第三十五話『犬飼雲雀と狗の寵児』
とある日。電話対応を終えた雲雀は貉の部屋を訪れていた。寝っ転がりながら一般狸サイズのこわみを高い高いしていた貉に声を掛ける。
「貉様、ご相談があるのですが」
「およ?雲雀から相談とは‥‥‥また筋肉でもおかしくなったかの?」
「おかげさまで筋肉はほどよく‥‥‥相談というのは俺の事では無く、大学の同級生についてなんですよ」
「何じゃ、友人に悪いものでも憑いたかの?」
こわみをそっと畳の上に降ろして胡座の姿勢を取る。足の間でこわみが丸くなるが、貉は特に気にする事は無い。
雲雀も貉の対面に座り、居住まいを正して詳しい話を続ける。
「いえ、そういった事ではありません。寧ろ、良いものと言いますか‥‥‥単刀直入に言いますと、貉様のような神様を祀る寺の息子さんからの相談なんです」
「祀る‥‥‥つまり儂や紺の同類がいる寺か‥‥‥珍しいのぉ‥‥‥」
「だが、何故相談事に繋がるんじゃ?その寺にも神はおるんじゃろ?‥‥‥どれほどの力の持ち主かは分からぬが、そやつに相談して済む話だろう」
「おっしゃる通りです‥‥‥ただ、その相談というものが貉様に深く関わっているようで‥‥‥東北の山奥にある荒噛寺というお寺に聞き覚えは有りませんか?」
「東北‥‥‥山‥‥‥荒噛寺‥‥‥‥‥‥寺には覚えは無いが、東北の山には多少なりとも縁があったのぉ‥‥‥それこそ儂が祀られる前の話じゃが、そこで腕試しをした事があるぞ」
単語を反芻しながら心当たりのある出来事を思い出す。犬飼寺に祀られる前に全国各地を転々としていた時期があり、思うがまま好き勝手にしていた覚えがあった。東北の山での出来事もそのひとつである。
「あー‥‥‥やはり‥‥‥」
「‥‥‥まさか儂、何かしたかのぉ‥‥‥」
口に手を当てて考え込む雲雀に対し、貉は何処かで恨みを買ってしまったかと冷や汗を流す。しかし雲雀は否定の意味を込めて首を横に振っていた。
「大事‥‥‥では無いと思いますが‥‥‥何でもその時にお世話になったという神様が貉様にお会いしたいそうで」
「えっと、その神の名は‥‥‥?」
「‥‥‥荒噛狗‥‥‥荒噛寺の犬神様です‥‥‥」
◆ ◆ ◆
休み明けの大学生活を送っていた雲雀は午前の講義の最中に気になるものを見つける。
教室の端に普段はあまり見かけない青年が座っていた。たまたま目に入った程度であったが、その青年の肩に何かがくっついている事に気が付く。
「‥‥‥」
神様が身近にいる生活を送っているためか、幼い頃から割と見慣れているもの。最初は良くないものかと思ったが、講義を受けながら何度か見ている内に、そのくっついているものには意味があることに気が付いた。幼い頃からずっと身につけている貉から貰ったお守りに似ている―――どうやら肩のものはそれに当たるらしい。
授業が終わり、学生が次々と捌けていく中、肩にくっついているものを全く気にしていない青年は、デスクに広げていた教本やノートを片付けている。
青年は雲雀の目から見ても何だか頼りない印象。右目が前髪で隠れており、やや猫背気味だが平均よりも少し身長が高いように思える。線は細く、そこまで体格は良いとは言えないが、何処か野性味が感じられる。
興味を引かれた雲雀は自分の道具を片付けた後、その青年に近づき声を掛けた。
「片付けをしている所、悪いね」
「‥‥‥へ?‥‥‥えっと、何か用でしょうか?」
「俺は2年の犬飼雲雀‥‥‥君に少し気になることがあってね。この後は何か用事はあるかな?」
「‥‥‥い、いえ。学食で昼食を取ろうかと‥‥‥」
「じゃあ、一緒に食べないかい?そこで色々と話をしたいんだよ」
「‥‥‥勧誘とかは‥‥‥遠慮します」
「勧誘でも押し売りでも無いから安心してくれないか。気になった事だけ話して、君の意見を聞くことが出来ればそれでいいんだ。嫌なら断って貰っても構わないよ。悪いものではなさそうだからね」
「‥‥‥悪いものではなさそう?‥‥‥もしかして、見えていますか?」
「‥‥‥君も気が付いているのかい?」
雲雀の言葉と視線に思う所があったのか少しだけ逡巡した後、何かを決心した様子で口を開く。
「‥‥‥‥‥‥分かりました、ご一緒します」
「ありがとう。よければ君の名前を聞きたいんだけど」
「‥‥‥2年の荒噛琥珀、です」
◆ ◆ ◆
大学の食堂。テーブルを囲んで席につく。
この大学は弁当派多いためか、昼時でもごった返しとはならないところが良かった。
雲雀は知り合ったばかりの青年―――荒噛琥珀と日替わり定食を食べながら話を進める。やや行儀が悪い気もしていたが、時間は有限なので仕方が無かった。
「琥珀さん‥‥‥君の実家も寺か神社なのか?俺は寺を継ぐためにここに通っているんだけど」
「実家はお寺なので‥‥‥理由は雲雀さんと同じです」
「そうだったのか‥‥‥ところで君の実家は何かを祀っていたりしないかい?」
「ご本尊は仏様ですが‥‥‥別で犬を祀っています‥‥‥とはいってもこちらは殆ど無名の神様ですが」
「そこもうちと同じか‥‥‥犬飼寺でも狸を祀っているんだよ」
「お寺で神様を祀っているなんて、私の家だけかと思っていました‥‥‥」
雲雀は琥珀という青年が自分と似た境遇であることを知る。表には出さないものの内心で結構驚いていた。
通常、寺では仏様を信仰対象とするが、犬飼寺のように別の神様を祀っている所が稀であった。それどころか犬飼寺以外では聞いたことが無いくらいである。
琥珀も雲雀と全く同じ感想を抱いていたのか、彼は驚きを隠せないようであった。
「それで最初の話に戻すけど、君の肩に丸い何かが乗っている事に気が付いたんだけど‥‥‥えっと、分かるかな?」
「‥‥‥ええ、私の家の神様が憑けてくれた分霊というものらしいです。遠くにいても守る事が出来るからと‥‥‥ペットみたいに懐いてくれているんですよ」
琥珀は肩に手をやり、分霊の鼻を優しく撫でる。
彼の分霊は少し特殊なものであり、悪意あるものから自動的に彼を守るものであるが、琥珀の意志に応じて普通の動物のように触ることも出来る。
琥珀と肩にくっついている分霊を見つめながら彼の言葉を反芻する。
「私達‥‥‥?」
「あ、この学校ではありませんが、双子の妹が別の大学に通っていまして‥‥‥妹にも同じものが憑いていますね」
琥珀の話では双子の妹もいるそうだが、その子も同じ様に彼らの氏神に見守られているようだ。
琥珀にも自覚があるということは、彼の妹も同じ様に認識している筈である。
「そうだったのか‥‥‥いや、余計なお世話だったね。時間と手間を取らせて悪かったよ」
「いえ、雲雀さんが私の事を心配してくれた事は良く分かりましたから‥‥‥こちらこそ勘違いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いやいや頭を上げてくれないかい?‥‥‥俺にも同じものがあるから少し気になっただけでね」
「それはお守りですか‥‥‥何と言うか、その、凄くご利益がありそうですね‥‥‥って、あれ?」
自分も琥珀と同じ様に氏神から見守られている立場であると示すため、貉から貰ったお守りを取り出して琥珀に見せる。琥珀がお守りに気が付くと同時に、肩に乗っていた分霊が慌てた様子で姿を消してしまった。
「あ、どっか行っちゃった‥‥‥」
「い、いえ。私の背中の方に隠れちゃったみたいです‥‥‥申し訳ありませんが、そのお守りを‥‥‥」
「申し訳ない、迷惑をかけたね。君のところの神様にも失礼してしまいました。ごめんなさい」
お守りが原因で琥珀と氏神に迷惑を掛けてしまったと考えた雲雀は、直ぐにお守りを鞄に戻し、琥珀と分霊に頭を下げて謝罪をする。
「‥‥‥いえ、大丈夫ですよ。この子も怒っていませんから‥‥‥寧ろ怖がっていると言いますか‥‥‥」
「怖がる?••••••もしかして、むじ••••••いや、うちの神様が原因かな••••••聞いた話しでは、7、800年前に各地を転々として暴れまわっていたみたいで‥‥‥」
「‥‥‥それは怖がっちゃうかもですね。うちの神様はその昔、とても怖いものに出会ってから引っ込み思案になってしまったようで‥‥‥」
「それは災難でしたね‥‥‥ただ、うちの神様は、今ではとても優しくて母性溢れる神様として定評がありますよ?」
「ぼ、母性?‥‥‥その部分は良く分かりませんが、雲雀さんの様子を見ていると悪い神様では無いと分かりますから‥‥‥ほら、この子も戻ってきましたし」
思いがけず圧を掛けてしまったと申し訳なく思う雲雀。取り合えす貉の印象だけでも回復したいと考え、一番分かりやすい言葉を選んで伝えてみる“母性ってことは女性の神様なのかな”と不思議そうな顔をしながらも納得してくれた琥珀は、肩に戻ってきた分霊を手で指し示す。
「良く見ると子犬なんだ‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「どうかしましたか‥‥‥?」
琥珀の肩に乗っている分霊に小さな耳と尻尾が生えていることに気が付く。毛皮がふわふわもこもこであったため気が付くまでに時間が掛かったが、ようやく子犬であることが分かった。
”こわみに似て可愛いなあ“と眺めていると、分霊は再び琥珀の背後へと隠れてしまう。
「あ、隠れた‥‥‥」
「い、今のは雲雀さんを怖がったような‥‥‥」
「あー‥‥‥重ね重ね申し訳ありません‥‥‥そろそろお暇します‥‥‥」
獣に対する並々ならぬ情熱が分霊を怖がらせてしまったかと思い、申し訳なさを胸に抱えたまま会話を切り上げる。お互いに昼食も食べ終わっており、時間的にも丁度良かった。
再び琥珀と分霊に頭を下げると琥珀も席を立ち、同じ様に頭を下げてきた。
「あ、はい。わざわざ気にかけて下さってありがとうございます。もしよければ、また食事をご一緒させて下さい」
「わざわざ丁寧に‥‥‥俺の方こそ、機会があったらまたお願いします」
商談が成立した後のビジネスマンのような挨拶を交わし、お互いに次の授業に向かう。
普段付き合いのある友人とは少し違う雰囲気であったが、なんとなく気が合いそうだと考えていた。
◆ ◆ ◆
大学からやや遠い場所にあるアパート。
琥珀はそこの一室を借りて大学生活を送っていた。そんな彼の部屋に若い女性が我がもの顔で入っていく。
「あ、兄さん。もう帰って来てたの?」
「おかえり、瑠璃。そっちは今帰りかい?」
瑠璃と呼ばれた女性―――荒噛瑠璃は琥珀の双子の妹である。
顔の作りは似ているが琥珀よりも瞳に活気があり、勝ち気な印象を与えている。
背中に届かない程度の黒髪が左目を覆い隠していた。琥珀と同様に子犬のような分霊が憑いており、今は瑠璃の頭に乗っているが、彼女が動く度に振り落とされまいと必死に掴まっていた。
瑠璃は頭ひとつ分は背の高い彼を見上げながら、手に持った買い物袋を突き出す。中には肉や卵、野菜の他にレトルト食品の箱がいくつか入っていた。
「見たら分かるでしょ?ほら、帰りに買い物してきてあげたんだから感謝してよね」
「ありがとう。助かるよ」
「感謝しているなら今日は兄さんがご飯を作ってね‥‥‥カレーかオムライスがいいな」
「はいはい‥‥‥少しそこで待っていてくれないかい?直ぐに作るから」
「はーい‥‥‥それにしても相変わらずなんにもない部屋ねぇ‥‥‥これで楽しいの?」
琥珀に言われるまでもなく勝手にベッドに座る瑠璃。PCとデスク、テーブルと座布団代わりのクッションしか無い部屋を見渡しながら呆れた様子で琥珀へと声を掛ける。
「まあ、今はネットがあるからね、暇は十分潰せるよ」
「はぁ‥‥‥そんなんじゃ彼女どころか友達も出来ないんじゃないの?」
「‥‥‥ま、まあ、それはそれとして‥‥‥瑠璃こそどうなんだい?」
瑠璃から手厳しい言葉を投げかけられた琥珀は、心に小さくない傷を負いつつも瑠璃へ同じ質問を返す。
兄としては少し寂しい気持ちもあるが、瑠璃は器量良しであるため男女ともに人気はあるだろうと考えがあった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
名前の通り瑠璃のような瞳に陰が差す。耐えられなくなったのか、そのままぽすんとベッドでうつ伏せになってしまう。若干ぷるぷるしている所を見ると見た目よりもダメージが強かったらしい。
瑠璃の行動で全てを察した琥珀は、とても気まずそうな表情を浮かべながら、小さく謝罪の言葉を掛ける。
「あ、ごめん‥‥‥」
「と、友達は、いるから‥‥‥」
「‥‥‥」
友達はいるが彼氏はいないらしい。
微笑ましいような勇気づけたくなるような複雑な心境を自覚していた琥珀の方へと顔を向け、その理由を口にする。
「‥‥‥こう、いまいちぴんとこないのよねぇ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥勿体ないねぇ‥‥‥」
「兄さんにも言えるからね、それ‥‥‥まあ、そのままでいいけどさ‥‥‥」
自分と顔の作りは似ているとはいえ、琥珀からみても瑠璃の顔はとても良い。目鼻立ちも整っており、肌艶も文句なし。あまり見ることの無い、紫みを帯びた青色の瞳は神秘的なものを想起させる。
当然美人の範疇には入るが、残念な部分も存在する。
―――彼女の性格、それに尽きる。
決して底意地が悪いとか、自分勝手な性格という訳では無い。きちんと礼儀も弁えており、人好きされる優しさもある。だがあまりにも裏表がなさすぎるのである。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと彼女の中ではっきりしている。それを正直に口にするので始末に負えない。
大抵の人間は彼女の言葉に負けてしまうが、数少ない付き合いの長い友人からは素直な良い子として好かれている―――つまり時間を掛けないと彼女の良さが分からない、一見さんお断りの女性なのである。そのため美人なのに浮いた話が無かった。
一方、琥珀も瑠璃と似た顔ではあるが、男らしさの比率がやや大きい中性的な顔つき。それでいて穏やかな性格と誰にでも丁寧な言動は人に好かれやすいと思われる―――しかし、絶望的に影も印象も薄いのである。
とても話しやすいが話した内容がいまいち思い出せない、顔は良いが良い人止まり‥‥‥そのような事を瑠璃は何度も聞いてきた。事実なので何も言わなかったが、実のところ瑠璃はそれで良いと思っていた“兄の良さは自分だけが分かっている”そんな可愛らしい独占欲が確かに存在していた。
物事をはっきりさせたい彼女が口に出来ない、数少ない事でもあった。
そんな複雑な考えを巡らせているとは気が付いていない琥珀は、友達繋がりであることを思い出す。
「友達と言えば、この間話していた子はどうなのかな?‥‥‥猫宮さん、だったっけ?」
「うー‥‥‥それなりねぇ‥‥‥私的には凄くお近づきになりたい子なんだけど、本人にあまり興味がなさそうというか‥‥‥」
“むー‥‥‥”と口元をもにょもにょしながら考え込む瑠璃。踏み込みたいけど踏み込めないといった中途半端な様子に、琥珀は珍しいものを見たといった様子で言葉を掛ける。
「瑠璃にしては珍しいね。気に入ったらぐいぐい行くのに‥‥‥」
「私をなんだと思っているのよ‥‥‥空気くらい読めるから‥‥‥ま、何かきっかけがあれば良いんだけれどね‥‥‥あ、それと狗ちゃんから連絡があったよ」
心外だと溜息を付きながらも、琥珀の言葉に一理あると認めた瑠璃は”ぶー“と口を尖らせながら仰向けになる。そのままの姿勢でスマートフォンを操作し”狗ちゃん“からのメッセージ画面を琥珀の方へと向ける。
「何かあったのかな?」
「‥‥‥後で話があるみたい」
「‥‥‥どうしたんだろう?」
「さぁ?‥‥‥気になることがあるから直接会って相談もしたいんだって‥‥‥」
「‥‥‥役に立てるかどうか分からないけど、話くらいなら聞いてあげられるから。瑠璃も一緒に頼むよ」
昔から何かと世話をしてくれた彼女が相談したいことがあると言っている。断る気も理由も、琥珀と瑠璃の中には存在していなかった。
「あったりまえじゃない。私だって狗ちゃんに会いたいし、話したいんだから‥‥‥あ、泊まる時は私の部屋だからね」
「構わないよ。まあ、隣の部屋だけど‥‥‥」
「ご飯はこっちで食べるから、料理はお願いね」
「はいはい、分かっているよ」
ベッドの布団を身体に巻きつけてちくわになった妹を一瞥し、部屋を後にする。
隣のキッチンスペースで瑠璃から受け取った買い物袋の中を整理し、夕食の調理を開始する。淀みない手際により材料が形を変え、少しずつカレーライスの片鱗を見せつつあった。
「それにしても、狗さん‥‥‥本当にどうしたんだろう‥‥‥」
玉ねぎを炒めながら家族の顔を再び思い出す。
記憶の中の彼女はあまり外に出たがらない筈であったが、ここに来てまで相談したい事とは何だろうと首をかしげていた。
◆ ◆ ◆
暗い部屋の一室。寺の人間以外には知らされていない隠し部屋の中で、銀髪の女性が畳の上で頭を抱えながら悶えていた。
「あぁ‥‥‥まずいことになっちゃったよぉ‥‥‥」
右側にごろん。ふわつく髪の間から、同じ色の犬耳がへにょっと飛び出している。
「あの子達が元気なのは良いんだけど‥‥‥よりにもよって、あの狸神の家の子が同じ学校にいるなんて‥‥‥」
「うあぁぁ‥‥‥嫌だなぁ‥‥‥怖いよぉ‥‥‥今度こそ消されるぅ‥‥‥」
左側にごろん。黒いドレスのようなふんわりとした服が派手に乱れ、ぼさぼさの尻尾が露わになる。
「‥‥‥‥‥‥でも、見ちゃった以上、挨拶に行かない訳には‥‥‥それに‥‥‥」
「あぁぁ‥‥‥‥‥‥」
最後は仰向けにごろん。暗闇でも分かるくらい鮮やかな緋色の瞳で天井を見据える。
「‥‥‥はぁぁぁ‥‥‥‥‥‥怖いけど、筋は通しておかないとね‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥よし、琥珀君と瑠璃ちゃんのためにがんばるぞ‥‥‥」
”ふぁいとー“と両手足をしゅばっと伸ばして気合を入れる。
締りの無い掛け声となんとも情けない動作で覚悟を決めた彼女は琥珀と瑠璃の家族―――荒噛狗。
荒噛寺で400年以上に渡って祀られてきた存在であり、荒噛家の人間を初代の頃から見守り続けている心優しい犬神である。
「‥‥‥‥‥‥やっぱり怖いよぉ‥‥‥」
覚悟の足りない言葉を呟き、しおしおしながら手足を縮める狗。
その姿は死にかけの蝉の様にしか見えなかった。




