紺に劣るが決して侮られる存在では無い。そう言い切ることの出来る程度の実力と自負もある。昔は少しでも力を見せると人々から畏れを受けたものだ。
だがここ最近になってからはそうもいかなくなっていた。大抵の事は科学や技術の進歩でなんとかなってしまうからだ。2、300年位前までは定評のあった雨降らしや豊穣の加護などは科学的に代替が出来る。除霊や地鎮祭などの加護も今ではあまり役に立たない。夏場のホラー特集もめっきり減ったし。
貉は寺の敷地内にある掘っ立て小屋のような自室で寝っ転がりながら、あれもこれも人々の中から神を敬う気持ちが薄れているからだと考えた。
「よし、久々に外界に降りるとするか」
今こそ神の威光を見せつける時だ。思い立ったら吉日と言わんばかりに小屋を飛び出る。
「駄目ですよ、貉様」
「なんでぇ‥‥‥」
飛び出た直後、真横から制止の声が掛かる。無視をする事も可能だが、その場合は10時と15時のおやつが無くなってしまう。それだけは避けたかった。
「お寺の氏神様がいなくなったら大変じゃないですか」
「いや、雲雀が生まれる前は結構離れていたぞ、儂。それに氏神って‥‥‥ここは寺じゃぞ?」
「それを言ったらお寺に神というのもおかしいじゃないですか」
「だって、儂がここに根を張ってからここの寺が建っちゃったから‥‥‥」
貉も紺と同じ時代を生き、300年程前に神へと昇華された存在であった。紺はその神格から猫宮神社に祀られていたが、貉の方は当時の人々から畏れを受けており、今の犬飼寺の土地にその身を降ろしていた。
「そうらしいですね。うちの言い伝えによると、貉様が我儘を言ったから寺の敷地内に鎮守社を建てる事になったんですよ?」
「先に目を付けていたのは儂だもん‥‥‥」
「まあ、そのおかげでうちのお寺はとんでもないくらいご利益があると有名になったそうですが」
「寺でご利益とは‥‥‥我ながらびっくりするのぉ‥‥‥」
寺で祀られるようになってからなんとなく始めた修行が思いがけない部分で芽を出した。意識せずとも貉がいるだけでご利益が発揮されるのだ。
「縁切りとか除霊とか‥‥‥なんで神社っぽいことに特化しているんですか?」
「か、加持祈祷も出来るぞ!?」
”ほら見て!“と言いながら印を結ぶ。貉本人は弁解のために行ったに過ぎないが、その神性を痛いほど感じてしまう雲雀にとっては堪ったものでは無い。たまたま境内の外を彷徨っていた悪霊がきらきらと輝きながら成仏している‥‥‥すっかり見慣れた光景ではあるが。
「まあ、とにかく。一時的にとはいえ、貉様が離れることは良くないかと‥‥‥それに、どうせ姿なんて見えないでしょう?」
「ん?いや、そうでもないが‥‥‥」
「へぁっ?‥‥‥そう、なんですか?」
予想もしていなかった答えに思わず素っ頓狂な声を出してしまう。あまりにも情けない声に少しだけ驚きながら貉は言葉を続ける。
「ああ、結構しんどいが少し力を回せばのぉ。まあ、雲雀が近くにいてくれた方が楽だが‥‥‥」
「えっと、つまり、その気になれば俺や鈴音の家族以外にも見える‥‥‥?」
「補足するのであれば、雲雀を起点に常に顕現することも可能だが」
「‥‥‥」
「ん?どうした?」
言葉を失い、呆然としている雲雀を眺める。動かなくなってから1分が経過した辺りで瞳に絶望の色が混じり始める。更に1分後、そのまま膝から崩れ落ちた。
「そんな‥‥‥貉様のお姿が‥‥‥衆目に晒されるなんて‥‥‥」
「儂が言うのもなんだが、大分こじらせとるのぉ‥‥‥おー、よしよし」
「あっ‥‥‥ぁっ‥‥‥ママぁ‥‥‥」
「お主を産んだ憶えは無いわ‥‥‥それに雲雀の母は美鞠じゃろ」
雲雀がなんだか憐れに思えてきたので腕の中で抱きしめてみる。数年ぶりの柔らかさと温かさを刹那の間に想起した雲雀は静かに涙を流しながら貉の愛を確かめる。
”なんだか気持ち悪いなぁ“と思いつつも雲雀の戯言を軽く流す。
「貉様は俺の母親を子どもの頃から見守っていた筈‥‥‥つまり、貉様は俺の母親‥‥‥?」
「なんでそうなる‥‥‥」
「それは素晴ら‥‥‥いや、それでは禁断の‥‥‥」
「それ以上は口にせんほうが良い‥‥‥」
”美鞠を前にしたら絶対に後悔するぞ“と伝える程度の優しさはある。舐められているとはいえ立派な神様だからだ。
「‥‥‥ふぅ、貉様の優しさに免じて外出は許可しましょう。ただし俺と一緒に出歩くことが条件です」
「別に構わんぞ。久々のお出かけじゃな」
「‥‥‥やっべ、興奮してきた」
「俗物よのぉ‥‥‥小さい頃はもっと可愛かったのだが‥‥‥」
”準備してきます!“と母屋の方へ走っていった雲雀の背中を見送りながら”育て方を間違えたかの?“と若干、母親視点で考えてしまう貉であった。




