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犬飼さん家のたぬきと猫宮さん家のきつね   作者: 岩波備前


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第三十七話『犬飼貉と山の犬神』

琥珀と瑠璃のもとに狗がやってきた翌日。琥珀達は犬飼寺を訪れていた。


住宅街から少し離れてはいるもののさびれている様子は無く、寺の周囲も綺麗に掃除の手が行き届いている。どうやら寺の人間だけでなく、同じ地域に住む住民の手も入っているように見受けられた。

地元住民にも愛されている犬飼寺の正面。琥珀達の前では700年という年月を見守り続けてきた門が客人達を静かに見下ろしている。


「ここが犬飼寺ですね‥‥‥」


「神様がいる割に、見た目は普通だね」


「とうとう来ちゃったよぉ‥‥‥」


琥珀は前日の内に犬飼寺へ連絡を入れていたが、電話に出た人間が雲雀であったため、滞りなく貉への面会を取り付ける事が出来ていた。荒噛寺の神様が貉に面会したいと聞いた時は雲雀も驚いていたが、当時の話を伝えた所すんなりと受け入れていた。琥珀の話から狗に敵意は無いと分かった事も大きいが、何より貉がきっかけで始まった事なので無下にも出来ない。電話を受けてから雲雀は貉へと相談し、面会を受け入れる運びとなっていた。


『数百年も昔の事とはいえ、わざわざ儂を尋ねて挨拶がしたいと言うんじゃ。受けてやらねばのぉ‥‥‥それに、紺以外の神にも興味はあるしな』


貉自身、狗についてはうろ覚えであったが悪い印象は無かったようだ。当時は実力の差がありすぎて敵とも思わなかった事も要因であるが、恐らく彼女の中に感じるものがあったらしい。雲雀の言伝ことづてで聞いた昔話から、少しずつ当時を思い出す貉の表情はとても懐かしいものを見るようなものであった。


「そこまで大きくはないけど、何か落ち着く感じがする‥‥‥うちに近いかも」


「‥‥‥‥‥‥お寺はともかく、氏神の格は全然違うけどねぇ‥‥‥‥‥‥例えるなら貉様がクジラで、私はプランクトン‥‥‥」


極度の緊張から”あれ、クラゲもプランクトンだっけ?“と良く分からない事を呟き始めた狗に対し、2人は励ましの言葉を掛ける。


「いやいや、狗ちゃんも立派な神様だよ?‥‥‥見た目だけは格好良いし、何より可愛さでは負けないよ」


「狗さんも胸を張って良いんですよ。少なくとも俺たちは狗さんを信じていますからね」


「‥‥‥うぅ‥‥‥2人が良い子過ぎて、自分が情けなくなる‥‥‥」


温かな励ましの言葉が心に沁みる。同時に”数百年単位で年下の子達に励まされる私ってなんだろう?“と考えてしまった。


「そろそろ時間なので中に入りましょうか。犬飼寺の神様‥‥‥貉様もお待ちでしょうし」


「どんな神様なんだろうねぇ。耳とか尻尾とか付いているのかな?」


「お、お邪魔します‥‥‥」


門をくぐり抜け、掃除の行き届いた境内を見渡す。同じく境内にいた雲雀が気が付き、彼らの元へと歩みよってくる。


「お待ちしておりました‥‥‥それと、また会ったね琥珀さん。どうぞこちらへ」


「お邪魔します。私もこんな形で再会するとは思ってもいませんでしたが、今日は無理を聞いて下さってありがとうございます」


丁寧な挨拶を交わす。顔を合わせるのは2度目であるが、お互いに最初と変わらず話しやすい雰囲気であると感じていた。


「えっと‥‥‥そちらの方は‥‥‥」


「以前お話した私の妹です」


「初めまして、荒噛瑠璃と申します。そこのぼんやりした男の妹です」


「あはは、手厳しいなあ‥‥‥」


「ははは‥‥‥瑠璃さん、で良かったかな?‥‥‥私は犬飼雲雀と言います。宜しくお願いします」


「ええ、構いませんよ。私も雲雀さんとお呼びしても宜しいでしょうか?後、敬語はいらないよ」


琥珀には妹がいるとは聞いていたが、まさか双子であるとは思っていなかった雲雀は一瞬だけ対応を考えた。だが、彼女の砕けた態度に接してから、直ぐに彼女の人柄を察する。琥珀とは性格は違うものの、瑠璃のように裏表の無い真っ直ぐな人柄もまた、雲雀が好ましいと思う人間の1人であった。


「‥‥‥そうかい?‥‥‥なら俺の方も構わないよ。それともう1人の‥‥‥」


荒噛兄妹の人となりは理解できたが、もう1人の参拝客についてはまだ挨拶すら出来ていない。瑠璃の後ろに隠れている銀髪の女性に目を向けながらどうしようかと迷っていると、琥珀が気を遣って間に入っていた。


「電話でもお話させて頂きましたが、人見知りな神様で‥‥‥でも、とても良い方なんですよ。その点は保証します」


「これでも一応私達の家の神様なんだよ。ほら、挨拶して‥‥‥」


瑠璃が自分の背中にくっついている狗を引っぺがしながら、彼女を前に押し出す。荒っぽい動きに見えるが突き放すような事はせず、そのまま彼女の背後で静かに見守る態勢に入っていた。

その優しさが狗にも伝わっていたため、彼女はおどおどしながらも姿勢を正して自己紹介を始める。


「‥‥‥‥‥‥あ、荒噛狗と言います。お忙しい中、面会を受け入れて下さり、ありがとうございます」


「狗様ですね‥‥‥初めまして、犬飼雲雀と申します。どうぞ宜しくお願いします」


「あ、ご丁寧にありがとうございます。気を遣わせてしまったみたいで申し訳ありません‥‥‥」


「またまたご丁寧に‥‥‥あの、ここで言うのもなんですが、別に私にかしこまらなくても良いんですよ‥‥‥寧ろこちらの方が敬う側なので‥‥‥あの、頭を上げてください‥‥‥」


電話で聞いていたよりも強い人見知りではあったが、物腰柔らかな雰囲気と丁寧な所作から琥珀の言葉に偽りは無かったと確信する。ただ、人見知りと同じくらい予想を越えて腰が低い。

自分よりも深く頭を下げられてしまい、珍しく慌てる雲雀。基本的に真面目で信心深い彼にとって、狗のような神様は結構衝撃的なものであった。


「す、すみません。何分なにぶん、山生まれの山育ちで外界に出た事が無いもので‥‥‥それに、まともに話せるのはこの子達ぐらいしか」


「そうなんですか‥‥‥ところで挨拶をしたいという話でしたが、貉様でお間違い無いでしょうか?」


「は、はぃ‥‥‥その狸神の貉様で御座いますぅ‥‥‥」


「分かりました、ではどうしましょうか?‥‥‥お2人も同席されますか?」


「はい、貉様と狗さんが良ければご一緒させて頂きたいのですが‥‥‥勿論、余計な口は挟まないつもりです」


「あ、私もお願いします」


「えっと‥‥‥私は、そのぉ‥‥‥傍に居てくれると安心するけど‥‥‥もしかしたら格好悪い所を見せるかもしれないよ‥‥‥?」


「あ、別に構わないよ。狗ちゃんは情けなくても可愛いから」


「狗さんがどんな事をしても幻滅はしませんよ」


「‥‥‥うぅ‥‥‥喜んで良いのかなぁ‥‥‥?」


「ふふ‥‥‥それではどうぞこちらへ」




◆  ◆  ◆




「お、遠路遥々(えんろはるばる)ご苦労じゃったのぉ‥‥‥お主があの時の狗か‥‥‥随分とまあ‥‥‥その、何か‥‥‥おーい?」


「‥‥‥」


「‥‥‥狗さん。貉様がお困りですよ」


「はっ!?‥‥‥し、失礼しましたっ!お忙しい中、私のようなの如き存在の願いを聞いて下さり誠にありがとうございます。東北にある荒噛寺でしがない神をさせて頂いております荒噛狗と申します。あの、そのっ‥‥‥つまらないものですが‥‥‥どうぞお納め下さいぃ‥‥‥」


手に下げていた紙袋を雲雀に手渡す。地元から離れる前に購入したまんじゅうの詰め合わせ『遠野のさと饅頭』ぱっとしないものであるが、琥珀や瑠璃にも評判は良く、狗もこの味が割と気に入っていた。人様に出しても悪くないだろうと判断し、おつかいものとして選んでいた。


「お、おお‥‥‥手土産、感謝する‥‥‥あ、饅頭だ‥‥‥美味そうじゃのぉ‥‥‥」


「貉様」


「わ、分かっておる‥‥‥‥‥‥それで狗とやら。お主は何故、儂に会おうと考えたんじゃ?」


「ほ、本当に挨拶に来ただけなんです‥‥‥琥珀く‥‥‥琥珀と瑠璃の2人がこちらの地方で生活しているもので‥‥‥一応私の分霊を憑けて見守ってはいるのですが、もしも近くの神様に迷惑を掛けてしまったらと思いまして‥‥‥その‥‥‥」


「ああ、それで見覚えのある儂の気配を感じたから挨拶に来たと?」


「その通りで御座います‥‥‥それに、覚えていらっしゃらないかもしれませんが、貉様には一度見逃して頂いているのでそのお礼もと‥‥‥」


「‥‥‥まさか、あの時の事を言っておるのか?」


「はい‥‥‥今もこの瞳と魂に焼き付いております‥‥‥そして自分の分というものをはっきりと理解しました‥‥‥」


「貉様、なんてむごいことを‥‥‥」


「‥‥‥そんな目で見られると儂も傷つくんじゃが」


ぷるぷると震えながら当時の事を思い出す狗。逃げ出したい気持ちはあるが、見守る人間と受けた義理の為にも必死で恐怖に耐える姿を見ていた雲雀は、悲しそうな瞳で貉を責め立てる。貉も思わず逃げ出したくなってしまったが、客人を迎え入れている側なので、主人として何とか雰囲気を変えることにした。


「おほん‥‥‥とにかく、あの時の儂は力に酔いしれていたから仕方がないんじゃ‥‥‥それにあの後、儂も酷い目に遭わされたし‥‥‥」


「ひ、酷い目に?‥‥‥あの‥‥‥貉様が‥‥‥?」


「犬飼家の初代に泣かされたそうです」


「他に言い方があるじゃろ!?」


雲雀の容赦無い言葉に、思わず突っ込まざるを得ない貉。彼女にも最低限保っておきたい威厳というものがあるのだ。


「隠し事は駄目ですよ」


「あっ‥‥‥いや、そのぉ‥‥‥‥‥‥もとより隠すつもりは無いが‥‥‥こう、もう少し‥‥‥話にいろどりをな‥‥‥?」


「泣かされた事実を説明するために、それ程話を盛る必要があるのでしょうか?」


「‥‥‥‥‥‥はい、仰る通りですぅ‥‥‥」


しなしなになりながらも進言しんげんを受け入れる。

大分手遅れな感じはいなめないが、無理に否定するよりも素直に打ち明けた方が傷が浅いと判断し、小さな咳払いの後、雲雀の言葉に乗る事にした。


「‥‥‥まあ、今の遣り取りを見て分かる通り、雲雀が言ったことは本当じゃ‥‥‥‥‥‥それにのぉ‥‥‥”我に敵無し“と思い上がっていた頃に、只の人間から素手でぼこぼこにされたら泣きたくもなるわ‥‥‥」


「す、すでぇ!?‥‥‥ひぃっ!‥‥‥ばけものぉ‥‥‥!!」


「狗さん‥‥‥」


「狗ちゃん、ステイ」


化け物(むじな)を超える化け物の末裔である雲雀から、恥も外聞も無く距離を取る狗。

恐怖で顔が引きつり、目元に涙も滲んでいたが、震える両手で後ろの2人を守る。

複雑な気持ちで見ていた琥珀と瑠璃は、トラウマが爆発した狗を思い思いになだめていた。


「貉様‥‥‥」


「いや、今のは雲雀の事を怖がった様に思えるが‥‥‥まあ、それはそれとして‥‥‥儂に見逃されたという、その後じゃ‥‥‥今でこそ儂と同じ神ではあるが、当時のお主はそこまで力は無かった筈ではないかの?」


見当違いな非難の視線を浴びつつも、話を元に戻そうと努力する貉。

落ち着いた貉の様子に釣られ、狗も落ち着きを取り戻す。雲雀を見る目が明らかに恐ろしいものを見る目に変わっていたが、そこはご愛嬌あいきょうである。


「‥‥‥そ、その通りでございます‥‥‥貉様に見逃して頂いた後、数百年間は山に引きこもっていました‥‥‥‥‥‥力を求めたところで‥‥‥私には上に立つことなど不可能ですから‥‥‥」


「あらま、すっかり心が折れちゃって‥‥‥その頃から引きこもりなんだね」


「瑠璃」


「‥‥‥お主。そこの娘っ子に結構な事を言われている気がするが‥‥‥」


「え、ええ‥‥‥でも事実なので‥‥‥貉様に初めてお会いした日から、私の在り方が変わりましたから‥‥‥」


「‥‥‥えっ、そんなに怖かったの?」


「やはり貉様が悪いのでは?」


「おほん‥‥‥で、その後はどうなんじゃ?」


弁解を諦めて話の続きを促す。狗は頭の中を整理する意味合いも兼ねて、当時の事を話すことに決めていた。


「‥‥‥逃げ延びたとはいえ近辺のあやかしには負けない程度の力はありましたので、ひたすら山にある洞窟どうくつで過ごしていました‥‥‥‥‥‥そんな生活を続けていたある日、自分の中で何かが変わる気配があったのです‥‥‥」




◆  ◆  ◆




「あ‥‥‥」


自分の中で何かが形作られた感覚を覚える。

目に見えない変化であったが、今迄認識していなかった別次元の力が身体中を巡る。


―――犬は誰にも知られることのない場所で、神へと昇華していた。


「これが、神に成ったということか‥‥‥」


掌をじっと見つめる。

何も変哲もない薄汚れた女の手にしか見えないが、少し前の自分程度の実力であれば、無傷で捕らえる事が出来るという確信があった。


「‥‥‥今更神になっても、所詮は負け犬でしかない‥‥‥‥‥‥ふふふっ‥‥‥」


しかし、以前のように力に溺れる事は無い。


神になる前に経験した絶対的な恐怖により心が折れていた犬は、今ではすっかり気弱で卑屈ひくつな性格になっていた。


長い年月の中、瞳に焼き付いた光景が恐怖を呼び覚まし、犬の魂に何度も生傷を残していたからである。神に昇華した後もその在り方は変わることがなかった。そのため信仰を集めたり、領地を拡げることには消極的であった。信仰が集まるということはそれだけ人間が近くに集まって来るということ。耳が良すぎる彼女にとっては雑音の塊が四六時中しろくじちゅう近くにいる事と同義。それに有象無象うぞうむぞうの声は狸神と邂逅した時の凄惨せいさんな場面を思い出させるため、絶対に避けたい事のひとつであった。

領地についても信仰とは切っても切り離せないもの。しかも拡げる度に他の神やあやかし、果ては人間とも衝突する可能性があった。これも彼女が絶対に避けたいことである。


よって、彼女に残された最善の道はただひとつ。


「それにしても良い天気‥‥‥風も気持ちが良い‥‥‥一応神にも成ったことだし‥‥‥‥‥‥よしっ!」


犬から神へと昇華したその日、彼女は動き出す―――











「‥‥‥お天道様てんとうまぶしすぎるから‥‥‥もっと奥に籠もらないと‥‥‥よいしょ、よいしょ‥‥‥」


彼女が選択したもの、それは―――適当な洞窟に引きこもり続ける事であった。


「はふぅ‥‥‥穏やかな毎日‥‥‥どうしてこんなにも平和な事を望まなかったんだろう‥‥‥不思議だわ‥‥‥」


わずらわしい事も無く、劇的な変化も無い。無為むいな時の過ごし方であるが、彼女には面倒な事をするよりは格段に楽な生活であった。


「あれ‥‥‥人間かな?」


そんな生活を送っていたある日、山の中で修行をする僧を見つける。犬は暇つぶしを兼ねて付かず離れず、かつ見つからないように細心の注意を払いながら見守る事にした。

犬には分からなかったが、僧が行っていた修行は自殺と殆ど代わりが無いと言われるほど過酷なものであった。

暑さ寒さを越え、1年が経とうとしていた修行の後半、力尽きそうになった僧を見ていた犬は思わず彼を助けてしまう。


「‥‥‥‥‥‥うぅ‥‥‥あんまり良くないかもだけど‥‥‥でも、一応祈ってくれていたみたいだし‥‥‥」


情が湧いた訳でも、動くおもちゃを直す気分でも無い。僧の修行の中で、彼の信奉する仏以外の神にも祈りを捧げていたからである。本来必要の無い祈りではあるが、僧は己を生かしてくれている山の神々にも感謝を忘れていなかった。獣とあやかししかいない山の中でも、たった1人分の祈りは犬のもとへとしっかりと届いていた。せめての礼代わりと生きるために必要な分の力を分け与えた時、彼女の手は僧によって引き止められる。


「お待ち下さい‥‥‥貴女は名のある神仏ではありませんか‥‥‥」


「あ、いえ、人違いですぅ‥‥‥」


拙僧せっそうのような愚か者の命を救って下さったこと‥‥‥この命が尽きても忘れることはありません‥‥‥ありがとうございます」


「‥‥‥直ぐに忘れて貰って結構ですよ?」


ぼんやりとした意識の中、僧は犬の存在に気がついていた事とわざわざ死にかけの人間を助けてくれた事などの感謝を述べた後、犬に向けてひとつ提案をする。

修行が終わったらこの山に寺を建立したい。仏を信仰する身ではあるが、同じ様に犬も神として崇め奉らせてもらえないだろうか、と。

犬は暫く考えた後、僧へと言葉を返す。自分を表に出さない事と引き込もれる場所を作る事。この2点を約束してくれるのであれば、寺の氏神として根を下ろそうと条件を突きつけた。


「‥‥‥たったそれだけで、拙僧が奉じる神仏となってくださるのですか?」


「えっと‥‥‥駄目、ですか?」


「いえ、別の寺を建立するとか、神社の宮司を通じて氏神として祀るなどは‥‥‥」


「‥‥‥お寺のすみっこで、人知れず眠る所があればそれで良いですよ?‥‥‥勿論、表に出ないことを条件に、今後はお寺の人間を見守らせていただきますが‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥拙僧の人生‥‥‥いや、子々孫々の人生を賭けてでもお約束いたします」


「‥‥‥‥‥‥あれ?‥‥‥私、とんでもないことを‥‥‥?」


僧は自殺と変わりない程の厳格な修行を行うくらいには己に厳しい人間であったが、融通ゆうずうかない堅物かたぶつという訳でも無かった。仏様を信奉する僧でありながら、犬を信奉する最初の人間になると誓いを立てる。

その後、無事修行を終えた僧は一度山を下り、何処からか集めた多額の寄進で山に寺を建立した。


「犬神様のご希望通り、人目に付かない静かな場所をご用意しましたが‥‥‥‥‥‥拙僧が言うのもお門違かどちがいだとは思いますが‥‥‥神様のおわす場所としては質素過ぎるかと‥‥‥」


「あ、この部屋落ち着くぅ‥‥‥」


「‥‥‥よ、喜んでもらえてなによりです‥‥‥」


寺の建立にあたり、僧は犬の意見を取り入れていた。最初は簡素ながらも神様の住居として相応しい間取りや場所、貴重な材料などを使った寺でも1、2を争うくらいお金と手間をかけた場所を提供する事を考えていたが”私のようなものには寝る場所さえあればそれで良いので“と、犬自身がそれを却下した。

僧は困惑したが犬の希望を無視するわけにも行かず、そのまま希望通りの部屋を用意した。

僧は犬を部屋に案内するまでは失礼に当たらないか全身に冷や汗をかいていたものの、畳の上ででろーんと伸びる犬を見て、困惑しながらも喜んでもらえたと安心していた。


「寺の名前は荒噛としました。拙僧の命を救ってくださったその日の夜‥‥‥犬神様が力強い顎で悪しきものを打払う夢とともに、この名前が頭に浮かんできたのです」


「なにそれこわい」


荒噛寺はこうして開山かいさんを迎えるのであった。











「仏様の影に隠れていらっしゃるが、このお寺には初代様を救ったありがたい神様がいて、私達をいつも見守って下さっている‥‥‥お前も失礼の無いように、仏様と同じくらい敬うんだよ」


「はい、父上。私も立派な僧となり、仏様と犬神様を奉じてゆきたいと思います」


初代がこの世を去ってから数十年。仏と神に挨拶をする父子を柱の影から眺める犬神。


「これが、永久就職‥‥‥または不労所得ふろうしょとくか‥‥‥••••••がんばれ若人わこうど達よ、私も精一杯見守るからねぇ••••••」


それから数百年”神はおわすが姿は見せず“その言葉を信じている荒噛家の人間により約束はしっかりと守られ、犬は夢の引きこもり生活を送っていた。犬も彼らの献身に応えるため、氏神としての勤めもきちんと果たし、初代の子孫の無事を草葉の影からずっと見守り続けていた。


そんな穏やかでひっそりとした生活に変化が訪れた。


―――琥珀と瑠璃の誕生である。











「あ、赤ちゃんだぁ、可愛い•••••••な‥‥‥」


いつものように産まれた子供を見るために、寺の内部に作られた隠し部屋からのそのそと出てきた犬は2人の姿を見て眉を顰める。


産まれたばかりの赤子の魂を喰らおうとする悪霊―――それもひとつやふたつどころでは無い。寺の外から中へ入ろうとしているものが数十も。その中には人間では到底祓うことの出来ないものもいた。


荒噛寺には力の強い人間は産まれたことは無いが、琥珀と瑠璃は異常とも言えるほど潜在的な力を持っていた。成人を迎える頃には大抵の悪霊に負けない程度には力を得ることが出来るだろう。しかし、悪霊やあやかしにとって未熟な彼らは只の美味しい餌にしか過ぎない‥‥‥遅かれ早かれ、短い人生を終える筈であった。

だが本人達の抵抗力か、両親の愛情によるものか‥‥‥それは今となっては分からないが、産まれてから寺に戻るまで彼らの手に掛からなかった事と、生きて犬の前に辿り着いた事がまさに奇跡であった。


「‥‥‥‥‥‥あぁ、なるほど‥‥‥この子達がご馳走に見えるんだ‥‥‥」


暇つぶしに覚えた術を使い、赤子と両親を眠らせる―――彼らが倒れ込む前に犬はそっと身体を支えて安全な場所へと移していた。


「ごめんね‥‥‥少しだけここで待っていて頂戴」


穏やかな笑みを浮かべながら男女4人を優しく横たえる―――双子は母親の腕の中に。


瞬く間に餌を取り上げられた悪霊達は、いきりたって目の前の犬に襲いかかるが、彼女は余裕すら伺えるほどゆっくりと振り向き、緋色の瞳で見つめながら静かに呟いた。


「‥‥‥飼い犬(わたし)から餌を取ろうだなんて‥‥‥愚かだねぇ‥‥‥」


―――音も無く犬の姿が消える。


”消えた“と認識する前に、先頭の悪霊達の上半身が消し飛ぶ―――恐らく命脈を絶たれた事すら気が付いていないだろう。


数百年ぶりではあったが、犬の牙と爪は本来の役割を果たすことが出来た。











「‥‥‥はぁぁ‥‥‥疲れたぁ‥‥‥数が多い‥‥‥引きこもりには辛いよぉ‥‥‥」


数分後、寺の中に充満した残骸や塵を外へと放り出し、寺全体に力が行き渡るように見回りを行う。

とりあえず全ての悪霊を払うことはしたが、その後も定期的に悪霊が2人の近くにまとわりついていた。寺は完全に犬の縄張りであるため、ある程度の締付けは出来るが、力の強いものは僅かな隙間からごきぶりのように入り込んでくる。寺にいる間は手出しはさせないが、2人が成長して外に出るようになると、犬の手が届かなくなることも考えられる。


「寺にいる間は守りきれるけど、外に出るようになったら何があるか••••••うぅ••••••分霊を付けるとしても、確実さを求めるなら私が••••••」


「思い返せば、今迄何百年も衣食住の世話になりっぱなしだし••••••ここであの僧の子孫に害があるのもなぁ••••••••••••むむむ••••••」


「はぁぁぁ••••••••••••さらば、引きこもり生活••••••そしてこんにちは、双子ちゃん••••••」


守護の為、2人を直接見守る事にした。

決心にはかなりの精神力を要したが、初代から数えて約400年。犬もすっかり荒噛家の人間に情が湧いていた。












「••••••えっと、貴女は?」


「あ、どうも初めまして。このお寺の神をさせて頂いているものです••••••良ければその子達を傍で守ろうかと考えた所存です、はい••••••」


「だー!」


「まー!」


数日後、おどおどしながら琥珀と瑠璃の目の前に現れた。

数百年ぶりに人と会話をしたためか、挙動不審きょどうふしんな動きと怪しすぎる言動に両親は目を丸くする。しかし琥珀と瑠璃の2人は、突如現れた銀髪の不審者ふしんしゃを見ても驚かず、寧ろ目を輝かせながら元気いっぱいに両手を伸ばしていた。


「あ、琥珀と瑠璃が••••••」


「お、お邪魔でしたら消えますぅ••••••差し出がましい真似を致しましたぁぁぁ••••••」


「い、いえ!待って下さい‥‥‥多分この子達は貴女の事が気に入ったみたいですよ。目が凄く輝いているので••••••」


挙動不審な動きのまま、鮮やかにUターンを決めて部屋に引きこもろうとする犬。

400年分の勇気が崩れ去る寸前、2人の母親が慌てて犬を引き留めていた。


「へ?••••••わわっ!?まぶしっ••••••日陰ひかげ者には刺激が強すぎるぅぅ‥‥‥」


「‥‥‥大丈夫ですか?」


涙目で母親の方へ振り向くと、そこには無邪気な笑顔を向けている琥珀と瑠璃がいた。あまりの眩さに犬は思わず目を覆ってしまう。


「今の声は何だっ、大丈夫かっ!?‥‥‥‥‥‥え?」


家族と聞き覚えの無い女性の声を聞いた父親が慌てて様子を見に来るが、犬の姿を見た瞬間、動きを止めてしまった。何故なら珍しい銀髪と緋色の瞳に覚えがあったからである。


「貴女は‥‥‥もしかして、犬神様では••••••?」


「あ、そうです••••••一応、初代からこのお寺の氏神をさせて頂いております‥‥‥」


事実なのであっさりと認める。

そこから次の動きは早かった―――父親はその場で膝を付き、そのまま深々と頭を下げていた。


「何で頭をっ!?いや、そんなに畏まらないでぇ••••••お願いしますぅ‥‥‥」


「ああ‥‥‥初代様から伝わる話は本当だった••••••それに子ども達を見守ってくださるとは、なんとありがたい事••••••」


「みゃー!」


「わー?」


言い伝えにあった犬神に目通り出来たという感謝と感激の気持ちで深々と頭を下げる父親。

畏敬の念から生じた丁寧な座礼に対し、なんだか申し訳無い事をさせているという気持ちでいっぱいな犬。

目を輝かせながら気に入ったものに手を伸ばす双子ちゃん。


中々愉快な場面に遭遇した母親は、父親おっとから聞いていた”お寺に伝わる神様なのかな?“と半信半疑で考えつつ、事態を治めるために話し合いの場を作ることにした。


「あの••••••犬神様?••••••とりあえずお茶でも飲みながら話をしませんか。お饅頭もありますよ?」


「あ、お饅頭かぁ••••••美味しいよね、あれ‥‥‥」 


「••••••今すぐご用意致します」


「ひゃぁ!?‥‥‥あ、ありがとうございます」


初代がお供えしてくれていた饅頭を思い出す。

決して上等と言えるものではなかったが、作り手の愛情を感じられる素朴な味わいは犬の大好物。

昔を思い出して懐かしむ犬を見た父親は、丁寧かつ機敏な動きで一礼し、彼女の希望に応えるために台所へと向かっていった。


「‥‥‥なんだか優しそうな神様で良かったね」


「あー!」


「うー!」


仲良くお話している母子の方へと向き直り、犬が出来る精一杯の笑顔を向けながら、はじめましての挨拶をする。


「えっと‥‥‥琥珀君と瑠璃ちゃん、だったかな?‥‥‥私は‥‥‥‥‥‥‥‥‥荒噛、狗といいます‥‥‥今日から宜しくね?‥‥‥‥‥‥あのぉ、挨拶代わりに触っても?」


「お願いします。琥珀も瑠璃も‥‥‥狗様に挨拶をしたくてしょうがないみたいですよ」


「では、失礼して‥‥‥」


恐る恐る双子に両手の指を差し出す。

”握ってくれるかな?“と考えていた犬の期待に応えるかのように、双子はぎゅっと指を握って上下に揺さぶる。

琥珀と瑠璃にとっては何だかふわふわしているものが薄っすら見えている程度。握ったことも特に意味は無い。

だが、2人にとっては母親以外で安心できるものとしてしっかりと認識されていた。


「はわぁ‥‥‥人間の赤ちゃんってこんなに柔らかいんだねぇ‥‥‥」


―――これが最初の出会い。

そして狗が琥珀と瑠璃の家族に加わった日。


荒噛狗は小さな握手を通して、これから守るべきものを理解した。後は2人がこの世での生を終えるまで傍で見守るだけ。同じような人間が産まれない限りは再び裏方に回る予定であった。

しかし引きこもりかつ、長らくぼっちであった狗にとっては予想外の事が起こってしまう。




◆  ◆  ◆




「‥‥‥‥‥‥琥珀も瑠璃も、可愛すぎるのです‥‥‥」


荒噛寺の神として祀られる前後と現在に至るまでの話を終える。

話の締めは長い溜息と重い感情が込められてた短い言葉。話を聞いていた貉にも覚えがあったので、そのまま思った事を素直に投げかける。


「つまりその2人が大好きになってしまったと」


「そうです‥‥‥神としてはなんとも情けない理由ですが‥‥‥」


もう一度溜息。

最初は義理や義務感といった気持ちが始まりであったが、割と早い段階で琥珀と瑠璃が可愛くてしょうがないと思うようになっていた。その感情は母親が我が子に向けるものに近い。


常に傍で2人を見守りつつ、両親が忙しい時は育児の手伝いをしたり、琥珀と瑠璃の成長を一緒に喜んだりしていると自然と愛着も湧く。

物心ついた頃からは琥珀も瑠璃も狗と過ごすことが更に増える。独りの生活に慣れきっていた狗にとっても新鮮な毎日。引きこもり体質は変わらないものの、狗の生活に琥珀と瑠璃達が当然の様に組み込まれていた。


「えー‥‥‥そうなると儂も情けない神になるんじゃが‥‥‥」


「へ?‥‥‥い、いや、情けないというのは私の事であって、決して貉様の事を言った訳ではありませんが‥‥‥」


「狗様、人を愛する事に理由なんていりません‥‥‥無論、神であってもです。その証拠に私と貉様はとても仲良しさんです」


「ふぇ?」 


「うむ。その通り。儂は雲雀を始め、犬飼家の人間が大好きじゃ‥‥‥そうでもなければ氏神なんぞ続けるものか」


雲雀の言葉に肯定する貉。始まりはどうであれ、数百年も傍で見守り続けていれば情も湧く。それも見守る相手が善い人間であればなおさらだ。

貉もまた、狗の様に信奉する人間に影響を受けた神であった。


「あ‥‥‥‥‥‥では、雲雀さんの方は‥‥‥その‥‥‥」


「ええ、犬飼寺の氏神様として崇め奉らせて頂いておりますよ。ね、貉様?」


「‥‥‥この間まで一週間ねこまんま生活じゃったがのぉ」


「あれは貉様が悪いですね」


「‥‥‥えっと、貉様の事が大好き、なんですよね?‥‥‥その、なんと言いますか‥‥‥凄くくだけた、扱いをされている気が‥‥‥」


貉と雲雀の遣り取りから“貉様にねこまんまを奉納!?”と内心ハラハラしながら言葉を選んで雲雀に尋ねる。狗の言いたいことが分かるのか、彼は少しだけ驚きの表情を浮かべた後、誤解を解くために弁解を始める。


「少し誤解があります‥‥‥まず前提として私は貉様らぶです‥‥‥それに私にとって貉様は大切な氏神様であると同時に、いじって良し、甘えて良しの特別な存在ですね。大好きという事も真実ですが、既に愛の方へと昇華しております‥‥‥初めてお目見えした時なんてもう‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥まあ、こんな感じじゃ‥‥‥」


「ぇぇ‥‥‥犬飼家の人、怖い‥‥‥」


「こいつだけじゃ‥‥‥」


「っはぁ!?‥‥‥貉様にとっての特別っ!‥‥‥幸せ過ぎて死にそう‥‥‥」


人前ひとまえで盛り上がるでない‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥ひぇぇ」


貉をも圧倒する(あきれさせる)、雲雀の少しだけねじ曲がった愛情を目の当たりにした狗は、身体を震わせながら恐れ慄いていた。


その最中、狗と貉の言葉を聞いていた琥珀と瑠璃は、お互いに目を合わせながら引っ掛かる部分を確認し合う―――20年の付き合いのある双子には、最早言葉は必要無かった。


「‥‥‥あの、一言宜しいでしょうか?」


「あ、琥珀さん‥‥‥どうぞどうぞ」


「瑠璃も同じ意見ですが、狗さんが私達を大切にしてくれていることは常々感じています‥‥‥ですが、それ以上に私も瑠璃も狗さんの事が大切で大好きなんですよ?」


「こんな当たり前の事いちいち言わせないでよね。狗ちゃん?」


狗からの一方的な愛情ではなく、2人も大きな愛情を向けていると言葉にする。普段は当たり前過ぎて口に出せない事も、こういった場ではすんなりと口に出せる。何せこの場には別の神様が同席している。失礼な事を言えない以上、嘘偽りの無いことは保証されていた。


「‥‥‥あ‥‥‥‥‥‥2人ともありがとうねぇ‥‥‥」


狗も2人の言葉にはっとする。分かってはいたが、改めて言葉にされると嬉しくてなんだかこそばゆい感じがする。感動していた狗は、只々心の底から沸き起こる感謝の気持ちを口にすることしか出来なかった。


「何じゃ、相思相愛じゃのぉ‥‥‥では、話はこれで終わりで良いか?‥‥‥儂もお主が悪さをする神では無いと知った。ならば後は好きにすると良い。可能な限りは相談にも乗ろう」


「き、恐悦至極きょうえつしごくに御座います‥‥‥」


「うむ。それとな、儂は割とお主が気に入った‥‥‥その在り方が変わるくらい儂を恐れているのに、琥珀と瑠璃のために挨拶に来たのだからのぉ‥‥‥‥‥‥暇ならたまに遊びに来い。お茶くらいなら出すぞ」


「あ、ありがとうございます‥‥‥心の準備が出来ましたらお邪魔させて頂きます‥‥‥」


貉から誘いを受ける狗。予想外に気に入られた事が嬉しい反面、次はどうしようかと焦りの気持ちを抱いていた。


「‥‥‥何十年後になるんだろう」


「私達が生きている内に来れると良いね」


「もっと早く来るよぉ‥‥‥多分」


狗の複雑な心境を理解していた琥珀と瑠璃は、顔を見合わせながら彼女をからかう。

狗は眉尻まゆじりを下げた情けない表情で抗議の声をあげるが、いまいち自信が無かった。


「それでは今後も宜しくお願いします。狗様‥‥‥そして琥珀さんと瑠璃さんも」


「ええ、こちらこそ宜しくお願いします」


「宜しくね」


それほど長い時間では無かったが、お互いの事を良く知ることが出来た。

和やかな雰囲気のまま終わるかと思った矢先、貉がひとつの行動を起こす。


「じゃあ、話は終わったという事で‥‥‥饅頭を‥‥‥‥‥‥ありゃ?」


「お客様の前ではしたないですよ貉様。それに今日の分は食べたでしょ‥‥‥それに太りますよ?」


「‥‥‥それも客前で言うことでは無いのぉ‥‥‥」


人目があるにも関わらず、手土産の饅頭に手を伸ばしていた貉の手をそっと遮る雲雀。

彼の無慈悲な行動と言葉に対して恨みがましい目を向けるが、事実なので否定は出来ない。


雲雀と貉の遣り取りを見ていた瑠璃が、純粋な興味で疑問を口にした

―――和やかな雰囲気が業務用冷凍庫の中に突っ込まれる瞬間である。


「‥‥‥‥‥‥ねぇ、神様って太るの?」


「‥‥‥なっ!?」


容赦の無い妹の言葉に絶句する琥珀。

瑠璃は気が付いていないが、貉はぽかんと口を開けてびっくりしている。

ちなみに雲雀は笑いをこらえていた。


「純粋な疑問よ?‥‥‥別に貉様が太っているとかでは無いわ。そもそも、あんなにスタイルが良い神様なんて狗ちゃん以外に見たことが無いもの」


「えっと‥‥‥瑠璃?‥‥‥狗さんの滝のような汗が見えないのかい?」


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


貼り付けたような笑みを浮かべながら滝汗たきあせを流す狗。彼女の頭の中では既に走馬灯そうまとうが流れ始めていた。


瑠璃に悪気は無いことは理解しているが、あまりにもセンシティブな話題に動揺を隠せない。何故なら狗は食べても太らない体質。そも、神が太るなんてことは産まれて初めて知った。よりにもよって貉の目の前で―――彼女の心中は察してあまりある。


「あ、太らないのかな?‥‥‥たしかに狗ちゃんって引きこもりの癖に痩せてるもんね‥‥‥出るところはしっかりと出ているのにさ‥‥‥‥‥‥じゃあ、貉様が特別なんだね」


「‥‥‥これって儂、喧嘩売られているの?」


「ぁ‥‥‥」


「いえ、そんな事は無いと思います。それに今のは貉様が悪いかと」


「えぇ••••••?」


しょんぼりしながら”貶されているのかなあ“と呟く貉。雲雀にとってはいつもの事なので特に気にせず適当に言葉を返す。

それに最近になって体重が微増したことも事実であった。


「うちの妹が失礼をしました。後で良く言っておきますので、どうかご容赦を‥‥‥」


「あ、ごめんなさい貉様。初めてお会いするのに、なんだか親しみやすくてつい‥‥‥」


「まったく‥‥‥最近の若い者は仕方が無いのぉ‥‥‥ふふっ‥‥‥」


もしかして気を悪くさせてしまったかと素直に謝る瑠璃。

彼女にとっては只の疑問であり、貉を貶める気は全く無かった。寧ろ、貉の身体を純粋に羨む気持ちの方が強い。

真っ直ぐで素直な謝意に対し、かえって好印象を受けていた貉は笑いながら軽く流す。

彼女は人間とは比べ物にならない程、器の大きい神である。気にしている部分を指摘されても怒ることは無い‥‥‥多少はしょんぼりはするが。


「のぉ、お主もそう思わぬか‥‥‥」


穏やかな笑みを浮かべたまま狗の方へ向き直る。

しかし狗の姿はそこには無かった―――消えた訳では無い。彼女のあまりにも低い姿勢がそう錯覚させただけである。


「‥‥‥うちの子達が貉様に失礼を‥‥‥代わりに私を消し去ってもらっても構いませんので、琥珀と瑠璃の2人だけはお許しを‥‥‥」


「って、おぉ!?‥‥‥いやいや、冗談じゃよ?だからそこの狗とやら。頭を上げんか‥‥‥おーい」


”起こりが見えんかった‥‥‥“と、あまりにも無駄の無い洗練された土下座に驚く貉。

一方狗は額を畳にこすりつけるかのような姿勢から微動だにせず、覚悟の決まった声で命乞いをしていた。

”願わくば2人に最期の別れを伝える時間を頂ければ幸いです”と呟く狗に対し、頬を掻きながら雲雀が声を掛ける。


「狗様、お顔を上げてください。大丈夫ですから‥‥‥‥‥‥‥‥‥それと貉様はお客様にこんな事をさせてしまった罰として、ご飯抜きですね」


「え?‥‥‥儂のご飯、無くなっちゃうの?」


「狗さん、頭を上げましょう‥‥‥貉様も雲雀さんも困っていますよ」


「ふぇっ!?‥‥‥あっ、あ、は、はいぃ‥‥‥」


琥珀の言葉をきっかけに、丁寧な所作でゆっくりと頭をあげる狗。

貉は軽く咳払いをした後、今日の顔合わせで感じた事を言葉にする。


「何も怒っておらんから安心せい。琥珀と瑠璃はきちんと儂に敬意を払っておる‥‥‥素直で心優しい性根しょうね‥‥‥言葉や態度には嘘も虚飾きょしょくも無い‥‥‥うん、実に良い子達じゃ」


頷きながら一呼吸置き、言葉を続ける。


「‥‥‥お主という家族が傍にいた事も‥‥‥2人に良い影響を与えていたのだろうよ」


「‥‥‥‥‥‥ありがとうございます。とても、嬉しいお言葉です‥‥‥」


”自分の選択は間違っていなかった“と認められ、思わず泣きそうになる狗。少しでも琥珀と翡翠の支えになれるように頑張ってきたが、今の言葉で少しだけ報われた気がしていた。


一方、貉から寛大かんだいな言葉を掛けてもらえた事は嬉しいが、背後に控えている2人から何故か妙な視線を感じる。


「ほれ、とりあえず話は自宅に帰ってからの方が良いと思うが‥‥‥話したいこともあるだろうよ」


「は、はい‥‥‥そうさせて頂きます‥‥‥本日はお忙しい中、誠にありがとうございました。今後とも宜しくお願いします」


最後の挨拶を交わし、雲雀と貉に促されるまま、その場を後にする。


「うむ。またの」


「いつでもお待ちしております」


門の手前にいる雲雀と貉に頭を下げてから帰路へと着く狗達。予想以上に丸くなっていた貉に驚きつつも、とりあえず目的を果たせた事に深く安堵していた。


「ふぅぅぅ‥‥‥死ぬかと思ったぁ‥‥‥」


「でも、凄く優しい神様で良かったですね」


「そうだね‥‥‥失礼な言い方かもしれないけど‥‥‥私と同じように、見守る人間に影響を受けて変わったのかもしれない‥‥‥賛否両論さんぴりょうろんかもしれないけど、私は凄く好ましい事だと思うよ」


「中身は成長するのに、外見が成長しない‥‥‥いや、若いままってのもずるいよねぇ‥‥‥」


「ま、まあ‥‥‥私達は数百年程度では見た目にさほど変化は無いからねぇ‥‥‥」


「その若さが羨ましい‥‥‥」


現在を生きる若者に羨ましがられてしまい、複雑な笑みを浮かべる狗。


「良いことだけでも無いけどね‥‥‥見た目はともかく、中身はお祖母ちゃんの年齢‥‥‥なんてものじゃないのよ?」


「たくさん年上であっても狗ちゃんには変わりないの‥‥‥それに見た目はかわいいお人形さんみたいだし‥‥‥えいっ!‥‥‥ふわふわー‥‥‥」


狗の背後から抱きつきながら彼女の頬にすり寄る瑠璃。柔らかい感触を堪能した後に銀髪を優しく弄ぶ。さらさらふわふわな感触がとても心地良い。すっかり慣れた遣り取りなのか、狗も瑠璃の好きなように身体をいじらせていた。


「ふふっ‥‥‥昔は髪も黒かったんだけどね‥‥‥負け犬を自覚してから白くなっちゃいました‥‥‥」


「あっ‥‥‥」


「うわぁ‥‥‥余程の事があると、外見も変わっちゃうんだね‥‥‥」


「うん、これには私も驚いたくらいだから‥‥‥」


黒い髪から色素が抜けて銀色の髪になるほどの事には心当たりがあった。それは琥珀と瑠璃も同じ―――先程、当人から聞いたばかりだ。


ふと、貉に対して畏怖の念を抱いている狗の姿が思い浮かぶ。彼女も怖い筈なのに、それでも自分達を庇ってくれていた。

自分の不用意な言動で怖がらせてしまった事を思い出し、彼女へ再び謝罪の言葉を掛ける。


「‥‥‥それとさっきはごめんね‥‥‥怖かったでしょ?」


「さっき?‥‥‥あ‥‥‥ま、まあ怖かったけど、大事にはならなかったから良いよぉ‥‥‥」


怖かった事は事実だが、結果的には和やかな雰囲気で終わることが出来たので、狗としては彼女を怒ることも責めることもしない。そもそもそんな事すら考えていなかった。


「一応、人を見ているつもりではあるんだけどさ‥‥‥貉様みたいに、こう‥‥‥包容力?ってものがあるとつい甘えたくなっちゃうのよね‥‥‥」


「だからこそ狗さんには遠慮せずものを言うと?」


「うんっ」


「‥‥‥くぅっ‥‥‥笑顔が眩しすぎて何も言えなくなっちゃう‥‥‥」


混じりっ気無しの好意を笑顔に乗せる瑠璃。

これがあるからこそ2人に強く出ることが出来ない。何でも許してしまう。

愛されている実感を得て、何処かぽわぽわしている狗に対し、もうひとつ思い出した事を口にする―――これまでは自分るりの過失であったが、狗の言葉の中で看過できないものがあった。


「あとさ‥‥‥私達のために謝ってくれた事は嬉しいんだけどさ、その時の狗ちゃんの言葉ですこーしだけ気になる部分があったんだよねぇ‥‥‥」


「そうですよ。それについては後でゆっくり話し合いましょうね‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥何故か2人が怖いよぉ‥‥‥」


真剣な表情を浮かべる2人に、少しだけ怖いと感じながら“何か不味いことをしたのかなぁ”と心の中で首をかしげる狗。

貉の前ではあまりの緊張で気が付いていなかったが、アパートに戻った後で怖さの理由を叩き込まれてしまった事は別のお話。


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