第三十三話『犬飼貉の失態』
とある日。雲雀はこわみを連れて猫宮神社を訪れていた。
商店街デビューを果たしてからは、こわみを買い物に付き合わせることも増えている。外の世界を知ってもらいたい雲雀と散歩は好きな方であるこわみの意見が一致していたからだ。今日も首輪にリード繋げて買い物に出かけており、その帰りに神社に寄った次第である。
「お邪魔しまーす」
「ぽん」
境内に入り声を掛ける。1人と一匹の元気な声を聞き、神社にいた鈴音が雲雀達を迎える。
雲雀や鈴音にとってはいつもの事だが、今日に限っては少しだけ対応が違っていた。近づいてきた鈴音は雲雀の足元のふわもこに気が付き、驚きの表情を浮かべる。
「あ、雲雀君‥‥‥と、たぬき‥‥‥?‥‥‥まさか、貉様‥‥‥?」
「‥‥‥‥‥‥ああ」
「ぽん‥‥‥」
“愕然としています”と周囲に見せつけるかのようなあからさま動揺を見せる鈴音。雲雀は悲しそうな雰囲気で目を逸し、こわみも何となく地面にうつむいてた。
その輪に入りきれていない者が、困惑しながらも冷静な意見をそっと差し出す。
「‥‥‥‥‥‥儂、ここにいるよ?」
鈴音は打ちひしがれたようにこわみの元へと駆け寄り、すっとしゃがんでふわもこの毛皮を優しく撫でながら語りかける。
「随分とお可愛い姿になられて‥‥‥覚えていらっしゃいますか?‥‥‥あなたの義娘‥‥‥鈴音ですよ?」
「‥‥‥思うところはあるが、とりあえずその設定で行こう‥‥‥くぅっ‥‥‥」
「ぽぽん‥‥‥?」
設定と定義しても身体は正直な雲雀。苦悶の表情を浮かべながら胸を手で抑えている。そこだけ見ると本当に悲しんでいるような印象を受けてしまう。
こわみは先に動いた2人に付き合ってはみたが、思っていたよりもショックを受けている術者も心配な様子。おろおろしながら2人と貉を交互に見続けていた。
「あ、これ駄目じゃ。儂、泣いちゃう‥‥‥」
「何を馬鹿な事を言ってる‥‥‥そいつは貉の式神だろうに‥‥‥」
見ていられなくなった紺は、雲雀達の三文芝居に終止符を打つ。鶴の一声をきっかけに、雲雀と鈴音はすっとおふざけを止め、改めて二柱の神に挨拶をした。
「あ、紺様だ。こんちわー」
「紺様‥‥‥少し乗りが悪いですよ」
「ぽぽぽぽーん」
「‥‥‥なんか我の扱い雑じゃない?」
「構って貰えるだけ良いじゃろ‥‥‥儂なんて式神以下の扱いじゃぞ?」
良いように扱われている気がした紺は複雑な表情を浮かべる。2人から常に畏敬の念は感じられるが、どうにもこうにも首を傾げることも多くなってきた。信奉する神というよりもテーマパークにいるマスコットキャラクターを扱うかの如く。
”むむむ‥‥‥“と考え込む紺の肩に手を乗せながら貉が悲しそうな表情で自分の立ち位置を語る。
彼女もまた、ペット感が増したような気配を感じていた。
「大好きだからこそいじめたくなるんですよ」
「完全に同意」
「お主らぁ‥‥‥っ!」
「阿呆な事を止めてさっさと来い‥‥‥」
目元のダムが決壊してしまった貉の横で、紺が2人と1匹に神社へ上がるよう声を掛ける。偉そうな態度とは裏腹に、意外と空気が読める神様なのである。
「はい、それでは失礼します」
「ぽん」
「お茶と‥‥‥たぬきさんには油揚げをお持ちしますね」
縁側に座る雲雀。縁側の下にある踏石の上でちょこんと座るこわみ。彼らを饗すためにお茶とこわみのおやつを準備しにいく鈴音。
最後の行動だけは見逃すことの出来ない紺は、困惑した様子で鈴音を呼び止める。
「えっ?‥‥‥それ我の‥‥‥」
「お客様が来ているんですから、我慢して下さい」
「世知辛い‥‥‥」
「こちら側へようこそ‥‥‥」
”我の油揚げ‥‥‥“としょんぼりしている紺に対し、仲間と認めた貉が優しい笑顔を向けていた。
―――同類相憐れむの心境である。
◆ ◆ ◆
「で、そやつは何だ?‥‥‥やたらと力の籠もった依代を使っているように思えるのだが‥‥‥」
油揚げを美味しそうに食べているこわみを恨めしそうに見ている紺。貉の式神については知っていたが、その中身やペットのように扱われている理由までは把握していない。そのため当然の疑問を雲雀へと投げかける。
「こわみという名前です。この子は昔、貉様に奉納したぬいぐるみを依代にしているようですが‥‥‥そんなに驚くようなことなんですか?」
「貉の式神を見ることは初めてでは無いが、ここまでの式神はそうそう見る機会はないからな‥‥‥‥‥‥無論、我ならもっと立派なものを使役出来る‥‥‥だが、依代が割と特殊な部類のようだな‥‥‥‥‥‥貉。貴様はこの依代にそれなりの間、力を籠めていたな?」
「流石に分かるか‥‥‥期間といっても十数年程度、それもたまーにじゃがの‥‥‥時々、眺めたり抱っこしたりして愛でておったが」
依代の特殊性を見抜いていた紺は貉へと詳細を尋ねる。貉は聞かれることを予測しており、正直にぬいぐるみを可愛がっていたと語る。紺から”年甲斐も無いことを“と鼻で笑われそうであるが、貉にとっては恥ずかしいことでは無い。大切なものを愛でて何が悪いの精神である。
しかし紺は笑うことも馬鹿にすることもしなかった。それどころか得意気に話す貉に向き直り、ジト目で彼女の行為を諌めるような言葉を告げる。
「我もそうだが、貴様も同じだ‥‥‥神である我らの寵愛が何を意味するか、今一度頭に入れ直してこい‥‥‥特に貴様には前科があるからな‥‥‥」
「うぐっ‥‥‥それは卑怯だぞ‥‥‥」
「つまり、どういうことでしょうか?」
紺の言葉と貉の反応が気になり、思わず口を挟んでしまう。紺は”お主らも関係している事だからな“と前置きをしつつ彼の疑問に答えた。
「我らが気に入るということは、身内や眷属として扱う事を意味する。それは人のみならず、あらゆるもの全てが対象だ‥‥‥一言で言うと、気に入ったもの全てに加護が行き渡る」
「あー‥‥‥お気に入りのものに情や愛着が湧いちゃうんですねぇ‥‥‥おもちゃとかシーツとかみたいに‥‥‥」
「なんか納得しづらい例えだが‥‥‥まあそのようなものだ。我の手芸と同様に、貉の愛でるという行為自体が力を与えかねんのだ」
雲雀の言葉に引っかかるものを感じながらも、外れた事は言っていないためとりあえずは同意する。
「紺様の説明で良く分かりましたが‥‥‥ところで貉様の前科ってなんですか?」
「雲雀、それは‥‥‥」
踏み込んで欲しく無い話題‥‥‥というよりも隠しておきたかったものが白日の下に晒されてしまうかのような言葉。動揺する彼女を横目で見ながら、にやにやした顔で2人にとある昔話を語ることにした。
「‥‥‥丁度良い機会だ‥‥‥ここでひとつ貉の失態とやらをお主らに教えてやろう」
「ち、ちょっと待てぃ!?」
「ふん‥‥‥貴様に迷惑を掛けられた事は忘れておらんぞ?‥‥‥あれは我と貉がそれぞれの場所で祀られるようになってから暫くのことであったな‥‥‥」
青ざめる貉を手で制しながら話を続ける紺。興味津々な2人の前で”止めてくれ“とは、もはや言うことが出来なかった。
◆ ◆ ◆
数百年前の猫宮神社。
暖かい陽気の中、境内を散歩していた紺の前に貉が姿を現していた。殺し合いに終止符を打ってから結構な時が経っていたが、それでも機会があれば競い合いくらいはしたいと思う程度には血の気が多かった。
今回はどのような勝負で雌雄を決するのかと内心で少し期待していたが、その期待は意外なもので裏切られる。
「紺よ。面白いものが完成したぞ‥‥‥ほれ」
「狸‥‥‥いや、式神か。そんなもの珍しくもなんとも‥‥‥‥‥‥ん?」
貉の足元からとことこ歩いてくる狸を一瞥し、一瞬で式神であることを看破する。
至ってありふれた術の一つであるが、自分の知る術とは明確に違う点があることに気が付く。
「おっ?‥‥‥気が付いたようじゃな。儂の力と依代を必要とする式神でしかないが、顕現している間は一個の生物として生きておるのよ」
神である紺や貉にとっても困難な事象かつ自主的に禁じているものの一つ―――生命の創造である。
貉の式神はその領域に近い術で顕現しているものの、完全に独立している訳では無い。貉の力と依代が不要になった時に初めて生命の創造へと至る。つまり貉の術は完成しているとは言えない。
だが不完全とはいえ貉が生きていると語った通り、顕現している間は獣としての自我や生理現象といったものも存在している。
自然の摂理を捻じ曲げ、無から有を生み出す。
それをこともなげに語ることが、どれほど異常な事であるか―――
紺の目には足元の式神は常軌を逸した存在にしか見えなかった。
「‥‥‥生命の模造‥‥‥いや、複製か‥‥‥‥‥‥小癪な真似を」
紺は呆れを通り越して殺意を向けかけるが、そこまで貉は愚かでないことも知っているため、溜息とともに虚空へ吐き出すことにした。
「とはいっても、式神で扱うとしても制限はあるし、条件も多い‥‥‥出来てこの程度じゃ‥‥‥」
「手軽に顕現できる時点で余計な領域に手を突っ込んでいる自覚はあるのか?」
「まあの‥‥‥だが流石の儂でも人を対象にはせんわい‥‥‥儂とて非常に面倒だからのぉ‥‥‥」
「その前に我が貴様を殺してでも止めに入るが?」
「無論、その逆もありじゃ‥‥‥お前が同じような事をするのであれば‥‥‥のぉ‥‥‥」
頬を掻きながら自分の成果を見下ろす。足元にすり寄る毛皮がなんとも心地良い。
貉の方もこの程度なら大丈夫と判断した上での行動であった。彼女とて、濫りに生命の創造は好まない。もしも紺が出過ぎた真似をするようであれば、彼女の四肢をもぎ取ってでも止めるつもりであった。
「‥‥‥まあ、この程度なら目溢しはしてやる‥‥‥」
「およ?‥‥‥随分とお優しいことを言ってくれるのぉ‥‥‥割と殺し合いにでもなると思っておったんじゃが‥‥‥」
「抜かせ‥‥‥我らは以前のように好き勝手には出来ん‥‥‥分かりきっていることを口にするな」
「まあの‥‥‥確かに窮屈ではあるが‥‥‥意外と愉しいものだしのぉ‥‥‥くだらん争いでふいにはしとうないわな‥‥‥」
犬飼寺と猫宮神社に祀られるようになってからは、すっかり家の人間が大好きになっていた二柱の神様達。最近は子どもたちを愛でることが趣味となっている。
それは紺も同じであったが、目の前の貉が言うとなると少しだけ違和感がある。
無論、目の前にいる彼女の本心であることは分かっているが、それでも過去の貉を思い出すと一言いいたくもなる。
「‥‥‥あの野獣が日和った事を言うようになるとはな‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥儂を侮る様なら、今ここでお前の腸を喰らってやっても良いがのぉ‥‥‥」
「だから止めろと言っている」
「‥‥‥ふっ、冗談。ほんの戯れじゃ‥‥‥」
一瞬、殺伐とした雰囲気になりかけるが紺の言葉ひとつで霧散する。
神をも殺しかねない貉の戯れ―――常人であれば死を覚悟する程の殺気であったが、紺は表情ひとつ変えずに受け流していた。
人間に絆されたとはいえ、彼女達の血生臭い牙と爪の片鱗は未だに朽ち果ててはいない。
貉も紺もお互いに挑発を掛ける事がある。時々こうしてじゃれ合いをしないと遊びが本気になりかねない。だが年月を経る度にお互いに変化は見られるもの。今では本気で遊びに興じる心境に変わっていた。
何事にも緊張感を持つことが、永い時を楽しむための秘訣である。それを踏まえた上で貉はすんなりと身を引いていた。
一方で、貉も紺もお互いにその段階は越えた事はしっかりと理解している。
数百年前、人間に崇め奉られる神として見守る事を選んだ時から、余程の事が無い限り血を見ることは無いだろうと確信していたのである。
「‥‥‥‥‥‥まあ、今日のところは顔見せ程度じゃからの‥‥‥今後もより洗練させていくつもりじゃ」
「修練も良いが限度は考えろ‥‥‥何かあれば我が迷惑を被るのでな‥‥‥」
「分かっておる。儂も猫宮の巫女に怒られたくはないからな‥‥‥」
貉も猫宮の人間と交流があり、とても可愛がっている。だからこそ、猫宮の人間が怒ると怖いことも良く知っていた。なにしろ自分を殺し切る事の出来る唯一の存在を調伏した人間の末裔である。神様でも怖いものは怖い。
そんな貉の気持ちを知っているからこそ、真の怖さが別にあることをきっぱりと告げる。
「ふっ、まだまだだな‥‥‥泣かれる方が怖いことを知らんとはな‥‥‥」
「泣かせるお前が悪いのでは‥‥‥?」
「‥‥‥怖いんだぞ?」
「そ、そうか‥‥‥」
あまりにも真に迫った表情でなんとなくその怖さを察する貉。泣く子と地頭には勝てぬとは良く言ったものである。それだけ深い情が湧いている証拠でもあった。
「くれぐれも、大事になるような事は起こすなよ‥‥‥絶対にだぞ?」
「ふふっ‥‥‥お前に言われなくても分かっておる‥‥‥儂を誰だと思っている?‥‥‥犬飼の守り神に失態の二文字など存在せぬわ」
別れの頃合いと見て、貉は式神を連れ立って寺へと帰る。
去り際に見せた余裕の笑みと堂々とした態度は、数え切れない程の戦いや出会いと別れを越えてきた強者の証であり、数百年間の経験に裏打ちされたもの―――まさに犬飼の守り神に相応しい姿であった。
【村にでっかいたぬきがあらわれた!】
「ふぇぇぇ‥‥‥やっちゃったよぉ‥‥‥」
「この馬鹿狸!!なにが失態の二文字が無いだ!‥‥‥ど阿呆がっ!!」
目に涙を浮かべながら紺の足元に縋りつく貉。
神としての威厳は涙とともに地面に溢れ落ちてしまっていた。
紺はなんとなくこうなる気がしていたのでとりあえず罵倒の言葉を叩きつけるだけで一時の溜飲を下げる。
「だ、だってぇ‥‥‥修めて間もない術じゃったし‥‥‥」
「だからってこんなにも馬鹿でかい狸を創造すなぁっ!?」
新しい術のお披露目から翌日。
本日2個目の饅頭を食べていた紺のもとに半べそ状態の貉が駆け込んできた。
”たぬきのおばけじゃぁ!“と狸神が訳の分からないことを叫んでいたため、とりあえず拳で落ち着かせる。半べそから涙目に変わった貉に連れられて村に降りた所、村の中心部にはやたらめったらでっかいたぬきが丸くなっていた。
今は丁度おねむの時間である様子。
周りには村の人間が物珍しそうにたぬきを見上げている。あまりにも混沌とした状況に神様達も動揺を隠せなかった。
「と、とにかく被害が出ない内になんとかせんと‥‥‥」
「とはいっても‥‥‥一体どうしたら良いんだ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥どうしよう‥‥‥」
山のような大きさのたぬきを見上げながら途方に暮れてしまう。流石の神様もここまで大きなたぬきをどうしたら良いのか分からなかった。
「‥‥‥村の子どもがよじ登っているが」
「年寄りなんて拝んでおるぞ‥‥‥」
呆然と見守っている内に事態はどんどん収拾がつかなくなってしまう。
村の子どもたちはふわもこの毛皮を頼りによじ登り、たぬきの背中でごろんごろんと転がって遊んでいる。”むじなさまっておむねとおしりいがいもおっきいんだねえ“と見覚えのある寺の子どもが元気いっぱいに毛皮の上ではしゃいでいる。
また村の年寄りは”ありゃまあ貉様、随分と大きくなられましたのぉ、ありがたやー“と何故か拝み始めていた。
見当違いも甚だしいが、純粋な信仰心と善意の表れであるため何も言えない。
それでも事態は悪化の一途を辿る―――刻一刻と村の人々に愛されつつあるでっかいたぬき。このままでは消すことが困難になってしまう。
煮詰まった状況の中、先に解決策を出したのは紺であった。
「‥‥‥我が事情を説明して村のものを避難させる‥‥‥その間に貴様が依代ごとあれを消せ」
「むぅぅ‥‥‥無理矢理消す事は‥‥‥したくないんじゃよ‥‥‥」
「‥‥‥は?」
「いや消す事は構わんが、無理矢理はちょっとぉ‥‥‥‥‥‥それ以外で何とか出来んかの?」
「今更何を言うのかと思えば‥‥‥ん?」
最善の策を出した筈が実行を渋る貉。
思わず目を見開いて驚いてしまうが、そこである事を思い出す『儂の力と依代を必要とする式神でしかないが‥‥‥』謙遜しながらも何処か得意気な貉の言葉。
「‥‥‥そういえば、あれはお前の力を元に顕現しているはずだよな?」
「へぁっ!?‥‥‥そ、そうじゃったかのぉ?」
「力の供給を断てばあれは自然消滅する筈だ‥‥‥だが貴様はそんな簡単な事すらしない‥‥‥‥‥‥いや、実行した上でなお動いているのか」
「あー‥‥‥」
式神を独立させて動かす方法に心当たりがある。
式神自体に力を込めるか、限定的な力場を作るか―――前者はある程度の融通は効くが極短時間のもの。後者は範囲は限られるが暫く顕現させ続ける事が出来るもの。
目の前に見えるでっかいたぬきと貉の状況を考えると、自ずと方法が見えてくる。
「‥‥‥おい、貴様‥‥‥ああなった原因に心当たりがあるんじゃないか?」
「うっ!?‥‥‥んむむぅ‥‥‥うぅ‥‥‥」
紺の追求から逃れられないと悟った貉は、とうとう白旗を上げ、隠していたことを白状する。
「‥‥‥‥‥‥依代に、あの子が作ってくれた人形を使ってのぉ‥‥‥嬉しかったもんで得意になって術を披露したんじゃ‥‥‥」
”儂の名前を入れた狸の人形なんじゃよ“と手元に無い大切なものをなんとか伝えようとしながら、恥ずかしいような嬉しいような、そんなこそばゆいものを感じてもじもじする貉。
子どもたちに自慢したいがために、気合の入れ過ぎた事が今回の騒動の原因であることが判明した瞬間である。
「‥‥‥」
「痛ったぁ!?‥‥‥これ、脛を蹴るな脛をっ‥‥‥儂が悪かったからぁ‥‥‥」
無言の脛蹴りをがっつんがっつん繰り出す紺。
一撃一撃に割と容赦が無いため貉は必死で逃げようとするが、紺に襟首を掴まれたまま怒鳴られてしまう。
「阿呆!!そんな思い入れのあるものを依代に使ったら、あんなことにもなるわっ!?」
「ふぇぇ‥‥‥」
流石の貉も自分が悪いことは理解しているので半べそのまま情けない声を漏らすしか無い。
「くっ‥‥‥どうしてこんな事で我が動かねばならんのだっ‥‥‥」
「被害が出ない内に抑えるにはお前の力があった方が早いんじゃ、仕方ないだろう!?」
ぽいっと地面に捨てられた貉は、地面でぺたんと座り込んだまま紺へと解決策という言い訳を並べ始める。紺は更に怒鳴ってやろうかと考えるが、事態が更に複雑化しそうであったため、喉まで出ていた文句を無理矢理飲み込む事にした。
「だったらさっさと依代の場所を突き止めて来い‥‥‥ああもう、村の子どもたちが狸の背中で昼寝を始めおったぞ!」
「ああっ、村の若い奴らと年寄りがお供えをし始めおった‥‥‥‥‥‥あれ?儂らに奉納するものよりも良いやつじゃないか?」
紺の視線の先では村の子ども達が仲良くお昼寝をし始めていた。中には見慣れた神社の子どももいたような気がする。天気も良く、絶好のお昼寝日和であることが最大の誤算であった。
貉はでっかいたぬきの口元に着目していた。村人が米や旬の野菜、川魚や卵といった貉でも滅多に奉納されない極上品が次々と並べられていく。
ちなみに昨日届けられた貉への奉納品は近くの山で採れた山菜一束とてんとう虫三匹。村の子どもがくれたものだ。
山菜はありがたく頂き、てんとう虫はこっそりと逃してあげた。
”貉様よりも神々しいのぉ、ありがたやー“
”もしかしたら違うのかもしれんなぁ、まあ、いいかぁ“
”たぶんむじなさまじゃないけどかわいいからいいやー”
などと口々で交わされる言葉から、ようやくでっかいたぬきが貉では無いことに気が付いている様子。それでも崇め奉る事を止めない村人達。
二柱の神様は、この時代には既に村人から愛されつつ、ほどよく舐められる存在であった。
「‥‥‥見るな、我も悲しくなってくるから止めろ」
貉と同じものを奉納されていた紺も悲しげな表情を浮かべていた。子どもの厚意は嬉しいが、流石に虫はもう食べない。
「お、おい!?神社からあの子が‥‥‥」
なんとなくしんみりした雰囲気の中、貉は神社から歩いてくる人影に気が付く。神主の服に身を包んだ凛々しい顔の女性であり、紺は勿論、貉もその女性の事は良く知っていた‥‥‥何しろ先代の巫女である。
彼女の手の中に握られている綺麗に折りたたまれた紙―――貉は知らないが、紺がポカをやらかした時に奏上される”ご飯抜き“の書状であった。
「ひぇっ!?‥‥‥あれは不味い‥‥‥間違いなく夕餉は抜きの顔だ‥‥‥我は巻き込まれただけなのにぃ‥‥‥••••••いや、まさかあれがバレて••••••?」
神としての威厳は何処へ行ったのか、その女性を見た紺は尊大な態度から一転、母親に怒られる子どものような情けない表情を浮かべていた。
••••••巻き込まれた事は事実だが、別の心当たりはあるようだ。
「なんか済まんなぁ‥‥‥って、紺よ?‥‥‥儂の後ろから何か歩いて来ないかのぉ‥‥‥こう、どすどすと‥‥‥」
紺に同情した直後、背後に覚えのある気配と聞き慣れた足音が聞こえてきた。貉は恐ろしくて背後を振り返る事が出来ず、冷や汗を掻きながら紺へ後ろの様子を確認してもらうことにした。
「‥‥‥‥‥‥」
「なんか言ってくれぇ‥‥‥」
震える貉の後ろから、おっとりとした雰囲気の女性が歩いてくる。微笑みを浮かべてはいるが、威勢良く腕まくりをしている所を見ると、彼女の気持ちがありありと伝ってくる―――紺ですら言い訳をする前にごめんなさいをする程度には。
「‥‥‥‥‥‥直ぐに謝った方が傷は浅いな‥‥‥」
「あれ?‥‥‥儂、もう駄目かいのぉ?」
その言葉を最後に、同時に肩を掴まれる紺と貉。
2人の女性にこってり絞られた神様達は、半泣きのままでっかいたぬきに立ち向かい、無事に依代へと戻すことが出来た。しかしその被害はあまりにも甚大であった。
紺はその日の夕餉と3日間油揚げ抜き。
(※おやつをくすねていた事がバレていた)
貉は1週間ねこまんま生活を余儀なくされてしまった。
◆ ◆ ◆
その時の罰を最後に昔話が終わる。
式神に関する失態を暴露された貉は両手で顔を覆いながら言い訳を開始していた。
「でっかい、たぬき‥‥‥」
「あの時は色々と舞い上がっておっただけなんじゃ‥‥‥儂、悪くないもん‥‥‥」
「なんともまあ、可愛らしい失態で‥‥‥」
「可愛らしいとは言うがな、結構大事だぞ?‥‥‥貉の制御が上手くいっていたから良かったものの、少しでも人間を害する心がよぎっていたら村ひとつ消えていたからな‥‥」
“下手したら村ひとつ消えていた”という紺の言葉に、でっかいたぬきの存在感がより大きなものとなる。当たり前と思っている現在が全く違うものに変わっていた可能性があるからだ。
“たぬきエフェクト‥‥‥”と良く分からない事を呟いていた雲雀を安心させるためか、貉は当時の事を振り返りつつ、現在の懸念点を明らかにする。
「まあ、あの頃の儂らはそれぞれの家の子達が可愛くてしょうがなかったからのぉ‥‥‥そんな事はありえないと断言出来るが‥‥‥でも、思い返してみるとあの時と同じだものなあ‥‥‥こわみも大きくならんよう注意せんとな‥‥‥」
「ぽぽん‥‥‥」
「でっかいこわみも見てみたい気持ちもありますが‥‥‥‥‥‥あぁ、いいなぁ‥‥‥」
「昔ならいざ知らず、今の時代にあれだけでかい狸が見つかったら流石に騒ぎになるぞ‥‥‥」
「犬飼寺のたぬっきーって感じかの‥‥‥」
こわみの可愛らしさに染められつつあるためか、怖いもの見たさに拍車が掛かっていた。
でっかいこわみに抱きついたらさぞ幸せだろうと妄想に耽る雲雀。一方鈴音は、商店街に出現したでっかいこわみと戦闘機が闘っている光景を思い描いていた。
「今のままの方が良いと思うけど‥‥‥」
「じゃな。今のように平和な毎日が一番幸せだからのぉ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥なら、こわみは良く見ていた方が良いな‥‥‥でっかくなるかは分からんが、あの時と状況が酷似している‥‥‥油断はせんことだな」
“平和が一番”という無難な答えに落ち着いた中で、紺が過去の失敗を繰り返さないように貉へ釘を刺す。
貉も懲りていたのか、でっかいたぬき事件の後から、現在こわみを顕現させている術には永い時間をかけてさらなる研鑽を重ねていた。今では完全に掌握している自負がある。
失敗から学ぶことの出来る貉はとてもえらい神様だが、無自覚の内にとんでもない事をやらかす悪癖については治しようが無かった様である。
「それもそうじゃな‥‥‥まぁ、あの頃と違って儂も成長したから大丈夫じゃろ。それに何かあっても直ぐに対応できると思うぞ?」
貉は“もう失態は犯さない”と自信満々に語りながら、無自覚に旗を突き立てた。
「あっ‥‥‥」
「貉様‥‥‥」
「貴様はいちいち厄介事を招くような事をせんと気が済まんのか‥‥‥」
余裕綽々な貉を見た瞬間、この後の展開が読めてしまった雲雀と鈴音。
そして彼女のうかつ過ぎる行動に頭を抱えてしまう紺。
「へ?‥‥‥なんか不味いことしたかの?」
この瞬間まで、当人だけが気が付いていなかった。
「ぼぼん」
「‥‥‥あ」
数百年ぶりの大騒動―――とまではいかないものの、商店街で熊のような大きさになったこわみが1週間限定で見ることが出来たとかなんとか。
住民や近所の小学生は大層喜んでいた。
ちなみに貉は1週間ねこまんま生活になった。




